まるで当たり前のように、縛る彼がどうしても欲しくて欲張りになる。
日付が変わった頃の事、空になったワイン瓶が一本と空き缶が机の上に何本も転がっていた。その机に突っ伏したわたしは酷く酔っ払っていた。目を瞑れば世界がぐるぐると回る。飲み過ぎたと思う頃には幾つか記憶を落としていた。しかし飲み続けるわたしにキレたボスが空き缶を投げつけ、それがレヴィに当たり鼻血を出した所までは覚えている。あれから何時間経っているだろうか。もうリビングは独りぼっち。視界もぼやけて気分も悪いが飲む事に躊躇は無かった。そう、やけ酒だ。フランにも呆れた表情を向けられた。カチカチと時計の針の音だけが鮮明に聞こえて、鼓動も早くなるのを感じる。そろそろ限界かな。水を取りに行こうと立ち上がった瞬間わたしは床に崩れ落ちる。そのまま立ち上がる気力もなく、酔いのせいか涙腺も緩まり痛くもないのに涙が出てきた。
こうなっているのも全部あの自分勝手な王子のせいだ。そう思えば涙はどんどん溢れてきて床を濡らす。
わたしは今日一週間口をきかなくなったベルと話すため、彼の帰りを待っていたのだ。
・・・
どこからが事の始まりかはよく分からない。ただわたしとベルには妙な関係性があったのだ。
先日本部からの帰り道、突然本部の人間から呼び出しを受けて告白された。ヴァリアーに配属される前本部に居たわたしはある程度本部の人と面識があったからだ。思っても見なかった好意に正直嬉しくないはずがない。むしろ付き合うという選択肢だってあるが、一緒に着いてきたベルがそれを許す筈が無かった。隣でギラギラと殺気を込める瞳を思い出せば簡単に首を振る。肩を落とす彼を思い出すと少し申し訳ない気持ちになるが彼の事を思っての事だった。
「あいつ誰?」
「前の部下」
「ふーん、前の部下ねー」
「…何もしないでよね」
「するわけねーし、なまえに興味を持つ馬鹿ってどんな奴かと思ったワケ」
ナイフを弄りながら楽しそうに笑う姿からあからさまな殺気を感じた。ほらね、思った通り。首を横に振っても告白してくれた彼かどうなるかなんて分からないがわたしも自分の命が惜しい。一歩一歩の足取りは重く体が強張る。彼に勝てるくらいの実力があれば好き勝手出来るかもしれないが、生憎相手はヴァリアーの天才なのだ。
「…女性が少なかったから本部居た時は少しモテてたりしたの」
「しし、お前より良い女なんて星の数いるしな」
「…ほんっと失礼」
「お前に必要ねーだろ、オレ以外の男なんて」
まるでわたしを好きだと言うような言い方に思わず言葉を飲み込んだ。こうやってベルは少しだけ期待してしまうような言い方をするからタチが悪い。ベルは好きだと言わない癖にわたしを縛り、他の誰の物にもならないように目を光らせる。これがわたしの悩みの一番の種である。
前に一度だけ腹癒せに誰かと付き合ったことがある。だが晴れて付き合う事になった数日後会った彼はボロボロで「…ひ、お前なんかと付き合ってられるか!」とそんな捨て台詞を吐かれ捨てられた。それだけならいいもののベルはわざわざ彼女を作りわたしの目の前に現れた。その時の事は酷く覚えている。本格的にベルに振られた傷は現実を目の当たりにする事でさらに抉られた。
『反省した?』
ベルが久しぶりにわたしの前に現れた時突然そう言い放った。混乱して訳がわからなかったが小さく俯くとさぞ満足そうに笑った。
その後ベルは付き合って居た女を酷く振ったそうだ。恐らく腹癒せに他の男の人と付き合ったわたしに腹を立てて、わざと同じ事をしたとしか考えられない。そして後から知った事だが、元彼をボロボロにしたのはベルだったという事だ。真相を本人から聞きたいと思ってもいつ同じように仕返しをされるか分からない。…恐ろしい男である。
*
本部の一件から数日後、非番が重なったフランとでの会話は酷く怠そうだった。そんなフランの姿も正直見飽きた所であるが、それでも誰かに話を聞いてもらいたかった。この妙な関係はいつ迄続くのだろうか、頬杖を付いて外を見つめるフランをじっと見ているとゆっくりと口を開いた。
「付き合う相手がベルセンパイより強ければいいんじゃないですかー」
「…そっか、それならベルに殺される事もない」
「ミー天才でしょー」
「…んで、そんな素敵な殿方はどちらにいるのかな?」
「…ミーはパスでー」
「フランは候補に入ってない」
フランは何時もベルに振り回されるわたしを笑い、呆れながらも慰めてくれる貴重な存在だった。可愛くないコーハイ、ベルの言葉を借りるとまさにその通り。わたしは用意して居たお茶を飲み込む瞬間ごくりと喉を鳴らした。
その瞬間、リビングのドアが開く。任務帰りのベルが顔を出し、わたしは思わずベルの名前を呼ぼうとした。息を吸い込んだ時、フランは態とらしく言葉を発した。
「…ベルセンパイの事好きなんでしょー」
「…は?!」
ガチャン、とコップが手から滑り落ちる。運良くお気に入りのコップは割れなかったようだ。お茶を口にしたばかりだというのに、口の中がカラカラに乾いていた。制止もできず呆然と目を丸くするしか出来ない。フランは何を言った?もしかしてベルに聞かれた?彼もわたしの気持ちは恐らく分かっているだろうが言葉にした事はない。
何かで気を紛らわせようと床に溢れた水溜りを必死に吹いていると、フランは今ベルが帰ってきた事に気づいたような反応をした。
「…」
「あー…ベルセンパーイ遅かったですねー」
「なに焦ってんだよ、なまえは」
「…いや、」
何か言われるだろうか、こんなことでビクビクしているなんて学生のような恋愛だ。好きなら好きだと言ってしまえばいいのに。周りの人と一緒になりたくない思いが強くて、一番にしてほしくて、言葉にしてしまったら終わりだと思ってしまう。きっとベルの事だから飽きたら捨てるだろう。聞かれたに違いない、フランと談笑してる所からベルは機嫌が良いと判断する。だがこの男はこれ以上わたしの好意については言及しない。気付かないふりをしているのか?そう思えば無我夢中に吹いていた雑巾の力が緩む。
そっかこのままが、良いんだ。
「何かオレに言うことあんだろ?」
心臓が煩く暴れるが息を深く吸い込むと割と冷静でいられた。歯を見せて笑うベルは確実にフランとわたしの会話を聞いていたに違いない。フランもしてやったり、と言うような表情をしていた。
「何もない」
ベルの横を通り過ぎる時も彼はわたしから目を離さない。まるで自分の口から言え、と言っているようだった。…どうせベルに伝えても何も変わらない、そう思い直す事にした。
*
逃げるようにリビングから姿を消した翌日、どう話したらいいのかと焦っていたが朝からベルの姿を見ない。今日は休みだった筈だ、流石に顔を合わせると思っていたが夜まで合わないなんて話があるだろうか。避けるつもりだったのに気付けば探しているなんて矛盾している。本部からの資料も纏めなければならないのにも関わらずアジトを歩き回っていた。
「なまえセンパイ」
そう急にフランに話しかけられた事により、思わず声が出そうになる。フランは何か言いたげだったがわたしは気づかないフリをする。
「あ、フラン…」
「ベルセンパイ帰って来ましたよー」
「え、今?」
「あの人すごい機嫌悪いんですがー」
そう付け加えるとカエル帽子には数本のナイフが刺さっている。喧嘩でもしたのか?と思いきや、フランはストレスの発散にでも使われたのだろう。あいたた、と頭を摩りながら去っていくと丁度部屋から出て来たベルと鉢合わせた。
「ベル、」
「…」
無言で隣を通り抜ける。嗅いだこともない強い香水の香りを感じて思わず、眉をひそめる。
『反省した?』
あの日のベルの言葉が木霊する。わたしが逃げた事により、ベルはまた遊びに出掛けるようになったのだ。
・・・
何も考える事が出来なかったのだ。だから今気持ちに任せて得意でもない酒を浴びるように飲んでいた。上手くいない。好きな人には反省期間とやらで香水の匂いをプンプンとさせられる。もしこれが反省期間などではなかったら?考えるだけで、苦しくなる。あれから一週間経った今でも日常は変わらないはずなのに、アジトに戻ってもベルは夜遅くまで戻る事は無く顔を合わせても話す事はない。
だらし無くも床に倒れるが余りにもこの体勢が楽でそのまま眠りそうになる。何時頃だろうか、聞き慣れた足音が近づいて来たことに気付いたわたしは眼を覚ました。心臓が恐ろしいリズムで鳴っているのを感じた。一層の事このまま寝ている振りをしてしまおうか、そんな事も考えた。まだぐるぐるとして少しだけ体を起こぼんやりと扉を開いた人物を見つめていた。まさにこんな所に居るとは思わなかった、という表情だった。目は隠れて見えないけれどわたしの姿を見て徐々に不機嫌になっていくベルを見て、どうしようもなく怒りが込み上げた。
「ベル」
あーあ、もう知らない。
力を込めて立ち上がると世界がぐらりと揺れる。酔いからか饒舌な口を動かして、わたしは怒りに任せてベルに言葉をぶつけた。何を言ったかも何をしていたかも分からない、ベルと会った事だけは覚えている。そしてわたしがベルの口に噛み付いた所から、プツリと記憶が消えた。
続きます
2017.0209
Desire