彼の手を取った日から、暇つぶしと称してベルフェゴールが毎日校門に姿を見現わすようになった。


「…あ、ベルさん」
「おっせーよ」
「すみません、ちょっと色々あって」


  あれから数日、毎日のようにナイフを投げ、山本さん宅のお寿司を食べ、意外とフランクに話せるようになっていた。気がつくと貴方、ベルフェゴールからベルさんへと呼び方も変わる。未だ彼から名前を呼ばれるのは慣れないが。今日いつもより少しだけ校門を潜るのが遅くなった事が原因か、ムスッとした表情をしてわたしの一歩前を歩く。


『見た!?最近校門にいる王子様!』


  教室での話に耳を傾けていたら案の定ベルさんが噂になっていた。それを聞いた沢田さん達も驚いてわたしの身を心配する始末で、説得するのに時間がかかってしまったのだった。王子様、と噂になるベルさんに心が騒ついた。確かに王子様だが殺し屋だぞ、と心の中で呟き騒ぐ女の子達に冷めた視線を向ける。確かに日本人離れした容姿は女性を惹きつけるだろう。


『でもわたしは毎日ベルさんに手合わせしてもらってるんだから』


  そう思った瞬間、今わたしは何て思った…?と再び思考がストップする。これじゃ女の子達に嫉妬しているようではないか、断じてそれは違う。手合わせしているものの、倒すべき相手である事は間違いない。悶々としていればいつもより時間が経っていて、ベルさんが少しだけ不機嫌なっていたという事だ。


「あの、こんな毎日大丈夫なんですか」
「へーきへーき」
「お仕事とか…」
「もう終わってる」


  前を歩くベルさんに何か話さなければと問いかけると、普段通りに返事が帰ってきたことに安心する。確かに、この人毎日手合わせしてくれているが大丈夫なのだろうか。


「…帰るの明日でしたっけ」
「んー、明日」
「そうですか」


  心配していても、これは明日で終わる。 心の奥底に棘が刺さるような痛みを感じるのは、どのような感情なのかその時のわたしには分からなかった。

  数日前あれだけ震えて動けなかった体が多少冷静に動けるようになっていた。それでもベルさん曰く動揺してるのがバレバレ、らしいが。同じ武器を使うもの同士、見えるものがあるのだろう。前に修行をしてもらったラル・ミルチに会うのが楽しみである。
  何処へ向かうのかは聞いていなかった。目的地が決まっているように歩くベルさんの後を小走りで追っていた。どんな道を選んだのか人通りは少なくなっていき、思わず辺りを見渡す。ベルさんが足を進めた場所は廃墟となったビルであった。明らかに不良が溜まりそうな場所に嫌な予感がしつつも彼の後ろを必死に着いて行く。


「…ベルさん、何処へ」
「今回も悪くねー滞在だったと思うよ」
「…はあ」
「最後にさいこーの暇つぶしになりそーだし?」
「…は?」
「…しし、出てこいよ」


  その瞬間、あらゆる武器を手にした集団が物陰から姿を現わした。後ずさりをすると瓦礫の破片か何かを踏み、パキッと何かが折れる音がした。まさか、と思いベルさんに視線を向けると腕を頭の上で組み楽しそうに笑っていた。集団の頭でありそうな男がベルさんに向かって口を開いたところで、わたしはこの場で起こっていることをようやく理解したのだ。

…この人また何かやったな。


「てめーか、さっきの奴ってのは」
「しし、きたきた」
「…ベルさん今日何やったんですか」
「ちょっかい出しただけー」
「見覚えがあるようだな、だがもう逃げられねーぞ」


  わたし達より何倍もガタイの良い敵の集団に、横目でベルさんに訴えかけた。今日も完全に巻き込まれたなあとため息を吐く。仕方なくナイフを取り出し構えると、ベルさんも扇のように自分のナイフを手に広げた。


「丁度良いや、腕試しになるか」
「ベルさんのせいで毎日忙しいです」
「まあ、なまえも体なまってんだろ」
「生憎、最近はベルさんのおかげで動いてます。あ、殺したら後が面倒ですからね」
「しし、どーかな」


  武器を各々が構え一歩を踏み出した時、自然と背中を合わせる。それは無意識で、ベルさんがわたしに背中を任せてくれた事が少しだけ嬉しかった。この程度の敵ならば背中ぐらい自分で守れるだろうが。短刀ナイフの竿を使い主に体術で敵を倒していけば殺す事も無いだろう。敵を思いっきり蹴り飛ばした瞬間、体が軽く感じたような気がした。


  気が付けば敵の大半が地面に倒れていて気絶しているのかびくとも動かない。少しだけ息が乱れたが、無傷だ。後ろを振り返ると見えずらいが鋭利なワイヤーも空間に張り巡らせている。動けなくなった敵は恐怖に支配されたような表情をしていた。そう体を動かすとワイヤーが肌を切り刻むのだ。全く趣味の悪い奴だと思う。けれど敵を倒した数はベルさんと比べて半々だろう、中々上出来だ。


「趣味が悪いですね」
「うしし、動くと切れるぜ?」
「ベルさん、終わりましたよ」
「んー、遅かったな」
「…悪かったですね」
「そ、…で後ろの奴らは?」


  後ろの奴ら、その言葉に思わず鳥肌が立った。殺気を感じ勢いよく振り向けば、大きく鉄パイプを振りかぶる姿がうっすらと視界に入った。地面を転がるようにそれを避ければ、間一髪。鋭い音を立てて地面にパイプがめり込む。


「っ、あ」


  油断したような声がわたしの口から溢れた。利き腕を掴まれ、手を後ろに固定される。情けなくも手足をバタつかせるが目の前には大きく武器を振りかぶる敵。避けられない、衝撃に耐えようと俯いた。「避けろよ」ベルさんの声が聞こえて顔を上げると趣味の悪いナイフが飛んで来た事に気付き、首を勢いよく傾けた。ギリギリ避けられたと思った瞬間、背後の敵の体が切り裂かれる。その隙を見てわたしは目の前の敵を気絶させた。腰の力が抜けて思わず尻餅をつき、呆れた表情のベルさんを見上げた。


「って何腰抜かしてんだよ」
「…びっくりしただけ、です」
「ん、」


  しゃがんだ後手を差し伸べられ、思わず目を見開く。それもそのはずだ、手を差し伸べたベルさんは見た事もない優しい表情で。

  いつも彼は余裕だ。必死に努力しても今度はベルさんに、助けられた。


「…っ」


  ああ、遠い。どんなに手を伸ばしてもわたしはこの人に勝てない。


「ゲ、何泣いてんだし」
「…」
「…はいはい、悪かったよ、巻き込んで」


  子供のように唇を噛み締めて、ボロボロと涙が溢れる。ベルさんが屈んでわたしの顔を覗き込み、少しだけムスッとした表情をする。そういう事じゃない。背中を合わせた時の安心感、味方だとこんなにも頼もしい事、ベルさんが助けてくれた事、全てを引っ括めてわたしは劣っていると感じてしまったのだ。


「…貴方にはどう頑張っても、勝てないと思ってしまったんです」


  戦いの後の異様な空間の中に、わたしの言葉は静かに響いた。きっとベルさんも敗けを認めるなんて思ってもみなかったのだろう、膝に肘を立てて頬杖をつき、目は隠れて見えないけれど少し考えるような表情をする。正直何故わたしに構うのか理解出来なかった、ようやく敗けを認めたわたしにベルさんは何と言葉を紡ぐのだろう。勝ちたいという思いは今でも変わらないが、ここ数日ベルさんと居たことで可笑しくなってしまったのだろうか。
沈黙は少しの間ではあったがそれでも待ちきれなかった。ベルさんの息遣いを感じる。

  彼が息を吸い込む。


「勝てねーよ、だってオレ天才だし」
「…」
「いーじゃん勝てなくて」
「は?」
「なまえはオレには勝てない」
「…」
「でも、筋は悪くねーかな」


  楽しそうに笑う彼の顔をどうしてこんなにも素敵だと思うのだろう。手を差し伸べるベルさんの姿がまた歪む。彼の手を取り体を起こされると、わたしはついに感じていた胸の痛みの正体に気付いてしまった。憎むべき人であった筈だ、けれどそれ以上に認めてくれた事が嬉しかった。


「また、会えますか」


  わたしはヴァリアーに戻っても、ベルさんに忘れてほしくなかった。背を向けたベルさんにそう問いかけると、彼は振り返りわたしの髪を研ぐ。


「またな」


  ナイフを扱う美しい指に、わたしはまた一つ彼の虜になる。


END
2017.0105
また、なんて