気付いたら自慢のナイフを磨きに磨き上げ、誇らしげに眺めていたら日が昇っていた。昨日の趣味の悪いオリジナルナイフと自分のナイフを見比べて、どう見てもわたしのナイフの方がカッコいいと思うのであった。


『….いーかおしてんじゃん』
『….っ』
『針千本にしてやるよ』


  …正直それだけじゃない、吐き気がするんだ。ベルフェゴールのナイフに勢いよく力を込めて二つにへし折る。あれだけ努力してきた日々が無駄になった日、同じナイフ使いにボロボロに敗北した日。どちらも思い出したくない、認めたくない。あれから宙を舞うナイフを思い出す度、奴を恐れている自分がいて情けなく感じてしまうのだ。


・・・


「なまえ具合悪そうだけど大丈夫なの」
「大丈夫です」
「さっきから何してんだよ」
「何でもないです」


  また明日、あの言葉を鵜呑みにしてベルフェゴールの姿を探していた。沢田さん、獄寺さんと帰宅する足取りは少しだけ重くて、具合が悪いなどと心配されてしまった。


「…き、きた、本当に」
「え?」


  視界の隅にキラリと光るティアラと、金髪を見つけて思わず目を伏せる。ポケットに手を入れながら歩く姿はやはり日本人離れしていて絵になる。獄寺さんはベルフェゴールに気付いたようで沢田さんの前へ乗り出した。


「ナイフ野郎…!」


  白いブーツの紐が揺れて、思い出したくない光景が頭の中を過ぎる。緊張する必要ない、奴に殺されかけた事を思い出せ。わたし達に気付いたベルフェゴールはチェシャ猫のように笑い、大股で近付き沢田さん、獄寺さんを通り過ぎてわたしの顔を覗き込んだ。


「今日こそ、雪辱を晴らします」
「むりだって」
「あなたのナイフ昨日折っちゃいました」
「うしし、死にてーみてーだな」
「嘘です、すみません」
「おせー、よっ」


  リズム良くナイフが投げられると地面を蹴りナイフを避ける。鈍い音が響いて地面にナイフが刺さると同時に沢田さんが悲鳴をあげた。


「何やってんの!ここ商店街の真ん中だからね!?」
「だめですか」
「絶対だめ!」


  獄寺さんは今にもリングに炎を灯してしまいそうだ。…ボスの言うことなら仕方ない、地面に刺さった趣味の悪いナイフを拾い上げる。それでもなお睨み続けるわたし達に沢田さんは慌ててわたしとベルフェゴールの腕を掴み、路地裏まで早歩きで進む。こんな事したらナイフ投げられそうたまなあ、と隣のベルフェゴールを覗き込むが案外楽しそうな表情をしていた。


ダダダッ


  わたしの顔を通り過ぎ、壁にナイフが当たる音がした。自分の髪が少しだけ切れた。


「…」
「此処で戦えって事だろ?」
「フ、フライングです!」
「よそ見してていーの?」
「だから止めろって言ってるだろ!」


  沢田さんの制止を無視して、ベルフェゴールの手元のナイフが降ってくる。思わず冷や汗が噴き出して何も言ってません、なんて後出ししてももう誤魔化せない。

  ブワッとナイフが円状に宙を舞い、何もかもスローモーションに感じた。殺されかけたあの時と同じだ、このナイフが一斉にわたしに向かって落ちてくる。ナイフを構えても精々撃ち落とせる数は限られているが、最小限に抑える事は可能だ。なのにわたしの体はあの時の記憶がデジャヴして、その場に崩れ落ちる。地面の冷たさを感じたのと同時に、体が冷えきるような感覚に陥る。
  歯を見せて笑うベルフェゴールがあの時の記憶とリンクした。殺される、そう思っても体が震えて自らのナイフでさえ手に持つ事が出来なかった。


「…っ」
「またな、バイビ」


  同じ光景、リング戦からも数ヶ月しかたっていない。ベルフェゴールの同じ技を受けられるなんて光栄なことなのだろうか。無数のナイフが襲いかかる瞬間を、わたしは冷静に思い出していると同時に、ベルフェゴールが何かに気付いたように表情を強張らせた。沢田さんと獄寺さんが飛び込んで来たのは色んな考えを巡らせて、死ぬ、と思った瞬間だった。


「なまえ!何で避けないんだよ!」
「…ごめ、」
「なまえ!てめー舐めてんのか!10代目!ご無事ですか!」


  わたしは一歩も動く事が出来なかったのだ。情報は山ほど頭の中に入ってきたが、体が凍ったように動かなかった。体を強く押されてナイフから間一髪で避けることが出来た。体が震える、あの時の死を感じた記憶はまだわたしの中に根付いていたのだ。息がし辛くなり思わず前のめりになり胸を押さえつける。


「しし、そういうこと」


  冷めた声が響いた気がした。ベルフェゴールの表情、沢田さん獄寺さんの声、ナイフの動き、全てをわたしは鮮明に覚えている。わたしの状態に気付いたベルフェゴールが手元でワイヤーをわざとズラしていたことも知っている。

  悔しくて情けなくて、思わず唇を噛みしめる。ベルフェゴールは本気で殺そうと仕掛けた訳ではなかった。いっそ殺してくれた方がどんなに良かったことか。そんな事を思いながらも、恐怖に支配される感情に矛盾を覚える。ベルフェゴールに勝ちたいと思いながらも、わたしの中のトラウマは未だ消えてはいなかったのだ。


「おもしれー事になってんじゃん」


  さぞかし機嫌の良さそうに、ベルフェゴールは笑う。彼が背を向け去って行く姿は何かまた楽しみを見つけた様な子供のようだった。


16.1222
蘇るトラウマ