──サァア、

珍しく早く仕事が終わり外に出ると、雨が降っていた。
歩き出そうとした足を思わず止め、俺は灰色の空を見上げた。


(雨、か……)

サアア、と音を立てここ数日降り続けている雨は、静かに気温を下げる。

――季節は、冬。

どしゃ降りや大雨ではなく、雪が溶けたような柔らかい雨が都会に降っていた。

「そういえば…傘、家に置いてきたんだっけ……」

ため息混じりにひとり呟くと、それは白い煙になって空に溶けた。


走る気にもならないし、コンビニに寄って傘を買う気にもなれない。

かといって風邪を引くわけにはいかないし──

一歩歩き出すのが億劫になり、つい建物の屋根の下で立ち尽くす。


そして、ぼんやりと、行き交う人の流れを見つめた。

傘も差さずに急いで走る人。
傘を差しながら電話をかける人。

そんな人の流れの中、ふとひとつの傘が目に留まった。

目を細めて見て、俺ははっと息を呑んだ。


(詩乃ちゃん……)

変装をしているつもりだろうが、分かる。
分かっちゃうんだよね。

あの笑顔も、あの声も……

『それでね…、』

「…詩乃ちゃん…濡れるよ?ほら…もっと寄って……」

『あ…ありがとう』


ひとつの透明な傘の下、幸せそうに寄り添うふたり。

苦く、切ない思いが胸までせりあがってきて、思わずこぼしそうになる。

……いっそ、雨に紛れて泣いてしまおうか、なんて。

(いつまで引きずってんだよ…本当、俺らしくもない…)

詩乃ちゃんへの思いが叶わなかったあの日から二週間も経つというのに──俺はまだ、この思いを捨てられないでいる。


昔、付き合っていた彼女との仲を事務所に引き裂かれて以来、本気の恋はしないと決めた。

それなのに、やっと本気で向き合える恋が出来たと思ったのに……

見つけた時には、もう遅くて。


(何やってんだろ、俺……)

気付けば、詩乃ちゃんはもう視界から消えていて、雨音も聞こえなくなった。

どうやら長い間雨宿りをしてしまったようだ。


(そういえば…昔付き合ってた彼女と別れさせられたあの日も雨だったっけ……)


俺の中の思い出は、いつも雨。

振り切るように、押し込めるように、俺はまだ濡れている雨上がりの道へ一歩踏み出した。




(それがいつか晴れるまで、)





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