『翔くん!』

俺はピンの仕事を終え、次の歌番組の収録に備えて楽屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
あぁ、今日も疲れた、なんて思いながら歩いていると、数メートル先に好きな人を見かけた。
俺に気付いて駆け寄ってくるのは、俺が現在片思い中の相手――詩乃ちゃん。

「詩乃ちゃん!どうしたの?」
柔らかな笑顔に、ときめく俺。
彼女から話しかけてくれたことが嬉しくて、つい笑顔になる。

――たとえそれが友達に向けての笑顔だとしても、それを知っていても。

俺は、詩乃ちゃんの事が好き。1人の男として。
…だけど詩乃ちゃんは、俺の事を友達としか思っていないと思う。
だって、詩乃ちゃんが好きなのは、俺と同じWaveのメンバーの1人…亮太だから。

メンバー内で、詩乃ちゃんと正直一番仲がいいのは俺だと思う。
……もちろん、友達として、だけど。

詩乃ちゃんもそう思ってくれているのか、皮肉にも詩乃ちゃんは俺に亮太の事でよく相談していた。

詩乃ちゃんが俺を頼ってくれてるという事が単純に嬉しかったし、もし何かがあって、亮太じゃなくて相談してた俺の事を好きになってくれたら、
なんて淡い期待を抱いて相談に乗ってた。
『今日、話しかけてくれたんだ』とか、『髪型かわいいって言ってくれたんだあ』とかの耳を塞ぎたくなるような話やメールも、苦い思いをしながら。
…だけどやっぱり、今みたいに仲良く接してくれる事が嬉しかったりする。
すぐ期待して、舞い上がってしまう単純な自分が嫌になったのももう何回目だろう。

「どうしたの?」と明るく答えた俺に、
『あのね…私、亮太くんとお付き合いすることになったんだ』
照れくさそうにはにかみながら、相談に乗ってくれてありがとね、と付け足す詩乃ちゃん。

いきなり告げられたそれはあまりに残酷な言葉で。

…亮太の気持ちだって、分かってた俺。
いつかはこうなるって事も、分かってた、だけど。

その笑顔が俺のものになればいいのに、とどれだけ思ったことか。
心臓が圧迫されて、苦しくて泣きたくなる。
…だけど、それをぐっとこらえ、精一杯笑って見せた。
詩乃ちゃんの事を思って。
…それに、なんだかんだ言っても、亮太は大切な仲間、だから。

「良かったじゃん!ほら、俺のところにいるより亮太に会ってきたら?楽屋にいるし」
詩乃ちゃんの背中を強引に押し出して、楽屋のほうへ追いやった。

『……』
「ほら、行ってあげないと」

詩乃ちゃんは、俺の顔を見て何かを言いたげだったけど、すぐに笑顔に戻って頷いて、楽屋に入っていった。

「……っ」
詩乃ちゃんの姿が楽屋の向こうへ消えたのを見届けた後、さまざまな人が行き交う廊下で思わずしゃがみこむ。
そして携帯を取り出し、下書きフォルダを開いた。
俺はひとり、無題のまま保存された下書きメールを見て、悲しく笑う。

「詩乃ちゃん。亮太のことで相談受けてたけど、俺、やっぱり応援できない。俺、詩乃ちゃんの事が好きなんだ」

──以前作って未送信のままの、俺の本音。

“本当に消去しますか?”と携帯に聞かれ、少しためらったけど、“はい”を押した。

…もう、俺の気持ちは届かないけど、届かなくていいんだ。
2人が幸せなら、きっと俺も幸せだから。

俺は、立ち上がって2人とメンバーの待つ楽屋のドアを開けた。

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(この想いにもう名前はつかないけれど、君を好きになった事を後悔はしないよ)




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