水音が、聞こえる。
 それは馴染みのある雨音とは少し違うようで、断続的に流れ続けているようだった。
 断続的に――となれば、川? それとも、滝?
 一体何なのだろう、と閉じていた目をゆっくりと開けていく。

 思った以上に、暗い。
 のろのろと身体を起こしてみれば、わたしは全く知らない場所にいた。中華風の内装が施されていて、きっとかつては綺麗な場所だったのだろう。けれど今や朽ち果てゆく最中のようで、最低限の気遣いか敷かれていた布を離れれば、砂埃でざらついている。

「どこ、ここ……」

 立ち上がってそう呟けば、特徴的な笑い声が聞こえた。
 視線をやれば夜空の下、簡素な柵に腰を下ろした男がいた。

「気がついたか」

 声をかける男は、やはりさっき乱馬を襲ったパンスト太郎だった。
 
 ――ああ、結局ここに来てしまったのか。

 良牙くんのお願いは叶えられなかったなあ、と心の中でひとりごちて、わたしは一言おはようと寝起きの少しかすれた声で挨拶を返した。







「おはよう」

 ――状況が分かっていないのか、この女は。
 
 ここはどこだ、あの男はどうした、何が目的だ。
 慌てふためきながらそう言った言葉が飛んで来るものだとばかり思っていた俺は、なまえと呼ばれていた女に何も返せなかった。

 落ち着き払ったなまえは寝床代わりに使わせていた俺のマントを手にゆったりとした歩調で近付いてくる。月光に照らされる女はそのまま隣に並んだかと思えば、柵から下を眺めて呟いた。

「外れちゃった」
「何がだ」
「起きたときにずっと流れる水音がしてたから、川沿いだと思ってた。見た感じ、湖か海かしら」
「…………少し離れたところに、川はある」
「そうなの? じゃあ半分当たりってことにしとこうかな」

 穏やかに笑ったなまえは俺の隣をぽんぽんと叩く。

「座ってもいい?」
「……お前、状況が分かってないのか?」
「尋ね人を呼び込む餌にされてるんでしょう?」
「まあ、そんなところだ。怖くないのか」
「わざわざ床に布を敷いてから寝かせてくれてるから、そんなに悪い人じゃないのかもって思っちゃったの」

 人質なんて適当に縛ってその辺の床にでも転がしておけばよかったのに、と笑うなまえは、マントからぱたぱたと埃を落とし、広げたそれを俺の肩にかけた。
 向こうはそう思っていないことはわかるのだが、どことなく自分の甘さを馬鹿にされているような気分になってつい舌打ちが溢れる。
 実際、なまえが余計なことをしなければ殺すどころか害するつもりもこれと言って無いが、これほど警戒されないと落ち着かなくなる。
 据わりの悪さを寄越しておきながら、無防備に海や夜空を楽しんでいるなまえを眺めていると、気晴らしも兼ねて一発殴ってビビらせてやろうか、と不埒な考えが浮かぶ。
 しかし、場所柄そして時間帯のせいもあって冷え込む気候にやられてか数回くしゃみをしたなまえに向けたのは、拳ではなく溜息で。

「もうちょっと寄れ」

 そう言って華奢な肩を引き寄せて、マントを半分貸してやるのだった。

 ――本当に、甘すぎるぞこれは。

 こいつが目覚めてから一体何回目になるのか、深々とした溜息が夜空へと溶けていった。

人の気も知らないで


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