義理にするには好き過ぎて
「豪炎寺ー!一緒に帰ろうぜ!」
「ああ」
練習が終わり、制服に着替えていると、背中に降り懸かるよく通る声。
いつもと何等変わりのない日常。
たとえ世間がバレンタインデーだと浮足立っていたとしても、こいつ――円堂の頭の中はきっとサッカーで一杯なのだろう。
着替えの早い円堂を待たせまいと急いで身仕度を終えると、他の部員への挨拶もそこそこに部室を後にする。
外に出ると外気の冷たさに思わず身震いをした。
特別栄えているわけでもない稲妻町の夜は早い。
もう既に日は沈んでおり、冷ややかな夜風が頬を掠めていく。
街には寒さも手伝ってか、いつもよりも寄り添う恋人達が多く感じられた。
「なぁ、円堂。今日が何の日か知ってるか?」
嫌でも目に付く恋人達。あわよくば渡そうと思っていたチョコレート入りの小さな紙袋を握りしめながら、平然を装ってバレンタインの話題を出す。
世間一般では常識問題でも、万年サッカー男には難しい質問かもしれないなと思うと自然に頬が緩んだ。
「え?バレンタインだろ?」
しかし、円堂の口から発されたのは紛れも無い正解の答えで、思わず目を見開いてしまう。
(…こいつでもバレンタイン知ってるのか)
そして全くもって失礼な感想が頭に浮かんだ。
「――あ!そういえば豪炎寺スッゲー沢山チョコ貰ってるな!」
「…えっ!?いや、まぁ全部本命ではないだろう。ただの義理チョコだ」
円堂の視線が俺の手元へと注がれたため、慌てて上擦った声が出てしまった。
よくよく考えたら、俺が持って来たチョコレート以外にも、ファンクラブの女生徒達から貰った物やクラスの女生徒から貰った物など多数ある。バレるはずがない。
「実は俺も今日いくつかチョコ貰ったんだぜ!」
俺が気持ちを落ち着かせようとしていると、円堂が喜々としながら鞄のチャックを開ける。
中からは色とりどりの包装紙でラッピングされたチョコレートが覗いた。
「…誰から貰ったんだ?」
「んーと、アキと夏未と冬っぺと〜」
円堂の口から紡がれるのは、よく知ったマネージャー達の名前。
常に近くに居るからこそ、俺は彼女達の円堂に対する想いにも気づいている。
「…そうか。円堂のは本命ばかりだな」
口を突いて出たのは紛れも無い事実。
勝てるはずもない。彼女達は勿論女で自分は男だ。その時点で勝敗は見えている。
一つ溜息を吐くと、目の前の大気が白く色付いた。
「本命かな〜?アキからは豪炎寺も貰っただろ?」
「ああ、まぁな。カモフラージュというやつじゃないか?」
「カモフラージュ?本命とか義理とか女の子って難しいな!」
「はは、俺が女だったら、義理チョコを配るなんてそんな器用な事は出来そうもない」
「――じゃあさ、このチョコは本命か?」
再び円堂の視線が手元に移り、言葉を失う。
今度は他のチョコでごまかすことなんて不可能だ。円堂の瞳は間違いなく俺が家から持って来ていたチョコレートの紙袋一点のみを映していた。
「えっ…と、これは……」
「この紙袋、俺が朝豪炎寺を迎えに行った時から持ってるよな?」
「………」
「誰かに渡すんじゃないのか?」
俺が口を噤んでいると、円堂がまくし立てるように問い掛ける。
あわよくば渡そうとは思っていたが、まさか円堂の方から問い質される事になろうとは予想していなかった。
もはや言い訳も思い付かない。
そして追い詰められた状況で、チョコレートを渡せる機会も今しかないと考えた。
「これ、円堂に…やるよ」
柄にもなく語尾が弱くなる。
持っていた小さな紙袋を差し出すと、円堂は遠慮がちに手に取った。
「これって本命?」
「ま、まさか…!俺達友達だろ…?」
「義理チョコなんて配れないって言ってたのに?」
「それとこれとは…」
痛いところを突かれた。ついつい返答がしどろもどろになる。
チョコレートを渡そうという気持ちはあったが、想いを伝えようとまでは考えていない。
円堂の突き刺さるような視線を受けながら、背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
「じゃあ、要らない」
「え…?」
「本命じゃないのなら要らない」
円堂が紙袋を突き返す。
呆気に取られながらも、円堂のその言葉が頭の中で反芻する。
そして一つの疑問が浮かび上がった。
「本命だったら…貰ってくれるのか…?」
「当たり前だろ!」
「……め、い…だ…」
「え?」
「このチョコは本命だ!!」
言い終わってから、大胆なことをしてしまった事に気付いた。
円堂の胸に紙袋を押し付けると、逃げるようにその場から走り出す。
「豪炎寺ー!ホワイトデーに本命をお返しするから楽しみに待ってろよなー!」
円堂は追いかけては来なかった。その変わり、大きな叫び声が夜道に響いた。
その声を一身に受け、体温が上昇していくのを感じる。
気温は低いはずなのに、もう不思議と寒さは感じない。
いつの間にか、空からは粉雪が降り出していた。
END
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