ビギナー



エスカバがバダップに呼び出されたのは、下校時刻をとうに過ぎた薄暗がりだった。
連絡を受け取り、足早にバダップのクラスに出向かうと、その教室に居たのは目的の男のみで、室内にはほぼ無音の空間が広がっていた。

沈みかけの夕日がタッチパネルで黙々と作業をしているバダップの姿に淡い影を落とす。
作業に打ち込むその瞳は真剣そのもので、エスカバは声をかけることを憚られた。
しかしその心配も杞憂で、バダップはエスカバが近づく気配を感じ取ると直ぐさま作業を中断し、立ち上がる。

「時間を取らせてすまない」
「…用って何だ?」
「少し分からないことがあってな。お前を呼び出した」
「学園トップのお前が?」
「ああ」

エスカバは小さく、そうか、と呟くと棒立ちで次の言葉を待った。明らかに自分より実力が上のバダップに頼られ、何だかむず痒い気持ちになる。

「単刀直入に聞く。エスカバ、恋とは何だ」
「……は?」

ある程度どんな質問が来ても答えられるよう、身構えていたつもりだったが、あまりの内容にエスカバは素っ頓狂な声を上げてしまった。
バダップの眉間にわずかに皺が寄る。

「辞書で恋の意味を調べてみたのだが、思慕やら恋慕の情などと書いてある。さらにそれらの語の意味を調べたら、恋しく思うこと、などと書いてあるのだ。これでは堂々巡りになってしまう。もう少し噛み砕いて教えてもらえないか」

エスカバは、一瞬からかわれているのかと思ったが、問い掛けるその瞳には幾分の偽りも感じられない。
そもそもバダップが人を揶揄すること自体考え難いのだ。
そこでエスカバは、何でもそつ無くこなすバダップが、色恋沙汰に関してはめっぽう疎いのだと知った。

エスカバは暫く、唸るようにして考え込むと重い口を開いた。

「まぁ、一緒にいてドキドキしたりしたら恋なんじゃねぇの?」

考えた末に出た言葉には、まるで乙女が使うようなフレーズも含まれており、エスカバは声に出してから後悔した。
同時に、聞かれた相手が堅物のバダップだけで心底よかったとも思った。目の前の相手は茶化すはずもなく、素直に聞いている。

「なるほど。恋とは心拍数が上昇するものなのか」
「……お前は何でも堅苦しく考えるんだな」
「そうか?」
「ったく、今度からその手の質問はミストレにしろよ。あいつの方が適任だろ」
「………」

エスカバが照れ臭そうに頭を掻く。
その一方でバダップは無表情のまま胸に手を当て、何かを考えているようだった。
少しの間、室内に再び静寂が訪れる。
俯き加減で黙り込んでいたバダップは、ようやく答えを見い出せたのか、頭を上げると真っ直ぐにエスカバを見据えた。

「――いや、もうその必要はない」
「そうか。分かったんなら良かったな。じゃあ俺はもう帰るから」

もう用件は済んだのだろうと、エスカバは軍服のポケットに手を突っ込み、バダップに背を向け歩き出す。

「待て」

しかし2、3歩ドアに向かい歩いたところで、バダップに肩を掴まれ、結局その場に足を止めることになった。

「なんだ?まだ用があんのか?」

エスカバがバダップの方に向き直る。

「男性の平均心拍数は一分間で60から70。先程カウントした俺の心拍数は152だった」
「お前さっき黙りこくってた時、そんなもの数えてたのかよ」
「そうだ」
「で?だから何だよ。よく意味が分かんねーんだけど?」

バダップは、エスカバが頭の上に疑問符を浮かばせているのを確認すると、ポケットに入れられていた手を引き、自分の胸に押し当てた。
そして真摯な瞳で、呆気に取られているエスカバを射抜く。

「エスカバ。どうやら俺はお前に恋しているようだ」

バダップが表情を変えぬまま呟いた。
一般的に告白と取れるようなその言葉も、バダップにとってはただ淡々と事実を述べているだけに過ぎないのかもしれない。

それでも、バダップの心臓が明らかな早音を上げているのもまた事実で、エスカバは赤面する。
そして徐々に自分の心拍数もバダップのものと呼応するかのように加速していくのを感じ、唇を噛み締めた。

静寂に包まれた部屋で、二人分の心音はやけに耳に響いた。



END




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