誰そ彼

「好きなんだ」

 駄目もとで緑間に告白したのが高校一年の冬。振られる覚悟でそう告げた俺の言葉は、幸運なことに同意の言葉で返ってきた。それから四年と数ヶ月、奇跡的に同じ大学に進むことができた俺たちは、今もまだなお、その関係を保っている。恋人という関係を。
 あの偏屈な緑間が俺の告白にたいしてOKを出したのも驚きだが、飽きっぽい俺がここまで緑間との関係を続けていられることの方が驚きだった。きっと俺は、本気で彼のことが好きなんだろう。

 だからなんだろうか、俺にはどうしても緑間に言い出せないことがあった。それは今後のこと、具体的に言うと同棲したいという願望。
 俺は今までに緑間からたくさんのものを奪ってきた。普通の恋愛、ひとりの時間、感情さえも奪ってきた。俺たちの恋愛が普通じゃないことはわかっていた。だからこれ以上を望んでしまえばもう、緑間は普通に戻れなくなる。俺はこれ以上望んではいけない。わかっている。わかっているはずなのに、俺は。

「高尾」
「…っ、真ちゃん?」
「教授が呼んでいた、早く行ったほうがいいと思うが」
「あぁ、そう…。わかった」

 諦めきれなかった。こんなにも誰かを一途に愛したのは彼だけだった。だからこそ、一緒にいたいと願った。どうしてこんなにも、苦しくて切ないのだろう。
 あぁ、それと。キャンバスに向かおうとしていた俺を、緑間の声が阻む。そっと足を向けると、緑間はいつもの調子で言った。講義がすべて終わったらいつもの喫茶店に来い、話があると。
 そのときの緑間の顔がどうしようもなく寂しそうに見えたのは、嘘であると信じたい。

 教授に捕まったり友人の手伝いをしていたせいか、当初予定していた時間よりも一時間ほど遅れて喫茶店に着いた。俺と緑間が通う大学の裏手にある、少し寂れた商店街の奥。大事な話をするときはいつもここだと、俺たちの中では暗黙のルールだった。

「遅かったな」
「ごめん、ちょっと友達に捕まった。…話って?」

 カウンターの白髪のマスターがコーヒーを持ってくる。きっと緑間が頼んでいたのであろうそれに口をつけ、静かにそう切り出す。
 緑間は何も言わない。何かに耐えるような、迷うような、そんな顔をしたまま黙りきっている。

「…真ちゃ、」
「何故、俺を避ける」

 彼らしからぬ弱々しい声は確かに俺の鼓動を震わせた。なのに、それなのに言葉の意味が分からない。緑間はいったい、何を言った。

「覚えているか、入学したての頃を。学部が違うというのにお前はいつも、俺の隣にいた。昼食だって毎日一緒だった。帰りだって、いつもお前は門のそばで待っていたではないか。それが今ではどうだ、高尾。俺が今日、お前の顔を見たのは二週間ぶりだった。…どうせ避けていたのは無意識なのだろうが、いったい何があったのだよ。それは俺には言えない内容か? 俺たちは、」

 恋人ではなかったのか。

 違う。違うんだ、真ちゃん。確かに俺は無意識にお前を避けてしまっていたかもしれない。でもそれは、お前のためなんだよ。お前の未来を奪ってしまいそうで怖かったんだ。そう答えられればよかったのに、俺はただ、泣くことしか出来なかった。右手に重なる緑間の左手が、愛しい。

「高尾」
「ごめ…っ、ごめん、真ちゃ…」
「たかお、」

 右手を離れた緑間の左手が、やさしく髪を撫でる。奥の席で本当によかった。俺は声を殺して泣いた。

 涙を出すだけ出し切って、鼻が真っ赤になって泣き止んだのは、店に入ってから三十分もたった頃だった。
 泣きながら緑間に何かを言った気がする。きっとそれは今まで俺が隠し、抱えてきたことだったのだろうけど、どうやって彼に説明したのか覚えていない。きっと、必死だったのだろう。やっと胸の奥がすっきりしたように思う。

「はは、酷い顔だ」
「さっきまでの顔よりじゅうぶん綺麗なのだよ」
「ありがと。…ごめんな、重くて」
「それでいいのだよ。…気づかなかった俺にも責任はある」

 すっかり温くなってしまったコーヒーに口をつけ、そっとふたりで笑う。
 もう迷いはない。相も変わらず、緑間はやさしい。きっと、ここで言うのが正解だ。

「俺、真ちゃんと一緒に暮らしたい。そばにいたい」

 ごめんね真ちゃん、お前の未来を奪ってしまって。それでも好きなんだ。そんな思いを乗せて、たしかに緑間に聞こえるように、ゆっくりと告げる。

「…先に言われてしまったのだよ」

 返ってきた答えはYESでもNOでもない。予想だにもしていなかったその答えに、俺は唖然とするほかなかった。

「ずっと考えていたのだが、まだ早いと思っていたのだよ。まさかお前も同じことを考えていたとはな…」

 あぁ、なんだ。彼もそうだったのか。一気に肩の力が抜け、だらしなくテーブルに突っ伏す。緑間も短いため息を吐き出し、椅子に背を預けた。

「真ちゃんもそう考えてたってことは、一応OKでいいんだよね」
「あぁ。だが本当に同棲するのは、ここを卒業してからにしよう。親の力を借りずに、ふたりだけで生きるんだ」

 それはなんて素敵なことだろう。俺が卒業するまであと二年、緑間は医学部だからあと四年。それだけ待たなくてはいけないはずなのに、俺は楽しくて仕方がなかった。
 この日の最後に見た緑間の美しい笑顔は、きっとずっと忘れない。

 それから四年たった今、ああでもない、こうでもない、と言いながらふたりで決めた我が家はすっかり生活感にあふれ、あたたかい空気をまとう。
 長かった。ほんとうに長かった。その反動に、今がとても幸せでたまらない。この小さな箱庭に緑間がいる。それだけでもう、死んでしまってもかまわないとさえ思うのだ。

「高尾、ただいま」

 耳に心地良いテノールが、廊下の向こうから聞こえる。何かいいことでもあったのだろう。緑間の声は今日も優しい。夕飯のときにでも話してくれるだろう。俺はくすりと笑い廊下をかけた。

「おかえり、真ちゃん」


【優しさに揺れて溶けて君に成る】


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