8th


放課後、自分の部の活動を終えて帰る準備を済ませると、未だに慣れない方向へ向かう。
学校の中でも特に貫録を放つ敷地の前には、部外者は簡単に入ることの出来ない佇まいの大きな木扉の門が仁王立ちしているのだけど、まだその内側から賑やかな声が聞こえることを確認すれば、私はその扉から少し横にずれた壁際にもたれて一息吐いた。

春の夕刻はオレンジ色が辺りを綺麗に染め上げていて、桜がふわふわとどこからか舞ってくる。ゆったりと春風が私の頬に触っていくと、同時に髪もつられて揺れた。それらが顔に掛かるのを手で抑えていると、木扉が慣れた手つきで開かれる。ざわざわといった喧騒を運びながら。

「だからお前の指が俺のケツに当たった言うとんねん!」
「アホか!誰が好きでお前のん触りにいくんや!」
「やんッケンヤくん、ウチのお尻も触ってええんやで
「ほんま止めろボケ!はよ手洗いに行きたいわ!」
「お前小春に何怒鳴りよるねん謙也、表出ろやゴラ!」
「はいはいさっさと出てや、鍵閉めるで」

まとまって出てきた同級生達は、私の存在に気付くことなく各々の会話を繰り広げるのに必死であるらしい。小春ちゃんと忍足の間に挟まって出てきた彼も勿論例外ではなく、忍足の臀部を蹴り上げながら前へとずんずん進んで行く。

「…ユウくん、」
「いっだ!ユウジお前何すんねん!痛いやろ!」
「俺の尻触った仕返しじゃボケ!」
「しばくぞユウジ!」

私の呼び掛けなんて彼らの喧騒に勝てるはずもないようで、ヤツの耳に届く前に春の風がサラリと吹き流していった。虚無感だけを私に残して。
彼は忍足と追いかけっこを始め、その隣で小春ちゃんがいつものように「やめてっ!私の為に争わんといて!」と叫んだ。

「(ふざけるなよ一氏…)」

ギリギリと自分の拳が鳴るのを感じつつ、ジリっと地面の砂利を踏み潰す。この空気の中、どのタイミングで声を掛けるのが妥当なのか私にはわからない。
忍足に追いかけられる一氏にいつ舌打ちをしてやろうかとする本能を喰い止めていると、施錠の音と共にコートの鍵を持った白石が私を振り返った。

「おお、待っといてくれてたんやな」

一度目を丸めた白石は、私がここで待機する日々にそろそろ慣れてくれたみたいだ。どこの誰かとは大違いである。
苛立ちから唇を噛んだまま白石の声に顔を上げると、そんな私を見た白石は端正な顔を崩して笑った。


「大変やな、ユウジの彼女務めるんも」
「…笑い事ちゃうわ」

ふん、とそっぽを向いて頬に空気を詰めると更に白石は笑みを増徴させた。その後に一度優しく微笑んだかと思うと、持っていた鍵をクルリと指に掛けて2度ほど回し、それをポケットに仕舞った後に「おーいユウジー!お前の嫁さんここにおんでー!」と、向こうの方にまで行ってしまった彼をよく通る声で引き止めた。
不思議なくらいにその言葉は彼をピタリと制止させて、漸く一氏はゆっくりと振り返る。忍足だけは未だに走っていて、一氏が止まったことに気付かないまま向こうの方にまで行ってしまった。


「あ…」


制服姿の一氏は私を視界に入れた後、何度か瞬きをした。そして、この場所からでも確認出来るくらいに頬を赤く染め上げたかと思えば、満面の笑みで肩を竦めてはにかむ。
まだまだ彼の沢山の表情を見つけ切れていない私からすると、彼のそんな無邪気な笑顔は、鼓動を高鳴らせるのに十分過ぎた。怒っていたはずなのに。みるみる内にさっきまでの苛立ちは消えていき、一氏の笑みに私まで頬が熱くなるのがわかる。


「ヒロインの名前!待っといてくれておおきにな!」


一氏は表情を崩したまま、門前に居た私の方へとすっ飛んでくる。

「ちょ、待、」
「こんなとこで寒かったやろーヒロインの名前〜!風邪とか引いてへんか?」


飛んできたかと思えば、文字通り飛びついてくるように私は彼に抱きすくめられ、頬ずりをされる。お互いに顔を熱くさせている所為で、もうどちらの体温を感じているのかすらわからなくなった。
テニス部員達の中では比較的小さめの一氏だけど、私と比べたら話は別。彼の体は大きくて、鍛えているだけあって硬くて、気を付けしたままの状態で抱き締められては身動きが取れない。されるがままに頬を擦り合わせられていた。

「(そこに白石と小春ちゃんがおるのに!)」

彼との接触よりも環境が気になってしまう私としては、その羞恥心を隠す為に、さっきの怒りとは別の怒りを顔に張り付け、きっ、と一氏を睨んで一喝する。顔が真っ赤なのは自覚しているけれど、今抗うとすれば言葉でしか方法がない。

「ひ、一氏のあほ!私のこと気付かんかったくせに!一氏なんてもう嫌いや!」

すると一氏はバッと顔を離し、至近距離から私を見る。くりっとした目で真っ直ぐに見られると、言葉に詰まって何も言えなくなる。
一氏は見事に眉を下げて悲しそうな顔をした。

「そ、そんなこと言うなやヒロインの名前〜!部活中お前に会うんずっと我慢しとって、やっと会えたんやから!」
「じゃあ一番に気付いてよ!あほ!一氏のあほ!」

そこまで言ってしまえば一氏は、さっきまでのご機嫌な様子とは打って変わって肩を落とし、しゅんとしたまま「…ごめん」とボソリと呟いた。
そんな顔をされてはこれ以上何も言うことはなくなるくらいに、私は一氏に全てを持って行かれていた。
私のことを、部活中も考えていてくれていた。
その事実は照れと嬉しさを、同時に私に与えてくれる。幸せを噛み締めるように緩む頬をだらしなく弛ませ、未だに私の体に巻き付いている彼の腕に触れて、握った。よく鍛えられている一氏の腕は硬く、私の手なんて半分も周らない。
だけどちゃんと一氏には届いて居るようで、はっと俯いて居た顔を上げる彼に、笑顔のままに言ってやる。

「許したるから。そんな顔せんといて、ユウくん」
「…〜っ、好きやヒロインの名前!大好きや!ほんっまに大好きやでヒロインの名前ー!」
「私も、ユウくん大好き」

これ以上ないくらいに一氏は顔を赤くし、そのくせにやっぱり私を抱き締めてくれて、その力は強くなる。お返しとでも言うように私も彼の腰の辺りに腕を回し、一氏の胸板に顔を摺り寄せた。一氏は私の頭をわしゃっと何度も撫でてくれた。



「…新たなバカップルが誕生してもうたなぁ」
「こんなん見てるこっちが恥ずかしなるわ」

白石くんと小春ちゃんの会話が、風に乗ってチラリと聞こえる。一氏の腕の隙間から、ふと彼らを見やった。

「あたし…蔵リンとバカップルになってもええねんで…?
「はいはい。…お疲れさん、小春」
「さ、何のことやろ?」

私達に負けないくらい、小春ちゃんも幸せそうに笑っている。



end.

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