町中で、たいそう美しい黒髪の女を見た。じいっと見つめていると女はどうせ群集の中にいる俺の姿なんぞ見分けられるはずも無いのにきょろきょろと見渡し、しばらくして向こうへいってしまった。
その挙動がまるで猫のようだ、とその日一日想いに耽っていたのだ。しかし良い女なんてこの江戸を捜せば幾らでも居る。しばらく過ぎると猫に似た女のことなんぞ忘れていた。


思い出したのは、黒い毛の艶やかな猫を総悟が拾ってきたときだ。駄目じゃないですか、と山崎が言う。近藤さんでさえも渋ったような顔をしている。総悟が自分の金で養うから、自分で世話をするから、と珍しくドSの皮を剥ぎ捨て懇願し、ようやく飼うことを許された。
その間、総悟の腕の中に居た猫は俺を見ていた。味噌汁を啜る俺がその視線に気が付いたのは総悟が声を荒らげ、思わずそれを振り返った瞬間である。
猫は食い入るように俺の顔を睨む。決して気のせいではなく俺が目を逸らした後もその視線は俺に向いていた。その理由は分からなかったけれど、流石にうざったかったので晩飯を駆け込むように食べ自室に戻った。最後に見たとき、やはり美しい毛並みだと思い、瞬間その女性を思い出したのだ。


総悟はその猫を可愛がっていたが、決して鳥かごの中に閉じ込めるのではなく、仕事のある昼間は猫を外に出すことも許容していた。猫はとても賢く、夕陽が下りる頃には屯所に帰っていた。しかし、昼間どこを歩いているのか知る者は居ない。


同時期、俺は先の美しい髪の女性と懇意になっていた。見回りのついでに話す程度だが、彼女は俺の見回りのシフトでも知っているのか先回りするように俺の通る道に居た。そんなものだから俺と彼女はますます仲が良くなった。

「土方さん、貴方、昔に私のことを見ていたでしょう」

彼女がそんなことを言ったのは忘れもしない、春も過ぎ去った頃だ。一緒に見回りをするはずの総悟はとうに逃げ出している。彼女と俺二人は細い道の脇で、面倒だと思いつつ俺がさあなと返すと彼女は満面の笑みを浮べて俺と目を合わせた。瞳が金色に光っている。まるで、猫のようだ。

「私、そのときからあなたのこと好きだったのよ」

言い終わると同時に満面の笑みを浮かべ、彼女の身体は突然煙に包まれた。ごほごほと咳をしてその煙が拡散するのを待ち、そっと目を開くと、彼女が居たはずの場所には誰も居らず、彼女が居た方角を見ると、袖を振って走っていた。煙玉でも使われたのか、冷静にそう考え、放っても置けずに彼女を追って大通りに出る。
その通りにはガードレールが無い。故に接触事故が多いことで有名な場所だった。俺は咥えていた煙草を落とした。口が自由にならないのは走るには辛い。

男女の差もあってか、早くも追いつきそうだと安堵したそのときだった。彼女は一度俺を振り返った。そうしてその髪をなびかせて俺に笑いかけた。

瞬間、彼女は歩道に乗り上げてきた車の陰に隠れる。

思わず車の前で立ち止まって荒い息をおさめた。黒のワンボックスカーの運転手は撥ねた感触に慌ててバックして路肩に停め、車を降りる。俺は運転手よりも先にその現場を見た。
轢かれたのは猫だった。紛うことなく総悟の、あの美しい毛並みの猫であった。運転手は人では無かったことにほっと息を吐いていた。その姿に、思わず殴り飛ばしてしまいたい激情に駆られた。猫でも、一つの命なんだぞ。まして彼女は、
ぎゅっと握る自らのこぶしに気付き、腕を上げ力の入った手を開いて、ようやく自らを御することが出来た。今着ているのは真選組の制服だ。警察が不祥事を起こしてどうする。

「可哀想に」

通る人が皆口々に弔いの言葉を囁く。それほどまでに美しい猫であった。


以来、屯所から猫は消え、江戸の町からあの女の姿も消えた。しかし俺は黒い猫を見かけると、いつでもそのことを思い出すのであった。


斯くも鮮やかな命の歌声があの日の私を呼ぶのだ
(我は汝が人狼なりや様に提出)