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 ミツバと初めて会ったのは、俺がまだ総悟を「センパイ」と呼んでいたくらいの頃だ。
 当時、まだ十もいかない年頃だった総悟は、近藤さんや道場の門下生に送り迎えされていた。その日は稽古を終えた後に近藤さんが付いていくと言っていたのだが、急用ができ、近くにいた俺に白羽の矢が立った。……暇を持て余していたとも言うが。
 総悟は大変嫌がった。今はそれほどでもないが、当時は相当な嫌われようだった。何しろ、出会い頭ではお使いの途中に悪等に絡まれていたところを俺に助けられたり、その後空腹でぶっ倒れた俺は近藤さんに拾われ道場に居ついたが、そのせいで総悟は近藤さんと遊ぶ時間が減ってしまったりと、不幸をたどると何かにつけて俺が出張ってくるのだとボコスカ叩かれた記憶がある。

「近藤さんがよかったのに!」
「仕方がないでしょう。さっき何回も謝ってたじゃないっすか」

 総悟は俺にだけアタリが強く、センパイと呼ばせたり、敬語を強要したりした。正直なところ、前世で遭遇した厄介な患者よりよほど可愛げはある。

「だからってなんでオマエなんだよ」
「近藤さんに頼まれたから」

 子どもの腕力なんかさしたるものでもないので、俺はさっさと終わらせようと足早に歩いていった。総悟は後ろから「待てよ!」と叫び、走ってついてくる。
 沖田の家の場所は知っていた。そこまで遠くはないし、むしろ割合近い。けれど送り迎えは欠かさずされていた。総悟の見てくれを考えると心配になるのは当然とも言えるし、あるいは彼らの生い立ちも由来していると推測された。
 後に江戸に来てから聞いた話だが、総悟は両親の顔をろくに知らない。物心つく前に亡くなり、姉が女手一つで育ててきたという。そりゃあ過保護にもなるわな、という話だ。
 歩いて行くなかで、少しずつ歩調を緩めていくと、総悟がようやく追いついてきた。

「……絶対姉上と喋るなよ」
「いやもう、どっちでもいいっすけど」
「どっちでもいいって何だよ! 姉上に会いたくねえってのか!?」
「そのキレ方理不尽すぎでしょう……」
「姉上は世界一美人なんだからな」
「で結局俺は会っていいんですか?」

 番犬かってくらい睨みつけられて辟易とする。姉は過保護だと感じていたが、どうやら弟もシスコンらしい。
 馬鹿なやり取りをしているうちに家の前まで来たが、どうにも様子がおかしいような気がした。近藤さんからはいつも、「総悟を家まで送っていくと、必ず門のところでお姉さんが待っている」と聞いていた。けれど、そんな女性の姿は影一つも見当たらない。
 別の用でもあったんだろうか、と暢気に首を傾げていた俺とは対照的に、総悟は気付いた瞬間、ばっと駆けていった。

「姉上!」

 引き留めるよりも速く邸宅へ入っていく。
 走って総悟の背を追いかけ、その先で俺は見た。倒れ伏す女の姿を。

「あ、姉上、しっかりしてください」
「おい、総悟。これは……」

 女は咳が止まらず、倒れたまま青ざめた顔で総悟を見、俺を見た。総悟は気が動転しているのか、俺の問いかけにも答えない。
 連続した咳のせいで酸欠になりかけているのか、あるいは体力を奪われているのだろう。市中に流行る風邪か、「沖田総司」は結核を患っていたそうだが、その類いだろうか。
 現代では――今ではなく、俺がこの世に生まれ変わる前の世界を示すが、結核は治らない病気ではなくなっていた。医療の発展により治療のためのガイドラインが制定され、正しく医療が受けられさえすれば寛解に至ることのできる病気だった。
 今はどうだろうか。江戸末期、ちょっと前までは当然のように結核は治らない病気とされているような時代だ。幸いにも天人の技術革命により、この二十年で数世紀分超越しつつあるものの、果たしてこの田舎でその恩恵にありつけるかどうか。
 生まれ変わってそこら、俺の専門領域外のことばかりに遭遇する。だがそんな泣き言を言っていられるような状況でないことは確かだった。目の前で苦しむ人を助けるのはわたしの成すべき本分である。

「センパイ、薬はどこにある」
「……あ、薬、薬はあそこにあって」

 俺の呼びかけに、総悟はようやく我に返って薬のありかを指さす。箪笥の上って、そんな場所総悟の手じゃ届くわけがない。ため息をついて、家に上がり込んだ。説教は後だ。
 頓服の咳止めを飲ませしばらくすると、状態は落ち着いてきた。ミツバにはお礼を、と引き留められたが、いつまでも居座っても仕方がない。薬の残数も心許ないことだし、早い内に医者にかかるようにだけ伝えて立ち去った。

「土方さん、ありがとうございます」
「……お大事に」

 これ以外どう応えればよいのか思いつかない。いまは医者ではない、何者でもないというのに。嘆息をもらし、帰り道をゆっくり歩いた。
 医者になろうと、考えなかったわけではない。けれど、どうすればいいのか分からなかった。「わたし」と違い、俺は――土方十四郎はただの破落戸で、はじめからあらゆる道が閉ざされている。前世の知識だけが拠り所だった。
 近藤さんには恩義がある。彼のために剣を振るうと決めた。医者として大成するという「わたし」の未練を捨て去り、土方として生きるのだと。
 帰る頃には近藤さんも野暮用を済ませて戻っていた。

「トシ、遅かったなあ。何かあったのか」
「……いや。何もなかったよ」

 俺は嘘をついた。もっとも、顔に出ないせいでバレやしない。

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