部屋に案内され、暖かい布団にくるまる。不安が体中をかけめぐり、背中と額にじっとりと嫌な汗をかかせる。寝ようと思って寝返りをうっても、目は冴えていた。起きあがって、窓をできるだけ静かに開ける。
月だ。丸い月だ。
不思議な感じがする。普段より少し大きいだけなのに、見慣れているはずのそれから目が離せない。うす汚い野良猫の唸り声も透子の寝息も、馨の寝言も耳に入ってこない。無音。
くいいるように見つめていたその時、横に人の気配を感じた。透子が立っていた。彼女も月を見ている。
お互いに何も言葉を交わさない。ただ空を見上げる。
そのまま数分が経ち、透子が倒れるようにしてベッドの上で眠りについた。長めの前髪から覗く肌が月光に照らされ、病的なまでに白く見えた。その横顔を今一度見つめ直す。
窓からこぼれる青白い月の光が、透子だけを包み込んでいた。
色素の薄い髪は彼女の顔立ちによく似合っているが、暗い部屋とは不釣り合いに見えた。

風が吹いた。
寒い。そう思って起き上がる。
窓が開いていた。昨日開けたまま、気づかぬうちに眠ってしまったのだろう。
透子は隣で寝息をたてている。馨はどこだろうと探してみると、ベッドの足元で丸くなっていた。1人用のベッドに3人はいささか無理があったか。
窓から顔を出して外を見渡す。昨日は暗すぎてわからなかったが、こうして見るとなかなかに美しい街である。道路はきちんと整備されており、道脇に植えてある植物にも手入れが行き届いている。街をゆく人々の表情も明るい。

「え、何? ここどこ? えっ? 沙世ちゃん? なんで?」

起きあがったと思えば半開きの目でこちらを見て疑問符をとばしまくる透子。完璧に寝ぼけている。焦ったようなその声で目がさめたのか、馨も体を起こした。ぽそぽそと瞬きをしてあくびを一つ。それが私にうつって、更に透子にもうつった。
部屋を見渡す。桐条美鶴、真田明彦、街に佇む無数の棺桶、横断歩道……。記憶が徐々によみがえってくる。家族は今ごろどうしているのだろう。心配してるかな。そう思うと、胸がきりきりと痛んだ。

「沙世ちゃん、大丈夫?」

細かく震えている私の指を包み込む手があった。透子だった。しっかりと開かれた瞳に、私の顔が映る。なんて辛気くさい顔をしているんだ、私は。彼女の優しい暖かさに震えが治まってくる。

「ありがとう、もう大丈夫」
「そっか」

透子はそう言って私の手を離し、床に座り込んで船を漕いでいる馨の前まで這っていった。そしてベッドから身を乗り出し、馨を正面からのぞき込む。

「コーケコッコーあーさでーすよー」

彼女の頭を軽く叩きながら透子は口ずさんだ。それでも起きない。今度は頬をぴしぴし打ちながら。

「コーケコッコーあーさでーすよー。コーケコッコーあーさでーすよー、コーケコッコーあーさでーすよーコーケコッコーあーさでーすよー」

繰り返す度にその歌は加速していき、それに合わせて頬を叩く速さと強さが上がる。少しずつ意識が戻ってきたようで馨の眉間に皺が寄っていく。
透子の歌が「コッケコッコアッサデッスヨッ」になったあたりで、ようやく馨が開眼した。左頬は真っ赤に腫れていた。

「おはよう」

馨に向けて挨拶をする。続けて透子が「目、覚めたー?」と問う。状況を飲み込めていないらしい馨は部屋を見渡して小さく息を漏らした。

「とりあえず顔洗ってきたら? 寝癖ひどいよ」
「あ、はい」
「ぷっへへ、本当だー」
「あんたもね、透子」
「うっそ」

愉快そうに笑う透子にそっちもと指摘すれば、ベッドから身軽に飛び降りて馨と共に部屋を出ていった。扉の向こうからトイレの場所がわからないだの上の階にあっただの聞こえてくる。それはかなりの声量であり、他の部屋に迷惑なのではないかと思えてきた。
いてもたってもいられなくなり、部屋から顔を出す。

「2人とも声大きいよ!」
「……誰?」

とがめようとした私の声が、もう1つ別の声と重なった。
その方へと顔を向ければ、同い年であろう少女と目が合った。
見ず知らずの人間がいることに驚いたようで、相手の目が見開かれる。しまったと思った。脳がフル回転する。連れ2人はどんな表情をしているのか確認しようと視線を巡らすが、見つからなかった。トイレに逃げ込みやがったな。
部屋から出て、扉を閉める。

「どうも、昨夜からわけありでお世話になっています」

歩み寄って、挨拶をする。相手もお辞儀を返した。

「私は青井沙世です。あと2人いたんですけど、1人が鈴木透子でもう1人が浜崎馨って子です。すみません、うるさくしちゃって」
「あっ、いえ。私、岳羽ゆかりです。よろしく」

ゆかり。綺麗な響きだ。
2人で手を握り合った。その時絡み合った彼女の訝しむような、それでいて何かを隠すような視線が脳裏にこびりつき離れなかった。
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