男子テニス部からプリントを預かった日の約2週間後。週末。練習会は当初の予定通り開催された。現在は昼休憩の時間であり、砂浜では早々に昼食を摂り終え時間を持て余している者達によってビーチバレーが行われていた。そして私もまた、現場から少し離れた木陰で傍観を決め込んでいたところを女子テニス部の後輩に引きずり出され、無理やり試合に参加させられていた。 そもそも私達はテニスをしに来たのであって、例え休憩時間であっても今はバレーをするような時間ではない、と言うこともできたが、今使われているそのバレーボールが男子テニス部の監督である渡邉先生の方から転がってきたものだったので、彼とそこまで面識がない私はただ口を噤むしかなかった。 自分達のチームの試合が終わり周囲の視線が逸れたところを抜け出し、私はパラソルの下に腰をおろした。「小春ちゃん」
「恵ちゃんいらっしゃい、バレーはもうええの?」 「ちょっと休憩」 「おいなんやこいつ! また俺らの邪魔をしに来たんか!」 「……ああ……えっと」 「ユウジや! 一氏ユウジ! いい加減覚えろや!」 「そういうあんたも彼女の名前全然覚えようとせんやないの」 「そうそう、原沢恵やで。覚えてな、ユウくん」 「気っ色悪い呼び方すんなや! そうやって呼んでええのは小春だけや!」
飲み物を取りに行っていたらしい一氏は、私が憎くて仕方ないとでも言うように地団駄を踏んだ。足を踏み鳴らす度に下に敷いているブルーシートがばさばさと音を立てる。彼は私と小春ちゃんの間に割り込んで胡座をかき、小春ちゃんにスクイズを手渡すと自分の手に持っているボトルを指して「これは俺の分やからな」と睨んできた。いやすごい目付き。
「あっそうだ小春ちゃん、白石のタイプ知りたいねん」 「蔵リン? うーん」 「人を間に挟んで話すなや、つうかなーんやお前も白石狙いか」 「知らんのやったらはっきりそう言うてくれた方がありがたいんやけど」 「おい無視すんなや」 「んー、シャンプーの香りがする子みたいなことは言ってたわねえ。そういえば具体的にどんな子っては聞いたことないわ。あっでもそう、逆ナンする子は苦手らしいで」
わあわあ喚く一氏は相手にせず、小春ちゃんの言葉に相槌を打ちながら考える。シャンプーの香りがして逆ナンをしない子。あまり派手でなく、清楚な女の子に惹かれるということなのだろうか。りのはそこまで派手な方ではないと思うが……清楚。りのが。
「まあそんなん言うて思いもせんかった方にすっ転ぶやつもおるし、そんなもん好きになってみらんとわからんで。間に受けすぎんことやな」 「あらええこと言うやないの」
一氏は私の視界に小春ちゃんが入らないようしばらく邪魔をしてきていたが急に大人しくなり、ボトルの中身を呷った。自分のしていることが子どもじみていたことに気がついたのか、それともただ単に邪魔をするのに疲れただけなのかはわからない。 一氏は得意げに鼻を鳴らしていたが、私が「ユウくんにしては」と付け足すとやはり歯を向けて威嚇してきた。
「お前『私はツッコミ専門ですう』みたいな澄まーした顔しといてほんまはゴリッゴリの大ボケなんか? お?」 「人によるで」 「んやそれ! ……あ? もしかしてあれか、俺相手やとやたらボケてくるんはどれだけ雑にボケても俺が拾ってくれるって思ってるからなんか? 俺やとやりやすいいうことか?」 「まあそういうことで……」
ざく。砂を踏みしめる音がして、反射的に顔を上げる。白石が立っていた。しなやかな体躯に、濃く影が落ちている。 彼を初めて見た時のことをりのが「梅雨の鬱々とした空気を忘れさせるようだった」といったふうに表現していたのを思い出した。確かに、彼の周りだけは暑さとかじめっぽさとか、そういうものとは無縁のように思えた。ひんやりしていて、さらっと乾いている。彼を見ただけでこの炎天からぱっと切り取られてしまう、そんなイメージだ。 その白石が後方を指す。砂浜に線を引いただけの簡単なコートの中で、副部長を初めとした女子テニス部の面々が揃って腕を組みこちらを見ていた。
「お呼びやで」 「あらっ蔵リン、噂をすればなんとやらってやつやね」 「ん、俺の話しとったん? 俺にも聞かせてや」 「本人の前でするわけないやろ。はー、ほら行くで白石」
ため息を吐いて立ち上がり、急かすと、白石はブルーシートに腰をおろそうとしていたところだったようで、中腰の姿勢からそのまましゃがんで駄々をこねた。
「ええ、俺にも休ませてや」 「うだうだ言ってないで行くで。そもそもなんで自分が女子にパシられてんねん、それとシャツも着んと日に焼けて真っ黒になっとったら悲しむ子もおるかもしれんやん」 「俺が日焼けしたら原沢さんは悲しんでくれるん?」
冗談っぽく言うでもなく、ただ純粋に伺うような言い方をする白石が珍しくて目を見た。 なんで私やねん、とか、ファンの子らのことを言うたんやけど、とか、愛想のない言葉ならいくらでも返せたはずだ。 何も言えなかった。
「おいお前!」
一氏の大きな声で引き戻される。
「しゃーないからこれからもお前の相手したるわ。ただし小春に手え出したら死なす!」
言いながら一氏は小春ちゃんに貼り付き、小春ちゃんはそれを心底鬱陶しいという様子で引き剥がそうとしていた。
「もう先輩ら早くしてくださーい、俺も早く終わらせてさっさと引っ込みたいんすから」 「あー、はい、今行きます」 「あっ恵さんのコートはこっちっす。謙也さんが抜けるみたいなんでここ空きますよ」 「出たいつものやつ」 「財前の謎の恵贔屓」
私が歩き出すと光は男子コートから女子コートに向けて謙也を弾き出し、空いたスペースに私を招き入れようとした。私が光を宥め、着いてきていたらしい白石が謙也を誘導してやる。男子コートに入っていく2人を見送りながら、私は白石の目を思い出してしまう。 あの時白石は薄く笑っていたが、その瞳には冀求と諦念が静かに混ざっていた。よく知っている目だった。
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