私は今日も今日とて恵の教室で昼休みを潰していた。白石くんと会えることを期待してここにいるわけではないけど、もしそうなったらすごくラッキーだなあ、とかその程度のことをぼんやり考えていた。 ……そういえば、今まで私から恵に恋愛相談を持ちかけることはあっても、彼女自身の話を聞いたことはなかった。本人からはもちろん、噂話でも耳にしない。 私だけ弱味を握られているようでなんだか少し悔しくて、私は彼女の横顔に話しかけた。「恵はさ」
「好きな人とか……」
軽く伏せられた睫毛が震えた気がした。珍しい反応に、最後まで言い切らないうちに視線を逸らしてしまう。
「おる」 「え?」
彼女はこちらを見つめていた。いつもの、あの強い瞳だ。 誰だろう、と考えてしまう。きっと彼女と同じく誠実で、落ち着いた雰囲気の人だ。真っ先に浮かんだのは白石くんだった。活動は男女で別だというものの同じテニス部の部員であり、保健委員でもある。以前、委員会の用事であるとはいえ、彼は恵と話すためにこの教室にまで来ていたから、それなりに親しい関係なのだと思う。それに、信頼もされていた。
「なに1人で世界の終わりみたいな顔してんねん」
私が考え込んでいると、恵は不思議そうな顔でこちらを見ていた。嘘を吐いたって見透かされてしまうことはわかっていたので、白状する。
「いや、恵の好きな人が白石くんやったりしたらどないしよって……思って」 「白石?」 「うん。そうやったら私と恵はライバルっていうか、そういう関係になるやん」
白石くんと知り合ってまだ1ヶ月も経っていないから、私は今までで3回しか彼と話したことがない。彼がどんな女の子を好きなのかはわからないけど、私と恵のどちらと付き合うかとなったら、きっと恵を選ぶだろう。私が白石くんの立場だったらそうする。
「ライバルねえ……ま、これだけは言うとく。白石やないで」 「ほんま……?」 「ほんま、ほんま」
恵は「それ以上のことは死んでも教えてやらんけど」と言いながら文庫本の表紙を撫ぜた。 7月の太陽を遮るために引かれたカーテンが風に揺れる。隙間から光が漏れて、一瞬、恵の左頬に線を落とした。 大人っぽいなあ、と恵を眺めていた時、後方で悲鳴が上がった。この間白石くんが来た時も女子が悲鳴を上げていたけれど、今回は彼じゃない。あの時の悲鳴は絶叫に近いものだった一方、今のはどちらかというと歓声のように聞こえた。 誰だか確認したらしい恵が手を挙げる。
「小春ちゃん、こっちこっち」 「えっ小春ちゃん?」 「お邪魔しますー。あら、りのちゃんもおるやないの、お友達やったんやねえ」 「げっ5組に何の用があるんかい思うたらお前かいな」 「なんや自分も付いてきたんか」
小春ちゃんは恵の右隣の席から、ヘアバンドをした彼は小春ちゃんの後ろの席から椅子を借りてそれぞれ座った。
「てか2人も知り合いやったんや」 「そう! りのちゃんとはクラスメイトなんよ、ねー」 「ねー」 「りのちゃんだか何ちゃんだか知らんけどな、小春と俺はらっぶらぶのカップルやからな! ちょっかい出したら死なす!」 「一氏ほんまうっさいわ黙っとけ」 「うっ……なんでや……なんでこいつらの前やと冷たいねん小春う……いつもはもっとこう……けどそういうとこも好きやで」
恵がアップルジュース(いつの間に手に持っていたんだろう)をストローから吸いながら「やば」と呟く。それをちゃんと聞いていたらしいユウジくんが凄むけど、私も確かにやばいなと思った。 恵は小春ちゃんとユウジくんについて最近まで「引くほど口の悪いストーカーとそれに付きまとわれている災難な男子」くらいの認識しか持っていなかったらしいが、実のところ2人は、この学校においては芸能人のような存在だった。それも圧倒的な人気を誇る大スターである。
「プリントもろて来たで、はいこれ、女テニの分」 「どうも」 「なんやこれ」
ユウジくんが小春ちゃんの持っているプリントを横から覗く。
「うちの男女のテニス部が合同で練習会をするんやて。『普段別々に活動してる男女のテニス部が、同じ場所で同じメニューをこなす。それにより互いの士気を高め合うことを目的として……』とかなんとか書いてあるけど発案者がオサムちゃんらしいから、適当なこと長々書き連ねとるだけかもしれんねえ」 「『四天宝寺テニス部男女合同練習会〜Tennis On The Beach〜』て。なんやこのふざけたサブタイトル。わけわからん」 「随分な言われよう」 「まあそういうわけやから、連絡よろしく頼むでえ」 「了解」
小春ちゃんは立ち上がり椅子を元あったところに戻すと、女子からの声に笑顔を返しながら教室を出ていった。ユウジくんは慌てて立ち上がり、小春ちゃんに声をかけた1人1人に睨みを飛ばして彼の背中を追いかけていった。睨まれた女子達は嬉しそうにはしゃいでいたから、あれもファンサービスのうちの1つなのかもしれない。
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