群青の花

舞と私は、テニスコートを飛び出して校舎の階段を駈け上り「2-H」と書かれた教室を1周してまた階段を駈け下りた。教室の中にマネージャーに候補の彼女がいなかったのである。そのクラスメイトによると、転入初日なので彼女はまだ部活に入っておらず、放課後になるとすぐに下校したらしい。
1階まで来ると私達は生徒玄関を飛び出し、校門をくぐって、彼女の家まで全速力で走った。風が吹き抜けていく。
舞がバテ始めた頃にようやく目的地へ到着し、私は呼び鈴を鳴らした。そしてインターホンのカメラに向かって「娘さんいますか」と問いかける。隣で、舞が咳をしていた。
出てきたのはあの子の母親だった。居場所をたずねると、その地へ向かってまた走り出す。舞はぐちぐちと弱音を吐きながらも着いてきた。


「ぶっは、げほっごほっんんっ」

膝を折って激しく咳こむ舞。私は辺りを見渡した。
緑色のネットで仕切られた部屋から打球音が聞こえる。外にあるベンチでは、20代半ばであろう青年が、スポーツドリンクを飲みながら首に掛けたタオルで汗を拭っていた。「彼女」はどうやら野球が好きらしく、家に帰ってくるなりすぐこのバッティングセンターに向かったのだと「彼女」の母親は言っていた。
自販機によりかかり、指で輪っかを作って金を要求してくる舞を無視し、ひょろっとした後ろ姿を探した。
思ったより早くそれは見つかり、近づいてその部屋を外から眺める。
力を抜いた自然な構え。白球が彼女に向かって飛び込んでくる。空を切るような美しい軌道を描き、鉄製のバットが高く鳴く。肩のあたりで切りそろえられた髪がさらりと揺れた。

「ぶわああ……すっご」

いつの間にか後ろに立っていた舞が感嘆の声を上げる。それに気づいた彼女はこちらを振り返り、微笑んだ。

「ありがとう」

彼女、八千代ちゃんは前を向き、またあのフォームを作った。

「野球、好きなんだ?」
「うん」

彼女のフォームは美しかった。長い睫で縁どられた舞の大きな目が益々輝く。

「八千代ちゃんかっけえ! 飲み物買いたいからお金ちょうだい」
「さりげなく要求すんな」
「150円でいいかな」
「おい」
「あっでも消費税あがったから」
「あっそうだね、ごめん」
「500円」
「おい」

私が咎めれば舞は愉快そうに笑う。本気にとっていたらしい八千代ちゃんが、戸惑ったように瞬きを繰り返す。「いきなりでなんだけど」と舞がまだ笑顔を残したまま言った。

「テニス部のマネやんない?」
「え、真似?」
「そうそう、グラウンドに線引いてネット挟んでやあ、ってんなわけあるかーい!」

しょうもない舞のノリツッコミは無視。私達に受けていないことを察した舞は短く謝罪を述べ、以降黙った。

「マネージャー、男子テニス部の。先輩が卒業してから私達2人でやっとったとだけど、如何せん人数が多して無理あるかもってなってね。マネージャーになってくれると助かる……!」

最初の舞の誘い文句があまりにも簡潔すぎて伝わっていなかったようなので、私から改めて説明する。
彼女を勧誘する理由は転入したてで部活に入っていないことと、雰囲気、ただそれだけである。
八千代ちゃんの視線が手に持っているバットから私へ、そしてまたバットへと移り変わっていく。
彼女は野球部に入部するつもりなのだろうか、しかしすぐに返事をしないということは、多少迷ってくれているのだろうか。

「八千代ちゃんバット借りてもいい?」

相変わらず空気の読めない舞が口を開いた。

「うわっ何これマイバット? かっけええ」
「ちょっ舞私にも」
「私、マネージャーやります」

バットを握ってはしゃぐ舞の声に埋もれるようにして、八千代ちゃんは呟いた。

「そう、良かった。ありがとう」

私は小さく微笑んだ。

「2番、ショート、風早さん。第1球……うわああっ速っ!」
「ばか、130キロとか……ばか」
「いや、まじ速いから! やってみ! はい、3番、レフト、結城さん」

舞が私にバットを渡し、打ってみるようにとせかす。そして私もまた反応することができず、八千代ちゃんへとバットを回した。

「えっ、私?」
「4番、サード、三矢さん」

打席に立つと八千代ちゃんの顔つきが変わる。たった一瞬で空気がひりつくような、熱を帯びるような。目が離せなくなってしまう。
彼女の腰が回転した。真っ直ぐに八千代ちゃんへと向かっていったそれは斜め上に高く飛び、ネットに跳ね返った。

「ホームラン!」
「いや、ピッチャーフライ。スリーアウト、チェンジ」
「えっあたし達アウトになってたの」

そして私達は、話し、笑い、仲を深めながらそれぞれの帰路へと着いた。そういう訳で、私達はテニスコートで苛立つ跡部のことなどすっかり忘れていたのである。

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