未来に抜け駆け

いち

寝起きでぼんやりと意識がまだらになっている時、いつにも増してあの感覚が胸の奥をぞわりと撫でていく。私は私しかいないのに、ずっと何かが違うと叫んでる。何かって何だ。この手も足も腹も顔もすべて私のもので間違いないというのに、何かがおかしい気がしてしまう。ゆっくりとベッドから降りて、姿見の前に立った。先日引っ越した時にやっと買ってもらった私専用の大きな鏡。パジャマのままその前に立って寝起きでだらしない姿の自分を眺めた。

「指、ある。肩、ふつう。お腹……ちょっと太ったかな、まずいな、走らないと」

何を確認してるかと言われると自分でもわからない。指と、肩と、お腹と……なんだか確認したくなる。もっとちっちゃい頃、両親に「私の指はある?」と聞いてとても驚かせてしまった。どうみても10本手のひらにくっついてるのに、それが幼いながらも到底信じられなくて聞いてしまったわけだ。悪い夢でも見たのではと言われたけれど、高校生になった今もその感覚は消えることはなかった。傾げた首につられて、寝癖のついた髪の毛が揺れる。

「髪、随分伸びたなぁ……」


*

「おはよう、カナヲちゃん」
「おはよう、紗希乃」

下駄箱の前で大きくてまんまるな目を瞬かせているのはクラスメイトの女の子。転校してきたばかりの私にもニコニコ笑顔で接してくれて、本当にいい子だと思う。転校するのが不安だったけど、いい巡りあわせがあってよかった。口数が多いわけじゃないけれど、隣りにいて居心地がいい。

「制服、似合ってる」
「ありがと〜。これで目立たなくなると思うとめちゃくちゃ嬉しい」
「制服が違うから目立っていたわけではないと思うけど」
「そう?まあ、転校生っていうと目立つもんかもね」

親の転勤で引っ越しと共に転校してから1週間。発注していた制服が出来上がっていなくて、一人だけ前の学校の制服を着て登校する羽目になりそりゃもう浮きに浮きまくった。ここは中高一貫で、セーラーは中等部だけだというのに前の学校がセーラーだったから、色んな先生方に何度も中等部を案内されては事情を説明していた。面倒すぎていっそのこと背中に転校生と張り紙でも張ってやろうかってくらい。恥ずかしいからやんないけど。

「おや、紗希乃さんの制服が届いたんですね」
「おはようございます、カナヲちゃんのお姉さん」
「おはようございます。姉はもうひとりいますから、しのぶと呼んでくれていいですよ」
「はい、しのぶさん!」
「素直なことは良いことですね」

歳がひとつ上とは思えないほどの落ち着きっぷり。カナヲちゃんも可愛いけれど、しのぶさんも美人で、もっと上のお姉さんのカナエ先生も綺麗な人だった。美人三姉妹とお近づきになれるなんて転校早々私は運を使い果たしてしまったのではないだろうか。3年生の階に上がっていくしのぶさんをカナヲちゃんと見送って、ふたりで教室へと向かう。

「そうだ。聞いてよカナヲちゃん。選択体育、陸上を選んだのに剣道になっちゃった。カナヲちゃんも剣道だったよね。それって、強制的に剣道になったの?」
「私は自分で剣道にしたの」
「そうなの?ならいいんだけど……」
「剣道じゃ嫌だった?」
「カナヲちゃんがいるからいいけど、やったことないし、陸上の方がダイエットできそうだって思ってたんだよね」
「ダイエットしなくても紗希乃は十分細いから大丈夫だと思うよ」
「お腹とかやばいの!二の腕もぷにぷにでこんなのじゃ、私、」
「……こんなのじゃ?」
「叱られちゃうって思うんだけど、誰もそんなことで叱ってきた人なんていないの」

誰かに叱られたはずだったのに。それは一体誰なんだろう。叱られちゃう、そう思ってしまうのに具体的な人物に心当たりがない。カナヲちゃんに呼ばれて足を止めた。手をそっと握られて、びっくりして肩が跳ねる。私の手を握ったカナヲちゃんはふわりと笑っていた。

「大丈夫。きっと、紗希乃は叱られたりなんてしないから」
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