辻風

07.真は深く黒い水底に

背が伸びた。髪が伸びた。読める文字も増えて、悟いわく偏ってるらしいけど色んな知識はある。結局、禪院に生まれたのは双子の女の子だったし、加茂は愛人に子ができていたけど家に引き込めてないらしい。相変わらず、私の嫁ぎ先については揉めている。

「きもちわる……」

7歳になった時にお祖父様から渡された、歴代の御三家へ嫁いだ吉川の女の日記を手にしながら零してしまった言葉にひとり、はっとした。ぺらぺらで、保存状況はあまり良くなくて、定期的に干しては傷まないようにしてきたそれ。中身の文字は現代の文字ではないし、所々専門的な用語が入っていてこれまでちゃんと解読できていなかった。そんな物を幼い子供に渡すことがそもそもおかしいことだった。簡単なことだったのに気づかないまま年を重ねてしまった。ようやく内容を理解できたのは、去年亡くなったお祖父様の遺品の中からくすねてきた本と内容を照らし合わせることができた頃……悟が高専に行ってしまった後だった。

悟は高専に入って寮に住むことになった。高専は五条のお家よりも遠い所にあるそうだから、想像した通り悟に全然会えなくなった。お祖父様の後を継いだ父は「あの男はもう会いに来ない」とか「どうせ高専に行くから今まで自由にさせてやった」なんて言う。うるさいなぁ。これまで私に全くと言っていいほど関与していなかった癖にどの口が言うの。元から能力のある悟は入学後授業もそこそこにたくさんの任務に駆り出されているらしい。悟はどんどんとひらけたところへ進んでいくのに、私はずっと同じ部屋にいる。「来年、高専においでよ」なんて数か月前の悟は言ってたけど私はおそらく行けない。

「死ぬのが嬉しいわけないじゃん、馬鹿じゃないの」

何度読んだって変わらない。季節が移り変わろうとも100年以上前に書かれた日記の内容が変わることはなかった。自分の先祖とはいえ頭が沸いてるんじゃないかと思う内容に反吐が出た。御三家を文字通り支える役目を果たしたんだろう女たちの日記は15歳の誕生日を境に途絶えている。どれもフワフワキャピキャピむかつくくらい嬉しそうにはしゃいだ言葉を最後にね。男と一緒になる(物理)はまだしも、神仏と同化するとか言ってる女もいる。同化って何だ?生贄的な話?今でいう特級呪具やら己の子に呪力を与えて力を使い果たさんとする人もいたけど、それは割と理想的なんじゃないかと思う。あくまで一般論。私がそうなりたいわけじゃない。それに、その後の行く末の詳細は全くわからなかった。それでも、お祖父様が最期まで隠していた本に記されていた彼女たちの没年を見れば自分の最期がおおよそいつになるのかは想像するのに難しくなかった。もうすでに私は14歳になっているし、何ならあと1か月ほどで15歳の誕生日を迎える。夏の終わりに私はどうなってるんだろう。日記も本も何も見たくなくて、押し入れの奥へと投げ捨てるように追いやった。もう、こんなの必要ない。





左腕の輪がぐるぐる回転している。最近、前よりも多く回ってる気がする。ぐるぐる速度を上げて回ってく輪から目が離せない。ゆっくり息を吐いて、吸わなくちゃ。悟……最後に会ったの春だったっけ。高専は夏休みないのかな。悟に出会ってから、悟のいない夏は初めてだった。ここのところ家の中がざわついていて、ただでさえ心穏やかじゃないのにさらに波が押し寄せる。1番目の兄が仕事中に命を落としたからだと思いたい。私に術式の使い方を教えてくれて、よく顔を見せに来てくれる一回り上の良い兄だった。お祖父様からの信頼も厚くて一緒に呼ばれる時もあった。悲しいけれど、呪術を扱う以上可能性は常にあったのだからしょうがない。それよりもお父様だ。お父様の動向が気になる。15歳の誕生日を境に私をどうにかする気ならば、既に動き出していておかしくない。どうしよう、夏が終わる。秋が来る。秋が来たら私は――……

*

高専のグラウンドから校舎に通じる渡り廊下に差し掛かった所で、賑やかな声が聞こえた。鍛錬から戻ってきたところみたい。2年生と、1年……知らない子もいるな。そういえば新入生を迎えに行くって悟が言ってたかもしれない。

「真ー希ーちゃんっ」
「あ?紗希乃?いつ帰ってきたんだ?」
「あれっ、悟から聞いてないの」
「聞いてない」

一番後ろを歩いてた禪院真希の肩をつつきながら声をかける。とっても驚いた顔をしてるのに声は冷静。うんうん、いいね。足を止めた真希ちゃんに気付いたパンダくんと棘くんが振り向いた。モフモフした呪骸のパンダくんが嬉しそうに駆け寄ってくる。

「紗希乃じゃん!出張に行ってたんじゃなかったの?」
「行ってた行ってた〜」
「ツナマヨ」
「ん?中国とね、アメリカかな」
「土産はねーのかよ」
「真希ちゃんにはたっぷりあるよ〜呪具調達だったからね」
「こんぶこんぶ」
「皆のは悟に渡しといたんだけど、どうやらもらってなさそう?」

遅れて寄ってきた棘くんが自身を指差しながらお土産を催促してくる。とはいえもう手放してしまったからなぁ。虎杖くんの件もあったし仕方ないか。適当に掴んで買ったものだから喜んでくれるかはわからないけど。

「吉川さん、お久しぶりです」
「お〜、恵くん久しぶり。制服似合ってるね」
「どーも」
「おい、伏黒。この人だれ」
「五条先生の奥さん」
「チッチッ、惜しいぞ恵。正確には悟の内縁の妻ってヤツだ!」
「しゃけ」
「おい、パンダ。どっちも変わんねーだろ」
「ちょっと意味深でエロく感じるって悟が言ってたもんでな」
「それ本人の前で言うのどうかと思いますよ」

うん、本人を前に言うことじゃないわ。目の前で繰り広げられる中途半端な他己紹介にどう補足したものか考えているうちに、恵くんの隣りにいた女の子の顔がみるみるうちに歪んでく。すっごい顔するなこの子。あからさまに指を差し、開いた口が塞がらないその子はパクパクと空気を飲む。

「男の趣味わっる……!」
「ンフフッ。初対面で繕わない子嫌いじゃないよ」

趣味が悪いとこれまでたくさん言われましたとも。知ってる知ってる。心の声が駄々洩れのこの子は新入生の釘崎野薔薇ちゃんと言うらしい。虎杖くんが死んだ時に一緒にいた子かな。彼が生きてるって知ったらびっくりしちゃうね。悟が楽しみにしてたのを思い出すだけで笑えてきた。

「何か良さそうな呪具あったか?」
「そこそこね。あっちの特級レベルの呪具は競り負けた」
「あぁ?そこは勝てよ」
「無理無理。高専の予算じゃ勝てないって」

禪院がお金出してくれるなら考えるけど、まあ無理なことはわかってるしポケットマネーを出すには桁が可愛くなさすぎた。それから今回の出張で手に入れた呪具の一覧の紙を手渡す。

「印ついてるのは依頼されてた分だからあげられないけど、それ以外に欲しいのがあったら教えてね。下の4つは元々高専預かりにする予定だよ」
「流石に交流会まで間に合わないよな……」
「任務入ってるから遠慮させて?」
 

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