夏の大三角形はもう見えない

「ううっ、ついに……ついにわたしたちのミッティが結婚……!」
「おーい飲み過ぎても送ってかないよ、夏目さん」
「飲まずにいられるかってんですよ!ついにこの日が!!」
「喜んでるんだか寂しがってるんだかわかんないなぁ」

水谷さんからの結婚報告から間を開けずにやっぱりかかってきた電話。「今週の金曜はぜーったいに予定を空けておいて下さい!ヤマケンくんもダメですから!」と捲し立ててきたのは夏目さん。なんで怒ってるかなぁ。まぁ、昔からの思い込みが激しい所は今尚継続中なのでたぶん寂しくなっちゃったんだろうな。なんて思っていたのだけど、まさにその通りだったようで。

「わたしはミッティの大親友なのでもちろん友人代表としてスピーチをするつもりです!」
「大丈夫とらないとらない」

人前で話すのなんてごめんです。げふん、と可愛い顔からは想像できない音を口から出しながらも夏目さんはビールを豪快に呷る。今の年齢ってもっと大人だと思ってたんだけどなぁ、自分もそうだけど夏目さんを見てたら高校の頃と何にも変わらない。パックジュースを飲んでたのがビールに代わっただけ。

「吉川さんの結婚式だって大親友のわたしが思い出話をたっぷり話してあげますよっ」
「わたしの時はたぶん幼等部の頃からの友達かな」
「なっ……そうでした、吉川さんは都市伝説並みの友好関係を持ってましたね……」
「たまたま続いてるだけだからそこまで規模の大きな存在じゃないよ?」

わたしの友人関係は決して広くないし、たまたま縁あって長く関係の続いている子がちらほらいるだけ。親同士も知り合いで仲良しだし、式を挙げるってなったら無難な人選かなって思っているだけだったりする。わたしの説明を聞いても、目の前の酔っ払いは疑いの目を晴らしてくれない。

「だいたい、もうそろそろ籍をいれるのかと思ったら全くもってその気配がないとは一体どういうことなんですかヤマケンくんー!」
「ここにいない人に叫んでも無駄だよ夏目さん」
「吉川さんも余裕ぶっこいてないでさっさと責任とれって詰め寄ったっていいと思いますよ夏目は!」
「えぇー?責任?何の?」
「もてあそんだ責任ですよぉー!」
「遊ばれてはなくない?」

というかまだ学生なんだから話が発展しすぎだよ。仮にわたしが遊ばれてるんだとしても夏目さんがおいおい泣き上戸になりながら飲んでることに違和感。泣くとしたらそれってわたしの方じゃない?いつもの夏目さんだったらどっちかっていうと怒ってそうなのに。

「……ササヤンくんと何かあった?」
「ぐす、無いですよう。なにも、無いですもん」

ずるずると夏目さんがテーブルに突っ伏していく。嫌なことがあった時のやけっぱちで飲んでるところは見た事あるけれど、泣きながら飲んでるところに遭遇したのは初めてだ。

「な、夏目さん……?」

大丈夫?と手を伸ばして揺すってみる。反応がない。これはちょっとまずいかな、なんて思っていたら、夏目さんがゆらりと身体を起こした。目は据わってるけど、泣いてない。よかったなんとか落ち着い……なんでわたしの左手をがっちり掴んでるの??

「何カラットですか」
「へっ?」
「この婚約指輪は何カラットなんですかぁー!」
「えっ、夏目さん、手が痛……って寝てる?!」

*

わ〜チュンチュン雀が鳴いてる〜。とっても清々しい朝ですね。おはようございます夏目あさ子です。毎朝5回かけてるアラームが全く鳴らないことからこれは休日の朝で間違いないのですが、見慣れた天井とは程遠い景色が視界いっぱいに広がっていて頭が処理落ちしています。

「ここは一体どこですか……」
「夏目さんやっと起きたね」
「吉川さん……?」
「すっごい不思議そうにしてるけど、昨日の事もしかして覚えてない?」
「覚えて…ませんね……!」
「まあ、そこらへんで吐かなかっただけ及第点だよ」

扉からひょっこり顔を出したのは吉川さん。おかしいです。たしか紺色のワンピースを着ていた吉川さんと居酒屋で食事をしていたはずなのに、今の吉川さんはかわいいTシャツにショートパンツ、素足でぺたぺた歩いています。ん?あれ?ここって……

「吉川さんのマンション?!」
「いま気づいたの?」

前に鍋パーティーで来たことがあったのを思い出しました。水の入ったコップを手渡されて、ああそういえばと頭が痛いのを思い出してしまって、悶え苦しむ始末。くそう…お酒で失敗しないって約束したのに……!

「客間のベッドに放り込もうかと思ったけど、吐いて窒息しても嫌だからソファに投げちゃった。ごめんね?」
「イエ……!」

ふああ、と欠伸をかみ殺してる吉川さんは朝までわたしの様子を見ててくれたみたいで、大学のプリントの束がテーブルに山積みになってる。やーってしまった!すぐさまソファから降りて渾身の土下座を披露したけど、顔洗ってきなよと普通に言われただけでした。ほんと、ミッティも吉川さんもこういうとこある……。ミッティはもうちょっと怒るけど、吉川さんは怒らないから呆れられてるんでしょうねわたしは……。未使用の歯ブラシを貰って洗面所へ行くと、当たり前のように存在してるメンズ用洗顔やらシェービングクリームを見てしまった。いや、悪くないんです。いいんですいいんです。だってね、ヤマケンくんと吉川さんはお付き合いしてるんですもん。でもなんか気まずい。わたしが勝手に気まずくなってるだけなんですけど。にしてもこの家広い……客間とか学生の住む家に存在していいんですか。なにこのタオルふわふわですけど、どこのメーカーですか。

「服脱ぎ散らかしてたから洗っちゃったよ」
「ひぇ、ほんとに何から何まで……!」

よく考えたらわたしが着てるのも吉川さんの服でした。ほんとに至れり尽くせりで申し訳なさすぎる。どろどろに溶けた顔を綺麗にして、吉川さんの使ってるスキンケア用品で整えさせてもらってリビングに戻った。今日の暮らしは夏目の普段の生活の何倍も良い生活をしてるに違いない……!嬉しいような悲しいような。

「インスタントだけどみそ汁どうぞ」
「なんでそんなに神様みたいなんですか〜〜!そして急に庶民的〜〜!」
「えっなに馬鹿にしてるの」
「してませんよ夏目もその液体みそ使ってます!便利!」
「便利だよね。ご飯に時間とられたくないとき使えるやつ」
「吉川さんってワーカホリックになる素質充分ですね……」
「それよく言われるんだよね」

わたしの業界にもたっくさんいますよ。吉川さんカモン!と呼んでみたら、めちゃくちゃ笑顔でお断りされました。まあ、そうですね。そうですよね。

「……で。夏目さんに聞きたいことがあるんだけど」
「何です〜?わたしで良ければ聞きますよ」
「ほんとに昨日のこと覚えてないんだね」
「?」

スッと取り出された吉川さんの某りんご会社の最新スマホの画面の中で暴れ狂う女はまさしくこの夏目あさ子。ストリップショーよろしく人様のソファの上でポンポン服を脱ぎ捨ててる。まさに散らかし放題。しかもわたしがわあわあ何か言ってる言葉が予想外で背筋が冷えた。

『わたしだって結婚したいんですからあ〜〜!!』

言ってない思ってない別人です!全力で首を振ったけど吉川さんは聞いちゃったとでも言うように肩を竦めてる。目の前で削除されていくそのムービーはもう目にすることはなくってもかなり明細に覚えてしまった。いや、その、これは……。

「まだまだ学生を続けようとしているわたしから見たらさ、もう社会人になってる夏目さんてすごいと思うんだよね」
「へっ……?」
「専門終わって、彼氏よりも先に働いてるじゃない?そりゃ将来のこと考えちゃうよね」
「……っ、違うんです。ほんとに、べつに、今すぐ結婚したいとかそういうんじゃなくって、」
「うん」
「吉川さん婚約するの早かったし、ミッティも結婚するってとっても幸せそうで、それを見てたらいいなあって思ってしまっただけでしてっ」
「うんうん」

ササヤンくんはただいま絶賛就活中。来週最終面接で内定もらえるかもって言ってたから、うまく行けばもうすぐおしまい。専門学校を出てすぐに働き始めたわたしと大学生の彼と生活リズムはまあ違ってて、ちょっぴり喧嘩しちゃったりとかもしてました。何だかんだすぐ仲直りするんですけど。卒業したらそうでもなくなるとは思ってても2年って長い。あとちょっとだけど、あとちょっとが長いんです。

「たぶん、いま余裕がないから羨ましく見えるんです」

物理的には距離が遠くないのに、なんだか遠く感じてしまって勝手に感傷的になってる。ササヤンくんじゃなくちゃ嫌だけど、今に満足できなくて、勝手に羨ましくなっているのが恥ずかしい。ぬるくなったみそ汁がゆらゆら揺れて、豆腐がぷかぷか顔を出す。友達を作るのだって上手くなくって、ちゃんとした恋人になれたのだってササヤンくんだけだから距離の詰め方も彼しか知らない。周りはポンポンと結婚を決めてしまって、独身なのはわたしと大島さんくらい。大島さんだってその内しれっと結婚しちゃうんでしょう。

「夏目さんはちゃんとわかってるし、ササヤンくんもきっとわかってるから大丈夫だよ」
「大丈夫…ですかね……?」
「うん。きっと今すぐ結婚してもうまく行くだろうけど、後に結婚してもうまく行くよ」
「吉川さん適当なこと言ってたりしません?」
「言ってるかも。だけどさあ、ササヤンくんは夏目さんのことちゃんとわかってるだろうから、きっと思ってることちゃんと言ってくれるんじゃない?」
「……そういえば、ミッティの結婚話を聞いてからササヤンくんと会ってません」
「うん。昨日、夏目さんの回収をお願いしようと電話したら会えてないから何か変な方向行ってない?って言ってたよ」
「変って!間違ってませんけど!」
「ササヤンくんに渡してもよかったけど、せっかくだから家に連れてきちゃった」
「……そうですよ。おかしいです。ササヤンくんに電話したならそのまま引き渡せばよかったのに」
「夏目さんが何か悩んでるなとは思ったんだけど、生憎すぐに思い当たらなくってさ。日を改めたらまたしばらく会えないでしょ。だから預かって一晩考えてみたら、やっぱり社会人大変だなって考えに至ったところ」
「その割には普通に勉強してたみたいですが……?」
「あーうん。結局、本人に聞かなきゃわかんないなって」

だから聞いてみた!と笑ってる吉川さんの左手に光る婚約指輪が目に留まる。羨ましくなってしまって忘れてたけど、吉川さんがヤマケンくんと婚約する前は結構悩んでいたんだっけ。あんな海外にまで追いかけてくれるくらい愛されてるっていうのに、吉川さんはヤマケンくんの周りの女の子を気にしてた。ちやほやされるのが好きなヤマケンくんにも問題はもちろんありますけど、気にしなくったっていいでしょうって思っちゃうくらいの仲だったのに吉川さんはいつも何となく不安がってて。大丈夫ですよってわたしが言ったって、ほんとの心の奥深くは救ってあげられなかった。それをさらっとひっぱりあげちゃうヤマケンくんが憎たらしかったのは間違いなしです。本当に、ああだこうだと悩んでたって彼の一言で吉川さんは復活してしまうんですもん。……でも、これって、わたしも同じようなものなのかもしれません。

「わたし、結婚しようって言われたいんじゃなくって、安心したいだけだったみたいです」
「おお、答えが出るのがはやい」
「吉川さんのおかげです。誰かにちょっとでも話すと違うもんですね」
「わたしこそいつも聞いてもらってるしね」
「ええ?吉川さんもミッティもわりと自分で決めたまんまに進みません?」
「決めてても、それいいですねって後押しされたり励まされたりすると違うもんだよ」
「ふーん……確かにそうなのかもしれません!」

きっとササヤンくんはわたしの欲しい言葉をくれるでしょう。結婚するかどうかの選択なんかじゃなくって、わたしの今の気持ちを汲んだ言葉をくれる。わたしの気持ちを分かった上で自分がどうしたいかで動ける人だから。

「夏目さんは素直だから大丈夫だよ」
「この歳で素直というのはある意味我儘とも言いますよ」
「ものは言いようだからさ」



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