憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




寒いよ、姉ちゃん。痛いよ、姉ちゃん。顔も手も全部が燃えるように熱いんだ。姉ちゃん。姉ちゃん。姉ちゃんに会いたい。助けて、姉ちゃん。僕はここだよ。ここにいるんだ。お願い、見つけてよ、

「ねえ、ちゃん……」

寒くて熱くて痛いのに、僕の手の甲の傷はどこにも見当たらない。ほっぺたを触ったってでこぼこしてるわけでもない。確かに痛かったのに。どうしたんだろう。倒れていた体を起こして、いつもの真っ黒い服の上から体のいろんなところを探ってみる。何ともない。次にポケットを探ってみる。赤のマジックペンに瞬間接着剤。ポケットナイフと、前に警官から盗った拳銃一丁。いつもの持ち物がそっくりそのまま入ってる。おかしいな、どうして僕はこんな真っ暗闇にひとり倒れてたんだろう。僕は確か…確か、

「死んだのか」

あの毒の混じった雪で僕は死んだんだ。だから、あの時受けた傷も痛みもとっくに消えた。傷ついた体とは別の存在になったから。なんだ、そっか。おかしくもなんともないじゃん。姉ちゃんは無事なのかな。ていうかここはどこなんだろ。天国?地獄?真っ暗で何にも見えない。倒れてたそこに立ち上がって、周りをぐるっと見回してみる。なんもない。どうなってんのここ。どっちに歩いていけばいいんだろう。両手をポケットに突っ込みながら、ぼんやり考えてたら視界のすみっこで何かが光った。

「……花火?」

遠くに小さな花火が見えた、気がした。とりあえずその花火の方へ進んでみると、それが花火なんかじゃなくて一輪の向日葵だったことがわかった。

「なんでこんな季節にヒマワリ?季節感ぜんっぜんないじゃん。」

なんか騙された気がしてむかつく。向日葵の花なんか人間の命以上にあっけないんだ。こうやって一握りしてやれば種がボロボロ落ちていく。ぐしゃりと音を立ててつぶれた向日葵の花が崩れていくのと一緒に目の前の景色がパチパチはじける。なんなんだ、これ。々と姿を現す知らない景色に、まるで僕が誘拐されてきたような気分になってくる。


「……ここどこ?」


そこは真っ暗でもなんでもない。だだっ広い向日葵畑のど真ん中だった。黄色い海と、むせかえるような花の匂い。真夏のような晴天。さっきまで僕が苦しんでいた寒空の欠片はひとかけらも残っちゃいなかった。なんか、僕一人しか存在してないみたい。


「……あれ、真っ黒い人がいる?」
「邪魔しないでよ、せっかく人が感傷的になってたのに」
「急に現れたのはそっちなのに随分な物言いだなあ」

ちょっとくらい、その雰囲気に浸らせてくれてもいいのにな。死んだ後でも僕は誰かに邪魔され続ける人生らしい。あ、人生終わってた。じゃあなんて言うんだろ。麦わら帽子を被った白いワンピースの女の子は、大きなじょうろを持ちながら不思議そうに首をかしげた。

「迷っちゃったのね」
「迷ってなんかないよ」
「みんな最初はそう言うもんよ」

ついてくる?小さく訊ねてきた女の子の後ろを着いて歩く。

「そんな真っ黒で暑くない?」
「暑くなんかないさ。僕にとってこの服は自分自身の気を奮い立たせるトクベツなやつだからね」
「ふーん、一張羅ってこと」
「いっちょーら?なにそれ」
「好きなようにとっていいよ。知っても知らなくてもどっちでも変わらないし」
「なんだよ、言い始めたのはそっちだろ。僕を誰だと思ってるんだ?」
「誰なの?わかんない」
「僕はー…」

一十一という名で、当麻陽太で。どっちを名乗っていいのか戸惑った。僕は陽太だけど、ニノマエでもある。だけどそれは、陽太だったことを忘れていたからニノマエだっただけだし、思い出した今は陽太だと名乗ってしまったらこれまでのニノマエはどうなってしまうんだろう。

「忘れちゃった?」
「忘れてない!もう忘れないさ!」
「それなら、いいんじゃない」

自分が覚えていれば。

女の子はそう言って、面白そうなものを見つけたようにニカっと笑った。






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