29


聖なる夜。暖かい夜。仲間と過ごし、笑う夜。
はじける笑い声、ぶつかるグラスの音。
ほろ酔いの皆々は、いつもより少しだけ、秘密の緒がゆるくなる――。

― クリスマスの雪 ―


その日の夕食は、素晴らしかった。
金の皿とゴブレット、飾りつけられた大広間に、並ぶご馳走。
教員席の両側にあったツリーは、フリットウィック先生によって煌びやかに飾られている。
その飾りは時折ちらちらと光り、天井の空はまるでタイミングを合わせるように流れ星が横切った。

「……さっすが本場……」

アラシは、去年まで家でささやかにケーキを食べていた頃とは大違いだと思った。
もちろんそれはそれで幸せだったし、楽しくもあったのだけれど。
なんというか、この二つは比べようがないのだ。
ホグワーツと親、どちらが好きかといわれて答えられるはずがない。
どちらも、同じくらい大好きなのだから。

「カンザキ、どこに座る?」

ブラウンが弾んだ声で言った。
こうなると、どの席も非常に魅力的に見えてくる。
アラシは大広間をぐるりと見渡し、ふと気づいた。

「ブラウン先輩」
「なんだ?」
「どう見ても、料理の数が多い気がするんですが」

そう。確かに多い。この休暇、残っているのは十数人だけのはずで。
いつもテーブルがびっしり埋める生徒達は、そのほとんどが帰省中である。
ブラウンはああそのことかと、苦笑した。

「気にするな。それより、どこにするんだ? ツリーの近くにするか?」

ブラウンはアラシが返事をする前に、歩き出してしまった。
慌ててあとを追い、テーブルに並ぶ豪勢な料理たちを呆然と見やる。
こんなにあまって、どうするつもりなのだろう。もったいない。
まさか、あの屋敷しもべ妖精たちが食べるのだろうか。

「すっごく気になる……」

アラシはぼそりと呟いた。
機会があったら、校長に問うてみよう。
ブラウンの正面に座りながら、アラシはしかと心に誓った。

「揃うたようじゃの」

教員席の中心に腰掛けていたダンブルドアが、ゆっくりと立ち上がった。
にこりと楽しそうに笑う彼は、いつものローブとは違って少しだけお洒落をしている。
アラシは浮かれているその様子に、呆れてしまった。
ダンブルドアは時々よくわからない。

「では、宴といこう」

校長はクラッカーを手に取り、ほとんど人のいない大広間を、重々しく見渡した。

「素晴らしい夜に」

ダンブルドアはそう言って、クラッカーのひもを引く。
パン、なんて陽気な音ではない。大きな爆発音が、大広間に響いた。
アラシは慌てて耳を押さえたけれど、それはすでに遅く、耳の置くがキン、と痛む。
辺りを見回せば、上級生たちは慣れているのか、きちんと耳を押さえ平然な顔をしていた。
何度かこの行事に参加した事のあるブラウンももちろん、その中に入っている。
どうやらこの不意打ちに驚いたのは、アラシを含めた新入生数人だけのようだ。
クラッカーからは、キラキラ光る帽子やら、ハツカネズミやらが飛び出した。
ハツカネズミが、素早く走っていくのを見ながら、ダンブルドアがいたずらっぽく笑う。
まるでそれが合図だったかのように、生徒や教授達もテーブルに当たり前のように置かれていたクラッカーを手に取り、ひもを引いた。
アラシも、目の前にあったクラッカーを手に取り、ひもを引っ張る。
スカイブルーのクラッカーからは、クリスマスソングを歌う帽子と、お菓子が数個出てきた。
大広間のそこら中で小爆発が起こり、しばし広間は陽気な戦場(そんなものがあるかはわからないが)のようだった。
一騒ぎが終わると、各々料理へ手をつけ始める。
ブラウンは楽しそうにくすくす笑ったし、アラシも彼につられるように笑みがこぼれた。
素晴らしいクリスマスだ。

「そういえば、カンザキ」

夕食が始まって数分もしたころ、アラシはブラウンに声をかけられた。
次はどれを食べようか悩んでいたアラシは、ブラウンに視線を上げる。

「なんですか」
「何かあったか?」
「何かって?」

ローストチキンからにしようと、アラシは皿にとりわけながら問いかけ返した。
ブラウンは片眉を器用に上げ、ゴブレットを傾けた。

「勘違いならいいんだ。図書館から戻ってきたとき、落ち込んでいるように見えたから」
「……あー……」

もしかして、自分ってすごくわかりやすいのだろうか。
スネイプにも指摘された。
アラシは言葉を濁しながら、それは間違いではないけれどブラウンが気にする必要は無いと笑って答える。
ブラウンはそれ以上はつっ込まずに、そうかと笑みを浮かべた。

「何か悩みがあるなら、相談に乗ってやるからいつでも言え」
「ありがとうございます」

ブラウンは軽く頷くと、ケーキを口に運ぶ。
その様子をぼんやりと眺めながら、アラシは今頃友人たちはどうしているだろうかと考えた。
家族とクリスマスをしているのはジェームズだろう。
彼のことだ。きっと、どんちゃん騒ぎをしているに違いない。
もちろん、リーマスやピーターも家族でこの夜を過ごすはずである。
シリウスは……どこぞのパーティーにでも出席していそうだ。
プレゼントも使い古し(と言っても高級品)だったし、忙しいのだろう。

「……あ」
「なんだ?」
「いえ、あー……なんでもないです」

誤魔化すように笑って、かぼちゃジュースを喉に流し込む。
アラシはしまった、とひそかに眉根を寄せた。
スネイプへのクリスマスプレゼントを忘れていた。
今日までほとんど話していなかったから、それはもうすっかりと。
日々の生活も、それ授業やら課題やらで忙しなく、リーマスたちの分を用意するのに精一杯だったのだ。
しかしスネイプからもプレゼントは贈られてこなかったから、彼との距離はこのくらいが丁度いいのかもしれない。
それは少し、寂しい気がしないでもない。
ぼんやりと考えていると、ふいに叫びに似た声が耳に飛び込んできた。

「なんなのよ!」

怒気をはらんだ大きな声は、広間中に響く。
誰もがその出所探し、その視線はレイブンクローのテーブルに集まった。
レイブンクローの女生徒が立ち上がって、ある一点をじっと睨みつけている。
彼女の視線の先を追いかけ――アラシは大きくため息をついた。
スリザリンのテーブルで、マルフォイが目を意地悪そうに細めている。
彼の周りを、スネイプを含めた何人かのスリザリン生が囲んでいた。なぜか女子生徒が多い。

「さっきから聞いてれば、マグルの血がどうのこうのって……っ。私がそんなに気に入らないなら、そう言えばいいでしょう!」

声を荒げるレイブンクローの生徒に、アラシは見覚えがあった。
確かクィディッチの試合に出ていた女子選手である。
ポジションは確か、チェイサーだったはずだ。

「誰もあなたが気に入らないとは言っていないでしょう」

マルフォイはにやりと口の端を上げる。嫌な笑い方だ。
アラシは自分に向けられたわけでもないのに、顔をしかめてしまった。

「ただ、私は同寮の方々と魔法使いの血について話していただけです。別段、あなたが関連しているわけではない」

レイブンクローの生徒が、苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
彼女は不愉快そうにマルフォイを睨みつけ、がたがたと音を立てながら座った。
大広間は彼らの不穏な空気にすっかりと侵されてしまい、楽しい雰囲気が一転、重苦しい沈黙に成り代わる。
生徒達は視線を元の場所に戻しはしたが、それまでの会話を続けようとはしなかった。
ただただ黙々と、料理を口に運ぶ。
しかしわずかに会話が開始されたスリザリンのテーブルでは、やはりその中心にマルフォイがいた。
アラシはブラウンを顔を見合わせ、二人そろって眉根を寄せた。
アラシとて、マルフォイの印象は悪いほうに入る。
というより、今まで関わってきた人達の中で群を抜いて、悪い。
今朝方のことといい、彼はクリスマスをぶち壊したいのだろうか。
せっかくの楽しい夜が、台無しだ。
教員席に目を向けると、教授たちの困り顔でなにやらひそひそと言葉を交わしているのがわかる。
ダンブルドアはなにやら考え込むように額に手を当てて、黙り込んでいた。

「……俺、あの人嫌いかもしれない」

アラシはぼそぼそと言った。
他のテーブルには聞こえないように、細心の注意を払って。
ブラウンがしかめ面で頷く。

「彼は、自分以外の人が楽しむことが気に入らないんだ」
「なんですか、それ」

アラシは咬んで含めたようなブラウンの言い方に、聞き返してしまった。
しかしブラウンは何も言わないで、黙々と料理を口に運んでいる。
アラシはため息をついて、ブラウンに習った。
今夜はもう、あまり楽しい気分にはなれそうにない。
許されるなら、マルフォイを一度怒鳴りつけてやりたかった。
しかしダンブルドアが止めに入ってしまうだろうし、ブラウンだっていい顔はしないだろう。
それだけ、彼は扱いに難しいのだ。

「……ヴィクトリア、あとでぶちきれなくちゃいいけど」

ブラウンがぼそりと言った。
聞きなれない名前に聞き返すと、ブラウンはついとレイブンクローのテーブルを示した。

「彼女のことだよ」

ブラウンの視線の先には、先ほどマルフォイに怒鳴った女子生徒がむっつりとした顔で座っている。
彼女の前の料理は、ほとんど手がついていない。
気分が優れないのか、それとも先ほどのことが原因なのか(おそらく後者だろうが)、ヴィクトリアはかっかと顔を赤くさせていた。

「知り合いなんですか?」

学年は彼女のほうが上のようだし、アラシはヴィクトリアとブラウンの接点に見等がつかなかった。
学年と寮が違うと、廊下で偶然話でもしない限り、あまり親しくはなれない。
ブラウンがほんの少し、表情を緩める。

「入学したての頃、迷っていたら助けてくれたんだ。それ以来、親しくなってね」

そう答えた彼の顔はひどく優しくて、アラシは、ブラウンはヴィクトリアのことを好きなのではないかと思った。

そのあとも、広間で会話をする人は少ない。
時折スリザリンのテーブルから笑い声が上がる以外、陽気な声はひとつもしないまま、クリスマスの宴は終わってしまった。
アラシはクラッカーから出てきたお菓子をローブのポケットに入れて、ブラウンと一緒に大広間を出た。
しかし、ブラウンはあとからすぐに出てきたヴィクトリアに声をかけ、彼女とともに行ってしまう。
仕方なく、ひとりで寮に戻ることにしたアラシは、少々早めに足を進めた。
玄関を通り過ぎようとして、立ち止まる。
腕時計を確認し、まだ消灯まで時間があることを確かめてから、アラシは外へ出た。
冷たい空気がむき出しの頬をつく。
マフラーをしていない首元は肌寒く、アラシは身震いをした。
空を見上げれば、白いものがちらちらと舞っている。

「雪、か……」

アラシはぼそりと呟いた。
幾度となく、“ここ”で冬を“過ごした”が、クリスマスの夜に雪が降る外へ出るなど、そう何度もなかったはずだ。
より濃く“記憶”に残っているのは、六度目の冬――。
あの日語らったその一語一語が、全て鮮明に“思い出せる”。
“彼”が打ち解け始めて最初のクリスマスだった。
酔いを醒まそうと、外に出た“自分”のあとから、偶然“彼”が出てきた。
先ほどと同じように、雪が降ったのを見て「雪か」と思わず呟いた自分に向かって彼は――。

「雪がどうかしたのかね」

アラシはいきなり声をかけられ、驚いて振り返った。
開け放しの扉の向こうに、きらきら光るシルバーブロンドの髪が目に入る。

「マルフォイ、先輩……」
「やあ、カンザキ。また会ったね。クリスマスは楽しめたかい?」

いかにも社交辞令といった感じに、マルフォイは薄笑いを浮かべた。

「途中までは。あなたは最後まで、かなり楽しんでいたようでしたけど」

マルフォイは愉快そうに笑って、扉の隙間をするりと蛇のようにすり抜け、アラシの隣にたった。
彼との距離は、それほど開いていない。
アラシは一歩右に避けたかったが、そうもいかず、感情を押し殺して踏みとどまった。

「昼間のことだが」

マルフォイはさして大きな問題でもなさそうに切り出した。
アラシは昼間のこと、と聞いて一瞬朝のことが浮かんだが、しかしそのことではなく、彼が指しているのは午後の出来事だろうと考える。
それは、“秘密の部屋”と“継承者”のこと。

「俺は違うと、言ったはずです。探すなら他を当たってください」

やっぱりこの人、嫌いだ。
アラシは自分の内で、ふつふつと湧き上がる嫌悪を感じた。
思考が読めないから、怖い、というのもあるのかもしれない。

「お前は何かを知っているように見える」

マルフォイは雪の舞う空を見上げ、天気予報を遠まわしに聞いているような口ぶりで言った。

「創設者のことは、少し本で読みましたから」

アラシはそう答えると、くるりと方向転換し、玄関に向かって早足に歩いた。

「失礼します。これ以上俺にかまわないでください。俺は、あなたのことが好きじゃない」
「それは奇遇だ」

マルフォイはくつりと喉の奥で笑うような声を出した。

「私も、お前が気に入らないと思っていた」

アラシはマルフォイを無視し、城に入った。
温かい城の中は、外とは別世界のように思える。
ひとつ息をつき、アラシは寮に行こうと、階段へと歩き出した。
ヴィクトリアと一緒にいるブラウンは、まだ当分戻ってこないだろうと予測する。
ベッドに入って、今日はもう寝てしまおう。
頭を休めるのには、寝るのが一番だ。


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