19 耳に届くにぎやかで明るい子供たちの声。 毎年恒例の行事は、その日も順調に行われていた。 自分のクラスの生徒たちにせがまれて、ほんの余興にと戯れ程度に剣技を見せてやる。 ロウェナは呆れたような目だったけれど、ヘルガは子供たちと一緒に楽しんでくれたようだ。 そしてもうひとりは、とそちらを見る。 サラザールは、こちらなど見向きもしない。 けれど、いつもは堅い彼の口元がわずかにではあるがゆるんでいるのが見え、妙に嬉しくなった。 こんな平和が、いつまでも続けばいい。 来年も同じように、くりぬいたかぼちゃを並べ、ゲームをして、ご馳走を食べられればいい。 ― ハロウィーンの夜 ― 久しく、“こちら側”から卒業していたためか、どうにも心が弾む。 アラシは、にんまりと怪しげな笑みをたたえ、山積みとなったお菓子に手を伸ばした。 十月三十一日。 日本にいた頃はなんとも思わず、何かあるわけでもなかった月末の夜。 しかしここホグワーツでは、盛大なハロウィーンパーティーが開かれる。 その日の夕食は、豪勢なディナーのうえ、ハロウィーンだからとお菓子までも出てくるというもので。 アラシたちは、大いにその食事を楽しんだ。 大広間には、無数のコウモリが飛び交い、時にはテーブルすれすれを飛ぶこともあったりした。 入学式の時と同じ金の皿とゴブレットは、かぼちゃの中のロウソクの光にきらきらときらめく。 そんなお祭り騒ぎなものだから、ついついつられるようにしてはしゃいでしまうのだ。 「珍しいね、アラシがそこまでうかれるのってさ」 ジェームズがくすくすと笑った。しかしそう言う彼こそ、かなり興奮気味だ。 けれど、この大盤振る舞いを一番喜んでいるのはリーマスだろう。 何せ、彼は大の甘い物好きだ。 その性格とはうらはらとも思える甘党ぶりだったが、共にいると自然と慣れてしまうらしい。 今も、リーマスはチョコレートバーにかじりついていたけれど、それが十本目だということに誰も口を出さない。 甘いものが苦手なシリウスにいたっては、青い顔をそらしている。 「このポテト、すごくおいしいね。もう一皿おかわりしようかな」 上機嫌のピーターの浮かれた声に、アラシもポテトをさらに取った。実はこれで三度目だ。 こんな調子で、アラシたちはパーティーがお開きになる直前まで(ほとんどリーマスの付き合いに近い形で)大広間に残っていた。 「あー食ったな。俺、もう入らねえ……」 満足そうに笑みを浮かべるシリウスの隣では、両手いっぱいにお菓子を抱えたリーマスもまた笑みをたたえている。 「おいしかったね」 彼はたったの一言で、自分の気持ちを表しきった。 「ところでリーマス、それはどうするの?」 ピーターが、リーマスの腕に抱えられたお菓子たちを指差して問いかける。 それには、アラシも頷いた。 その量といったら、半端じゃない。ものすごく重そうだ。 「まだ食べるつもり?」 「まさか! 明日の分だよ」 リーマスが意気揚々と答える。 明日一日でその量を食べるのか(というより食べられるのか)ききたかったが、何だか怖いのでやめておいた。 そのあと一拍おいて、大広間を出てから口を開かなかったジェームズが、ふいに言った。 「キミたち、ハロウィーンはこれで終わりだと思ってはいないかな?」 内心、「これで終わりだろう」と言いたかったが、何か楽しそうな話題になってきたのでアラシは黙って彼の話を聞くことにした。 曰く―― 「今日はハロウィーンだよ? トリックオアトリートの日だよ!? そんな日にイタズラしないなんて、子供じゃないね!」 だとか。 元来、騒いだり、誰かをからかうのが好きなジェームズらしい言い分だ。 アラシは息をひとつついて、立ち止まった彼を振り返った。 シリウスとピーター、リーマスもほんの少し呆れたような顔つきでジェームズを見ている。 「それで?」 言ったのはシリウスだった。 ジェームズがまってましたとばかりに、ニヤリと笑う。 「ターゲットはもちろんスリザリン生!」 声高らかに叫ぶ彼。 廊下にはひと気がなく、ほとんどの生徒が寮に戻ってしまっているから、何の気兼ねもなくそんなことが出来た。 アラシとしては、いまいちスリザリン生をからかう理由がわからなかったが、納得している他の三人の様子からみると、当たり前のことなのかもしれない。 つい先日、シリウスとピーターの前で彼らの知らない魔法を使って以来、アラシは出来るだけ彼らに流されるようにしてきた。 それは今回も例外ではなくて、三人が納得しているのだからいいだろうと頷く。 ジェームズは廊下の隅に寄り、アラシたちも来るように手招きした。 大人しくそれに従うと、ジェームズは誰も通らないのに、声をひそめて言う。 「実はもう“手はず”は整ってるんだ。うまくいけば、最高に笑える夜になるよ」 「前置きはいいから、さっさと説明しろよ。何をしたんだ?」 シリウスが急いたように促すが、言い方のわりに声音はやけに楽しそうだ。 輪になる形でジェームズの話を聞いている、そのそれぞれの顔をうかがうとシリウスは本当に気分が良さそうで。 リーマスは苦笑混じりだし、ピーターは半分おびえているようだけれど、その二人もまた妙に笑っている。 と、その時。ジェームズがコホンと咳払いして本題に入ったので、アラシは彼に視線と首を戻した。 「いつも嫌味なヤツをからかってやろう。女子のフリをして、手紙を出したんだ。“パーティーのあと、トロフィー室で”ってね」 「そりゃいい。楽しめそうだ」 シリウスが意地悪くニヤリと笑った。 それを受けて、ジェームズがでは早速、と歩き出す。 その隣にシリウス、彼らのうしろをピーター、リーマス、アラシが横一列で続いた。 正直、そういう行為は好きではなかったけれど、それを言えば変に怪しまれてしまうかもしれない――。 四階への階段を上がり、ひと気のない廊下を進む。 もうすぐトロフィー室だというところで、アラシは思い切って沈黙を破った。 「ちょっと訊いてもいいかな?」 「なんだい?」 監督生と管理人のフィルチやその猫を警戒しながら、ジェームズが答えてくれる。 アラシは一呼吸置いて問いかけた。 「“ヤツ”って一体誰のこと?」 ジェームズの口ぶりや、シリウスの言い方、リーマスやピーターの反応からみて、とんでもなく意地悪で嫌な人物に違いないとは思ったが、それでも見ず知らずの人物となると後味が悪い。 それに、なんとなくイヤな予感がした。 「なんだ、そんなこと」と、ジェームズは小さく笑い声をもらして、なんでもないように軽い口調で、その名を言った。 「セブルス・スネイプさ」 「スネイプ?」 「そう。アラシって授業中ぼうっとしてることが多いからね。知らないかも。スリザリンとの合同授業の時なんて最悪だよ。特にひどいのは、魔法薬学で――」 ジェームズが長々と説明を始めたが、アラシはほとんど聞いていなかった。 ペースを落とさないように歩きながら、考える。 ジェームズやシリウス、それに他の二人も純血主義を嫌っているのはとうにわかっていた。 それに、今ここでやめるように言っても、彼らはきかないだろう。 今のところ、五人の中でリーダーなのはジェームズだ。 そうこうしているうちに、トロフィー室に着いてしまった。 全員が入り口のところで立ち止まるのを待ってから、ジェームズがドアを開ける。 自分より背の高い、ジェームズとシリウスの肩の間から、アラシはそっと中の様子をうかがった。 見覚えのある少年がひとり、月の光を受けて輝くカップや盾、賞杯などの入った棚の横に立っている。 眉間に寄せられたしわと、しかめ面の顔。それに、スリザリンカラーのネクタイが見えた。 「やあ、スネイプ君。こんなところでどうしたんだい?」 普段からは予想もつかない冷たい声でジェームズが言った。 それに続くようにして、シリウスも口を開く。 「高貴なスネイプ閣下は誰かと待ち合わせでもしてるのか?」 彼の口調もまた、冷たく傲慢だ。 アラシは顔をしかめた。これが楽しいだって? スネイプの返事は、すぐに返ってきた。 「あの手紙は貴様か、ポッター」 二人とは打って変わって、淡々とした調子だ。 ジェームズが笑う。 それにつられるように、アラシの隣にいたリーマスが小さく笑い声をもらしたのが聞こえた。 「そうだよ。見事に引っかかってくれて嬉しいね」 「女に釣られて、ノコノコ出てきたんだろ?」 煽るように、シリウスがせせら笑う。 アラシは気分が悪くて仕様がなかった。 ひとりに対して、こちらは五人。しかも偽りを語っての呼び出しだ。 ただのケンカにしてはタチが悪い。 いくら子供だからといっても、そのくらいわかるはずだ。 ――ということは、わかっていてやっているのか。 「あいにく、ブラックのように浮かれる性格ではなくてな。――ポッターは、女の名前を借りないと手紙さえ書けないらしいが」 自分と話したときより、ずいぶんと饒舌なスネイプに少々驚きつつ、アラシはジェームズとシリウスの間に無理やり割って入った。 呼び止めるピーターを無視して、丁度四人とスネイプの間に立つ形で、ジェームズたちの方を向く。 驚いた顔の四人を見て、ため息をついた。 「君たちは、しょっちゅうこんな事をしているのかい?」 何か答えようとするシリウスの口は、しかし最初の“そ”で動かなくなる。 ――というのも、スネイプがそれを遮ったからだ。 「お前は図書館の……!」 アラシはスネイプの方へほんの少し体を傾け、笑みを送った。 「三度目まして? ミスター・スネイプ」 「知り合いだったの?」 リーマスの驚きの声に、アラシは肩をすくめて視線を四人に戻した。 「全然。知っているのは名前くらいだよ」 すると、ジェームズが眼鏡を沿い上げて、穏やかに言った。 「だったら、君はそいつのことを知らないわけだ。嫌味なことも、ケンカを売ってくることも」 続いて、シリウスがそれに便乗したように言う。 「こっちに来いよ、アラシ。闇の魔法のエジキにされるぜ」 彼の後ろでは、ピーターもコクコクと頷いている。 アラシはもう一度ため息をついて、首を左右に振った。 「君たちのやっていることは理解できないよ。数人でひとりをせめて楽しいの?」 アラシが全部言い終わる前に、また背後の人物――スネイプが口をはさんだ。 「グリフィンドールごときにかばわれたくないな」 意外な一言に、アラシは驚いて振り返った。 彼は相変わらずしかめ面のままだが、なんだかピリピリしたものを感じる。 一瞬言葉につまったものの、そのあまりに“似すぎた反応”に、思わず声をもらしてしまった。 「本当に似てるな、君は」 自分にしか聞き取れないような小さな呟きだった。 案の定、聞こえていなかったのだろうシリウスが、「ほらみろ」と怒った声でまくしたてる。 「そいつはそういう嫌味な野郎なんだよ。わかっただろ?」 アラシは肩をすくめた。 「人それぞれさ。俺は、君たちのやっていることを“正しい行い”とは思えなくてね」 それにはさすがに、堪忍袋の緒が切れたのか、ジェームズが先ほどよりずっと冷たい声を出した。 「つまり、アラシはスリザリン派ってことかい? 闇の魔法とか純血なんていうバカバカしいことを――」 「あのさ、ジェームズ」 アラシは放っておいたらずっとくどくど言いそうなジェームズをさえぎって、少々大きめの声で言ってやった。 「二択はやめてくれないかな? 寮だけで決め付けるのもよくないと思うよ」 だから“組み分け”や“鍵”は気が進まなかったんだ、と心の中で昔を振り返りつつ、アラシはくるりとスネイプの方を向いた。 やはり似ている。顔つきとか背丈とか目の色とか、そいうものでは、なくて。 本質が、似ている。雰囲気が、似ている。 スネイプは呆気に取られたような顔でこちらを見返してくる。 アラシは彼の方を向いたまま、ジェームズに言った。 「ジェームズ、今日は俺のエゴに付き合ってくれないかな? その考えをすぐに直せとは言わないからさ」 息を吐く音が、部屋に響く。 ジェームズが諦めたように言った。 「わかったよ。そろそろ寮に戻らないといけないしね」 「ジェームズッ」 シリウスが抗議するように彼の名を呼んだが、ジェームズはのんびり「なんだい」と答えるだけだ。 さきほどの冷たい態度はどこへいったのやら。 その様子に、シリウスも毒気を抜かれたのか、ぶつぶつ何かを言うだけにとどまる。 アラシはスネイプに微笑みかけた。 「君も寮に戻るんだろう、ミスター・スネイプ?」 スネイプははっとしたような顔になって、返事もせずに早足でトロフィー室を出て行った。 シリウスの舌打ちが聞こえる。 アラシはジェームズに礼を言って、四人に歩み寄った。 シリウスこそ不機嫌だが、ジェームズは笑っているし、他の二人は決まり悪そうに顔を見合わせている。 「そろそろ俺たちも塔に戻ろう。リーマスもいい加減、その腕疲れてきたんじゃないの?」 そう言うと、リーマスがくすりと笑った。 彼が腕を動かしたひょうしに、がさりと音を立ててお菓子の山が揺れた。 「うん、実はそうなんだ。明日は筋肉痛になりそうだよ」 言いながら、くるりと方向転換して階段の方へ歩き出すリーマスのあとに、ジェームズとピーターも続く。 そのあとを行こうと、足を出したところで、しかしぐいと首がしまった。 「ぐっ……し、シリウスいくらなんでもこれは苦しいんだけど」 背の高い彼に、ローブの後ろを引っ張られて引き止められ、そのまま上に引かれたらしい。 アラシは首をまわすことも出来ず、目だけでなんとか彼の顔を見た。 どうやら大分怒っているらしい。 アラシはため息をついて、そっと首が苦しくないようポケットの中で杖を振った。 「俺は謝らないよ」 そう言ってやると、シリウスはむっと眉間のしわを深くさせる。 アラシはため息をついて続けた。 「俺は、俺が正しいと思ったことをしたつもりだから。悪いとは思わないし、思えない」 「それで、これからも俺たちと一緒にいるってのかよ?」 低く、脅すような声だった。 こうやってピーターも従わせたのかもしれない。 まあ、彼の場合喜んで従った感じだが。 アラシは一呼吸おいてから言った。 「友人が間違いを犯していたなら、注意してやるのが俺のやり方だからね」 「……っ」 わずかに、シリウスの顔に焦りのようなものが見える。 小さく笑い声を漏らして、アラシは続けた。 「そろそろ離してくれないかな? 歩けないよ、これじゃ。それとも気絶した俺を医務室まで運んでくれるの?」 するりと、開放感があった。 早々に魔法を使っていたから苦しくはなかったが、首をなでてやる。 「ほら、ジェームズたち行っちゃったじゃないか」 「お前のせいだ」 「はいはい」 アラシは肩をすくめて、半ば走るように寮へ向かう。 すぐ隣にはシリウスも同じようにしていて、それが何か嬉しくもあった。 ――だけど、まさか“自分たち”の不仲がここまで影響しているとは思わなかった。 - 19 - しおりを挟む/目次(9) |