09 「絶対に反対だ!」 鬼気迫るような怒声が、響く。 バシン、と机を叩いた拍子に何枚かの羊皮紙がひらひらと落ちた。 しかし誰もそのことを気にはしない。 「でもねぇ、サラザール……」 溜息をつくロウェナは、ちらりと入学予定の生徒名簿を見てぼやく。 それに付け加えるように、ヘルガがきっぱりと言い切った。 「能力に気づいてないのはもったいないわ?」 そして彼女らに続くのは―― 「マグルだって権利はあるはずだ。君の気持ちもわからないではないけどさぁ」 続くのは、俺? ― 組み分け ― アラシはきらきらと輝く広間を、呆然と歩いた。 浮かぶロウソクに、金色の食器。わきにはいかにも魔法使いといわんばかりの制服を着た上級生。 先生たちは一段上がった上座に座り、アラシたち新入生を見ていた。 そこでふとアラシは、自分が制服ではないのを思い出し急に恥ずかしくなった。 が、視線を己の体に移すと、ジェームズたちと同じ制服を着ているではないか。 驚いて目をぱちぱちさせていると、右腕をつつかれた。 何、と顔を向けるとジェームズがすごいすごいと口をパクパクさせて上を指差している。 その指の先を追うと、そこには天井ではなく、空があった。 満天の星空だ。プラネタリウムよりもずっと綺麗に、星が輝いている。 雲が流れるのを見ながら、足を前に進めていると、急に何かにあごをぶつけた。 「って……」 ふと目をおろすと、前を歩いていた黒髪の生徒が立ち止まっている。 一瞬シリウスかジェームズだと思ったが、よくよく見ればどちらでもなかった。 彼は怪訝にアラシを見ている。というよりは、睨みつけている。 その迫力に、アラシは慌てて謝罪の言葉を小さく呟いた。 「ごめん。空――じゃないや、天井が綺麗で、ついよそ見をし……」 「よく前を見ろ」 「だから、謝ったでしょ。ごめんってば」 小声で強く言うと、彼はふんと鼻をならして前に向き直った。 と、そのすぐあとに、マクゴナガル先生がアラシたちの前に椅子を置いた。 その上には、帽子が置いてある。先がとがり、つばの大きい魔法使いの帽子だ。 しかしその帽子は、とても古臭かった。ぼろぼろで、つぎはぎまでしてあるのだ。 シリウスが後ろで「胡散臭いな」と呟くのが聞こえる。 アラシがシリウスの言葉に内心頷いていた時だった。 帽子が、動いた。 いや、動いただけではない。歌い始めたのだ。 アラシが目を丸くしてその歌を聞いていると、どうやら帽子をかぶるだけでいいらしいことがわかった。 ほっと息をつく。試験じゃなくて本当に良かった。 名前を呼び始める先生を横目に、アラシは左隣にいたピーターに話しかけた。 「かぶるだけみたいだ。良かったね、ピーター。俺、ほっとしちゃったよ」 「うん。でもみんなの前でかぶるんだよね。緊張するなぁ……」 言われて見れば確かにそうだと、アラシはそこで初めて気づいた。 何故だろう。帽子があると思ったとたんに、安心してしまった。 確かに前に一人一人でてかぶるのは緊張するが、ピーターほどいやでもないし、何より帽子が……。 「って、なんで俺そんなに帽子を信頼してるんだろ……」 素朴な疑問を呟くのとほとんど同時に、最初の生徒の名前が呼ばれた。 次々と名前が呼ばれ、彼らは四つの寮へ平等に振り分けられていく。 ぼんやりその様子を眺めていると、シリウスの名前が呼ばれた。 「ブラック・シリウス!」 大広間中が騒然となった。 「ブラックって、ブラック家の?」と、一番近くのレイブンクローのテーブルから聞こえる。 そしてその向こう側のスリザリン寮のテーブルから「長男が入学したんだ」と誰かが囁いた。 新入生の中にも、「あのブラック家の長男と同じ学年なのか」などとぼやく者が居る。 あまりの反応の大きさに、アラシは驚いて、シリウスを振り返った。 シリウスが仏頂面で深くため息をつく。 そして、新入生達を押しのけ、前へ進み出た。 相変わらず、着崩した制服姿のまま。 彼が椅子の前まで進み出ると、先生方の何人かが顔をしかめた。 しかしシリウスはそれを気にする様子も無く、黙って椅子に腰を下ろす。 ――カタン、と椅子に座るその音を最後に、大広間は先ほどとは打って変わって、しんと静まりかえった。 沈黙が流れる。 すっぽりと帽子に覆われたシリウスの口が、わずかにもごもごと動いた。 数分もそうしていただろうか。 それまでの組み分けと比べると、随分と長い。 帽子が、声高らかに叫んだ。 「グリフィンドール!」 大広間が、割れるような悲鳴に包まれた。 「嘘だろ」と言ったのは、スリザリンのテーブルから立ち上がった男子生徒。 「信じられない」と青ざめた顔で言うのは、ハッフルパフの女の子。 とにかく、騒がしかった。 シリウスが満足げに笑ったことなど、誰も気付かない。 ざわざわとざわめく大広間を、シリウスは悠々と闊歩し、グリフィンドールのテーブルに向かう。 そして空いた席に腰を落ち着けると、アラシ――ではない、ジェームズを見て、ニヤリと笑った。 ジェームズがそれに答えるように笑い返す。 彼らの間には、何かがあった。 「静かに! 静粛に! 組み分けを続けます――」 マクゴナガルの声で、現実へ引き戻される。 そして、騒がしい広間の中、次の生徒の名前が呼ばれ、やがて「ブラック家初のグリフィンドール」の悲鳴は小さくなっていった。 次々と名前を呼ばれ、新入生がだんだんとテーブルへついていく。 隣で震えるピーターに、アラシは何度か励ましの言葉を言ってあげた。 「そんなに緊張することないよ」とか「大丈夫。シリウスと一緒だって」などだ。 その間に、リリーの名が呼ばれ彼女はきびきびと椅子に座った。 帽子が数秒後に「グリフィンドール!」と高らかに叫ぶと、彼女は嬉しそうに顔をほころばせテーブルへと駆けていく。 アラシは良かったと笑みを浮かべた。 が、何が良かったのかはいまいちわからない。 そして、ついにピーターの名前が呼ばれた。 「ペティグリュー・ピーター!」 ピーターがよろよろと前に出る。それからかくかくと奇妙な動作で椅子に座り、帽子をかぶった。 息を呑んで待っているが、中々帽子は叫ばない。 ピーターの口が時々動いたが、なんといっているのかは聞き取れなかった。 そしてかぶってから一分もたった頃――。 「グリフィンドール!」 帽子が高々に叫んだ。 ピーターが真っ赤になる。 彼は急いで帽子を脱いで、転がるようにシリウスのもとへと駆けていった。 そんな様子を笑ってみていると、横からジェームズが話しかけてくる。 「次は僕の番だ。待ってるよ、アラシ。グリフィンドールのテーブルでね」 「あ、うん」 返事をした直後、マクゴナガル先生がジェームズを呼んだ。 「ポッター・ジェームズ!」 ジェームズは、ぽんとアラシの肩を叩いて椅子に向かった。 ずいぶんと落ち着いている。 まるで、グリフィンドールに入れるという保障があるかのようだ。 ジェームズが帽子かぶる。――帽子は、すぐに叫んだ。 「グリフィンドール!」 歓声をあげるグリフィンドールのテーブル。 アラシはほっと息をついた。 三人は同じ寮になった。 残るは自分だけだ。 ふと思い出して、上を見上げる。 天井ではなく、空が見えた。が、夜の冷気はない。 これも魔法だろうかと考えながら、視線を前に戻す。 「スネイプ・セブルス!」 次に呼ばれたのは、アラシが先ほどぶつかった黒髪の彼だった。 彼は、緊張した様子で帽子をかぶる。 こわばった表情で、じっと黙って座っていた。 そして、数秒後。 「スリザリン!」 わあっとスリザリンから歓声があがった。 黒髪の“スネイプ・セブルス”は、嬉しそうにスリザリンのテーブルに向かう。 やがて、残っているのはアラシを入れて五人だけになった。 次々と名前を呼ばれていくほかの人たちを見ながら、アラシは自分の番を待った。 そして、残るのはアラシだけ――。 「今年は、日本からの特別生徒が来ました」 マクゴナガル先生の言葉に、アラシは「へ」とマヌケな声を出した。 しかし先生は、そんなアラシなどいないかのように続ける。 「まだこちらの文化に慣れていないと思いますので、皆さん――特に、各寮の監督生! は、気をつけてあげてください」 アラシは顔が火照ってくるのを感じた。 何もそんなこと言わなくたっていいじゃないか。 それではまるで、何も知らない赤ん坊みたいだ。 先生を恨みがましく睨むと、マクゴナガル先生は怪訝にアラシを見返した。 そして、生徒達に視線を戻してきびきびと言う。 「では、彼の組み分けをします。――カンザキ・アラシ!」 「は、はいぃ!」 飛び上がって返事をすると、マクゴナガル先生が眉を寄せた。 「返事はしなくてよろしい。前に来なさい。ここに」 とんとんと椅子を叩く彼女に、アラシは小さく返事をして椅子に向かった。 笑い声が、生徒の席から聞こえる。 アラシは泣きそうになりながらも、なんとか帽子をかぶった。 ――君はどうして生まれたんだい? ―「名案が浮かんだ」 輝かんばかりのアイディアだった。 これを名案といわずしてなんと言うのだ。 ―「組み分けをすればいい。それぞれ自分の望む生徒を集めるんだ」 ―「なるほど。それはいいわね」 最初に賛成したのは、ロウェナだった。 彼女の隣で頷くヘルガに、にこりと微笑みかける。 ―「私は、勇気あるものを」 ―「じゃ、私は機智あるものを」 ―「サラザールは?」 優しい彼女は、いつだってフォローに回る。 呼ばれたサラザールは、むすりと言った。 ―「選ばれしものを」 すると、ヘルガはふわりと微笑んだ。 ―「私は、努力するものならば全てを」 ――その名のもとに生まれた帽子。世界一賢い古き帽子。 「これは驚いた!」 声ではたと我に返る。 まるで夢でも見ていた気分だった。 帽子は思っていたよりも深く、頭がすっぽりうまってしまう。 目の前は真っ暗だ。 そして、今の声は――。 「ゴドリックの生まれ変わりか!」 帽子だ。帽子が話している。 「ほかの創始たちはもうとっくに生まれ変わって何度もここにきたのに、お前さんだけこないから心配していた。元気か?」 アラシは「はい」と返事をした。 それから、小さく続ける。 「本当に俺は彼の……?」 帽子は笑い声のようなもの(笑い声だとアラシは思ったが、唸り声かもしれない)を出す。 「私が間違えるはずがない」 アラシは気の無い返事を返して、思考にふけった。 目の前が真っ黒というのは、考え事にもってこいの状況だ。 そして、よくよく考えてみれば、中々ありえないことなのだとアラシは気づいた。 ゴドリック・グリフィンドールは、魔法界の学校を作った人で、その学校でさっき見た沢山の生徒が学んでいる。 そしてその彼の生まれ変わりが――自分。 “あの人”の記憶が無ければ、自分自身信じはしないだろう。 しかし帽子を“彼”――いや、自分?――が創ったことも“覚えている”。 アラシは、確信を持って帽子に問いかけた。 「俺の入る寮は?」 「もちろん――」 帽子の声が、けたたましく響きわたる。 「グリフィンドール!」 次の瞬間、視界が元に戻る。 アラシはふらふらと立ち上がって、グリフィンドールのテーブルへ向かった。 ジェームズたちはどこにいるのかと、視線で探す。 すると、眼鏡の彼は手を大きく振ってアラシに微笑んでいた。 ほっとして、そちらに駆けていく。 ジェームズがとっておいてくれた席に座り、息をついた。 変な気分だった。 帽子は言った。 他の創始たち。つまり、ロウェナやヘルガ、そしてサラザールもみんな何度も生まれ変わっている。 ――でも、ゴドリックは……? 「おめでとう!」 いきなりの声に、アラシははたと顔を上げた。 校長だろう、白い髭を長く生やした老魔法使いが両手を広げている。 「入学、進級、共におめでとう! 闇の魔法の勢力が強くなって来ておるが、しかし、わしはホグワーツの安全を保障しよう。思う存分、学び、遊び、そして友との絆を深めたまえ!」 闇の魔法? 疑問に小首を傾げると、ジェームズが言った。 「最近、暗いんだ」 どうやら思ったことが、声に出ていたらしい。 ジェームズが眼鏡を押し上げる。 「何か良からぬことがおきようとしてる。闇の魔法使いでもかなりの力を持った魔法使いが、仲間を集めてるんだ」 ピーターもしきりに頷いて、顔をゆがめた。 「逆らうと、殺されちゃうって噂だよ」 「ホグワーツは安全だろ。さっき、ダンブルドアが言った」 怯えるピーターに、シリウスがばかにしたように言い放つ。 そして、彼らの会話はここまでだった。 校長の声で食器の上にご馳走が出てきたからだ。 驚きで目を丸くする新入生に対して、上級生は歓声を上げて食べ始める。 ワンテンポ遅れて、アラシがローストチキンに手を伸ばしたその時だった。 ジェームズが、ご馳走に手もつけずに言った。 「ちょっといいかな。僕、友達になりたい人がいるんだ」 アラシと、他の二人も動きを止める。 ジェームズはにこりと笑って、ちょっと先にいる少年を指差した。 同じグリフィンドールのテーブルだ。ご馳走を控えめに食べている。 「あの子に、駅のホームに入る前に会ってね。付き合ってくれない? 紹介したいし」 アラシはジェームズの指差す先を見て頷いた。 「いいよ」 「ぼ、僕も」 ピーターが賛同する。 シリウスが眉を寄せて溜息をついた。 「ジェームズの紹介なら」 ジェームズがありがとうと言いながら、席を立つ。 アラシ、ピーター、シリウスの順番に彼の後を追った。 ジェームズが、少年の肩を叩いた。 彼は、驚いた感じに振り向いた。ふわりと、やわらかそうな髪がなびく。綺麗なとび色だ。 まず、ジェームズがにこやかに言った。 「初めまして。僕はジェームズ・ポッター。駅で入り方を教えてあげたの、覚えてる?」 彼は一瞬驚いた顔のまま、頷いた。 ジェームズが笑顔を絶やさずに、後ろにいた三人を紹介する。 「こっちは、汽車の中で知り合った友達。奥から、シリウス・ブラックと、幼馴染のピーター・ぺティグリュー。あと、特別入学だっけ? のアラシ・カンザキ」 アラシは余計なこと言わなくていいから、とジェームズの腕を小突いた。 ジェームズがくすぐったいよ、とおもしろそうに笑う。 アラシは眉を寄せた。 「からかってる?」 「そうかな?」 くすくすと笑うジェームズにアラシは溜息をついて、とび色髪の彼に微笑みかけた。 「よろしくね。えっと……」 彼は慌てた様子で持っていたフォークを置き、そしてこちらに向き直った。 そして、目を細めて口を開く。 「リーマス・J・ルーピン。よろしく、アラシ」 言って、ピーター、シリウスと順に視線を移す。 「ピーター、シリウスもよろしくね」 「こちらこそ」 「ああ」 そしてリーマスは最後にジェームズを見た。 「あの時は助かったよ。改めてよろしく、ジェームズ」 「よろしく。僕ら、あっちで食べようと思うんだ。よかったら君も一緒にどう?」 ジェームズの言葉に、シリウスが小さく舌打ちするのが聞こえる。 小さく咎めるピーターの声も、その後に続いた。 アラシが眉を寄せるのと同時に、リーマスは困ったように笑う。 「でも、シリウスは一緒に食べたくないみたいだから……」 「大丈夫だって。悪い奴じゃない」 ジェームズが半ば無理やりリーマスの腕を引っ張り、彼を立ち上がらせた。 アラシはリーマスかシリウスのどっちかが機嫌を損ねるんじゃないかと、不安になった。 ピーターも同じなのだろう、しきりにシリウスを見たり、リーマスを見たりしている。 しかし、ジェームズは問答無用でリーマスを先ほどのテーブルへ引っ張っていき、座らせてしまった。 ここまでくるとさすがに彼も観念したのか、苦笑を浮かべながら大人しくそれに従う。 シリウスがそれを見て、顔をしかめるも、彼もそれ以上は何もしないし言わなかった。 そうして、五人は同じテーブルで歓迎会の食事にありつくことになったのである。 - 09 - しおりを挟む/目次(9) |