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今日はホグズミード行きの日だ。週末の楽しみ、下級生からは羨望の目で見送られる日。
そんな日を、なんと、わたしはホグワーツで最も有名と言っても過言ではない、スリザリンの貴公子トムと過ごしている。
もっとも、目の前にいるトムは机に頬杖をついて本をパラパラと本当に読んでいるのか疑わしくなるほどのスピードで読んでいるのだけれど。
「ねえ、ちょっとはホグズミードを楽しもうだとか、そんな気は無いわけ?」
わたしの声が少しばかり刺々しくなるのも、仕方ないことだと理解してほしい。かれこれ三時間以上、わたしたちはロスメルタの店でだべっている。会話を交わしたのは一言二言だけだ。
わたしのそんな不満にも、トムはどこ吹く風だ。本からちらりとも目を向けることなく、また一ページめくって答える。
「図書室で過ごそうとしていた僕を引っ張り出してこんな騒がしい場所に連れてきたのはいったい誰だ。休日をどう過ごそうが僕の勝手だろう」
すげない彼のセリフにわたしは目を回してきしむ椅子の背もたれに体を預けた。三杯目だったか四杯目だったか、はたまた五杯目かもしれないバタービールの泡はとうに消えてしまっている。彼は三冊目を手に取った。ふるめかしい装丁の中にどんな魔法が隠されているのかは知らないけれど、一応女の子であるわたしといるときにまで本に夢中なのはいかがなものなのか。
幼馴染――といっても、わたしの家の近くの孤児院にいたトムとは壁越しの付き合いだったけれど――である彼はわたし以外にはホグワーツきっての優等生で通っているくせに、そして毎週末彼の取り巻きである女の子たちのホグズミードに機嫌よく付き合ってやっているくせに、片手で数えられる程度しか一緒に来てくれていないわたしとのホグズミードはずっとこの店で過ごすつもりらしい。毎度毎度嫌々連れてこられている、という態度を崩しもせずに。
毎回今度こそは、と思うのに、その期待がかなったことがない。これがわたしと彼の関係性であり距離感なのは重々承知しているものの、ホグズミードというワクワク感に対してそれは見合っていないのではないだろうか。
わたしは特徴的である泡もなくなりぬるくなったバタービールを一息にあおると、荷物をまとめた。こうしているうちに帰らなければならない時間になりそうだ。
「トム、わたし同じ寮の下級生に頼まれたお菓子があるからちょっと買ってくるわね」
どうせずっとここにいるつもりでしょうから、待っててちょうだい、と続けようとした言葉を遮るように、トムがやっと口を開いた。
「あと一ページ」
「えっ?」
脈絡のない言葉がかけられたせいで、わたしは思わず聞き返した。
「あと一ページだから、待て」
少し不機嫌そうな声色だったけれど、わたしは彼の言葉に従うようにそろそろと腰を下ろした。彼は何でもないようにわたしを一瞥もせずお菓子を買いに行かせるだろうと思っていたのに、珍しいこともあるようだ。
そうしてトムはあっという間に一ページめくってそれにしおりを挟むと、彼の前に置かれたもう冷えているだろうコーヒーを全て流し込んでしまった。数冊の本をカバンにしまってさっさと立ち上がるトムを呆然と見上げているわたしに、トムは眉を寄せる。
「何をしてるんだ。行くんだろう」
その言葉でやっとわたしは我に返り、手に持っていたカバンを抱きしめてトムの後に続いた。
生徒たちでごった返すハニーデュークスに、トムはありえないほど不釣り合いに見える。
「外で待ってる」と短く言って出て行ってしまったトムは、ロスメルタの店で待っている方がよっぽどいいだろうにわたしについてくるなんてどんな心境の変化なのだろうか。わたしは下級生たちの分とは別にハッカ味の飴を買うと、トムの待つ外へと急いだ。
トムは取り巻きたちに見つかるのを嫌がり、人の少ない叫びの屋敷に近い森へと足早に歩いて行く。わたしはその背中を追うので精一杯だ。
森の近くにあるベンチに着くと、トムは魔法でベンチに落ちた葉を落とし、その上にハンカチを敷いてくれる。一応女の子だということはわかっているらしい。
「髪飾りの一つもつけないくせに、君は甘いものとなると見境がなくなる」
わたしが抱えた紙袋の大きさを呆れたように見ながらトムは言った。こうやって静かなところに来たというのに、トムが本を取り出す様子はない。それどころかわたしをいつまでも見つめてくるので、わたしは目の行き場もなく、秋にさしかかり茶色がかった葉がちらほらと落ちている地面を見つめるほかなかった。
そしてなんと、そんなわたしに対しトムはわたしの髪に手を伸ばして優しく撫で始めた。
「ど、どうしたのトム。熱でもあるの」
沈黙に耐えきれずわたしがどもりながらそう言うと、トムは柔らかく笑い混じりの吐息を吐き出した。
「何か理由がなければ君の髪に触れることもできないのか?」
いたずらっぽく囁く、こんな声をトムが出すなんて知らなかったせいで、わたしの頬は瞬く間に熱くなった。「そういうわけじゃないけど」と否定する声は尻すぼみに消えた。
「なまえのことを好きだからだ、と今僕が言ったらどうする?」
トムの言葉にわたしはぎょっとしてしまい思わず彼の顔を見上げると、彼はくすくすと笑っていた。わたしはからかわれたらしい。真っ赤になった顔を見られたことが悔しく、わたしは顔を覗き込んでくる彼の肩を力一杯押し返してやろうと手を伸ばしたものの、トムは飄々とそれを避けて立ち上がった。
「こういう風に出かけるのも悪くないな」
かばんを持ってそう言いながら歩き始めるトムの背中を追おうと立ち上がるわたしの頬を冷やすように、秋の訪れを感じさせる冷たい風が吹いていた。
甘くなくてもそれは罠です
みりん様、9000hitのキリ番リクエストありがとうございました!「リドル」と、「のんびり過ごす」というリクエストでした。お楽しみいただけると幸いです。