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飛行訓練後、ハリーが先生に連行されたという格好のネタと、身近なわたしが他でもないハリーを褒めたことに対する苛立ちで複雑そうにむくれていた――わたしからすれば、全くもって”くだらない”悩みだけれど――ドラコも、ある日を境にして機嫌をよくしていた。わたしはその場に立ち会わなかったけれど、きっと、ハリーたちを騙して夜中に呼び出したに違いない。よくそんなに卑怯なことが考えつくものだ。

しかしドラコの策略も、後々のことを考えればハリーの冒険のきっかけになるのだから、わたしがドラコを責めることでもない。

その日以来やけに上機嫌になったドラコはわたしがハリーを褒めたことも”不問”にすることにしたようだった。

「君は僕に何回言わせれば気がすむんだ。Wingardium Leviosa、簡単だろう」

授業が始まって早々、わたしに最大の難関が待ち受けていた。ドラコのこの呆れた声を、何度聞いたことか。

隣に座るドラコは、安定しないながらも少なくとも机からは、与えられた羽を浮かせている。それが指先がギリギリ入るかどうかの隙間しか空いていないにしろ。しかし、ドラコはその後何度目かで30センチほど浮かせることに成功した。

しかし、それに対してわたしはというと、からっきし羽は動こうとはしなかった。時折呪文を唱えた際に風が吹いたように五センチほど向こうに行くだけだ。ドラコ曰く、発音がてんでなっていないらしい。

「ウィンガーデぃアム・レビオーサ?」

「どうしてそう詰まった発音をする。Wingardium Leviosa」

……全然だめだ、とわたしは動きもしない羽を見下ろして愕然とした。わたしには全くセンスがない。魔法のスペルを唱えることへの。クラッブとゴイルのことは早々に諦め、わたしに集中することにしたのか、ドラコはわたしと顔を付き合わせて「Wingardium Leviosa」をひたすら口にすることにしたようだ。綴りは完璧に頭に入っているというのに、ネイティブな発音ができるかというとそれは別問題なのである。

くたくたになりながらもドラコの熱心な指導により、ドラコの半分ほどを浮かせた時点で、授業の終了を知らせるベルが鳴った。その途端、わたしは椅子に体を投げ出す。

「ナマエはまだ発音に”訛り”があるからな」

ドラコはわたしがなかなか上達しない理由を自分で納得したようにそう言うと、父上に手紙を送るからと先に教室を出て行った。クラッブとゴイルもそれにそそくさとついていく。フットワークが軽いことだ。

一方のわたしはというと、いつまでもぐだぐだと教室に残っていたものの、昼食を食べ逃すわけにもいかず、疲れた体に鞭を打って――体、というより腕と口――広間へと向かった。

そうして午後の授業もいつも通りこなし、ドラコと一緒に夕食へと向かうと、そこは――素晴らしく、豪華な飾り付けでいっぱいだった。そして、テーブルの上には金色のお皿にいっぱいのご馳走が並んでいる。

わたしは感動に目を輝かせたものの、そこで何気なくグリフィンドールのテーブルを見て、そこにハーマイオニーの姿がないことに気づいた時、わたしはやっと、今日が何の日かを思い出したのだ。

わたしは思わず先に座っていたドラコの肩をガシッとつかみ、ちょうどスープを口に運ぼうとしていた彼をこの上なく驚かせた。

「ドラコ、今日はハロウィーンよ」

わたしがあまりに神妙な顔をしていたからか、ドラコは顔を引きつらせながら、しかしきちんとスプーンを置いてわたしに向き直った。

「そんなにお菓子が欲しいのか?」

「ええ、あなたからはしこたまもらうつもり」

わたしはもう二ヶ月も一緒にいるせいで遠慮をする気にもなれないドラコの隣に座ると、チキンを見つめながら決心した。

一人で泣いているはずのハーマイオニーを慰めにいかなければ。

「ドラコ、わたし、ハロウィーンを”キャンセル”するわ」

「はあ?何を言ってるんだ」

わたしを呆れた目で見るドラコをその場に置いておくことにし、わたしは持てるだけのパンやケーキを両手に抱えると、女子用トイレへと向かった。

もうすでに、一応城のどこに何があるかはわかっているため――物語を知る身として、今のハリーたちよりよっぽど位置には詳しい――真っ直ぐにたどり着くと、そこではか細い泣き声が響いていた。間違いなく、ハーマイオニーの声だ。

わたしは少しばかり後悔した。もう少し早く来てあげられたらよかった。けれど、この場面がとても重要なのはわかっていたため、彼女を連れ出すわけにもいかない。しかし、少しくらい気分転換させてあげるくらいならいいだろう。

わたしは少し遠慮がちに、彼女がこもっているであろうドアをノックした。

「パチル……?ごめんなさい、今は一人にして欲しいの」

涙声でそういうハーマイオニーに、「わたしよ、ナマエ」と言うと、個室の中で驚いたように泣き声が一瞬止んだ。そうして、迷うように沈黙が訪れたものの、しばらくするとかちゃりという音とともに扉が開く。

「あなたが来るなんて、思ってなかったわ」

彼女は目も鼻も赤くしていた。ずっと泣いていたのだから仕方ない。わたしが手に抱えていたパンを差し出すと、ハーマイオニーは遠慮がちにそれをとって一口かじった。

「大広間ではハロウィーンで盛り上がってるでしょう、」

ハーマイオニーは気遣わしげに言った。わたしがそこから抜け出してここに来たことに対して気が引けているらしい。

「ここにあなたがいるって噂で聞いたら、居ても立っても居られなくて。わたしの一番最初の友達だもの」

わたしがそう言うと、ハーマイオニーはまた目をうるうるとさせてしまったので、わたしは慌てて「お腹空いてるでしょう、早く食べて」と彼女の口にパンを押し付けた。彼女にどうして泣いていたの、と尋ねるべきか迷ったけれど、もう理由は知っているのだし、ハーマイオニーもきっと自分で解決したいだろうから、何も言わないでおくことにした。

しばらくそこでたわいのないお話をし、「そろそろ寮に戻らなきゃね、」と言った時だった。顔をしかめるような悪臭が漂い始め、トイレの中の備品が小刻みに揺れている。

「ナマエ……!」

そして、わたしの前に立つハーマイオニーが驚愕に目を見開いてわたしの後ろを指差す。わたしが振り返ると、そこにはトロールが何を考えているのか読めない目をして立っていた。

わたしはトロールが来ると知っていたというのに、ハーマイオニーと同時に悲鳴をあげた。二人分のつんざくような悲鳴がトイレに響く。

そんなわたしたちに興味を抱いたのか、トロールは近づいて棍棒を振り回した。わたしたちはお互いを抱きしめ合うように身を縮めながらそれを避けることしかできない。

「「ハーマイオニー!」」

その時だった、”あの”二人の声がしたのは。わたしは助かった、と胸を撫で下ろしたものの、まだトロールという根本的な課題は解決していないことに気づき、震えるハーマイオニーの手を掴んで暴れるトロールから距離を取った。

ハリーとロンはわたしがいることに怪訝そうな表情を見せたものの、トロールに向かって勇敢に戦い、見事ノックダウンした。

わたしたちが安心したのもつかの間、「何てことを」という鋭い声で、一斉に振り返った。そこに立っているのはマクゴナガル先生だ。そしてそれに続いてスネイプ先生、クィレル先生が続く。

そうして、マクゴナガル先生のお説教が続き、わたしはしょんぼりと身を小さくしていた。マクゴナガル先生のことは大好きだけれど、怒るとこんなに怖いだなんて。しかもわたしの落ち込みに拍車をかけたのは、他でもないスネイプ先生だった。マクゴナガル先生がハリーたちを咎めるより先に、スネイプ先生はわたしを睨みつけながら厳しく言った。

「ミョウジ、私はスリザリン生たちに、監督生に続いて寮へと戻るようにと、そう言ったはずだが?なぜ君がここにいるのか、理由をお聞かせ願いたいものだ」

わたしはほとんど首根っこをつかまれたような心地がしながらも、「すみません…」と呟くように言う。しかし、ハリーの目がスネイプ先生の足元に向いていることに気づいたのか、その時ばかりはわたしに向ける鋭い目線を外してローブで足元を隠した。

結局、わたしはハーマイオニーに乗じてトロールを見に行ったと言い訳することになった。

「ミョウジはセブルス、あなたにお任せします」

そうマクゴナガル先生が言ったのを、言われなくともという顔をしながら受けたスネイプ先生は、付いて来るようにと手で合図してさっさと身を翻して行ってしまう。わたしはその後ろをとぼとぼと歩きながら、ここにいた生徒たちの中でいちばんに女子用トイレから出ることになった。

「先生…すみません…」

怒り心頭なことが背中だけで伝わって来る先生に向かってそう言うと、スネイプ先生は突然立ち止まって振り返った。

「君はああなると分かっていたのだろう」

それは、わたしがこの世界の展開を知っていると分かっている先生だからこその言葉だった。

「自分を万能だと、そう考えているのかね?何が起こっても、自分なら切り抜けられると?」

わたしの答えを待たずにそうまくしたてた先生の言葉はとても耳に痛かった。わたしは、無意識のうちにそう考えていたのかもしれない。助けが来るから、と、何も対策も立てずに。

「君は外から眺めるただの傍観者ではないのだ、ミョウジ。ホグワーツの一人の生徒として――この世界に生きることを選んだのは君だろう。なぜ危険に身を晒すようなことをした」

――君自身が死ぬことだって、当然あり得るのだぞ。

「わたし…全然、何も考えてませんでした」

わたしがほとんど震えながらそう言うと、先生は鼻を鳴らしてまた寮へ続く道へと歩き出す。わたしを送ってくれるつもりらしい。

しかし、わたしはやっと、先生が片足を引きずっていることに気づいた。わたしはその理由も知っている、フラッフィーから受けた傷だ。

「先生!」

わたしがそう後ろから先生を呼ぶと、先生はうんざりした顔で「なんだね」と振り返った。

「寮に戻る前に、今週分の報告をさせてください」

「君は反省という言葉を知らんのかね」

「先生のお言葉はごもっともです。最大級に反省しました。――でも、そのけが、お一人で手当てするのは大変でしょう」

わたしがそう言うと、スネイプ先生はバッと怪我をしている方の足を後ろに引いて見えないようにした。しかしすでに隠しても無駄だと思ったのか、それともわたしが知っていると言うことを思い出したのか、足を戻して「いらん世話を焼くな」とぼそりと呟く。

「先生、お願いです」

わたしが一歩先生に向かって近づくと、先生はわたしから離れるように一歩後ろに身を引いたけれど、しばらく逡巡するように沈黙して、そして「報告を聞くためだ」と先ほどと同じくぼそりと言い、先生は自室のドアを開けた。

毎週――先生が忙しい時はなくなったりしたので、まちまちだけれど――訪れている先生の部屋は、いつ来ても変わらず本が山積みになっている。あちらこちらに様々な道具が置いてあるので、それが何に使うのかわからないものの、わたしは来るたびにきょろきょろと見回してしまう。

「さっさと入らんか」

紳士らしくわたしを先に通した先生が、後ろからわたしを小突く。「すみません!」と言って中に慌てて入ると、先生は怪我をした足を引きずりながらそれに続いた。

もう先生の部屋のどこに薬品が置いてあるかは言われずとも知っていて、わたしは机の近くにある棚の中から切り傷に効く魔法薬を取り出して、ソファに座る先生の元へと駆け寄った。

「私の部屋を我が物顔で漁るとは」

スネイプ先生はそう嫌味混じりに言ったけれど、相当我慢していたのか傷を見下ろして歯を食いしばっている。自分で出来る、とわたしの手からその瓶を奪おうとしたものの、わたしが手を引いたのでそれは空振りに終わった。

「先生、染みるでしょうけれどちょっとだけ我慢してくださいね、すぐに塗りますから」

わたしがそう言いながら先生のローブをめくると、傷は思った以上に深く、先生の足は血だらけだった。まずは消毒しなければ、とわたしが持って来た小瓶の中から消毒するものをガーゼに染み込ませてそっと傷に当てると、先生は小さく呻き声を漏らした。

しかしもともと我慢強いのか、それとも生徒の前で情けない姿を見せまいというプライドなのか、そのあとは歯をくいしばるだけで何も声をあげなかった。相当痛いだろうに、とわたしは心配して顔色を伺ったけれど、すぐにそっぽを向かれてしまう。

「よし!出来ました!これで大丈夫だと思います。……痛みをなくす呪文を知っていたらよかったんですけど」

わたしが清潔な包帯を巻き終わると、「世話をかけたな」と先生に小さく言われた気がしたけれど、もしかしたら空耳だったかもしれない。

「先生、わたしの育った国では誰かが怪我した時にこうやって”手当て”するんです。早く治るように、ってお願いしながら。もしかしたらあれ、ちょっとした魔法かもしれませんね」

わたしは包帯でぐるぐる巻きになった先生の傷跡には触れないように、そっと手を当てた。痛いの痛いの飛んでいけ、は流石に言わなかったけれど。

先生はしばらくそれを眉間に深いしわを刻んだまま黙って見下ろしていたけれど、わたしが手を離すとすぐにローブを下ろして傷を隠した。

「もう遅い。君も寮に戻りたまえ」

そう言った先生の声は、存外穏やかだった。わたしは報告はまた今度にしようと考えながら、「安静にしてくださいね」と言葉を残して先生の部屋を後にする。

そうして、寮に戻る帰り道、血相を変えてわたしを叱った先生を思い出す。

冷たく見えるけれど、どこまでも誰かを思いやっている人だなあ、と、いつも仏頂面を浮かべている先生に想いを馳せた。

09 トロールとの戦い
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