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「ドラコ、どうしよう」

わたしは、寮に掲示された「お知らせ」を見上げて、震え声で言った。

――『飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンの合同授業です』

それが寮に貼られた途端、スリザリンの一年生たちは浮き足立った。彼らは大抵魔法界の生まれなので、すでに箒の経験があるのだった。途端にそれぞれの武勇伝を語り出す中、わたしはその場に固まっていた。

ドラコも例に漏れずヘリコプターを交わしたという長ったらしい自慢話を始めたけれど、わたしが全くといっていいほど耳に入っていないことに気づくと、呆れたように言う。

「ナマエ、もしかして箒に乗ったことがないのか?」

「ないわ。あるわけないじゃない」

間髪入れずにわたしが噛み付くように言うので、ドラコはどこか引き気味にたじたじとしながら「簡単さ、ナマエにも出来る」と言った。

「ドラコ、わたしきっと箒になんて乗れないわ」

わたしは人生の終わりのようにそう言うと、自慢話をやめて口を閉ざした――慰める言葉を探しているのかもしれない――ドラコをおいて、談話室を出た。今なら、『クィディッチ今昔』にかじりついたハーマイオニーの気持ちがよくわかる、と思ったところで、そうだ図書館に行こう!と思い立った。せめて、何かしらの知識を入れておくべきかもしれない。

わたしはほとんど駆け足で図書室に向かい、マダム・ピンスの前をそろそろ歩いて中に入った。

クィディッチ関連の本――あった。

そしてそこには、先客がいた。

「ハーマイオニー!」

わたしは囁き声の中で一番大きな声で、彼女の名前を呼んだ。マダム・ピンスに睨まれたくはないからだ。

顔をぴったりとくっつけるようにして本を読んでいたハーマイオニーはその声に振り返り、わたしと気づいたのかパッと表情を明るくした。「ナマエ!」と同じく囁き声で返しながら。

わたしはハーマイオニーの隣に座ると、彼女の読んでいる本を覗き込む。やっぱりだ。彼女の手の中には『クィディッチ今昔』があった。

ハーマイオニーは少し顔を赤らめると、同じくわたしがこの場所に来た意味を悟ったのか、口を開いた。

「もしかして…あなたもこれを?」

「そうなの。わたし、乗ったことどころか、箒で飛んでいるところすら見たことないから……。わたしはもう少し初心者向けの本を読むべきかもしれない、『箒の握り方』とか」

ハーマイオニーはわたしの言葉にうっかりくすくすと笑ってしまったものの、周りの目を気にして口をつぐんだ。

「わたしだって同じよ、見たことも触ったこともない。飛行訓練の時、あなたと一緒にやりたいわ――。心強いもの」

わたしはそれに大きく頷くと、ようやく、入学してから初めてハーマイオニーとゆっくり話す機会が取れたことに気づいた。それをハーマイオニーに言ってみると、彼女も違和感なく話していたことに気づき、「まるで昨日もたくさん話したみたい」とにこにこ笑いながら言った。

「スリザリンはどう?わたし、あなたはてっきりグリフィンドールだと思ったわ。あなたと同じ寮で過ごしたかったのに」

ハーマイオニーが心底残念そうに言うので、わたしも彼女と同じ部屋で眠ることがどれだけ楽しいかを想像して、その生活を惜しく感じてしまう。

「グリフィンドールとスリザリンは合同授業が多いからハーマイオニーとたくさん会えるのだけが救いね」

「きっとわたしたちだけよ、スリザリン生とグリフィンドール生でこういう風におしゃべりできるのは」

それからは、お互いの寮の愚痴――ロンとハリーがどれだけ無鉄砲か、ドラコの話の9割が自慢話なこと――で盛り上がった。しかしあんまり話が盛り上がるので、いつの間にか手の中の『クィディッチ今昔』を忘れてしまいつつ寮に戻らなければいけない時間になってしまった。

「あなたがスリザリンに行っても何も変わっていないことがわかって嬉しいわ。これからも仲良くしてね」

ハーマイオニーが別れ際にそんな風に可愛らしく照れながら言うので、わたしは思わず彼女の手を握った。

「もちろんよ!あなたはわたしの大事な友達だから」

ハーマイオニーはくすくす笑いながら、寮に戻っていった。わたしも、彼女が廊下の角を曲がるのを見届けてから寮へと足を向ける。

すると、廊下の角を曲がろうとした時だった。

わたしは小さく悲鳴をあげながら、突然現れた人の胸に思い切り飛び込んでしまう。消灯時間が近いので急いでいたせいで、周りを見ていなかったのだ。

「ご、ごめんなさい……」

わたしが慌てて離れながらそう言って見上げると、そこにいたのはセドリックだった。

「セドリック!」

「ナマエじゃないか」

わたしは思わず顔をほころばせてしまった。コンパートメントを一緒にした時から彼には親しみを感じていたからだ。

「僕の方こそごめん、クィディッチの練習が遅くなったから急いでて……でも、まだ時間はあるな」

セドリックはそう言うと、「ナマエはスリザリンに組み分けされてたね、寮まで送るよ」と紳士的に言った。わたしは申し訳ないからと一度断ったものの、「ナマエと話したいと思っていたんだ」と優しく言われてしまうと頑固に断ることもできなかった。わたしも、同じ気分だったからだ。

「実は……君がスリザリンに組み分けされた時、少し残念に思ったんだ。ハッフルパフに来たらいいと、そう思っていたから。それに、君はスリザリンというより、どちらかというとほかの寮の方があってるように感じていたし」

気を悪くしたらごめん、と付け加えるセドリックに、わたしは首を振った。

「わたしもスリザリンだけは無理だろうと思っていたんだけれど、入ると案外みんな優しくて安心してるの。でも、セドリックと同じ寮だったらとても楽しかったと思う」

――「それにさっき、ハーマイオニーにも同じこと言ってもらったの」と言うと、セドリックはくすくすと笑った。気が合いそうだ、なんて言いながら。

「もうクィディッチの選手に抜擢されてるのね」

「たまたまだよ」

わたしが彼の手にある箒を見つめながら言うと、セドリックは肩をすくめて謙遜した。

「わたし、木曜に飛行訓練があるの。とても不安で……。箒には乗ったことも触ったこともないから」

「飛んでいる自分をイメージするんだ、怖がったりせずに。もし時間があれば、ナマエを乗せて飛びたいところなんだけれど」

とりあえず触ってみるかい、とセドリックがわたしに彼の箒を差し出してくれたので、わたしは遠慮なくそれを受け取った。木がごつごつと隆起しているものの、その表面はなめらかだった。しかし、これで空を飛べるなんて、到底信じられない。

わたしがあまりに熱心に見つめていたので、セドリックがわたしを見てくすくす笑っていたことにしばらく気づかなかった。

「僕の箒に穴が空くかと思ったよ」

セドリックはそんなことを言って、思わず赤面したわたしから箒を受け取る。それからも箒の乗り方についてアドバイスをもらいながら、わたしたちは笑い声とともに廊下を歩いた。

「セドリック、もう時間だからここまでで大丈夫、本当にありがとう」

地下牢へと続く階段の前でわたしがそう言うと、もう時間がないことに気づいたのかセドリックは申し訳なさそうにしながらわたしに手を振った。ここまで来てくれただけでありがたいのに。

わたしは先ほどのハーマイオニーにしたのと同じく、彼の背中が見えなくなるまで見送ると、階段を降りていく。

掲示を見た時に感じていた不安は、不思議となくなっていた。それが、ハーマイオニーとセドリックのおかげであることは、言うまでもなかった。


木曜日の三時過ぎ、わたしはドラコに急かされるようにして校庭に出た。待ちきれないのか、ドラコはそわそわしている。それはほかのスリザリン生たちも同じなのか、校庭にすでに集まっているのはスリザリン生だけだった。

「ねえ、クラッブ、ゴイル、あなたたち箒に乗ったことはある?」

わたしがこそこそと彼らに聞くと、「もちろん」と同時に答えが返ってくる。すると後ろから、甲高い声がそれに被せるようにしてかかった。

「あら、ナマエ、もしかして箒に乗ったことがないの?」

高飛車なこの声の持ち主を、わたしは誰だか知っている。パンジー・パーキンソンだ。

わたしは渋々振り返った。女の子のことをこう称したくはないけれど、どことなくパグを思わせる顔だ。愛嬌のある顔ではあるけれど。

わたしは彼女が少しだけ苦手だった。ドラコと一緒にいるわたしのことが彼女は気に入らないようで、何かにつけて嫌味を言ってくるのだ。彼女以外のスリザリンの女子生徒とは概ねうまくいっているものの、パンジーだけはわたしを敵視している。

「ええ、ないわ」

わたしは他に答えようもなく、そう言った。すると、パンジーは小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、肩をすくめる。

「やっぱりあなたマグルなんじゃないの?」

わたしにとってその言葉は特に何の意味も持たなかったけれど、スリザリン生にとってはこの上ない侮辱らしい。わたしたちの様子を遠巻きにして見ていた生徒たちが少しだけざわついた。

「パーキンソン、スリザリンにマグル生まれが組み分けされることはない」

ドラコが見かねたのか、わたしたちの間に割って入ってそう言った。ドラコ、とても嬉しいけれど、パンジーにとっては余計火に油を注いでるんじゃないのだろうか――。わたしがそう思っていると、案の定パンジーは憤慨してわたしたちに背を向けた。パンジーは、ドラコに関心を持たれたいのだ。ドラコがちょっと彼女の肩を持ったとしても、わたしは気にしなかったのに。

けれど、本来差別主義でカチコチであろうドラコが、こういう場面でかばってくれるというのは、きっと貴重なことだ。

「ドラコ、ありがとう」

わたしが心からそういうと、ドラコは鼻を鳴らしてそれに応えた。

そうしているうちに、グリフィンドール生たちが続々とやってきた。そんな彼らに、マダム・フーチが檄を飛ばす。

彼らの集団の中に少し青ざめて見えるハーマイオニーを見つけて、わたしは小さく手を振った。やはり、グリフィンドール生とスリザリン生は別々に固まっているので、一緒に受けることは難しそうだ。しかしわたしに気づくと、少しこわばった笑顔を向けて同じく手を振ってくれた。

マダム・フーチの説明の後、校庭には一年生たちの「上がれ!」という声が響いていた。

隣のドラコは難なく箒を手の中に収めたらしく、誇らしげな表情を浮かべている。

わたしは一旦目を閉じ、セドリックの言葉を思い出す。『怖がらずに』、飛んでいるところをイメージする。空を飛ぶのは、とても気持ちが良さそうだった。うつくしい風景を見下ろすことも。

わたしはゆっくりと目を開くと、箒に向かって手を伸ばし「上がれ!」と声を上げた。

途端に、箒がある場所を見つけたようにわたしの手の中に飛び込んでくる。「やった!」というわたしの声に、ドラコが「出来るじゃないか!」という声を同時に重ねたので、彼がわたしの様子を見守ってくれていたことに気づいた。ドラコは少し気恥ずかしげに自分のいた場所に戻ったけれど、わたしはにこにこと彼をみつめていた。

しかしそのあとは散々だった。

ネビルが箒から落ちると、水を得た魚のようにドラコが彼をからかい始めた。

「ドラコ、やめなさいよ」

わたしがそう咎めてもどこ吹く風だ。パンジーや、そのほかのスリザリン生もドラコに乗じて野次を飛ばし始める。こういう時の結束ばかりが目立つから、スリザリンの印象が悪くなるのに。

そしてとうとうハリーとの空中でのやり取りが始まってしまう。

けれどそこからは、ドラコを止めなければというよりハリーの操縦術に夢中になってしまい、ほとんど口を開けて空を見つめていた。

ハリーが「思い出し玉」をキャッチした時、わたしは思わず「すごいわ!ハリー!」と歓声を上げてしまった。周りの生徒たちがわたしを振り返ったことに気も止めず。しかし、わたしはハリーと一切関わりがないことに気づき、ぱっと口に手をやった。ハリーには聞こえてないか、もしくは他のグリフィンドール生と思われたのか怪訝な顔をしている様子がないことが救いだった。

そうして、ドラコは地上に降りてマクゴナガル先生に連行されるハリーを嘲笑いながらも、わたしに詰め寄った。

「他でもないポッターに入れ込むなんて、君には失望したぞ!」

そう言いながら箒を芝生に投げ出すドラコに対し、わたしは肩をすくめるしかない。

「だってわたし、あんなの初めて見たもの」

わたしが悪びれる様子もないことに余計腹を立てたのか、ドラコは「僕がクィディッチ選手になったらポッターなんて比じゃないことを教えてやる!」と言いながらクラッブとゴイルを連れてさっさと城に戻ってしまった。

しかし後日彼は知ることになるのだ。彼より先に、ハリーがクィディッチ選手に抜擢されることを。

その時はちょっぴり優しくしてあげよう、と決意しながら、わたしはこちらの様子を伺っていたハーマイオニーへと駆け寄った。

08 飛行訓練

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