▼ ▲ ▼

ハリーはたちまち噂の的になった。

比較的ハリーに対して好印象を持っていないであろうスリザリンの生徒も、ハリーの姿を見ようと爪先立ちになったり、わざわざ振り向いてその姿を探していたりする。

「馬鹿馬鹿しい。あの傷跡が何だっていうんだ」

マルフォイはそれが気にくわないようだった。マルフォイ家の長男として鳴り物入りで入学したはずが、注目されているのは常に、彼の申し出――高飛車に友人になることを求めた、アレだ――を断ったハリーなのだから。小さなマルフォイのプライドは大いに傷つけられたらしい。

「マルフォイ、ハリーにこだわりすぎよ。あなたは十分優秀だって先生にいつも褒められてるじゃない。勉強に目を向けたら?」

「いつもポッターをかばうんだな、君は。君もポッターに熱を上げているのか?…それに、ドラコと呼べといったはずだ」

ぷんすか怒っているマルフォイ――もとい、ドラコは怒りの矛先をわたしに向けることにしたらしい。怒りというより、それは可愛らしい注文というべきかもしれないけれど。

しかし、散々マルフォイマルフォイと心の中で呼んでいたせいで、気をぬくとついそう呼んでしまう。わたしが間違いなくファースト・ネームで呼べるのは、ハリー、ハーマイオニー、ロンを始めとしたグリフィンドールの面々だけだろう。

「はいはい、ドラコ坊っちゃま、次はどこの教室なの?」

「馬鹿にしてるだろう。……次は魔法薬学だ。やっとまともな授業が受けられる」

ドラコはスネイプ先生を尊敬しているらしく、教科書を胸に抱いて少し早足になった。今は同い年の姿をしているにしても、中身はドラコよりずいぶん年上なのだ、わたしは。ドラコのそんな姿が可愛くて仕方ない。

寮監とはいえ頻繁に顔を合わせるわけでもなく、夕食の広間で前に座っているのを見るくらいしかスネイプ先生と会う――というより、一方的に眺める――機会がなかったため、わたしにとってもこの魔法薬学の時間は心躍るものだった。ハリーにとっては、きっと真逆だろうけれど。まだきちんと顔すら合わせていないこの物語の主人公に同情しながら、わたしはドラコを小走りに追いかけた。

教室に着くと、すでに大半が席に座っていた。まだ先生は来ていないらしく、教室はざわついている。グリフィンドールの生徒たちは、スネイプ先生の噂を聞いているのかどこか恐々としていた。

ちょうど向かいの席にハーマイオニーが座っていたので、わたしは小さく手を振った。すると、ハーマイオニーも気づいたのか可愛らしい笑顔を浮かべてくれる。もし出来れば、ハーマイオニーとペアを組めたらいいのだけれど…。

すると、授業の始まりとともに先生が黒いローブを翻して教室に入ってきた。その目は、まっすぐハリーに向けられている。あからさまな敵意を浮かべながら。

そうして、物語の通りに、先生は出席を取る際ハリーのところで一度口をつぐみ――「我らの新しいスターだね」と嫌味を言った。隣に座るマルフォイたちが嘲笑うのに対し、わたしはその変わらなさに少し吹き出してしまう。わたしの笑いの種類がマルフォイたちと別だということに気づいたのか、先生はわたしを一度じろりと一瞥した。わたしはそんな先生に対して、悪気はないですという意味を込めて両手を広げて肩をすくめた。

「ポッター!」

出席を取り終わると唐突に先生がそうハリーを指名したので、そうなるとわかっていたわたしでさえ飛び上がるほど驚いてしまった。

そうして、先生は予想通りの質問をハリーにぶつける。ハーマイオニーが限界まで手を挙げていようと、おかまいなしだ。ハリーは上手に言い返したけれど、「座りなさい」とで済まされたハーマイオニーが可哀想で、わたしは手を挙げた。隣に座るドラコがやめろ、とわたしを制止しようとしたけれど、わたしに気づいていない先生に「先生」と声もかける。

「なんだね、ミョウジ」

先生は嫌そうに振り返った。もしかしたら、わたしが”ハリーいじめ”をたしなめようとしていると思ったのかもしれない。けれど、一応わたしもスリザリン生なので無視するわけにはいかないのだ。先生の目には、わたしが一を言ったら十返してやる、という決意が見えた。

「アスフォデルとニガヨモギを合わせると、確か『生ける屍の水薬』が出来ます。そして、モンヌスフードとウルフスベーンは同じ植物であり、トリカブトのことですよね」

わたしが先生を見つめながら言うと、先生はとてつもなく嫌そうだけれど、「君に答えるよう指示した覚えはないが、その通りだ」と言った。

「それと、ベアゾール石なんですが、記述を読んだはずなのにど忘れしてしまいました。ハーマイオニー、どこを探せばいいんだっけ」

「山羊の胃よ、ナマエ。そしてそのベアゾール石は、大抵の毒への解毒剤になります」

ハーマイオニーは知識を披露する場が設けられたことに活き活きとして立ち上がった。しかし、スネイプ先生の表情を見ると、その勢いは途端にしぼんでしまった。

「グレンジャー、座りなさい。ミョウジ、私はこの授業で指名をする権利を持つのは私だと、そう自認していたが?」

「すみません先生、友人と教え合うのも勉学の一環だと思って」

「言い訳は結構」、とぴしゃりと先生は言った。だいぶ怒らせているという自覚はあったので、わたしはドラコの隣で小さくなる。

「馬鹿だな、あんなやつを庇うなんて。黙っていればよかったものを」

ドラコが囁いてくるので、「だってこの場面が大好きなんだもの」としおれた声で言う。彼はきっと、わたしがニガヨモギオタクか何かなのだと勘違いしているだろう。

「なぜ今の答えをノートに書きとらんのだ?」

先生がそう言うなり、いっせいに羽ペンと羊皮紙を取り出す音がした。しかし、先生はわたしへの怒りでハリーを減点するのを忘れたようだった。そのあと、ネビルの失敗を見過ごしただなんてほとんど言いがかりのような理由で、きちんとグリフィンドールの点を減らしたことは言うまでもないが。

ドラコはハリーたちが理不尽に怒られているのを見て、この上なく愉快そうだった。「ナマエ、このあと談話室で父上がたんまり送ってきたお菓子を君に分けてやろう」と上機嫌でいうくらいには。わたしが先ほどハーマイオニーを庇ったことを忘れてしまったようだ。

しかし、そんなドラコの申し出に頷く前に、わたしは鋭い声で名前を呼ばれた。他でもない先生だ。わたしはなんとなく予想していたものの、実際そうなるとしでかしてしまったことへの先生の怒りは恐ろしく感じ、身を縮めた。

「ミョウジ、授業が終わった後君は教室に残りなさい」

「スネイプ先生、ミョウジはつい何でも口にしてしまう癖がありますが罰則を与えるほどでは…」

ドラコが珍しく良心的なご注進をしてくれようとしたけれど、それは先生の手の一振りでなかったことにされてしまった。それを聞いていたハーマイオニーが心配そうな目を向けてくれたけれど、わたしはドラコと先生に見えないように小さく手を振る。「大丈夫だよ」と伝わっているといいけれど。

他の授業では、終わったあともしばらくだらだらと教室に残り続ける生徒がいることもあるけれど、スネイプ先生の授業では別だった。終わった途端、そそくさと、まるで蜘蛛の子を散らすように教室からは誰もいなくなる。ドラコは「談話室で待っているからな」という言葉を残して、彼の取り巻きを連れて去っていった。

「呼ばれた理由はわかっているでしょうな」

「授業妨害です……」

わたしが尻すぼみにそう言うと、先生は鼻を鳴らした。しかしそれ以上何も言わないことにしたようで、さっさと授業の片付けを始める。わたしがどうすればいいかわからずその場に立ち尽くしていると、「何をしている。減点の代わりだ、手伝いたまえ」とこちらを見向きもせずに言った。

夏休みの間に、すでに大方の道具のしまう場所は頭に入っていたため、しばらく無言で片付けをしていた。片付けをしながら、時折こっそりと先生の方を伺う。先生からの疑いの目はきっとまだ、というより、ずっと晴れないだろう。彼は人を疑い、信用しないことでダブルスパイと言う重役を背負ってきたのだろうから。しかし、なんとなくわたしという存在に慣れてくれてはいるようだ、と感じていた。

「先程から私をちらちらと盗み見て、一体何が目的かね」

そうしているうちに、先生がそう呆れたような声で言った。わたしのほうを見てすらいないのに。もしかして、アラスター・ムーディの魔法の目を持っているだとか?と疑ってしまう程度には、わたしは驚いて飛び上がった。

「この教室には貴重な薬品やそれらの材料が多々ある。もし盗みなどしたら…」

「絶対にないです!大丈夫ですから!」

わたしが慌ててそう叫ぶと、ちょうど棚の整理ひと段落ついたようで先生がやっとこちらへと体を向ける。わたしの言葉が本当かどうか確かめるように、穴が空くほどじっと見つめられたので、わたしはいたたまれなくなって身を寄せた。人を無言で見つめるなんて、普通なら気まずくて出来ないのに先生はその辺が全くもって無頓着だ。

しかし、わたしが降参の印に両手をあげると、ローブを翻して教室の扉へとつかつかと歩いた。そうして杖を振り、わたしの近くにあったあかりのみを残して全て消してしまうと、

「何をモタモタしている。さっさと出なさい」

と察しが悪いと言わんばかりの顔で言った。わたしに非があるとは思えないのだけれど…と抗議したい気持ちを抑えて慌てて先生に駆け寄る。

「確か一年生の金曜の時間割はこれで終わりだったな」

先生は最後の一つの明かりを消してしまうと、唐突にそう言った。はい、とわたしが何気なく答えると、「付いて来い」と短い言葉を残してどこにいくかも告げずに歩き始めてしまう。本当に、読めない人だ。しかし他に予定もないことだし――ドラコだって、言葉の通りわたしを待っていることなどないだろう――素直に先生の後ろを歩いた。

先生が足を止めたのは、真っ黒な扉の前だ。光の差さない地下の中でも、ここはいっとう薄暗く感じた。

「入りたまえ」

何のためらいもなく扉を開けたスネイプ先生に倣ってドアをくぐると、そこは一面が本に囲まれた書斎のような部屋だ。

「もしかして…先生の私室ですか」

「不満かね、私の部屋では」

わたしが好奇心と感激を含んだ声でそうたずねると、ほとんど間髪入れず先生から返事が返ってくる。不満なんてことありえない。ここはとても――。

「素敵です…」

所狭しと並べられた魔法薬学、そして闇の魔術に対する防衛術に関しての学術書、もしかしたらここは図書室より、この分野に関する、いわゆる”ディープ”な本が並んでいるのではないだろうか。わたしはしばらく顔を輝かせながら部屋を見回していたけれど、それがとても不躾だったことに気づいて「すみません…」と居住まいを正した。

先生はそんなわたしを「おかしなやつだ」と一言で切り捨てて、真ん中のテーブルにカップを呼び寄せる。それも、二つ分。

「先生、もしかしてこれは…ティータイムのお誘いでしたか」

わたしはほとんど感極まった声でそう言った。しかしわたしの感激など知ったことではない先生は、

「一週間分の報告を聞かねばなるまい」

と、あくまでお遊びではないということを忠告した。

わたしは学校が始まる前、ダンブルドアにひとつだけ”約束”を取り付けられていた。それが、今スネイプ先生に呼び出された内容である。

事情を知る――あくまでそれは、小説としての知識だけれど――わたしの視点から、もし何かおかしなことがあれば報告をするように、と。それはつまり、わたしというイレギュラーが飛び込んだことで、何かしらの変化が起こった場合それに対応せねばならないということだった。

確かに、わたしが来たこと自体は小さな変化だったとしても、何かの拍子に将来的に致命的な改変が行われてしまうかもしれない。『気を張らず、日々あったことを話して聞かせてくれるだけでよい』といつもの好々爺然とした笑顔で言われたけれど、緻密に計画を立てている人だから、それは当然のことに思えた。

しかし、その報告の相手がスネイプ先生だなんて。てっきり、校長室に呼び出されるものだと思っていた。

そのスネイプ先生はというと、不本意だという表情を浮かべながらもすでにわたしの分のカップが置かれた側の向かいに座って紅茶を飲んでいる。

「先生……、わざわざこんな場を設けていただいたのに申し訳ないんですけど、わたしこの一週間ただはしゃいでいただけで特別なことは何もなかったんです……」

わたしが遠慮がちにソファへ座りながらそう言うと、先生はカップをテーブルに置きながら片方の眉をあげた。

「知っている。ミネルバから、君の組み分けが済んだ後から、変身術の授業後まで、逐一行動をまくしたてられているものでね」

「そ、それって……」

もしや、あまりに出来がひどいので愚痴を言われているのでは、と戦々恐々としたけれど、先生の口から出たのは拍子抜けな言葉だった。

「君はミネルバをすでに懐柔しているようだな。自分の寮にミョウジを獲得したかったと、耳にタコができるほど聞いた」

苦々しげにそう言う先生は、自分だけは騙されないぞと言わんばかりの顔をしている。

「わたし、本当に発音がダメで変身術もなかなかうまくいかなかったのに……。うれしいです」

わたしがそう言うと、先生は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。そのまま二人して紅茶を飲み始めて沈黙が続いたので、わたしのカップはいつの間にかからになってしまった。しかし、先生との間に訪れる沈黙は気まずいものではなかった。

「今回はこれだけでいい。暗くなる前に寮に戻りなさい」

先生が杖の一振りでカップを片付けたので、わたしは自分の荷物をまとめて立ち上がった。そして、紅茶のお礼とともに「失礼しました」とドアに手をかけた時、わたしの背中に向かって先生が言った。

「クィレル教授に注意を払え。彼が君からどう見えるか、来週、同じ時間に報告しにくるように」

ぼそりと呟くように言った言葉に、わたしが思わず振り向くと、先生はもうこちらを向いてすらいなかった。

クィレル教授に関することより、今は来週の約束が取り付けられたことに胸が踊っていた。先生にとっては余計な仕事が増えて面倒だろうけれど。

地下牢の廊下を歩くわたしの足取りは軽かったけれど、寮に着くなり「僕を待たせてこんなに遅くまでどこに行っていた!」とドラコに叱られることを、わたしはまだ知らない。

07 魔法薬学
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -