宮崎雛佳は手元の紙をあたかも親の仇かの如く睨みつけていた。
放課後、生徒会室。
それだけの文字が、彼にとってはまるで恐ろしい呪文のように見える。時計を確認すれば時刻はすでに六時である。本日の業務終了時刻から二時間は経過していた。
行きたくない。
でもまだ待っているかもしれない。
行きたくない。
待ちぼうけにしたら可哀想。
でも行きたくない。
宮崎は手元の紙を睨みつけながら唸る。そんな彼を周りの教師陣が和やかに見つめていた。教師陣の中で一番年若い彼は職員室内では孫のような扱いを受けている。初老の教師が宮崎に近づき件の紙を見る。彼は可笑しそうに笑った。
「ああ、生徒に呼び出されたのかい?」
「!」
肩を大げさに揺らし振り向いた宮崎は慌てて紙を握りつぶし背中に隠す。
「きょ、きょきょ、きょうむしゅにん…!」
「この時間だともう帰ってしまっているかもしれないが、念のため行った方がいいかもしれないね。」
「わ、わかってます!い、いま!いま、丁度行こうとしていたところでありまして…!決してすっぽかしてしまおうとか考えていたわけではなくて…!」
「ははは。わかったから早く行っておいで。」
ぽん、と叩かれた方に宮崎は勢いよく走りだした。その勢いのまま階段を駆け上がり生徒会室まで突っ走る。彼の一番の取柄は端的に言えば若さであった。異常な持久力で最上階まで上り詰めた宮崎は恐る恐ると言った体で生徒会室の扉を開く。中は暗い。光は消えているようだった。
もう帰ってくれたのだろうか?
宮崎は首を傾げる。慎重に室内を三度ほど見まわし、誰もいない事を確認したうえで、彼はようやく安堵に息をついた。扉を閉め、足取り軽く背を向ける。
―――――――大きな音を立て扉が開き、闇の向こうに引きずり込まれた。
驚愕と恐怖に息が止まる。抱きこむように身体を拘束され大きく後ろに倒れる。弾力性のある柔らかな『なにか』の上に放り投げられ、不意に硬いものが背中にぶつかり、痛みに呻く。闇の中で柔らかなブラウンが微かな光を放つ。
「先生。俺、随分待ったよ。」
「―――鷹、宮、」
「ひどいなぁ。俺の事、無視して帰っちゃうつもりだったんでしょう。」
なんで。どうして。
声にならない疑問が胸を幾度もよぎる。中を確かめた時には確かにいなかったはずなのに。
「ど、どこに…。」
「ずっとここに。先生が迎えに来てくれるの、奥の部屋で待ってたんだ。ドアが開いた音がしたから、やっと来てくれたのかと思ったけど、先生電気もつけずに帰ろうとするんだもん。」
電気くらい、自分でつけろ。宮崎は胸で毒づく。
ぬっと暗闇から伸びた白い手が宮崎の肩を撫でた。
鷹宮が心底残念そうな声で言う。
「ひどいなあ。ひどいよ。ひどいよね?先生。そういうのって、ひどいよ、すごくね。」
鼻先に息が触れる。宮崎は細く息を漏らした。
不意に気配が離れ、部屋が一気に赤くなる。視界が急激な風景の変化についていけず、点滅を繰り返す。わざとらしく足音を立てて歩く鷹宮がソファに横たわる宮崎の横に腰かける。
「ねえ、今日、俺がどうして先生を呼んだかわかる?」
「……転校生、の、こと、だろう?」
「うん。そう。偉いね、先生。ちゃんとわかって。」
頭を撫でる手の感触に宮崎は顔を顰める。馬鹿にされているような、事実馬鹿にされている状況に胸糞悪くなった。
鷹宮は常日頃麗しいと誉めたたえられる顔を美しく笑みの形へと変える。
「俺ね、今日、先生の代わりに、転校生を迎えに行ったでしょう?」
躊躇いがちに宮崎が顎を引く。
青年の顔からごっそりと装飾が抜け落ちた。宮崎がぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばる。大きな打撃音を立て宮崎が床に叩きつけられた。
暫くの空白の後、荒い息が室内に響き、鷹宮が下品に舌を鳴らす。宮崎はつまった唾液と滲む血液に咳き込んでいた。宮崎に馬乗りになり胸元を持ち上げたままの鷹宮が、大きく息を吐く。
「ねえ、どうして俺に迷惑をかけるの?なんで良い子にしてられないかなあ。雛はそんなにダメな子なの?俺に頼らないとなんにもできない?」
「…っ」
「………何首ふってんの。そうでしょ。できないんだよ。雛は俺がいないとなんにもできないの。生きていけないの。だから今日だって俺を頼ったんだ。」
「ち、が、ちが、」
「俺にあんなどうでもいい仕事をさせたお仕置きだよ、雛。」
ぼたり、と宮崎の大きな黒い瞳から水滴がこぼれる。大粒のそれは襟を掴む鷹宮の手の甲に跳ね返り、水飛沫が飛び散った。
頬を赤く腫れさせ、恐怖に身を縮まらせながらも首を左右に動かす宮崎を、歳の離れた弟を見るような目で見つめ、鷹宮は殊更優しげな声で囁いた。
「雛。」
「…?」
「お前はいつから俺に口答えできるほど偉くなったの。」
引きちぎられたシャツの前に、弾け飛んだボタンが床にぶつかり跳ねていく。押し返すように抵抗する宮崎をものともせず鷹宮は彼の下肢を露わにし、外気に触れた閉じ切ったままの蕾に棚の上に置いてあった花瓶の水を掛ける。降りかかった花弁と水の冷たさに、宮崎の悲鳴が上がった。
「や、やだ、やめ、や、…――っっ!!」
のけぞった衝撃で白い喉が突きだされる。開き切ってしまった涙腺から、際限なく涙が溢れてくる。鷹宮は無表情にそれを見つめ、無理やりに埋めた陰茎を、さらに奥へとすすめた。小刻みに揺れ、張り詰めた琴糸の様に伸ばされた宮崎の足が、忙しなく床を叩く。滴る水に薄められた、裂傷から流れる血液が寛げられた鷹宮のズボンの前を汚した。縋るように伸ばされた宮崎の手を背中にまわし、青年は愉悦に塗れた暗い頬笑みを洩らした。
「雛の中、すごく熱いよ。それにビクビク動いてる。」
「―――!った、い、痛い、痛い…!」
「痛い?どうして?ああ…ここから血が出てるからかな?」
「―――――――っっっ!!??」
裂けた部分に親指の爪を立てられ、余りの痛みに宮崎が声無く叫ぶ。飛び散った涙が空気中に幾粒もの弾となって消える。
この上なく楽しそうに喉を鳴らしながら鷹宮が腰を動かし始めた。
「あー、可愛い。雛は本当に可愛いねぇ…。」
「た、か、んーっああっ!!たかみやぁあっ!」
「晴樹って呼んでよ、雛。」
「んー、いた、痛い、痛い、痛いぃっ、は、る、はる、はるき、痛いっ…!」
「嘘つき。勃起してるくせに。」
一瞬にして宮崎の頬が紅潮する。鷹宮の肩口に顔を埋めるようにして顔を隠し、覗き込むように己の下肢を確認した彼は、泣きそうな声で痛い、と呟く。鷹宮は楽しそうに笑った。
縁をなぞるように、傷を労りながら腰を大きくグラインドさせ、鷹宮は宮崎の汗で張り付いた前髪を指先で払った。
快感にか、痛みにか、浅く息を繰り返し大粒の涙を溢れさせる宮崎の悦楽は、未だ終わる気配を見せてはいなかった。
大きすぎる緊張と疲労に気を失い、凌辱された身体を清められ規則的な寝息を立てる宮崎の頬を、穏やかな動きで鷹宮が撫でる。奥のドアに寄りかかった影が、そんな動きを露骨に嘲笑った。
「なんだい?…帝。」
声を掛けられ、赤い髪の男が片手をあげた。
「いいや。お前も随分なキチガイ野郎だと思ってよ。」
「はあ?他人のセックスを最初から最後までがっつり覗いてる奴が言えるセリフかい、それ。」
「俺が見てたのはお前らのセックスじゃなくて、かーわいい、雛ちゃんだ。あーあぁ、可哀想に。あんなに泣いてたのに止めてもらえないなんてなぁ。」
少しも憐れんでなどいない声音で優しく語りかける帝に、鷹宮が不快そうに片眉を跳ねさせた。
「駅の女子トイレで雛を強姦するような男に言われたくありませんね。」
「…なんで知ってんだ?」
「雛の日記を少々。」
宮崎を丁寧に抱きあげ、ソファに腰掛けた帝は興味深そうに鼻を鳴らす。
「ほお。何が書いてあった?」
「俺達の悪口ばっかり。会長は鬼畜で人でなしの最低やろう。俺はロクデナシのレイプ魔。会計は変態色狂い。所々涙で滲んでて見にくい事この上なかったですけどね。」
「当たってんじゃねえか!おもしれえ。」
帝が愉快そうに肩を揺らすと、抱かれていた宮崎が眉を寄せぐずる。幼子をあやすように頬にキスをおとし、帝は満足そうに笑った。
「で、俺ら以外の野郎の事は書かれてなかったんだな?」
「――――気になった名前は、幾つか。」
二人の目の色が変わる。探るような目つきで鷹宮を見つめた帝は、淡々と先を促した。鷹宮は複雑そうな表情で口を開く。
「日村一哉、工藤流、あとは…」
「あとは?」
躊躇うような間のあと、宮崎の力の抜けた右手を握った鷹宮が答えた。
「―――桐壷。」
帝が訝しげに眉を潜める。
「桐壷?」
「ええ。日記が始まった時から、ずっと、毎日一行、必ず『桐壷』に関しての文が書かれているんです。」
「誰かのあだ名か?それとも、全く別の人ではない何かか?」
「わかりません。」
温もりを求めるように、宮崎が帝の胸板に頭をすりつけた。宥めるように彼の頭を撫でながら、帝は思案する。
「それが、雛にとってどんな存在かはわかるのか。」
「どんな?」
馬鹿にしたかのような響きで鷹宮が返した。
「ああ。俺達はその『桐壷』とやらを消さなければならないか?」
「いいえ。きっと、その必要は。それよりも警戒すべきは前に名前を挙げた二人ですし、どちらかをとるなら確実に『工藤流』です。」
「それはまた、何故だ?」
薄く、誰も気付けないほどに薄く宮崎の瞼が開く。
鷹宮の声が、静かな夜の校舎に反響した。
「『工藤が守ってくれるから大丈夫。』半年前の日記から、何度も書かれていた言葉ですよ。」
「ほう。…それは、とても興味深いな。」
感心したふうな帝の声。
一回だけの短い瞬きの後、宮崎は誰にも気づかれないまま、ゆっくりとまた意識を手放した。