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短い手足の届く世界はとても狭くって、だからこそ世界は無限に思えた頃の。










子どもとも呼べない程に自分が酷く小さくて、周りの何もかもが大きかった頃の思いが、ふいに蘇ることがあるのだ。


一体何がどうなってそう信じたのやら首を捻りたくなる不可思議だけれど、長いこと自分は漆黒を溶いた夜空の上には晴れた空があるのだと思っていた。
星は夜空に空いた窓だと、そこから青空の眩しく光る太陽がチラチラとこちらを見下ろしているんだと。
満月(ぽかりと一際大きく夜を切り取る、)を見るや機嫌が好くなる子どもだったと何度も笑い話として繰り返された。夜の間も眩しい青空の光を拝めるのはその一番大きな窓のおかげと言い張って、にこにこと見上げていたと。

満月は今でも好きだ。月と言えば、くるりと輪を描くあの姿しか思い浮かばない。
今は仮にも月を厭うべき身だけども、それでも。見上げた空に白くまんまるの月を見つければ、胸に些細な幸せが湧く。

其処には兎の住むと言ったのは父だったように記憶している。かぐや姫の故郷だとも聞いた。夫を裏切った細君が蝦蟇と化したまま住むのだとか、誰かの耳が痛みそうな寓話めいた神話まで。
何の知識も持たぬ頃に初めて見上げた月そのものなのか、それとも後付けの心象なのか、巨大な丸く白い月は己の奥深くにしっとり浮かんで沈まない。

あんまり綺麗に丸い姿はなるほど、夜に小窓の内から灯りを掲げられたみたいに明るくくっきりとし過ぎていて、場違いなくらいだ。
それにしても。

考えてみれば伏せたものやら杯の形やら、満ち欠けを繰り返すあれは円と呼べない姿の方が多い筈であるのに。
そうしたことは一切構わなかった幼い自分が面映ゆい。
無知で無邪気で未熟な生き物は見たいものしか見ないのだろう。





彼のように頭のよい人に話せばきっと莫迦にされると思っていたのに、久々知くんはただ吃驚した顔で「そんなこと思いもしなかったな」と呟いていた。
「子どもの時分から、またすごいことを考えるもんだ」と言われて何と返していいのか分からず、東からみるみる忍び寄る夜空を見上げる白い横顔をぼんやり眺めた。

その子どもが今ここにいて、彼にこんなことを言ってもらえて。
そうしたら何と返すんだろう。

残念ながら自分はもう彼の感嘆を引き出した子どもではないから、分からない。徒に歳を重ねたかつての子どもは、夜空と青空の正しい関係も知ってしまった。


泥む夕暮れを追い立てるよう皓々と白く輝き始める灯に「綺麗だなぁ」と呟く低い声は、ほとんどが息に紛れていた。独り言と流してもいいくらいの静けさだったけど、思いは一緒だったから「本当に」ってただ頷く。

彼からも自分の制服からもほんのりと火薬の匂いがした。手指には胼胝と、不自然に硬くなった面がいくつか。今こうしてる間にもどこかで戦火が上がり誰かが泣いているのかもしれない。幾つもの村が城が国があって、人が生きている。山の向こうにも、海の向こうにも。知ることで手足の届く範囲は広がりその分世界は狭くなった。少しだけ残念、それでも世界は魅惑的。


「久々知くんに会えてよかったなぁ」って吐息に紛れて言ってみたら、彼は霞むみたいに笑って「そうか」と言った。
夜空はもう山の端までを覆い隠して、細々と小さな星を光らせていた。










天体の運行について











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