Main | ナノ
※現代










一緒に暮らし始めた当初はここまで酷くはなかったよなぁ。
久々知兵助は出勤前の朝、クソ忙しい時間帯、何もかも忘れて一瞬遠い目になった。

随分と前の話だから記憶は当てにはならない。欠点だって魅力に写る程盲目的に熱を上げていた頃の話だから本当に当てにならない。
記憶の網を手繰り寄せて情報の確実性を探ったところで目の前の現実が変わるわけでもない。
帰る家をここに定め、寝起きを始めた頃がふと懐かしく脳裏を過ぎる。

「なんだろな、これは」

どこに置く気だ、まったく。

独り言を聞くのは玄関にしっかり己のポジションを確保している流木と思しき枝の大群だけだ。
その内もう玄関を潜らなければ遅刻する事実に気付き慌てて革靴に足を突っ込んだ。


これらを運んできたのだろう家主は、今は健やかに睡眠に浸っている。細い体躯でエレベーターもないこのアパートの三階までどうやって上がって来られたのやら、その情熱に兵助は盛大に呆れた。

玄関の狭苦しい空間で窮屈そうに壁に凭れかかる大ぶりの枝は水に洗われたのか滑らかな表面と落ち着きのある色合いをしていて、すんなりと伸びた形は音楽家か棋士の指を思わせた。
しかし出勤時間の迫る会社員にとってはただの障害物でしかない。
黙して道を譲ろうとしない流木群は、もう少し兵助が大柄か短慮であったなら蹴倒してもおかしくない嵩を誇っていた。

外に置いとけよなと愚痴りながら外へ出たらそこにも当たり前とばかりに積まれていて、あまりの光景に兵助は再度呆れた。
ご近所から苦情が来たら全て三郎に押し付けようと固く決意し、階段を降りる。



三郎はよくものを拾う。
それらを使ってオブジェやら看板やらをつくり、卸して日銭を稼いでいるのだから、それは仕事の一環と言える。

彼は兵助にも理解が及ぶ綺麗なものからゴミとしか認識できないものまで様々に雑多な物を拾い、部屋に持ち帰る。破損した電子機器のIC板、剪定で落とされた枝、錆の浮いた一斗缶、塗装の剥げた看板、束ねられた段ボール、形の歪なケーキの焼き型。


三郎も兵助もかつては学生だった。学生といえば金がない。必然として六畳一間の茅屋であった三郎の部屋は常に混沌としており、ひとときは横になる隙間さえなかったのだ。寝返りを打てば本の塔を蹴倒し腕を伸ばせば壁に寄せてあるコンパネ材が倒れてくる。狭苦しいそこに男二人が身を置くにはには抱き合うように過ごすしかなくて、でもそれがよかった。


昔は、同居人がいつどこで何をしているのかが直ぐに分かる距離にいられた。金もなければ車もなくて、ドライブの代わりに近所をぷらぷらと歩いて三郎の気に入るものを一緒に探し一緒に持ち帰った。

一緒に暮らすようになって、卒業を機に引っ越したのはそう古いことではない。
それなのに随分と開いてしまった距離感を寂しく思う一方で、言っても詮無いことと自分を奮い立たせる。三郎がどう思っているのか、顔を合わせる夜中の一瞬だけでは判断できない。
こういう時子どもがいれば二人の間は何か違ったのかなんてそれこそどうしようもないことを考える自分とは違うだろう、それを確かめるのが怖かった。






「先輩、夜寝てますか?」

「? うん。昨日もぐっすり」

首を捻って覗き込む後輩に心持ち身を引いて笑う。気のおけない間柄の距離感は心地よく、仕事の緊張が柔らかく緩んだ。返答に納得のいかない顔をして「何か顔が疲れてる」と言い募るお向かいさんを放って凝った肩をほぐすように伸びをした。そろそろ昼時だ。

「腹減ったなぁ」

「よし。今日は豚足いきますか」

「イヤだ。そんなギトギトなもん」

「違いますぷるぷるです」

会話は多少不毛なくらいが癒しの効果があるなぁなどと考えながら、三郎は今頃起き出しているだろうかと思った。



学生時代は金はなくても余裕があった。時間を徒に消費する技術にかけては三郎の右に出るものはなく、暇だと感じた連中はいつの間にか彼を囲んで一緒に馬鹿なことをやっていた。
それなりに洒落にならない事態になったこともあるが、振り返ればすぐそこにあるのは楽しかった思い出ばかりだ。

その内みんなやりたいことを見つけやらなきゃいけないことを追いかけ、忙しくなっていった。そんな中兵助が三郎の傍で三郎のやりたいことを眺める光景は当たり前になっていった。



そういえば最近眺めてないなあと駅からの帰り道を一人歩きながら思う。

自分のことばかりに追われていて、三郎が今どこの誰に仕事を受けているのかそんな話さえしてないことに気が付いた。何をつくっているのかも知らない。仕事ぶりを見ることも知ることもしてない。
疲れて帰って寝るだけで、食事を共にすることも随分としていない。
いつの間にか変わっていった日常は、自分が抵抗すれば変わらないままそこにあったのかもしれない。

寂しい思いをさせただろうか。

ポンと浮かんだそんな思いに空恐ろしくなった。
飼い主に置いていかれた犬のような、構ってもらえない猫のような、そんな連想にあの男が重ねられようとした暴挙にふるりと寒気がしたもので。
寂しいのは自分なのかもしれない。我が事なのによく分からない。

ただ無性に尽くしてやりたい気持ちになった。
こんな時男は女に花を贈ったりするんだろう。

自分たちの間柄ではお寒いばかりと笑おうとしたが、相手が相手だから全て押し花にして真空保存しそうな気もして苦笑いになる。

ちょうど季節は2月も半ばに差し掛かる。
フォンダンショコラが大層お気に入りな同居人を想い、少し遠回りして帰ることにした。










From Your Valentine










140209
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -