外壁が素っ頓狂な黄緑色(茹でたアスパラガスの色に酷似している)に塗られた二階建てのアパート目指して、入り組んだ裏路地をすたすた踏んでいく。
メールを入れる前から多分自宅だろうなと当たりをつけていた。卒論指導を残すのみとなったこの時期だから、ゼミ室にいないならここだろう。鍵のかかっていないことは知っている。勧誘とか来たらどうするんだろうと常々思っているけれど、勘右衛門ならどうにかするだろうとそう兵助は漠然とした確信を持っている。
「おじゃまします」
「おー。兵助」
重くてひんやりしているノブを回して白っぽい灰色の扉を引いた。
寝癖も直していない家主が「いいとこ来たよ」と笑み崩れる。首を傾げた兵助に対し玄関入ってすぐの足元を指差して応えた。無造作に置かれた段ボール箱には一杯の野菜が、詰め物代わりのくしゃくしゃになった新聞紙に見え隠れしていた。
「わ……すごいな。実家から?」
「うん。食う?」
ちょうど水洗いを済ませたところらしい、ザルから赤々と丸いトマトをすくい上げた手がそのままぽんと手渡してくる。艶々した表面は水を弾いていかにも美味そうだった。
ザルを置いてかぶりつく勘右衛門にならいその場で噛みつく兵助の口内に酸味と甘味と水分が一気に広がる。じゅうと吸い上げて太陽の恵みを味わった。溢れ出た汁も種も予想を越えて多く、慌てて袖を捲り上げて裂けた赤色に歯をたてる兵助を早々と食べ終えた勘右衛門はじっと眺めた。
「……見られると何か食いにくいんだけど」
「ああごめん。なんか、変わらないなぁと思って」
何だそれと言いたげな表情を見て、勘右衛門が「いや今だから言うけどさ」と口を滑らせた。
「俺最初兵助のこと苦手だったんだよね」
「え、そうなの?」
少なからず受けた衝撃と驚き、でも大して表情の変わらない兵助に困り顔で笑いかけつつ「だって」と勘右衛門が二の句を次いだ。
こっちだって県外から来て心細い中でさ、ネタ振っても返してくんないし共通の話題が講義くらいだし取っ付きにくかったんだもん。そんでキツい課題も兵助はさらっとこなしていい評価受けてたじゃん。嫉妬っていうか対抗意識もあってさ。
「なんか素直に仲良くしようって思えなかったんだよなぁ」
「へえ……」
しゃくしゃくと口内に残ったトマトの皮を咀嚼しながら考える。「でも今は大好きだよ!」と熱く主張する勘右衛門そっちのけで考える。
確かに他人と積極的に交流を試みるには、兵助のコミュニケーション能力は厳しいものがある。ノリが悪いという自覚もある。
けれど話が合う合わないは人それぞれ仕方のないことだし芸人じゃないから笑いをとろうとも思わないし、あと評価に対してはそれ相応の時間と労力をかけて取り組んだ成果だった。苦労してないねと言われたみたいで腹が立つ。
(でも)
後ろめたさに繋がるだろう自分のいやな面を素直に認めて口に出せる勘右衛門の人間性はとても好ましい。だからここまで接近できたんだろう……とそんなことを考える兵助は、そういう分析的なところも人を寄せ付けない雰囲気に繋がっているとまでは考えない。
「……で、何で人がトマト食ってるの見てそんなこと思い出したの」
「えー! 覚えてないの?」
大仰に反応した勘右衛門に「全然」と返してヘタの部分を口から出した。実は綺麗さっぱり胃に消えている。勝手にもう一つのトマトを選び出して食べ始めた図々しさを勘右衛門は気にも留めない。こうした遠慮のない距離に嬉しさを感じているくらいだ。
「一年生の夏休みにも野菜お裾分けに学科に持って来たじゃん」
「うん」
「そこでも兵助トマト選んでたの覚えてる?」
「うわそれは覚えてない」
でもそうだったかもと記憶の網をたぐる相手に頓着せず勘右衛門は爆弾を落とした。
「兵助の食べ方がそりゃもうへったくそで子どもみたいで、あ〜久々知兵助も人間なんだなあって実感したその日は俺の中で兵助記念日」
その瞬間、兵助はトマトを上手かつ上品に食べられるようになってこれ見よがしに勘右衛門に見せ付けるという雪辱を胸に密かに修行を積む決意を固めた。(シーズンにはトマトを箱買いする姿が目撃されている)
彼は知らないままでいる。
不器用さが実は西瓜やら蜜柑やら蔬菜全般に対して発揮されていること、またそれに対して勘右衛門が密かに「かわいいなあ」という感想を抱いていることを、彼が知るのは随分先の話なのだ。
お気楽人間学
130122