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好むと好まざるに依らず、ひとはものを思う存在である。










「失礼します」


張りのある落ち着いた声を聞いて、遅れてスラリと開いた引き戸に目を遣る。照り返した煌めきにぶつかったのだろう薄い瞼が引き攣れるように震えた。

「……っ」

「ああ、兵助。直ぐに済むから」

部屋に満ちる丁字油の香り。息を吸い込めば鼻腔に届く砥の粉の匂い。
抜き身の白刃を翳していた腕を少し下ろして声をかける。
ほんの一時言葉をなくした少年はすぐに我に返り戸を引いた。乾いた音を残して部屋は再び剥き出しの陽光から遠ざかる。

「お時間、宜しかったでしょうか」

「ああ、勿論。もっと早く済む予定だったんだが。久しぶりだから手間取ってしまってね」

「そうでしたか」


気を回したのだろう、兵助は胸元から手拭いを取り出し口元に当てた。既に手入れの終わった刀に息がかかっては錆のもとだ。
日々その身を晒して生き物を断つ刀には無用の気遣いに、学園内の平穏さを改めて思い知らされる。

古油を掻き取られ、新たに斑なく油を引かれ直した刀身は冴え冴えと美しい。鋼に緩やかに刻まれた刃文を二人して無言で見つめる。名の知られた刀工の手によらずとも、相応の労力をかけられ刀匠の精魂を吸い取った金属の面は力強く、見る者を黙らせる迫力があった。
冷ややかな美しさだと思う。

そこに目前の少年を重ねていたのだと本当のことを告げたら、戯れと解されるのだろうか。


「少し、驚いたのです」

「うん? 何に」

「先生に、抜き身の刀は似合わないと思ってしまって」

端座した兵助は妙に硬い表情で、そう告げた。そうして「おかしな話ですけれど」と慌てたように早口で付け足した彼の目元が朱を帯びているのを、何処か醒めた心持ちで眺める自分がいる。
彼の内に在る私はどんなにか聖人君子なのだろう。
沸き起こったのは自嘲と微かなもどかしさだった。


「そうか……」

「すみません、変なことを」

「いや」

言葉少なに応えて柄に茎を填め込む。キン、と篭もった音が小さく響いてそれきり会話は途絶えた。

白々と光の跳ねる刃はおよそ見飽きる所を知らない。つい時間を忘れて茫としてしまう。そのものの魅力もさることながら、しかしやはり虚像の方に原因がある。今は目の前で実像を結んでいるが。

左手に鞘を構え感覚だけで切っ先を合わせる。扱い慣れた武具類は全て体の一部も等しい。カチンと内に振動を伝える鈍い噛み合わせの音を聞いて、彼は伏せていた目を上げた。

「研ぎもしてやらねばいけないんだがな。というより教えてやらねばいかんのだが……うん。兵助は、もう刃物の研ぎは慣れたもんだろう」

「はい。なべて研ぎが出来なければ鋼の意味がないと一番初めに教わりましたから」

上がった視線を絡め取ってから口を開く。思わず遠い目になりながらも目前の上級生に話を振れば、歯切れよく明瞭な音で応えが返ってくる。


「不純物を除いた鋼は強い。ただそれだけでは意外なくらい脆いんだ」

「はい」

「折れず曲がらずそれでいてよく切れる。全てを成立させるには単一の鋼だけでは難しい」

「軟らかな鉄を硬い鉄でくるむんですね」

「そう。それに焼きを入れて更に硬度を調整する。別々の性質のものを併せ持つことでこの打刀は強くなる」

そして漸く鋼は本来の、否、それ以上の力を奮える。鍛えられ吹き上がる炎に焼かれ、その表面には美しい刃文を浮かせて硬く鋭い刃を振るう。
所々擦り切れた柄巻を撫で、視線を逃がした。自分から捕らえた筈の目線は真っ直ぐで強くて、それなのにどこか脆く感じるのはこれは個人的な感傷なんだろうか。
心は躊躇していたのに口は滑らかに動いて心情を零す。


「私は、純粋な鋼みたいな子どもを知っているよ」

「……は、」

白なら白、黒なら黒としか見ない。
一本気に正義を信じて疚しさを認めない。
己の中の疚しさを認めない彼は他人の疚しさにも等しく徹底した拒絶を貫くだろう。
混じり気の一切が排除された精神はいっそ崇高なまでに美しいけれど、同じくらいに危うい。
自身に認め難いことも醜いものも受け入れられればもっと。



「……容易く生きられると?」

「容易いとは言わないよ。でも、そうだなぁ」

思わず苦笑して見遣れば、張り詰めていた大きな瞳が少し緩んだ気がした。
生きることが容易いなんてとても言えない。けれど、しぶとくなれるのには違いない。曲がらない硬度の高さは一定の値にきたら確実に折れ失われてしまう儚いものだ。折れてしまうくらいならば曲がった方がまだましだ。

ただ欲を言えば、曲がらぬ強さを持ったまま、衝撃を受け止め吸収できる柔軟さを得て欲しい。
実体験から学び取った真理でもあり、叶えて欲しい願望でもある。
低めた声は独り言の域だった。

「早くここまでおいで」

「……」



きちんと膝の上に置かれた両の手は何かを堪えるように握り込まれていた。
伏せられた目元も頬も未だに血を透かして赤い。

幾度でも打ち据えられて研がれて、もっとしたたかに狡猾になるといい。それでもまだその想いを持っていられたなら、それから私の所へおいで。
そうして叶うならば、私から剥離したものでなく生身の姿を認めて欲しい。
今ならきっと撥ね除けられてしまうことも、かわせずに折れてしまうことも、その時ならば呑み込めると信じるから。



季節柄、太陽の位置が低い。
日は部屋へ長く射し込んでくる。
奥まで伸びた格子の影に黄昏の近さを思った。和紙を透過して和らいだ光は部屋に拡散して空気を山吹色に染め、逆光ならまだしも満遍なく照らされた室内では私の顔色も隠しようがない。

居心地の悪い、けれど決して苦痛ではない沈黙が暫く落ちて互いに呼吸すら意識して控えた。
平静を取り戻す糸口に兵助が本来訪ねた用件を切り出すよりも、私が水を向けるよりも、待ちあぐねた後輩を代表した伊助が廊下をやって来る方が先だった。





















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