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「ひっ、ひきょうだぞ!」

 退治人がありったけの思いで睨みつけようが、涙目では迫力があろうはずもなく、対する影は薄く笑うのみ。生殺与奪はこの手にあると知らしめるように、ゆったりと指先を蠢かせる。お前だって男のくせに! 気合いだけなら絶叫だった。実際には震え声にしかならず、それでも発言の意図するところは過たず相手に伝わった。すなわち、反則だ、掟破りだ、許されざる悪行だ。断末魔めいたその糾弾をドラルクはいよいよ鼻先で笑い飛ばす。

 生まれてこの方ロナルドにとって、それは同じ痛みを共有し得ない異性のみが振るえる禁じ手だった。男性同士ならば決して破られることのない暗黙の了解。そんな、この世の絶対と信じていた不文律があっさりと反故にされた瞬間受けた衝撃は世界が崩壊するにも等しいもので、それは実力派である退治人を機能停止に追い込むのにも十分な威力を発揮した。
 この裏切り者! てめえなんざ人間じゃねえ!
 口を開こうもんならへろへろの悲鳴が漏れそうだったため、ギリギリと歯を食いしばりつつ心の中で恨み節を炸裂させるロナルド。しかし残念なことに全くその通り、今対峙しているのは人ではない。

 心身ともに拘束され、抵抗はおろか、結局制止らしきものさえ覚束なかったのもむべなるかな。あれよあれよと剥かれ、いよいよ抵抗どころでない状況に陥った。





 遡ることほんのちょっと。
 遠目にはゴシック調のシルエット。近付けば分かるロマネスク様式を取り入れたその造りは、いかにも吸血鬼の暮らす城に相応しい。周辺住民、マスコミ、その他大勢の愛読者などなどの集まる期待を一身に背負い、退治人ロナルドは靴音高くその根城へと踏み込んだ。扉を開けばその目と鼻の先、待ち構えていたかのごとく目指すべき影はそこにいた。見た目からしてもうビンゴ。迷わず指を突きつけて叫ぶ。

「吸血鬼ドラルク! 今日がてめぇの命日だ!」
「あ、人違いです」
「さぁこの俺と……」
「人違いです」
「この俺と勝負しやがれ!」
「……さては君、応用利かないタイプだな」


 バーンと扉を開いた先の玄関ホール。高い天井にはシャンデリア。吹き抜け構造のだだっ広い空間を背にして、丁度出掛ける用事でもあったのか。扉の真ん前に立って、ちょっとびっくりしたように目を見開いていた黒尽くめの痩躯と対峙しながら、ロナルドはキリッとした表情のままダラダラと冷や汗をかいた。

 話が違うじゃねえか。何で無敵の吸血鬼の城に別の人(?)が住んでんだよ。おいコレ情報提供者呼んだ方がいい? 面通しお願いする? え、一旦帰んなきゃダメ? 外の人たちに何て言おう。マスコミもいんのに。ついさっき大見得きって乗り込んだのに速攻でとことこ戻ってくんの、壮絶にカッコ悪くね?
 ややとっ散らかりながらも高速で回転する頭脳は、奇跡的に海馬から状況を打破するひとつの光景を弾き出した。たった今取り込んだものである。

「いやちょっと待て。確かに『ドラルク』ってポストに書いてあったぞ」
「ああ。ドラルクは私だ」
「何だよ違ってねえじゃん! はいほら退治人だぞ! 潔く勝負しやがれ!」
「話を最後まで聞け。吸血鬼じゃないんだ、私は」
「……は?」

 ウソだろ。無敵の吸血鬼って触れ込みだったぞ。裏取ったぞ。いやニュースソース周辺住民数人だけど。いやいやだってそんないかにも吸血鬼でございみたいな格好しといて? ぞろぞろのマントに白黒映画に出てきそうなお衣装着てて?

「てめぇ……いい加減にしろよ。適当こいて追い返そうって腹かよ」
「落ち着け。今の君、チャイムも押さずにいきなり人んち入って来た不法侵入者だぞ? 通報しようか?」
「あっすみません」

 一瞬で落ち着いた。ロナルドは何より風評に弱かったので。





「つまり何だね。その自伝小説に活かすため、記念すべき退治千体目に、無敵と名高い吸血鬼を選んだと」
「そうだ。適度にピンチに陥った俺が起死回生の一撃で退治達成! みたいな。そんな冒険譚を期待してファンが新刊待ってんだよ。なのにこんな……信じられるかよ」

 クールダウンしたロナルドが著作の宣伝も混じえつつ切々と状況を語って聞かせると、ドラルクには違いないらしい細身の男は少し考え込むような顔をした。退治人ロナルド様ね。自分で自分に様とか付ける奴は要注意だよね。あまり表情を変えないものの、内心、壮絶に面倒臭いことになったと頭を抱えている。残念なことに、期待に応えられるような恐ろしい吸血鬼は真実不在なのだった。どうにか納得してもらうしかない。嫌々ながら、説得に専念する肚を決めた。

「あーホラ、ちょっと牙を見てご覧よ。穴もないし、腺とかそういう仕組みがないの分かるから」
「ふざけんな。んな見え見えの罠に引っかかるかよ」
「は? ああ、騙し打ちなんてしないよ……もう、面倒臭いなぁ」

 いかにも億劫そうにため息をついて、空いていた距離を無造作に詰めてくる。闇に溶けそうなマントを割っても、内側までなお黒尽くめ。ホールドアップのつもりだろうか、ロナルドの目の前で細い両腕を開いて見せる。

「ほら。銃でも剣でも、君の安心できる武器を構えてていいから」

 確認して、諦めて、早く帰ってくれ。
 帰ってくれ、の「れ」と同時に、退治人の構えるリボルバーのグリップをちょんとつっついた。そのあまりに無警戒な態度と面倒そうな物言いにカチンときたロナルドが「馬鹿にしてんのか」と言い返そうと口を開いたその瞬間、バッサァと人体ひとり分の塵が盛大にぶちまけられる。最後に積み重なった部分からサラ……と塵の流れる微かな音。あとは、耳が痛いくらいの静寂。

「え」

 えっ。
 死んだ?
 何か勝手に死にやがった。
 え、どうすんの、これどうすんの?
 あまりに何もかもが想定外の現状で、トドメとばかりに起こった事態に二の句も継げず固まった。異様に長く思えた空白の数瞬。幸いなことに、そう間を置かず塵はざわりと元の形を取り戻し「あっよかった」と何だかちょっと安堵してしまったロナルドである。

「あーびっくりした。そこ銀なの?」
「おいぃ! てめぇやっぱ吸血鬼じゃねえか!」

 グリップに施された装飾部分に触れて死んだ暫定吸血鬼はすっかり再生して、今更ながら警戒心を取り戻したらしい。やや遠巻きにロナルドの手元を眺めている。
 何だよこいつ。銀で死んで塵になるなら、吸血鬼でいいだろが。でもどうしようクッソ雑魚。コントじゃねえんだぞ。自爆する吸血鬼とか、退治譚になりようがねえ。あれこれどっちにしても俺詰んだ?
 マイワールドに沈んだロナルドを呼び覚まそうと、おーいおーいと白手袋が振られる。

「ほら。見てよ」
「何をだよ!」
「牙だよ」

 こんな稀代のクソ雑魚、警戒するのもアホらしい。ロナルドは何だか捨て鉢な気持ちになりながら、あ、と晒された口内を覗き込む。辺り一帯薄暗い上に見たいものは牙の裏。どうにも見辛くて、ガッと頬を押さえて強引に上向ければ、相手は「あが」って呻いてまた死にそうになっていた。どれだけまじまじ観察しても、ちょっと尖り過ぎな気がするけどちょろりと見える八重歯がチャーミングだね、くらいの、ただの犬歯。通常吸血鬼ならば、尖ったその先には注射針のような穴が確認できるのだが。

「…………マジで何もねえ」

 呆然と呟くロナルドから距離をとり「ね?」と吸血鬼もどき。乱暴な扱いに痛めたらしい首筋を撫でながら「納得してくれたかなぁ」と相手の様子を窺っているが、ロナルドはそれどころではない。
 えっ。
 マジでどうすんだよコレ。
 〆切まで日がないんだぞ。
 ここで絶対ネタ拾えるからって、退治決まった時点でちょっと余裕ぶっこいてダラダラしちゃったバチが当たったのか?

「……何だかお困りみたいだけど、私にはどうにもできないので」

 お帰りはあちらです。やけに優雅な手付きで今さっき自分が開け放った扉を示され「出口なんざ分かっとるわ」とロナルドはブチ切れた。

「ふざっけんなよ。吸血鬼じゃないならてめえは一体何だってんだ?」
「あ、それはねー……私も随分調べたんだけど、実はよく分からないんだよね」
「ああ?」

 吸血鬼っぽいのに吸血鬼じゃないらしい何かが物憂げに語る。Uターンして出て行ってほしかったんだけどなぁと内心がっくりしながら、全開にされていた扉を閉めた。開けっ放しにしないでよねと文句をつける。
 背丈はロナルドと同程度はあるだろう。ただし、全身を包めるだけのたっぷりとしたマントで分かり辛いが、覆われたその身は妙に薄い。端的に言って貧相。顔貌は更に極端で、肉をヘラでごっそり削ぎ落としたかのような造形は不健康の一言に尽きる。陰影の濃く落ちる眼窩。隈。高いがやけに細っこい鼻。痩けた頬。尖った耳まで薄っぺらい。それでも引きで見てみれば、その佇まいはいかにも、世間に流通する吸血鬼像のお手本そのものずばりなのだ。塵にだって還るわけで。

「いやどっからどう見てもそれもんな格好して何言ってんだ。牙、黒マント、オールバック。役満だろ。てめえ、やっぱその場しのぎのフカシこいてんじゃ……」
「待て待て。牙の造りも見ただろう。説明するから落ち着け」



 両親は吸血鬼だから、私もてっきり吸血鬼だと思ってたんだけど、どうも様子がおかしくてね。まず牙だよ。大人になったらちゃんとした牙になるよだなんて、そんな優しい嘘に結構大きくなるまでしがみついてたな……

「えっお前親いんの」
「木の股から発生したとでも?」
「いやお前何か老け顔だし、親がいるとかいう意識がなかった」
「失礼過ぎる。人外には何言ってもいいとか思ってんの、退治人の悪いとこだよ」

 とにかく。血が吸えない。血が美味しく感じないし、腺がない。当然相手に何にも打ち込めない。能力らしい能力もない。でも日光、銀、ニンニク、全部ダメだし、流れ水の上渡れない。死んだら塵になるけど再生はする。何だかね。多分、生まれた時が割ときな臭い時代だったから、人間いなくても生きていけるような進化しちゃったんじゃないかな。結構究極のエコ生物だと思うんだよね。

「いやどう聞いても劣化版だろ」
「さっきから君ね。ひとの話、お口を閉じて聞けんのか?」
「血が吸えないなら何食ってんの。草?」
「会話をしなさいよ。でもまあ、当たりだ」
「草食動物かよ。胃が4個あんの?」
「そういうのじゃない!」

 精気を吸うんだ! 本体じゃなくて!
 暫定草食動物の大層悪かった顔色が、若干血の気を帯びている。コイツは怒らせるくらいが健康的で丁度いいみたいだな、なんて、もう一周回りきって冷静になってしまったロナルドは無意識に他ごとを考え始める。俗に言う現実逃避であった。

「そんなわけでね。このくらい郊外だと草木には困らないし。庭でバラとかも育ててるし。割と自給自足で悠々自適なのだよ。人を襲ったりなんかしない。無害な生き物さ」
「……何でそんなバラ園のお城が無敵の吸血鬼の根城とか噂されんだよ」
「そこはそれ、情報操作というか」

 ご覧の通りすぐ死んじゃうから、退治人とか怖くって。無敵の看板提げとけば勝手に畏怖してそっとしておいてくれるかなって。

「てめえが元凶じゃねえかああぁ!」



 無敵詐欺を働いたツケか。参ったな。ドラルクは悩んだ。話は振り出しに戻ってしまったし、退治人はもうやる気満々だ。帰るとか多分頭にない。「何が人違いだ」とプリプリしている。このままこっちをギリギリ嘘は言ってないレベルで強敵に仕立て上げ、新刊のネタにする気だ。顔がそう言ってる。ていうか現在進行形で言ってる。

「元々の責任はてめえにあるってことがハッキリしたな。じゃあほら、心置きなく俺と良い勝負した上で死ね」
「いやそれ君の都合だろ。敵対しているわけでもない、無辜の生き物を退治するというのかね」
「何が無辜だ! 無駄に近隣住民の恐怖煽りやがって! この俺が天誅下してやるからそこに直れ!」

 鼻息荒く武器を構え直す退治人に、ドラルクはげんなりした。今夜は最高の夜になるはずだったのに。到着予定の新作ゲームに全てを捧げる気でいたのだ。予定が狂っただけでなく、面倒ごとに巻き込まれて予想以上に時間を食っているこの状況。イライラが募って、珍しく攻撃的になっている己を自覚する。ポストを確認するために、ウキウキ鍵を開けたそのタイミングが最悪だった。せめてもうあと5分早く向かえばよかったなどと歯噛みしたとて始まらない。
 こうなったら、最後の手段である。

「えいっ」
「」

 むず。
 迷いなくわしづかみ、ギリギリの力加減で間髪入れず握り込む。真夜中の城に、退治人の声にならない絶叫が轟いた。



 別に初対面の退治人に話すことじゃないよねと、あえて触れなかった内容がある。
 吸血ができない代わりにか、確かにドラルクは非常に効率よく精気を取り込める。のんべんだらりと生きるだけなら、一夜に花一輪でお釣りがくるほどだった。ただし、対象は別段植物に限らない。
 こうした体質だったからそう育ったのか、あるいは元来そうした傾向が強かったためにより体質が強化されたのか。いずれにせよ、ドラルクは筋金入りの享楽主義者だった。何事においても己の快楽を優先する。自分は一体何者かと好奇心旺盛にあれこれ試していた頃は、実験と称して随分と奔放な食生活を送っていた。今現在ゲームだの動画だのに傾けている集中力を自己の探究に向けていた時代、実にアグレッシブに生き物を食い散らかしたものだった。主に性的な意味で。


「わー。色キレー」
「てっ、ばっ、ア゛ッ」
「人見知りだねぇ。お名前何ていうの?」
「んなっ、あっ」
「うーん。でもさすがに雄臭い。ちゃんと毎日剥いて洗ってる?」
「ヴわっあぎゃあああぁッ!」
「うるさっ」
「」

 手袋を嵌めたままの薄い手のひらで退治人の局部をきゅっと押さえ込み、床に取り落とされたリボルバーを注意深く蹴り飛ばす。腰に佩いた剣は気にせずともいいだろう。構えるには近過ぎるし、背後は壁だ。抜けもしない。
 まだ威嚇射撃のようなものだ。ほとんど力を込めてはいない。それでも、刃を首筋に押し当てられたようなものなのだ。生き物としての本能が、子種を奪われまいとそこを縮み上がらせている。揉むように指を滑らかに動かし、反応を楽しんだ。意図せずともニヤニヤと悪辣な笑みが浮かんでしまう。硬直した身体は屈辱にか恐怖にか細かく震えて、信じられないものを見るような目は僅かに潤んでいた。

「どうだい退治人くん。お望み通りのピンチだよ?」

 散々コケにされてムカついたし。このままだと絶対帰ってくれないし。どうせなら鬱憤を晴らしつつ酷い目に遭わせて、こんなとこ二度と近付きたくもないって思わせてやろう。これならいかに脚色しようとネタにもできない。新刊を路線変更して成人指定にしたいなら別だが。やーいバーカざまーみろ。ドラルクは大いにせせら笑った。
 さてどうしてくれようか。
 息のかかる距離でまじまじと、容赦なく剥かれ晒され震えるものを観察する。色素の薄い外見から予想できた通り、顔を出した艶やかな天辺はどこか透明感のある果物のような色みをしている。これならあんまり抵抗ない。ふむ、とドラルクは頷いた。嚢を固定する手はそのまま、もう片方の手で優しく性器を持ち上げる。そうして、まだふんにゃりと柔らかな本体を薄い舌先でぺろりと舐めた。

 心だけなら絶叫していた。そう思ったのに、喉から出たのはやけにひょろひょろとした呻き声だった。ロナルドはいっそ泣きたかった。まさかこんな返り討ちに遭うなんて。いいや確かに油断があった。でもだからって。

「……ちんちんもがれるなんて聞いてねえよぉ……」
「ぶはっ」
「汚ねえぇ……」

 緩みそうになった手を慌てて戻し、ドラルクは思わず顔を上げる。そのまま小首を傾げるようにして、今正に毒牙にかけんとする相手の全容を眺めた。涙目の退治人が怯えている。呼吸が不規則だ。膝が震えている。
 仕返しが上手くいって気分は上々だったが、思わぬ反応に更に楽しくなってくる。結構面白い人間かもしれない。退治人という肩書きでしか見ていなかった相手に、少しだけ興味が湧いた瞬間だった。自身の都合を怒鳴るばかりだったので何だか嫌になってろくすっぽ見ちゃいなかったが、よくよく見ればなかなかの美丈夫である。興が乗った。精を搾り取って吸うだけ吸ったら半端なところで叩き出そうとか外道な作戦を考えていたが、ちょっとサービスしてやるとしよう。揶揄い倒していじめてやる。
 邪悪な目論見はおくびにも出さず、ドラルクはただ口の端を軽く持ち上げる。
 今この瞬間、自分の発言が運命を転がしたなどとは全く気付かぬまま、変わらずロナルドはジュニアに別れを告げる覚悟を固めきれずにぐずぐず涙を堪えていた。

「もいだりなんて、しないよ」
「へっ」
「気持ちよくしてあげるだけだよ」
「はっ?」
「ごめんね。牙があるから、咥えてあげられないけど」

 でも大丈夫。私上手いから。
 いつまでも去勢の危機とか何とか怯えられたら、勃つものも勃たない。まずは優しくしてやろうと、まだ柔らかな幹をゆるゆると撫でて、濃い桃色の先端に吸いつくようなキスを落とした。
 嚢から裏筋まで繰り返し舌を這わせて、一番敏感な張り出た箇所を唇で擽って、鈴口に尖らせた舌を差し込んで、ありとあらゆる快さそうな場所を苛む内に、上から落ちてくる吐息は徐々に様相を変えていく。早々と顎と舌がだるくなってきていたドラルクは、その甲斐はあったと心中でほくそ笑んだ。技術には自信がある。緩やかに芯を持ち始めた幹を支えながら、唇を先端に当てて囁く。

「ねえ。退治人くんが気持ちいいところ、教えてよ」

 さっきまで怯えるばかりだった退治人の顔色がサッと濃く染まるのを、ドラルクは実に愉快な思いで見上げていた。まだまだこれからだと笑う。
 握り込んでいた手を緩め、嚢を指先で優しく撫でさすりながら、やわやわと揉む。真夜中だ。周辺は水を打ったように静かで、だから相手の呼吸だとか唾を呑む音だとかは全て耳に届く。与えた刺激に逐一いい反応をする退治人に満足を覚えつつ、ドラルクにしてはいささか行儀悪く、利き手の手袋を口に咥えて取り去った。固く張り詰めても柔らかな裏側を舌で擽り、伝わせた唾液を指に絡めては優しくさする。ぷくんと滲んでくる露も掬って塗り広げた。幹が十分にぬるついたところで規則的に擦り上げ、一番気持ちよさそうな間隔を見つけようと集中した。舐めて、引っ張って、擦って、揉んで、吸って、ひとつひとつ確かめる。反応が返ってくる場所を見つけたら執拗に責め立てて、それから優しくして、緩急つけて可愛がれば、若い雄が完全に反り返るまでそう時間はかからなかった。

 その頃にはロナルドの膝は別の意味で震えていたし、冷や汗は火照ったものにすり替わって身体中に籠っていた。ちなみに思考回路はといえば、完全にパーになっていた。どれくらいパーかって、人外による強制性行等罪が成立しかねない状況を、人外に一所懸命奉仕されている俺などといやに前向きに錯覚しそうになる程度にはパーだった。
 彼はすこぶる健康な若人だったので、エッチな諸々は一通り嗜んでいたし、知識としては色々と蓄えられていたけれど、現実世界で他者にそうした意味で触れたことも触れられたことも未だなかったもので、要はかけられた電圧が規格外過ぎてヒューズがぶっ飛んだのである。尊厳だとか矜持だとか沽券だとかを守るための、言ってみれば心の安全装置が働いた結果、真っ白になった頭に肉体言語は余すところなく浸透し、身体は大変素直に快楽を享受した。正しく「しゅごいっこんなの初めてぇ」状態であった。


 目的の半分は遂げたと、ドラルクは満足して唇を拭った。与えられる悦楽にどっぷり浸かって言葉を忘れたらしい退治人は、カオナシのごとく「あっ」しか言わなくなってしまった。もう息を吹きかけただけで弾けそうに膨れ上がった退治人ジュニア。結局名前は教えてもらえなかった。付けてないのかな。戯れに嚢を軽く引っ張る。何度か暴発しそうなのをそれで引き止めていたのだが、その度に大仰に跳ねて脚を震わせていた。

「ちょ……マジで、いてぇ……」
「あ、ごめんね?」
「……人のちんちんと会話すんな……」

 ついついジュニアに語りかけてしまう。だって素直で可愛いもの。手塩にかけて育てたものだとドラルクはしみじみした。
 もう大丈夫だろうと手を離して、つと距離を取って立ち上がる。前屈みに倒れそうになっているロナルドとは対照的に、ドラルクはしれっとしたものだ。あくまで嫌がらせ。ついでにご飯にしようかな? その程度の感覚だった。この上なく愉快な気持ちで晒されたつむじを眺める。帽子はとっくに床の上だ。

「いいザマだね。退治人くん」
「クソ……」

 息を整えようとしたのか。深く呼吸して、それから背中を預けていた壁に凭れながらズルズルとしゃがみ込んでいく。フライを戻す余力すらないのか、防御反応じみた動作でマントをかき合わせて中心を隠すのを見下ろし、まあそもそも収まらないよなとドラルクは他人事のように観察する。

「出したい? 最後まで手伝ってあげようか?」
「……」
「それとも自分でする? いいよ、見ててあげるから」
「…………」

 楽しい。
 今の自分は大層な悪人ヅラだろうなと思いつつ、ニヤニヤと口端が吊り上がるのを止められない。どれ、顔を拝んでやるかと、同じようにしゃがみ込んで覗き込む。もうひと煽りして歯軋りでもさせてやろう。そう思っていたところ、ドラルクはちょっとしたショックで後退る羽目になる。大の男が大粒の涙を流し、ほとほとと泣いていた。

「うっ……うぇっ、ぐうっ、ぅ」
「……え〜……」

 幼児か。
 ドラルクは素で引いた。
 ちょっと物理的にも距離をとって、珍獣を眺める思いで観察を続ける。決壊したように涙が落ちて、それを拭いもしない。色々とキャパオーバーだったんだなぁ。眺める内に、ドラルクの中で次第に憐憫の情が勝ってきた。加えて、ほんのちょっと、ムラッときた。

 もともとドラルクは美しいものに好意的だ。実は身内に美形が多く、それと無関係ではないだろう、日頃から目に入るものは美しく整えていないと気が済まない性質である。そうして、目の前でぐずる退治人は造りが大層美しかった。その造りを自ら台無しにするきらいがあるなと、ドラルクはその点を非常に残念に思った。

「あー、よしよし。泣かない泣かない。ちょっとびっくりしたんだねぇ」

 マッチポンプも甚だしいが、懐柔作戦に出ることにする。そうして近付いてみたところ、けぶるような銀の睫毛がしっとりと濡れているのに、また少し熾火をかき立てられたような思いがして、ようし私はご飯にさせてもらおう! と、揶揄い倒す計画を欲求を満たす方向へと鮮やかに切り替えた。何たって享楽主義者。目先の快楽に実に弱い。
 雑に閉じられたマントの隙間からするりと手を差し入れて、相変わらずぴんと張ったものを探り当てて優しく握り込む。ぐっと唸ったロナルドが歯を食いしばるのを見て「痛いんだろうなー」と、元凶のくせに同情した。

「あとちょっとだけ我慢して。全部出させてあげるから」
「……あぁ?」

 涙でうるうるした瞳で威嚇されてもな。そこまでは口に出さず、ドラルクは膝をついたまま後ろ手でそうっと色々準備する。マントの内側で靴を脱ぎ、下衣を寛げ、下着ごと下ろして脚を抜いていく。精気を頂くには、一旦は体内に取り入れる必要がある。植物なら花弁や果肉を、生き物なら体液を。別に経口摂取でも問題ないが、どうせなら一緒に楽しみたい。せっかくの美形だし、と若干ウキウキしていた。
 口淫を施す中で少しだけ口にした先走りは、むせ返るような濃い生命力に満ちていた。若く、健康な成体なのは間違いない。血に溶けて巡る精気に身体中が温まってくる。落ち着いていたつもりだが多少は興奮していたようで、胎が受け入れる準備を始めていた。丁度いい暖機運転になったとドラルクはほくそ笑む。相当久しぶりだけど、この調子なら大丈夫。

 ずりずりと膝でにじり寄って、何をされるのかまるで分かっていない顔をした退治人の膝を叩いた。眉を顰めた相手がうっそりとただ見返してきたので、仕方がないと手を伸ばす。片方をぺたんと床に下ろさせたら、ほぼ反射だろうが、もう片方は自ら動かしてくれた。揃えて投げ出された両脚をぽんぽん叩き「いい子だね」と褒める。
 腹に乗り上げるとさすがにぎょっとしたようで、それでも平素の反応には程遠く、そもそも予見していたドラルクは素早く中心を押さえ込んでいる。持ち上げた手は行き場を失い、開いた口は「何しやがる」のなの字も出せずにパクパクした。

「いい子にしてて。ちょっと精気を貰うだけだよ」

 何するだなんて、分かっていたけど信じたくなかったから訊こうとしたのだ。ドラルクにとっては食事だろうが、人にとっては生殖行為。軽々しく許していいことではないと、そんな判断が下せる程度の理性はまだロナルドに残っていた。そうしてそれと同じくらい、もう何でもいいからとにかく解放させてくれって思いも逼迫していた。何度も沸き立っては無理矢理に引っ込められて、引き伸ばされ続けた糸が今にも千切れそうだった。
 だから、しっとり濡れた柔い部分が吸い付くように触れてきた瞬間、つい先刻つかみ掛かろうとしたはずの手は、相手が思わず竦むような強さで縋って、求めていた刺激を引き寄せていた。

「あっ!」

 ペースを乱されて、上に乗る細い影が声を上げる。バランスを崩し、目の前の赤い上着に思いきり皺を寄せてしがみついた。そこまでがっしりとした造りには見えないのに、体重をかけて縋りついても全く揺らがないことにドラルクは少し驚く。
 そのまま息を整えて、そうして自分が落ち着いてくると、ふいごのように激しい相手の呼吸が耳についた。密着した身体はどこもかしこも熱い。それで、一等熱い部分を自分は今から身体に受け入れるのだ。期待と緊張でふるりと背筋を震えた。含ませたのはまだ先端だけなのに、内側から火に晒されたかのように身体が熱くなってくる。ひとつ大きく息を吐いて、ゆるゆると身体を起こす。見下ろした先で、銀の睫毛が項垂れるように伏せられた。それでも腰をつかんできた大きな手は、今も痛みを感じるくらいに指を食い込ませてくる。快然と笑みが零れた。膝に力を込め直す。半端に咥え込んだ熱の塊を、後ろ手に指を添えて、少しずつ、身体をくねらせるようにして全身で受け入れていく。自分のものでない息遣いと体温。他人の身体が入り込んでくる。独立した生き物みたいに、内側でぴくぴく跳ねる。食い締めても強い弾力で跳ね返し、閉じた内側をごりごりとこじ開けていく、固いゴムのような肉の杭。久方ぶりの感触に、すぐに息が上がってしまう。天を仰いで、喘いだ。

 すっかり含んでしまうまでそう時間はかからなかったはずなのに、胎に飲み込んでしまうと久しぶりに尻を落ち着けた気がしてどっと疲労感に襲われた。眼下では決して目を合わせようとしない退治人が、同じくらい息を荒げて汗を垂らしている。思った以上に身体が鈍っているなぁと、ドラルクは目を閉じてじっと束の間の休息に集中した。くらくらと頭が揺れる。身体が重い。どうにも自力で支えられず、目の前の肩に腕を回してぐったり凭れ掛かった。ただ何もしないのもつまらないので、戯れに内側から波を送るようにやわやわと締め上げてやれば、耳元で情けない呻き声が上がる。それで、またぞろ楽しくなってくる。
 もっと気持ちいいところを探してあげようって、その延長線上だったのだ。そうだ、感想を聞いてやろうって、顔を見ないまま「具合はどお?」って尋ねたのはそういうわけだ。だから「ちんちん溶ける」って返ってきたのは完全に予想外だった。何だか童貞みたいな物言いだなぁと思ってそのまま口に出したところ、更に想像の上を行く応えがきて、ドラルクはびしりと固まった。

「……そりゃそうだ」
「えっ」
「……悪ぃかよ」

 熱さにも形にも馴染んで、ああそろそろ動きたいって、それなりに行為に浮かされていたところを、冷水でもぶっかけられた思いである。居心地の良かった肩から頭を起こして、ドラルクは恐々と確かめる。

「え……初めてだったの?」
「…………」

 一旦は目を合わせた退治人は、口いっぱいの苦虫を噛み潰したような顔を黙って背けた。そういえばと思い返す。やけに綺麗だと違和感を覚えた。股座にしゃがみ込む相手にこいつは初め何と言った。ものを押さえられていたとはいえ、あっという間に陥落したその呆気なさ。色、トンチキな発想、なさ過ぎる耐性。一片だとちょっと首を傾げる程度だったピースが、全てぴたりと繋がった。あれっ。ヤバい。これはヤバいよ。

「ごめんっ」
「は……? ぅああ!」

 ガッと肩をつかんでパッと身を離す。腰を持ち上げて引き抜くと、思ったよりも勢いがついて、きっと互いに痛みがあった。またごめんって思う。マントをかき合わせて身を縮こまらせた。

 これまで精気を摂取させてもらった相手の多くは人間で、だからこそドラルクは人の感情の機微や情緒面に関する理解が深かった。吸血鬼には「気持ちよければそれでよし」と割り切った享楽主義者が多く、ドラルク自身、初めて手解きを受けた相手に特段思い入れなどない。ただ、同じような感覚で人に接すると大抵手痛いしっぺ返しを食らうことは、実体験を経て学習済みだった。性質上自身には共有し難い感覚ではあるが、身体を拓いて他者を受け入れる、あるいは入り込むことに特別な意識を見出すそれが分からないではなかったし、こと初めて肌を合わせる相手というものは大抵の人間にとって特別に受け止められることを経験上把握していた。
 ドラルクの本来生きる世界から見れば、それは随分と人に寄り過ぎた感覚だった。だからかもしれない。確認して衝撃を受けたのち頭を占めたのは「とんでもないことをしてしまった」というその一点で、己の進退とか保身とか、そうしたものはその瞬間全く意識の外にあった。考えが至っていたら、脱兎のごとく逃げていただろう。致命的な判断ミス。これをドラルクは死ぬほど後悔することになる。


「ごめん、ほんとごめん、あの、こんにゃくにでも噛まれたと思って忘れて」

 何もかも全開で呆然と見つめてくる退治人に、半ばパニックを起こしながら言い訳を混ぜつつひたすら謝った。
 だって、知らなかったんだもん!
 だってだって、自己紹介にナルシスト入ってたし退治人としても作家としても自信過剰気味だったしどこ行っても引っ張りだことか言うし、だったらそっち方面もアイドルとかモデルとか散々取っ替え引っ替えしてんだろって思うじゃないか。思うよね? 知ってたらもっと別の方法考えたよほんと、ほんと、すいません!

「大丈夫! イってないならノーカンだから! ねっ。君の純潔は守られた!」
「……」
「ほんとにごめんてば。だってまさかその顔で初めてだなんて、誰も思わないよ!」
「…………」

 客観的に指摘してくれる存在がいたら発言があらかたアウトだと強制的に口を塞いでくれただろうに、誰もいないもんだからドラルクは止まらない。止まらずに、鮮やかに地雷を踏み抜いた。
 マント越しに手を伸ばして、色々と溢れてるものを隠してあげようと向こうのマントも合わせてやる。何やらプルプルしててちょっと怖いけど、まあ今の状態なら自分の方が速く動ける。地の利もあるし、とドラルクがお気楽な算段で慰めにかかっていたところ、ぬっと伸びてきた腕に胸ぐらつかみ上げられて「ひえ」ってなった。

「ふ、っっっざけんなよ…………」

 地獄の底から響くかのような低音で凄まれ、四肢が硬直する。頭が勢いよく揺れて、視界がブレたと思ったら天地が逆転した。いつの間にやら背中が冷たい。あれ、天井が見えるよ。そんで、阿修羅がいるな。やだこわい。

「好き勝手言いやがって。顔は自分じゃ選べねぇだろ。どいつもこいつも勝手に期待して勝手に幻滅して、マジでふざけんなよこんちくしょう。だったら俺ァいつ初めてを迎えりゃよかったんだよ? 来世か? 来世なのか?」

 あ、あ〜。
 そこか〜。
 そこ地雷だったか〜。
 やっばい。ガチで切れてるよ。瞳孔開いて目がイってるよ。今死んだらそのままトドメ刺されるなコレ。
 怒鳴りもせず、抑揚もなく、淡々と並べられる恨みつらみがドラルクの心胆を寒からしめる。遅まきながら己が相手の逆鱗に触れたことを理解したのだ。

「イってないならノーカンてお前、どこ基準だよバカ野郎。完全にイエスカンだわふざけんな。でもまあいいぜ。丁度持て余してたとこなんだよ。くれてやるから有難く頂戴しろ」

 要らん要らん金を積まれても要らん! 私を駅のゴミ箱みたいに扱うな!

 火に油を注いで今殺されることだけは避けたかった。その一心で、口から反射的に零れそうな文句をどうにかこうにか抑え込む。けれど上からのし掛かる退治人を抑え込める気はしない、毛ほどもしない。
 これはちょっとまずいんじゃないかな。
 いや事ここに至っては退治人くんの純潔がどうのこうのとか、心の底からどうでもいい。このままだと、私、まず間違いなく退治される。使われて、そんで使い終わった割り箸みたく躊躇なくバキッとやられちゃう。嫌だ。まだ死にたくない。せめてポストの『エイジオブバンパイヤ』プレイしてから! あ、やっぱりクリアしてから……

「待て待て、君は今冷静じゃない、感情で判断するな、後悔するぞ!」
「いや後悔のしようがねえよ、後悔の項目もうコンプしてんだよ」
「あーっ確かにそうかもしれないけどぉ!」
「何だとこの野郎」
「イヤー! 何を言っても怒られるーっ!」

 内側から手でしっかり合わせていたはずが、引き千切るような勢いでマントを剥がされてギャッと悲鳴が漏れた。足首をつかまれて、次に何をされるか察したドラルクが青褪める。

「待って、待って、乱暴しないで、アッ!」
「うるせー! テメーに拒否権はねえ!」

 ぺらぺらとよく回る口が、内側に分け入った途端にぴたりとつぐまれて固まった。硬直し、黙り込むその様子に、視界を塞がれた動物みたいだとロナルドは場違いな感想を持つ。
 ついさっきまでそこに咥え込まれていたはずなのに、妙に抵抗があって思うように入っていけない。苛立つままに、つかんだ小作りな骨盤に指を食い込ませた。苦しそうに呻いて、床に縫い止められながらも腕を突っ張り、脚を捩り、少しでも遠ざかろうとする。逃れようともがくその動きに、カッと頭に血が上った。



 ちょこんと小さな黒子が映える白い肌とか、日に焼けた健康的な小麦色の肌とか、そんな陽の光が似合うお姉さんに弱かった。原稿に追い詰められた夜明け前なんかは、豊かな胸に優しく抱き止められたいとかそんなことしか頭にない。ごく真っ当で、健全な嗜好だと思う。
 そこから3万光年くらい離れたところに来てしまった。愕然としながらも我が子は痛いくらいに元気で、コイツ実は俺に寄生してる別の生き物だったりする? なんてアホなことが思考の片隅を通り過ぎていった。今が普通じゃないだけだろう。自分で自分に言い聞かせる。熱に浮かされたように身体中がかっかと火照る。マントはとうに外して落とした。茹だる身体を早くどうにか収めたい、そのために目の前に都合よく垂らされたものを使ってる。ただそれだけだ。自ら垂らしてみせたくせに、不承不承でもこっちが食い付いた途端手のひらを返した人非人。まあ、確実に人に非ざる者だ。目をきつく閉じて、手でぴったりと口を押さえて、揺すられるまま逆らわない。耐える一択のそれが面白くなくて、何とか反応させたいって躍起になった。

 別に失敗したって全然平気、もはや失うものなど何もない。そんな意識のなせる技か、やたらと細長い脚を開いたり担ぎ上げたりひっくり返したり、探究心の赴くままに散々あれこれ弄り倒して、どうにか自身をすっかり収めてしまった。収めてしまったら動かしたくて、腰を揺らして、ただそれだけでもたらされる凄まじい快楽にもうここでぶち撒けたいってそれだけで一杯になった。圧倒的なその波を堪えて、見下ろした先は陽光とはカケラも縁のないだろう吸血鬼の劣化版。できるだけ身を隠したいって言うように小さく縮こまり、震えていた。
 健康的な色気にしか食指は動かないはずだった。なら完全なる正反対、不健康を絵にしたような姿を眼下に、腹の底が炙られるように沸くこれは一体何なのだ。
 蝋のように生っちろく、血の気の感じられなかった肌が上気している。まとめ上げられていたはずの髪が乱れて、汗に濡れた幾筋かが額に頬に落ちかかっていた。薄っぺらな耳が力なく垂れてしまっているのを見て、こういう種類のウサギいたよなと一瞬ほんわかする。和む要素などその針穴のような一点のみで、限られた光量の中浮かび上がる全容は大層淫靡なものだった。
 ふうふうと全身で息をして、肩を内側に入れ腕を引き寄せて丸まった姿は手負いの狩猟鳥獣を思わせる。片方だけ残った手袋に噛み付いて、必死に声を殺しているようだった。何故だかそれが面白くない。なあとかオイとか何回か呼び掛けたら、うるさそうに眉を顰める。瞼がほんの少しだけ持ち上がり、濡れた表面が光を弾いた。

「てめえの気持ちいいとこ、教えろよ」

 半分は手のひらに隠れていても、盛大な意趣返しを食らって実に悔しそうに表情が歪んだのは分かった。愉快な気持ちで見下ろす。暑い。脳が茹だって、正常じゃない今なら、どんな馬鹿でもやれそうな気がした。浮かされたまま、ぴったりと手に沿う革手袋を外した。上等下等にかかわらず、吸血鬼には体液そのものに毒性を持つものがいる。近接戦闘をこなす退治人の必需品だった。退治の時は決して外すことのないそれを取り去り、薄っぺらな胸元に素手で触れる。未だにきっちりと着込まれたままのあれこれが気になってたまらなかった。

「……なに、」

 掠れた声が何やら問いかけてくる。語尾は消えたが意味は伝わった。何をしているって、そりゃお前。こういう時は脱ぐもんだ。着衣はあくまで応用編と俺は思う。オイ何だよこれ、ボタン滅茶苦茶ちっこいな。着る時面倒じゃねえのかよ。
 やめろと主張したいのか、頑なに動かなかった手が口元から離れ、無体を働かんとする腕にのろのろと掛けられた。制止にしてはあまりに力が足りないそれは何の抵抗にもならず、ロナルドにとっては添えられているとしか感じない。ようやく全てを外したと思ったら、下には更に小さなシャツのボタンがびっしりと並んでいて、うんざりした短気な退治人はショートカットすることにした。

「ふんっ」
「えっ」

 ボタンが飛ぶとかそんなレベルで済むと思ったら、勢い余った。びばりっとか何とかいい音たてて繊維が千切れ、やけに手触りのいい、多分お高いだろう生地が一瞬でボロ屑と化す。まあいっか。ひとまず目的は達した。満足して、取り去ってしまおうと手を伸ばす。はだけさせるその間ずっと「酷い酷い」と力ない涙声が文句を言ってきたが、無双状態のロナルドは黙殺した。元はてめえが始めたことだろ。

 剥き出しの両脚を抱えて、限界まで腰をぴったりと重ねている。靴下しか纏わないそれがどこに触れてもやけに滑らかで、確かめたいと思ったのだ。露わにさせた腹から胸元に手のひらを当てて滑らせる。僅かに汗ばんだそこはしっとりと吸い付くようで、ひっかかるものが何もない。ちょっと骨張ってるのが難点だなとか思いつつ、指先まで沿わせてなめらかなその感触を楽しんだ。
 ぽつんとした感触に手が乗り上げた瞬間、文句は言うだけ無駄だと察したらしい、既に黙りこくっていた相手が「ひっ」と小さく息を呑む。指の腹でもう一度なぞれば組み敷いた身体が震えた。抵抗も何もない、ぐったりと脱力していた身体が張り詰めて、胎に含ませたものがきゅうと締め付けられる。ここか、と妙に嬉しくなって、指先で摘み上げるように擦れば、跳ね上がり、荒くなる息に混じってくぐもった悲鳴が漏れた。濡れた目に睨み付けられる。やめろとその視線が訴えてくる。誰がやめるかって思う。

 うねるように絡みつく感触に耐えて、慎重に引き抜いた。糸を切られたように床に落ちた痩躯の肩を抱くようにして転がし、腰を上げさせる。そのまま背後から再び押し入った。息を弾ませながら、小刻みに揺らすようにして最奥まで入り込んでいく。
 食い込ませる度にひくひく戦慄くそこに嚢が触れるほど腰を押し付けて、それから引く。繋がった身体が揺れる程勢いよく押し込めば、身を守ろうとするかのように首を竦め、口元にぴたりと手を当てた。構わず、胸元に手を伸ばす。さっきまで柔らかかったはずの粒は固く立ち上がっていた。指の腹で潰すようにこねて、摘み上げて、そうした刺激を与える度に内側が過敏に反応を返してくる。搾り上げるように波打つ肉襞に夏の犬のように息が上がった。
 我慢比べだ。俺がイくか、てめえが啼くか。ロナルドは何だか楽しくさえなってきて、気合いを入れて腰をぐりぐりと押し当てた。身体を倒し、背中にぴったり重なって両手を胸元に差し入れると、思い出したかのように抵抗が再開した。頭を振って「やめろ」と唸る。手から逃れようとしたのか薄い身体がしきりに捩られ、勢いにずるりと抜けそうになるのを危うく抱きとめた。

「うぉ……ッの野郎!」
「あっ」

 繋がる根本に前から手を回して、全部をまとめて握り込む。ぴたりと抵抗が止んで、かくんと半身が落ちた。自身が食らった技だ。その威力は重々承知している。そのまま力を加えながら搾るように手を動かすと、下敷きにした身体が小刻みに震え出す。な。これマジで怖いだろ? 因果応報、自業自得だざまぁみろ。意趣返しにとしつこく揉んでいたら、その内ぐすぐすと鼻を啜る気配が伝わった。やべ、やり過ぎたって罪悪感が押し寄せるも、いやいや俺だって酷いことされたし! と正当化で凌ぐ。

 すっかり大人しくなった身体は腰だけを高く掲げて、杭打たれた一点だけが支えだった。薄い背中にぴたりと重なって、再度胸に手を伸ばせば、未だにしっかりと主張する突起が手のひらに当たる。密着した背中が引き攣るように跳ねて、けれどそれ以上は動かない。こりこりとした感触を楽しみながら、指先で転がし、押し潰しては摘み上げる。そのまま指の腹の間で柔く潰すように揉めば、吸い付くように胎がきつく締まった。今腰を動かしたら爆発する。マウント取ってやるって思いは既にどこかに消え去って、ただこの悦楽を少しでも長く貪りたいってそんな欲求だけが腹に満ちていた。互いの乱れた呼吸だけが響く中、やっと見つけた相手の弱点をいじめ抜く。しつこく繰り返す内、涙が滲む啼き声が吐息に混じって細く高く、ついに手のひらをすり抜けた。

 それを聞いたらどうにも気が済まなかった。衝動的に口に当てられた手を奪って、床に縫い止める。逆向きの磔めいた姿を強いられた相手が非難の声を上げる前にと腰を揺するも、どこにも力が入らないらしい、薄っぺらな身体は今度こそ杭から抜けて床に頽れた。肩をつかんで返そうとすると「もういやだ」と子どものような細い声が耳を打つ。そのまま仰向けに寝かせると、半端に上がった瞼の下、潤んだ目が見上げてきた。気怠げにゆっくりと瞬くその度に、涙がぽろりと落ちていく。弱々しい涙声が「もうやめようよ」と訴える。
 もういいでしょ、十分だよ。お願いだからもうやめて。


 ドラルクは自身に強さを求めなかった。肉親は強大な力を持ち、その姿を間近に見ていたからこそ、己の体質からは求めようがないものだと理解していた。知的好奇心の赴くままに書物を漁り、芸術を愛で、暮らしを居心地良く保つ術だけを磨いてそれなりに楽しく生きてきた。ゲームとの出会いは衝撃的で、黎明期から夢中になった。その進化をまざまざと味わい、貪り尽くさんと夜はもちろん朝も昼も明け暮れた。おかげでここしばらくの外出といったら、玄関出て数歩のポストまで。押しも押されもせぬ引きこもりである。そういうわけで、ひたすらに体力がない。表裏一体の心もまた推して知るべし。
 心身共にオールグリーンだったなら、相手がここで退くわけないだろって分かりきったことを、わざわざ口に出すような徒労は避けただろう。死んだらその瞬間トドメを刺されるかもしれない。そんな恐怖に耐えて、だからこそ死ぬまいと必死で足掻いた。それなのに何とも半端なところで自ら終わりを強請ったのは、なぶり殺しに近い現状に延々と緊張を続けていた心がとうとう耐えられなくなってしまったからだ。肉体より精神の限界が先に来ていた。涙が零れ出たことが心の防波堤にヒビを入れたのか、言動も退行気味である。

「おま……バカ、ここでやめられるわけねぇだろ」
「ウェエエェ……」
「泣くなバカ」

 案の定あっさりと却下され、いよいよ涙を溢れさせている。
 どれだけ嫌そうでも泣いていても限界っぽくても、いやむしろ涙声にまた腹の底がムラムラする。ロナルドは内心首を捻った。自分はごくノーマルな嗜好のはずだが、何かこいつを見ていると変なものが煽られるな。開けてはいけない扉かもしれないとどこかで思いながら、とりあえず今はそのまま突き進もうと頷いた。

「アッ、嫌だ、もういやだ!」
「いや終われねえから! あとちょっとだから付き合えや」
「ヤダー! 鬼! 悪魔! 童貞!」
「やかましい!」

 舌はよくよく回っても、身体がさっぱりついてこない。当然ながらあっさりと脚を開かされ、ぴたりと切先を当てられてひくんと息を呑む羽目になる。ぬるぬると濡れたものが入口になすり付けられる。その濃さに、はち切れそうな生命力に、中てられる。電流でも通されたように身体中が痺れ、言葉の抵抗すらままならない。内側にあった時にも少しだけ達していたのだろう。先刻から、胎に零されたその僅かな精がすっかり回ってくらくらきていた。中で全部出されたら死んじゃうかも。ああでも、遅かれ早かれ同じことだ。
 今更ながら、自分には過ぎた相手だったとドラルクは後悔した。とっとと逃げ出すべきだったのだ。好機はあったはずなのに。これは自分が悪いなと、突っ張っていた腕を落とす。もう持ち上げているのも辛かった。

 ぐっと食い込んでくる先端に、喉を反らして必死に息を継ぐ。もう道筋を覚えてしまったのか、それともドラルクの内部がその形に馴染んだのか、すんなりと奥まで呑み込まれていく。間髪入れず抜き差しが始まって、擦り上げられる内側の刺激に悶えた。無意識のまま口元に引き寄せようとした手をぺちんと叩かれて、思わず顔を上げて呆然と見返す。捕食者の目と目が合った。硬直した僅かな間に手首をつかまれて、床に押さえ付けられる。汗が落ちてきた。剥き出しの胸元で弾けて、びくんと意図せず胎が締まり、それを合図にしたように思いきり腰を引かれて激しい抽送が始まった。限界まで反り返った肉棒に胎を思いきり抉られ、息が止まる。刺激にぎゅうと引き絞られた内側を、引いていくその張り出した傘に容赦なく引っかかれ、弁が弾け飛ぶようにドラルクは限界を迎えた。恥も外聞もなく泣き叫ぶ。

「やだあぁっ、いぁ、アッ! あぁ……もぉ、いやだってばぁ!」
「うるせぇ! やられて嫌ならなぁ、仕掛けんじゃねえ!」
「ぅっ、うっ、ごめんなさいぃ……」

 涙ながらに訴えたのに至極真っ当な叱責を食らって、もう何だか打ちのめされた子どもみたいな気持ちになる。胎にものを受け入れたまま喚くだけでも辛いのに、圧倒的な膂力で全身を押さえ付けてくる男に上から一喝されるのは効いた。実に効いた。ドラルクは、かつて師事した吸血鬼にハチャメチャに怒られた過去のトラウマを思い出していた。鞭で打たれたことなどないが、尻を叩かれる馬はこんな気持ちだろうとしょんぼり思う。憤りだとか不満だとか、立ち向かう源となる感情が一気に萎れ、全身から完全に力が抜けた。残ったのは恐怖だ。喉は閉じ、隙間から零れたか細い音が許しを請う。師にも親にも、こんなにしおらしく謝ったことなどない。もうしくしく泣くしかなかった。
 頭も背中もぐったりと床に落とし、言葉を呑み込んでしまうと、重たい力がかかっていた手首が解放された。それでも、もう持ち上がる気がしなかった。腰がキツい。叫んだ喉が渇く。熱をもった瞼が重い。頭が痛い。あといっこでも負荷がかかったら多分死ぬ。ぼんやりと刑の執行を待つ囚人になった思いでいると「あとちょっとだから」って少しだけ険の取れた声が降ってくる。
 薄く開いた瞼の隙間から垣間見た退治人は、真っ赤だわ顔怖いわで赤鬼かなってくらい恐ろしく感じたけれど、どこか困ったように視線を彷徨わせていた。それを認めて、でもどう受け止めればいいのかは図りかねて、ただくすんと鼻を啜る。
 もういいよ。分かったよ。
 眠れる獅子を起こしたのは自分だ。ドラルクは目を閉じて、力を抜いた。

 僅かに迷うような間をおいて、それからまた揺さぶられる。突き上げられる度に押し出されるように啼き声が漏れて、引かれると身体中が反射でびくびく痙攣する。強過ぎる刺激は痛いくらいで、でも確かにそれは快楽だった。動きに引きずられる腰がだるい。床に擦れて背中が痛い。晒された脚が寒い。そうした不快さが全て消し飛ぶくらいの法悦に、全身を浸して、喘ぐように息を継ぐ。
 動きがどんどん速まって、得られる刺激も強くなる。啼き声には切迫感が混じっていく。悲愴感さえ纏ったそれがどうにもロナルドの胸を刺して、それなのに明らかに反応して胎の中で自身は膨れた。堪えられなかった。細い腰をつかんで、最奥まで押し付けて、身体から髄を引き抜かれるような苛烈な刺激に歯を食いしばって耐えた。それでも唸り声が漏れる。跳ねるように震えながら、搾り上げるように収縮する内側に全てを吐き出した。


 まだ出るのかって我ながら突っ込みたくなるくらいの間隔をおいて、幾度となく精が飛び出していく。じっと目を閉じて、突き上げるような衝動が収まるのを待った。こっちが動かずとも温かくぬめる襞がきゅうきゅうと精を欲するように収縮して、その刺激についまた腰が揺れそうになる。このままずっと内側にいたい。何度もため息をついて、ドクドクと跳ねていた鼓動が落ち着いて、自分以外に意識が向くまでに回復して、それでようやく繋がった先の異変に気付いた。
 抱きかかえた脚は小刻みに震えていた。見下ろせば、歪んだ口元から吐息と共に切れ切れの悲鳴が小さく溢れて、自らをかき抱くように腕をぎゅっと絡めている。晒された指先がすっかり白くなるくらいに力が込められたその様は、どう見ても尋常ではなかった。

「おい、」

 どうした。
 乱れ、落ちかかっていた髪をかき上げてやり覗き込む。露わになった面は熱に浮かされた人間のように赤く、息は荒くなるばかりだった。怯えきった猫のように伏せられた耳もまた同じように赤く、ただ薄いものだから余計に真っ赤に色付いている。心配になって思わず触れると、驚くほどに熱い。元来人よりも余程低い体温のはずだから、これはかなりの負担じゃないのか。

「おい……大丈夫かよ」

 オロオロと問いかけると、薄らと瞼が開く。自身を守るように抱きしめていた腕が解かれて、ほっそりとしたそれが屈み込んでいたロナルドに巻きついてきた。まるで溺れでもしたかのように、衣服越しでも痛むくらい爪を立ててしがみついてくる。その強さにびっくりして、でも振り払う気には到底なれず、ただ受け止める。気が付いたら脚まで腰に絡みついて、全身で小猿のようにぎゅうぎゅうと抱きついてきた。未だ胎に収めたままのものがぴくりと疼く。

「なに、何だ、何だってんだよ、」
「うぅ……」

 繰り返し問う内に、荒い息に混じって「君のが濃過ぎるから」ってセクハラじみた文句をつけられた。確かに最近どうにもそんな気分になれなくて放ったらかしだったし、我ながら濃い時は箸で摘めるかもって思うくらいだけど、えっそういうの関係あんの?

「そういう、意味じゃ、ない……」
「えっ」





 人から精気をもらうのがあんまり久しぶり過ぎたせいだという。曰く、植物よりも余程重たいから、徐々に慣らしていかないと身体が受け入れられないのだと。何だよお前、内臓まで雑魚この上ねえなとロナルドが心底呆れていたら「3食お粥で暮らしてた人間が空きっ腹にウォッカをストレートで呷ったようなもの」とドラルクは必死の弁明を絞り出す。
 あ、そりゃ倒れるわ。下手したら死ぬ。
 行き掛かり上、苦しそうにふうふう息を荒げて消化を頑張っているらしいひ弱な生き物を膝に抱え上げて「よしよし」と背中を撫でてやっている。何やってんだ俺はとか思いながらも「頑張れ」と「大丈夫か」を繰り返しながら、応援しかできないことにロナルドは少しだけもどかしい思いでいる。

「あのさ、それで、大変なところ申し訳ないんだが」
「……聞きたくない……」
「申し訳ないんだが、困ったことになっててよ」
「聞きたくないってば……」
「いやどうすんだよこれ」
「知らない……」
「知らないってこたぁねえだろが! テメーがぎゅうぎゅう抱きついてくるからだよ! 責任取れよ!」
「うるさ……」



 結局ドラルクは押し切られ、それでも滋養溢れるピチピチの精気をたっぷり摂取できたためだろう。別に死んだりしなかった。当の本人は本意ではなかっただろうけど。あとちょっとって言ってたくせに、最終的に空の色が薄く変わり始めるまで付き合わされ、ドラルクは死にこそしなかったが気絶はした。ボロ切れ同然にされたシャツをかき合わせ、マントにくるまり横たわる姿は傍目にも哀れなくらい憔悴して見えた。自分を守りたいという気持ちの表れか、胎児のように小さく丸まり、懇々と眠っている。

 その姿を隣で眺めながら、賢者タイムってあるよなとロナルドはぼんやり考えている。
 どうしたってはっきりした形で溜まるものだから、時には義務的にもなりながら、きっちりと抜く。ただ最近じゃそうもいかない。退治人としては成功していると思う。有難い話じゃあるが、おかげであまりに忙しかったり精神的に余裕がなかったりして、下手したらひと月ほど間が空くことだってあった。十代の頃と比べたら考えられない変化だ。まあいずれにせよ、やるとなったら一頻り盛り上がって、けど抜いたら驚くくらい一気に冷める。さっきまで盛り上がっていた己が急に気恥ずかしくなり、お世話になったオカズを目に見えない場所に厳重に仕舞い込む。それが男の生理だと思っていた。ごく当たり前の流れだって。じゃあこれは一体なんなんだ。

 早く、またあの快楽を味わいたい。
 この身体に沈み込んで、思う存分揺さぶって、あの声を引きずり出して、泣かせたい。まだ触れてない場所を暴きたい。どこに触れればどう返ってくるのか、反応を全部知りたい、確かめたい。
 キリがない欲求をひとつずつ言葉にしてみたところ、単純にヤバい奴じゃねえかと自分で自分に引いた。これがセックスか。スゲェなオイ。
 目の前に開かれた新たな世界の底知れなさに打ち震えるロナルドをおいて、ひたすらに眠り続ける人外の何か。綺麗に撫で付けられていた髪はすっかり落ちて、何だかモサッとしている。こうして見るとその辺にいる夜行性の若者っぽくもあると、ロナルドは矯めつ眇めつしてみる。文化系の院生とか博士課程の奴だな。コンビニで夜勤のバイトとかやってそう。何それ通う。こいつのレジばっか並ぶ。ロナルドはひとり勝手な妄想をして愉快な気持ちになった。

 いっそ清々しいまでに問題を棚上げしている。退治する気はさっぱりと消え失せ、そんな己の心情に対して言い訳を始める始末だった。何のネタにもならないのに退治したって仕方ない、どうせなら何かしらネタを引きずり出すまでは生きていてもらわねば……云々。
 そう、結局ロナルドの抱える問題は何ひとつ解決していない。というのに、不思議なくらいに不安はなかった。身体の中で鬱屈していたものが全て洗い流されたかのように晴れやかである。満たされまくった性欲が突き抜けた万能感を連れてきて、何とかなるさと、ロナルドは実に爽やかに明けようとしている空を見た。

 あ、日光で死ぬなら、コイツ起こしてやらないといけないんじゃね?
 ふと気付いて、そうして、もう色々済ませちまったのに一番大事なことはしてないっていう不満と、最初好き勝手に弄ばれた分こっちも何かしてやりたいっていう悪戯心で、小さく牙の先端が覗く唇を注視した。横向きに丸くなって寝ているものだから、薄く開いたそこに正面から触れるのは体勢上難しい。よし端っこにぶちかまそうとプランを練る。いけないことをしているような、まあしているのだが、そんな背徳感と緊張で心臓がうるさくなる。真上から覆い被さって、顔を寄せた。
 血の気が感じられないその顔立ちは、およそロナルドの生きてきた領域では馴染みのない造りだった。痩せているせいで分かり辛いが彫りは深く、パーツは繊細な造りをしている。間違いなく海外の血が入っている。出身はどこなのか。いつからここに住んでいるのか。もっと知りたいとロナルドは思う。

 ただでさえ隈のせいで草臥れて見えるのに、物憂げに下がった眉と赤く染まったままの目元が重ねて哀れを誘う。仕返しにしたって行き過ぎの無理を強いた自覚はあった。じわりと湧き上がる罪悪感に圧されて、躊躇った。やっちまっていいものか、やっぱりやめといた方がいいんじゃないか。覆屋のごとく重なったまま進退窮まり、疲労困憊の寝顔にただぼけっと見入っていた。腕をつき顔を伏せたその体勢でも、窓から伝わる空の色が刻一刻と変化するのは感じられてハッと顔を上げる。まだ姿を見せてはいないものの、稜線の向こうに確かに迫る朝日の気配。外は確実に明るくなってきている。ここまで来たら明けるまではあっという間だ。
 冷たく固い床は寝苦しいだろうに、規則的な細い寝息は全く乱れない。このまま寝かせてやりたいとも思うが、それだとまず間違いなくこいつは死ぬ。ロナルドは唸った。棺桶で寝ているのだかどうだか怪しい生き物だが、いずれにせよ今からそれを探しに行ってる時間もない。もう起こさないといけないのだ。いや別に目覚めのアレってわけじゃないけれど。とにかく、まあ、決行だ。

 意を決して、薄い唇、その端っこに自分のそれを重ねた。目測が微妙にズレて唇というより口元に当たり、おもむろにやり直す。そのおかげで、皮膚とは異なるその感触をまざまざと感じ取れた。濡れているわけでもないのにしっとりと柔らかい。押し返してくる弾力が心地良くて、一度は離れた後にもう一度、確かめるように触れてみる。押し当てるだけでは何だか離れ難く、けどそれ以上何ができるのかも分からないまま、ぐずぐずと近くに留まっていた。それがいけなかった。

 あれ、何か輪郭が曖昧になった? などと思う暇もあらばこそ。音もなくサラサラと、ロナルドがこっそり初めてのキスを贈った相手は、死んで、塵と化した。

「…………はっ? えっ……お……、」

 おいいいいぃ! なんっっっでだよおおおぉ!
 よおおおぉ……
 おおぉ……

 長く尾を引いた悲しみの咆哮は、城の麓で華麗な退治譚を待ちつつ夜食と熱いコーヒーなんぞ喫していたマスコミ陣にまで届いたという。



 間もなく様々なメディアが報じた『ロナルドウォー戦記』最新刊発売延期のニュースにファンは落胆したものの、良作のためなら待つのは苦じゃないと多くが健気なコメントを発信、作者の苦しみを和らげ、かつ罪悪感を煽り、そして発奮させた。
 時を同じくして、ネットニュースやゴシップ誌を中心に、退治人ロナルドのトレードマークのひとつであった咥え煙草が消えたこと、代わりに棒付きキャンディを咥える横顔だとかイライラと飴を噛み砕く光景、また本人が登録しているSNSで決然と掲げた禁煙宣言がちょっとした話題となった。健康面を考慮しての行動か、それとも煙草を嫌がるイイ人が出来たのでは? などと一頻り騒がれたが、果たしてそれが成功したのかどうかも含め、真実は闇の中である。










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