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「何かいい匂いする」

 ちっ。
 キッチンに立ちながら、内心ドラルクは舌打ちした。換気扇回してるのに、鼻のいい奴。
 匂いに釣られたか小腹が空いたか、事務所に通じるドアが開いて世帯主がやって来た。愛くるしい使い魔は傾けていたカップを微かに揺らす。

「何だっけこの匂い」
「……砂糖かな」
「あ、カラメルじゃん?」

 当たり、と思わず吸血鬼は心中で呟く。ゴリラの嗅覚を無駄に鍛えてしまったかなと、最近料理よりもよっぽど力を入れてお菓子作りにウキウキ邁進してきたことをやや後悔した。すごく喜んでくれる×3ってことに張り合いを感じてしまって、ついつい気が向くのだった。

 カラメルは、リンゴのケーキに混ぜて焼こうと思い用意したものだ。鍋肌に残るそれを溶かし込んで作るカラメルミルクティーは、ドラルクが城で優雅にニート生活を満喫していた頃からたまに作っていたものだった。カラメルソースを作るときにしか飲めないから、限定的なお楽しみとして使い魔に受けていたのである。こびり付いてしまったカラメルを剥がしがてら作るものだから、出来上がるミルクティーはあくまでも副産物。量はささやかだ。いつものようにカップ1杯分を拵えようとして、今現在事務所メンバーの胃袋を美味しく満たすのが趣味のひとつとなってしまったドラルクは僅かに逡巡した。3人分にはとても足りない。
 だからこっそり呼び寄せたのにと、ため息をついた。


「そうだよ。おやつに、カラメル入りのケーキを焼こうと思ってね」
「ふーん……」

 何やら物言いたげな視線。あまりに雄弁で真っ直ぐなそれは、本人に意図があろうがなかろうが、受け取る側がその意味を正しく理解している場合は脅迫ともなる。

 カラメルのケーキね。美味そうだな。そんで、この匂い、なに。
 飲みたい。
 俺も。

 一語として音にはなっていないそれを正確に汲み取り、今や世帯主からキッチンを全面的に任されるに至った押し掛け吸血鬼は冷や汗をかいた。彼は知っているからだ。経験上もう嫌と言うほど理解している。5歳児は、得られなかったものをやけに欲しがるということを。
 ジョンが飲み終えたカップを、さりげなく攫って流しに置いた。控えめな「もうないよ」アピールであった。

 情緒面で著しい退行を見せることもあるが、ロナルド吸血鬼退治事務所責任者であるところの退治人ロナルドは、基本的には割と普通にしっかり者の若人である。駄々をこね地団駄を踏むかとヒヤヒヤしていた吸血鬼の懸念など知らぬげに「じゃあおやつまで我慢すっか」と事務所に戻っていった。そうした真っ当な態度を見せることだって多いのに、どうにも偏った見方をしてしまうなとドラルクはほんのちょっぴり反省した。(そして、いや彼が到底真っ当に振る舞えないイカれた客ばかり呼び寄せるのがいけないと、直後に責任転嫁した)

 ドアが閉じるまでを無言で見守り、詰めていた息をどっと吐き、主従は同時に脱力する。疲れを滲ませた青白い面が上向いて、愛マジロのジョンと顔を見合わせる。思うことは同じだなと苦笑した。



「あ」

 同じ匂いだ。顔を向けなくてもロナルドにはそれが分かって、「なんでだろ」と「もしかして」が意識を占めた。事務所付きの吸血鬼は何やら仰々しいくらいの優雅な動作で「こちら、本日のおすすめです」とカップを置く。何だか疲れたような顔に見えるが、大体常に気怠げな目付きをしているから自信がねえなと、そんなことを考えている内にすたすた戻っていく。

「……サンキュ」

 礼を思い出した時には既にドアは閉じていたから、聞こえたかも分からない。ちょっと頭がついていかなかったのだ。

 確かに羨ましいとは思った。滅茶苦茶飲みたかった。でももう残り香だったことはすぐに分かったし、ジョンを困らせるつもりもなかった。ドラルクが妙に硬い表情でいたのが珍しくて思わず見入ってしまったのもいけなかったかもしれない。催促したと思われたのか。いやしたかもしれないが……口に出てたか? ひとり首を捻る。
 せっかくだからとPCを遠ざけて、小ぶりなカップが乗るソーサーを引き寄せた。ほろ苦くて甘い香り。楽しんでいたら、自然と顔が綻んだ。

 何だか可笑しかったのだ。悪戯だろうが悪口雑言だろうがマウントだろうが、一切悪びれずガンガン仕掛けてくるくせに。子どもがおやつの取り分で揉めるような、そんな心配をして困った顔をしていた吸血鬼が。
 多分、鍋を洗って、再び同じだけの時間をかけて、繰り返したのだろうその手数を思った。カラメルの香り、苦みと強い甘さが広がって、その奥から、決して沸かせることなく、じっくりと気長に温められた牛乳の甘みが覗く。腹に落ちていく熱が膨らんで、内側から炭火を熾したかのように身体中を温めた。温めたのは取り入れたものだけではなくて、もう一度作るのに払われた時間や手間を、割くだけの価値があると判断されたって、その一点に沸き立つように弾けた感情だったのだけれども。

 何気なく頬杖をつこうとして、熱を持った頬に驚いて、空になったカップを両手で包み込む。そうして、たまにはきちんと思いを言葉にしてみようかなどと退治人は悩んでいる。ドアを隔てた向こうでは、増えたカラメルの分はプリンかフレンチトーストかと、使い魔がリクエストに悩んでいる。キッチンにはスライスしたリンゴをフライパンに美しく敷き詰めることに集中する吸血鬼。分けられた残りのカラメルミルクティーが片隅の小鍋に確保してある。今は外で、仕事に励んでいる公務員の分だった。





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