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 薄っすらと曇った窓をすり抜けて部屋を照らす、日の光さえ気だるげだった。

 昼食を済ませればいつも強烈な眠気が抗いようもなくかぶさってくる。いなすように欠伸を噛み殺した。さっきまで全開の欠伸を連発していた弟は既に夢も届かぬ場所にいるらしい。尻尾までぐんなりと力を抜いて全身で眠りを貪っている。小動物然としてぬくぬくと温かいそれに寄り添い自分も寝転んでしまいたかったが、生憎そうはいかない理由がある。週末に大量の買出しを済ませておかないと、平日は日中身動きの取れない一家全員が翌週襲い来る食糧難に呻くことだろう。外食に頼れば次は月末に泣く羽目になる。我が家のエンゲル係数を冷静に考える度背筋を凍らされる思いだった。



 食器や鍋の始末を終えてもぐうぐう眠り続ける弟を、叩き起こして連れて行こうかとも思ったが考え直す。外界に対し好奇心が芽生え始めたこの小さな野生児は、砂や枯れ草や傷にまみれた散歩帰りの猫のように日々身に騒動の種をくっ付けて帰ってくるのだ。共に歩けば余計面倒くさいことになりそうだと一人外出の準備を整えて鍵を掴む。
 自分がアルバイトで空ける夜も多くなってきた。幼い時分からさっぱりした気性で構われなくともぐずることの少ないカカロットは留守番にも慣れている。すぐに帰ってくるから問題ないとそのままにして部屋を後にする。切れていた日用品と調味料を頭の中で巡らせながら階段を駆け下りた。





 夕暮れの蕩けそうに密な陽光を受けて道路に落ちる影は濃く長い。アスファルトには未だ昼の熱気が籠もっているが、日陰は思わぬ涼しさを湛えている。夏の名残も秋に拭い去られじきに寒さが押し寄せるんだろう。
 ほぼ予定通りに買い物を済ませることができて安堵しているからだ、嵩張る荷物を抱えていても帰路を踏む足取りは軽い。グラデーションのかかった空など眺めて、季節の移り変わりに思いを馳せてしまう余裕もあった。

「カカ」

 玄関に下ろした大量の荷物を片付けさせようと声を張る。共同通路にポツポツと点る青白い電灯に対し家の中は暗かった。まだ寝ているのか。息を吐いてリビングのドアを開ければ涼風が頬を撫ぜた。汗ばんだ肌に心地よいそれを目を細めて甘受する。そういえば空調もそのままにしていた。
 日が落ちる直前の、どこかうらぶれたような薄暗さに部屋は満ちていた。人の気配のないそこに眉を顰める。

「カカ?」

 肝が冷え慌てて踏み込むと絨毯の上にシャツがわだかまっているのに気付いた。出かけるために自室で脱いだ筈の自分の部屋着。こんもりと盛り上がったそれをめくると胎児のように丸まって寝こける弟が現れて呆気にとられる。直後腹が立って八つ当たり気味に頬をつねった。容赦なくぐいぐい引っ張られて漸く「痛い痛い」と覚醒したカカロットに「いつまで寝てる気だ」と唸る。

「夜眠れなくなるだろ」

「あっ、どこ行ってたんだよ」

「買いもんだよ」

 だから片付けを手伝えと、続けようとした言葉は盛大なクシャミに遮られる。動き続けていた自分には丁度いい涼しさだったが、夕暮れ時の今部屋で転がっていただけの身には確かに肌寒いかもしれない。

「上に何か着ろよ。横着して人のもん借りてんじゃねえ」

「だって、洗濯物ふやすなっておこられっから」

「バカ。親父も本気で怒っちゃいねえよ」

 眠気の覚めないらしい、上手く回りきらない舌が危なっかしく言葉を紡ぐ。取り敢えずよれた自分のシャツでタンクトップ一枚の小さな肩をくるんだ。「兄ちゃんの匂いがする」と言われてまた眉間に皺が寄る。次いで言い様のないむず痒い感覚に尾が逆立った。

「い゛っ」

「玄関の片しとけ。動けばあったまる」


 覆ったばかりの布を剥いでこめかみを小突き、廊下へ押し遣った。目が覚めたのか勢いよく遠ざかる足音を聞きながら、部屋の電気を点ける。紫みを帯びて暮れなずむ空を見上げ、カーテンを引き、空調を切った。多分日が完全に沈んでから窓を開け放った方が快適に過ごせるだろう。
 不在を知っていたということは一度は目が覚めたのだ。置き去りにされた部屋で目覚めることなど初めてじゃないと知っている。だから余計に、あまり味わわせたいことではなかった筈なのに。人が残したものをすっぽりと被っていた本当の理由を推し量って口元が歪む。

 詫びの思いを込めて今夜は好きなものを好きなように食わせてやろうと決めた。ひとまず今ある食材からメニューを考えさせようと緩いスウェットに着替えたところで、多分近所にまで筒抜けであろうドスのきいた声が耳を刺した。

「てめえカカロット! 玄関でものを食い散らかすんじゃねえ!!」



 今日は帰りが早いなと冷静に思う。
 響いてきた怒号にセンチメンタルな気分は綺麗さっぱり霧散した。










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