Others | ナノ




 いい方法って何なんだろ。 
 あれ以来、ずっと気になってる。心当たりがまるでない。けど直接聞くのは避けたい。例の事件については、未だにちょっと、触れずに済むなら触れたくないのだ。
 傷はすっかりよくなって、今では余程目を凝らさなければ分からない。私を硬直させるものはもう何もない。自由に振る舞いながら、それでも、あの記憶は忌々しいものでしかなかった。遊びに夢中になるあまり主人の手を腫れるまで傷付けた犬猫は、きっとこんな気持ちだろう……って誰が誰の主人だ。逆だ逆。野生が育んだ暴力ゴリラを誰が世話してると思ってるんだ。


「ひとりで百面相してんなよ」

 怖えからって続けられて、ドアが開いているのに気付いた。やかましいわ。
 マグカップ片手にのそのそ上がってきて「腹減った」と部屋をうろうろしている。ほれ見ろ。動物園で所在なくさまよう大型哺乳類そのものだぞ。

 向こうは向こうで狂乱の日常生活を捌くのに一所懸命だ。何のかんのと引きも切らずで毎晩お客がやって来る。来ない時はさっぱりなんだけどね。読めないものだ。まあ商売繁盛で結構結構、その調子で私のお城を盛り立てなさい。
 時折訪れる客じゃない客、おやつを強請りにだったりロナ造を構いにだったり、そんな新横の危ない仲間たちをソファに誘いお茶を振る舞うのも、なかなかに愉快で刺激的なひと時である。お茶請けを考えるのも楽しい。今用意があるのはバナナとヨーグルトの焼きドーナツ。ジョンの健康を守るため、ドーナツだけど揚げないし、卵の代わりに豆腐を使ってカロリーダウンだ。

「なあこれ食っていいやつ? いいやつだよな」

 はいはい。いいよ。たんとお上がり。でも齧ってから訊くんじゃない。
 家事の合間に小休憩って、棺桶をソファ代わりに寛いでいたので、キッチンに立ったままもっさもっさドーナツを頬張る5歳児がよく見えた。それはもう、健康的に膨らんだほっぺが輝くばかりにつやつやしてるのも、髪の先まで栄養満点にピカピカしてるのも。座って食えんのかとか思いながら、でもその光景に妙に満足する。
 黙々と、皿に盛ってあったのを多分全部食べてしまって、いじましく指先を舐める挙動を最後まで見守ってしまった。そこで「あ、ヤバい」と思う。さっきまで考えていた内容が内容だったので、舌先まで見えてしまったのがどうにもよろしくない。このタイミング悪男めが。
 掃除の続きは向こうでしようと立ち上がる。お客さんの切れ目にしかできないし、丁度よかった。ブラインドの埃気になってたんだよ。
 ドアを開けたら、当たり前のように退治人が後ろに続いた。おい手はちゃんと洗ったろうな。

「洗った洗った」
「今服で拭いただろ! 信じられないこのゴリラ……」
「お前だってそのヒラヒラ! ジョンのおしゃぶりのくせに!」



 手はきっちり洗わせた。
 気を取り直してブラインドを下げて、羽根をざっと改める。埃が溜まるスパンが早い。ここ土足だしなあとかそんなことを考えていたところ、近いもんだから気になるんだろう。注意力散漫な5歳児に絡まれた。

「何でお前マスクしてんだ」
「え。埃取る時って、どうしてもちょっと舞うじゃん」
「俺にも言えよ! 真後ろにいんのに!」

 青筋立てて「知らずにめっちゃ吸うとこだわ」って騒いでる。そんな溜まってないし、君がハウスダストごときでどうこうなる肉体かよって思ったけど、まあいかな脳筋とはいえ臓器までは鍛えられないかと考え直した。ごめんごめんって箱ごと差し出す。ぶつぶつ言いながら装着する姿を見て「あ」って思った。嫌な記憶が蘇る。まあ背中向けるから別にいいか。羽根をぺたりと垂直にして、上の方から払っていく。反転させて逆側も終え、さあ今度は入り口側の窓だって移動したところで、さっきつけたはずのマスクをもう外してるロナルド君にぎょっとする。

「ねえ……埃って、一回舞ったら結構な時間浮遊してるもんだけど」
「え。目に見えないくらいなら、別によくねえ?」
「……」

 マジの5歳児か。肌に擦れるものに対する耐性がなさ過ぎる。幼少期の彼を躾けた保護者陣は大層苦労しただろうな……
 そこまで思って、ふとよぎった不安を言葉にしたのは「まさかそうではないだろう」っていう前提ありきの確認で、安心したかったからなのに。結果として散々なことになった。


「君さ、そんなんで、ちゃんとマスクできてたの?」
「は?」
「……怪我の時」
「あー。うっかり外した時なんか、傷より周りの視線が痛かったな」
「外したの!? 外で!?」
「いやしょうがねえだろ。多少は」
「落ち着き過ぎだろ! ほんっと止めてよもおおおぉ!」
「いやてめえが言うなや」

 へなへなとソファに頽れた。私があんなに心砕いた事柄に、この、この、スカタンが!

 まあ今更どうしようもないし、罵ったところで好転もしないし。ていうかロナルド君何でそんなに落ち着いてるの? 見られでもしたら一大事だろ。そんなところ一体誰に噛まれるんだって、絶対大騒動になるヤツじゃん。まあ、そんな騒ぎになってないってことは見られてないってことだろうな、多分……私が知らないだけなんてことないよね?

「ねえ、知ってる人には、知り合いには、絶対絶対見られてないよね?」
「何でお前そんな気にすんの?」
「な、で……は?」
「ビキニとか股間が満開のおっさんが練り歩く町だぞ?」

 木を隠すなら森の中って言うじゃん。変態博覧会の中じゃこんなのダニに食われたみたいなもんだろ。

「ダニて」
「神経質なんだよ、てめえは」
「君は開き直りの才能すごいよ」
「いや地味に痛いしマスク蒸れるし、酷え目に遭ったわ、マジもう勘弁ってのもちゃんとあるんだけど」
「……うん」
「ちょっと何か嬉しいってのもあって」
「………………は?」
「あ、ほら吸血鬼AVのさ。あっ俺じゃねえぞ。へんなが言ってたじゃんか」
「いや知らんがな」
「てめーもいただろ! ほら、ラストに必ず吸血シーン入るって」
「あー……?」
「あれ、マジで吸血鬼の生理に基づいた構成なんじゃないかって、裏付けとれた気がしてテンション上がった」
「……それ、外で言わないでね」
「え、なんで」
「え、本気?」

 バカ丸出しだからだよ。
 そもそも私は吸血しようなんて思ってなかったし。一般的にも実際問題それどころじゃないと思うよ。君だってクライマックスに唐揚げ頬張ったりしないだろ。それとこれとは全然別問題なんだよ。ていうか。

「ねえ君、まさか私に噛まれたとか、言ってないだろうな」
「言うかアホ」
「あ、そこまでは。さすがに」
「でもバレてる気がする」
「何で!?」
「さあ。あー。半田とかは元々分かってただろ」
「いや知らない知らない聞いてない怖い」

 怖っ。怖過ぎ。どこの次元の半田君?
 確認したら、新横の奇行子半田桃のことで間違いなかった。え、何で半田君? え、どういうこと? 君は社会人になっても友達とそんなところまで共有する派?

「言わねえわバカ。でも何か知ってるっぽかったぞ? あいつら」
「……は?」

 らって言った。
 らって言った!
 ロナルド君ロナルド君、増えてる。増えてるよ。何で?

「あ? だって」

 ヒナイチはノーモーションで現れるから、マスク外してたらもう隠しようがなかったし。半田には「この俺の猿真似かロナルドォ! 着こなしが全くなってないな! ウハハ!」とかって煽られてむしり取られたし。目に入ったら、そりゃ訊いてくんだろ。説明なんてしないけど。多分、俺の態度とかで、察したと思う。

 いや。
 いやいやいや。
 思うじゃないよ、君、何でそんなに落ち着いてんの?

「え、え? でも、何にも態度変わんないし私に何にも言わないし、」
「何をてめえに言うことあんだ」
「だって君が! そんなとこに、どう見ても吸血鬼に噛まれた跡つけといて……」

 周りが私に何も言わないなんて、そんなことあるか。そんな言葉を続けようとしてから、やっとそれが意味することに気付いた。
 あれ?
 これは地雷かも。

 察知が遅かったから、会話の尻尾をどう回収したものか迷ってしまった空白の数瞬。ほお、と目を細めた悪辣な笑顔にちょっと死んだ。最近嫌な方向に知能を伸ばした類人猿は、よく悪い顔をするようになりおった。これ私の影響なのかな。嫌だな。

「俺が、ここを噛まれるなら、相手はお前に決まってるって、みんな思うだろうって?」

 そう思ってんだな。お前は。ゆっくり区切って確認してくる。
 何だこの辱め。
 いや、ほら、一番近くにいる吸血鬼代表としてね、絶対訊かれるって身構えてたんだけどね……なんて。

 ああああ……発言を繋げればそういうことになるし、今言ってても自覚した。おのれ。脳筋ロナゴリラの分際で、嫌な時に頭が回りよる。こういうことって相手に指摘されると消え去りたくなるな。とりあえず死んだら「死んでんじゃねえ」と追い打ちをかけられた。「うらやましいわーその自信、いや自意識過剰か?」とか何とか、いつの間にかソファにやって来た若造は向かいでふんぞり返ってる。

「うちの中でもお前だけだろ、キリキリしてたの。みんなフツーにしてたのに」
「いやめっちゃ気遣われてんだよ。優しさに胡座をかくな」

 まあ。アレだ。
 日常生活の他愛もないやり取りの最中、ジョンがやや離れて温かい目で見てくるようになったのも、デメキンが悟った目で虚空を見つめているのも、死のゲームが自主的に電源落としてることにも、気付いてる。気付いてますとも。「変な気を遣うんじゃない!」って怒鳴り散らしたくなる。でもその気遣いに甘えて、とんでもないブツを目にしたみんなが一番訊きたかっただろう時期に黙秘を貫いたのは私なのだった。今更何を言う資格があろう。

 いや。ダメな気はしてる。ひしひしとする。これを、この環境を当たり前にしてしまったら何かが決定的に瓦解してしまう気がする。私の平和な日常とか。警戒警報鳴るんだよ。最近ずっと鳴りっぱなしなんだよ。視界に入ったら目で追っちゃうし。ご飯もおやつも美味しかったか訊きたいし。お腹いっぱいにしてあげたいし。どうにも構いたくって息するようにイタズラ仕掛けちゃうし……あ、これは普通にいつものことだった。

 戻る気力もなくて塵のままぼーっとソファに蟠っていたら、今度は、話が斜め上空三回転半捻りした。

「じゃあ、ちゃんと報告した方がいいのか?」
「……?」

 何を言われたのか本気で分からなくて、無意識に寄り集まってた動きも止まる。時が止まった中、やけにキリッとしたロナルド君だけが喋り続けた。

「今更って気もするけど。ジョンには随分心配かけてるし」
「うぅっ」

 私たちだけやけに帰りが遅くなったり、私の外泊が増えたことを言ってるんだろうとは分かった。分かったけどね? ちょっと初弾の衝撃が去らない内にガンガン被せてくんの止めて。頭がオーバーヒートするから。

「あ、メビヤツは、何ていうか、ずっと前から俺の相談相手だから……知ってる」
「はっ? なっ、なっ……、」

 思わず横目で確認したら、今は大人しくスリープモード。ていうか、私のお城のガードマンに、なんってことを吹き込んでんだ!
 いや、違う違う。もっと何か、片付けてない問題があったぞ。そうだよ、半田君とかヒナイチ君とか、何も疑問に思わないわけ? あれから幾度となくっていうか毎日のように会ってるのに。ほんと、何でみんな、私にはなんにも訊かないの? チョロルド君がチョロいから、そっちに訊いた方があっさり色々聞き出せそうって思われてるのか?

「殺すぞ。ていうか俺がケガしてんだから俺に訊いてくんの当たり前じゃね?」
「ええ……いや、でも、だって……」

 今回はそうかもしれないけどさ。怪我のことだけじゃなくってさ。
 ああもう。
 でもとりあえず、メビヤツが日に日に私に厳しくなっていった理由はよく分かった。この若造、どうせ私を悪者にして愚痴りまくっているに違いない。卑怯者め。そっちがその気なら私は他の中立派を自陣に引きずり込むからな。覚えてろよ……と完全にエキストラ系悪役のセリフを心中唱えていたら、何か呆れたような声が降ってくる。

「気になるなら、訊けばいいだろ」
「は? 周りに? できるか! そんな、自分から触れ回るようなこと!」
「……ガキじゃねえんだぞ。誰と誰がどうこうなんて、いちいち話題に上げて騒ぐ奴らじゃねえよ」
「う……」
「気にし過ぎなんだよ、てめえはよ」

 ええ……初めの頃は私だって特段構えてなかったよ。今時女子会にでも利用されるんだから普通に行こうよって誘ったら、ファンに見られたらどうすんだってホテル街で大騒ぎした青二才は誰だ。貴様だろうが。それとも友人にだったらいいのか? 線引きがよく分からん。
 でも何だろう。
 何か嫌な感じなんだよ。
 じわじわと、何かが迫ってくるようなこの感じ。城攻めでもされてるような。この怖さ、上手く説明できない。
 とにかく話を変えたくて、やけくそで話を振ってみる。

「……あのさ。いい方法って、なに?」
「あ? なんの?」
「……いや、もういい……」

 どうでもいいわ。
 疲れた。寝る。
 毎日毎日会社と家の往復でボロ雑巾と化したサラリーマンみたいなセリフを吐いて棺桶に戻った。掃除? 知るか。ここ数分で色んなものを根こそぎ持っていかれた。寝る。寝て回復するしかない。ジョンが不在なのも痛かった。新横浜ご町内野菜でチャレンジ草木染め教室、まだ終わらないのかな……










×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -