Others | ナノ

「いまのなに」

 何って何。

 掠れて、囁くくらいの小さな、でも本気で怯えたような声音に思わず全身を静止させる。じっとしていると肌に空気が纏わりついて、表面が燃えるみたいに熱いのを思い出す。噴き出すように浮いた汗が身体に沿ってどんどん伝い落ちていくのも、もうお馴染みの感覚だった。何せしょっちゅう中断する。

 雫が落ちて、組み敷いた身体の上で弾けた。真下にはどこもかしこも薄い造りの身体がある。さっきまで「塵になってないだけでもう120点満点。合格。終了」とか舐めたこと抜かしてたうちの吸血鬼。バカ。これからが本番だ。

「……はぁ、」

 こいつの体力じゃ、頭を持ち上げていられるのもほんの数秒だ。結局、何を訊かれたのかはさっぱり分からない。見つめ合ったのはわずか3秒間。敷布にぱふんと頭を落とし、張り詰めていた身体が弛緩した。
 それが伝わったから無意識に腰を入れてしまって、押し出された苦しそうな呻きにしまったと思う。慣れるまで待つ、少し前まではちゃんと頭にあったのに。

 こいつの身体が尋常じゃなく固いせいで、脚を開かせることだけでも相当な時間をかけた。比喩じゃなくて、本当に現実的な話。今はこっちの膝に尻を乗せるように抱え上げて繋がっている。近付こうとすればどうしても、ペラペラの身体を折りたたむような形になる。史上最高に弱っちい砂おじさんは体勢を保つだけで息も絶え絶えのありさまというのに……
 分かっていても我慢に我慢を重ねたこっちも限界で、動かないことは苦行に近い。要は、無理だった。

「あっ! あァ、あ、」

 こいつがあんまりビビるから。どう見ても適量外をぶちまけたおかげで十分過ぎるくらいにぬめる。身体のあちこちに乾ききれないぬめりが残っていて、押さえ付けようとした腰が上手く掴めない。もどかしくて、膝でにじり寄るみたいにして腰を進めた。
 そんなに入ってない。お前がずり上がって逃げるから。ほんのちょっとずつだから。だから押し込む度に今にも引き裂かれそうな哀れっぽい声漏らすの止めろ。大変なことになるから。

 膝で立つように腰を上げれば、自然、くっついたペラい腰も抱え上げた脚も引きずられる。苦しかったらしい。機嫌が悪い猫のように唸る。ごめん。
 屈み込んで謝って、薄ら開いた目がこっちを見たのを確認して、これくらいならいいだろって少し揺らした。身体ごと押し上げるようにちょっと進んで、ちょっとだけ腰を引く。常日頃ひんやりしている肌が、今は随分温まっている。温度なんて感じさせない枯れ木みたいな風情のくせに、こんな時にはしっかり熱いとか。反則だ。溶けそう、ぬるぬる、うねって、キツい。

「ッ、ぁああ!」

 言語がどっかに飛んでいく気持ちよさに忘れかけていた意識が、尋常じゃない反応に一気に引き戻された。大仰に脚が跳ねて、一瞬肩を蹴られたかと思ってびっくりする。細い全身が強張っている。ただでさえ狭いのにいよいよきつく食い締められて、痛いくらいの衝撃をやり過ごすのに冷や汗が出るわ血が上るわで、束の間身動きがとれなかった。
 何だと思って顔をじっと見つめると、ぎゅっと閉じた瞼が震えて、開いた時にはポロポロいきなり泣き出したのにぎょっとする。何だ!

「それ……今の、やめて」
「……?」

 ひくんとしゃくり上げるみたいにして、合間にそう呟く。
 どう足掻いても伝ってくる汗が煩わしい。腕で顔を拭って、マシになった視界でよくよく見下ろせば、完全に怯えきってる時のこいつだ。耳がぺったりと伏せられてしまっている。何で何で。そんな痛かった? え、きもちいいの、俺だけだった? 焦るしへこむ。

「……あ……じっとしてたら、いい」

 あ、そう?
 なら良かった……
 ……いや、それ、半永久的に俺がどうにもならなくない?

「……ちょっとだけ」
「は? ぁ、待って、ん、だ、から、あっ」

 よく考えたら、不快だったり痛かったりビビったり、こいつが知覚した段階でアウトだ。何度塵とベッドインしたことだろう。努力が一切報われず砂山を築くだけの虚しさにいい加減プッツンきて、ヤケクソに駆られるまま砂扱きという新しい地平を切り拓いたこともあった。その後しばらく俺の膳にだけ箸がないという陰湿な嫌がらせを受けたりした苦難の道のりが脳裏をよぎる。

「ひぃ、」

 息を吸い損ねたような音。声にもならないような不規則なそれが気になっても、それ以上に堪えきれず腰が勝手に動く。せめてゆっくりって、意識して抜き差しに集中した。
 痛ければ即死ぬ。びっくりさせても死ぬ。オーダーメイドのお高いシャツの袖を誤って千切ったり、顔を撫でようとしてうっかり目に指先が触れそうになったり、そんな不慮の事故であろうと問答無用で死ぬ。
 だから、逆に言えば、死んでないなら問題ない。
 言ったらさすがに無茶苦茶怒りそうだが、ある意味分かりやすくて初心者向きだと思っている。俺には非常に有り難い。そんなことを思っていたから気付くのが遅れた。
 ひくんひくんって、しゃくり上げるような間隔が狭まってきたと思ったらもう次の瞬間には決壊していた。

「ッふぃ、ぐっ、うっぅー……ぅえっ、ぇ、」
「……えっ!?」

 あっあっ、もしかしてヤバい?
 マジ泣きだよこいつ!

「なに、なんだ! こわっ、何で?」
「え、ぅ……だから、とまってたら、いいんだってばぁ……」
「それだと一生このままだけど!?」

 パニクった。
 
 口元を手で覆って、ひんひんしゃくり上げるように息をしてる。嗚咽を必死に堪えようとするような、喉の締まったような音が断続的に続いてる。そんな泣くほど? そんな嫌なわけ? え、これマジで傷つく……何が嫌なんだよ。

「へ……、嫌なんじゃ、ないよ」
「えっじゃあなに」
「……わかんない……」

 そっかあ。
 砂おじさんに分かんないなら、もう誰にも分かんないなあ……

 ……。

 うおおやべえよ、思考能力2って感じだ。ちょっと、お願いですから、ここ一戦だけは、集中して終わらせませんか?

「アッ……まっ、て、ぇ」
「ちょっと、ほんと、むり」
「っ、ああ! ぁ……ぅッ、ひ、ぃ、あ、ああぁぁ」

 抵抗しようとしたのかどうか、持ち上げられた手は俺の腕を擽るみたいに引っ掻いて、すぐに力なく落ちる。あとはもう、揺すられるがままだった。
 分かった気がする。
 顎を反らして跳ねる身体を押さえ付ける。勝手に跳ねちまうらしい。腹の辺りがびくびくしてる。水揚げされた魚みてえ。
 乱暴にしてるせいじゃない。乱暴になんかしない。痛いのとも多分違う。こいつは、抜く時ヤバいんだ。押し込む時は苦しそうじゃあるけどリラックスしてる。抜く度にびくってして、泣き声が酷くなる。

「な、それって、気持ちいいんじゃ、ねえの?」
「……なに? ああ、それ……あッ、あーっ、それ、イヤだ……」
「抜くの、嫌なの?」
「イヤだ……へんになる……きもち、よすぎるから、」
「……」
「ぅ……なんでっ、まだおっきくするのォ?」

 何でって何でだよ。おっきくもなるわ!
 こっちを止めようと突っ張る腕にも、何事かを訴える涙声にも一切取り合わず続けたら、その内声は言葉をなくしてすすり泣きになった。

 夢中になると薄い腹を突き破りそうで怖い。小刻みに、でも最高に気持ちいい間隔で腰をゆらめかせる。こいつだってちゃんと勃ってる。時折腹に当たるものは、別の生き物だからかそれとも向こうの血が濃いからか、しっかり反応してるのにどこか柔らかさがあって、俺とは違う感触だった。腕も肩も腰も脚も。どこも骨ばかり浮き出して、そんで、腹は抉れてる。傷ひとつない滑らかな皮膚が温まると、何でか漢方薬とか香辛料とかそんな匂いが鼻を掠めるのだ。そうまであちこち違うのに、こんな時には息が上がるのも汗をかくのも一緒だというのがどうにも不思議だった。でも安心する。あまりに色んなことが違うから間違えようがない。ちゃんとこいつだ。感触も声も味も匂いも、今自分が齧り付いてるのはちゃんとこいつだって、こいつでしかあり得ないって教えてくれる。声にならない声を漏らして泣きじゃくる。死んじゃうって泣いてる。いつもは青褪めてる肌。今は全身が薄ら染まっていて、目元や頬骨の辺りは特に濃い。喘ぐように息を継いで、涙声を漏らして、だから鋭い牙も薄い舌も丸見えだった。

 近付いたら顔を背けるようにするものだから、丁度真下に細い首筋が晒されて、冷たいはずの無防備なそこに汗が伝うのを見たら舐めたくなった。薄っぺらな身体を潰すみたいに折りたたんで、無理矢理屈み込んで、舐めて、吸い付いて、そうしたら無性に噛みつきたくなって、犬みたいに弾む息のまま噛みついたら今日一番の悲鳴が上がった。同時にぎゅうと勢いよく引き絞られて、もう無理だった。





「人間吸血鬼齧り。首齧りゴリラ。うなじ退治人ゴリルド……」
「悪かったって……」

 頭がふわふわして、変な拗ね方をした砂を宥める時もずっと妙に浮ついたテンションが持続していた。嬉しいのと、気恥ずかしいのと、でも満ち足りてるのと、多分一時的にメンタル最強になってた。何が起こっても怖くない。何やらベソをかいてる砂おじさんの、無駄に豊富なボキャブラリーから湧き出る文句が引っ込むまで、延々と謝り続けることすら可能であった。

 だからだろう、その日は全く気にならなかった。そのダメージは、徐々に蓄積されていく類のもので、ある日唐突にいっぱいになって溢れ出た。





 お前さぁ、と呼びかけたはいいが「ん?」って振り向いた素の顔を見ると言葉が一瞬引っ込んだ。しかし。ここに至るまで一体何度躊躇ったか。行け! 俺! もう後に引いちゃダメだ。引っ込めるわけにはいかないのだ。

「……泣くの、どうにか、なんねえの」

「は?」
「だから。泣くってか、声……」

 洗濯機の扉を開け放ち、せっせと洗い物を振り分けていたドラルクはポカンとした。眉がだんだん寄っていく。これ、本気で分からない時の顔じゃんか。ダメだ。これ以上何て言っていいか分っかんねえ。シラフの時にこういうこと話すの、みんなどうやってるの? 1杯ひっかけてから話すの? でも飲んだら俺多分あっという間に目的を忘れる。弱いもん。そんでこいつが酒臭いの嫌がるんだもん……

 それ以上言葉を重ねることもできずにうぐぐと唸っていたら、訝しげにこちらを見ていた吸血鬼はようやくぴんときたらしい。「ああ」と声を上げた。ニヤッと笑って「セックスの話ね」とわざわざ滑舌よく発語して、俺の反応を確かめやがる。クッソムカつく……こういうところがおっさんなんだよ。

「そうそうセックスセックス」

 そうやって仕掛けられると無駄な意地を通してしまう。ヤケクソで連発するが、頬が熱くなっているのは自分が一番分かってる。クソ。

「……無理矢理してるみたいで、嫌なんだよ」
「無理矢理じゃないじゃん」
「当たり前だろ! 何言ってんだお前!」
「動揺し過ぎ」

 会話しながらもテキパキ仕分けを終えたおっさんは、バコンと扉を閉めてスイッチを入れた。稼働し始めた洗濯機から目を離さずに「ムリ」と一言で切って捨てる。

「多分どうにもならないよ」
「試しもしないで諦めんなよお前!」
「試したよ」

 こいつのせいで買い替えた、ドラム式の洗濯機。唸り出したお利口なそいつは洗い物の量に合わせて洗剤の量を教えてくれる。俺は兄貴が粉派だったのもあってずっと粉を買ってたのだけれど、こいつは液体洗剤が好みらしい。適量を計り投入口に注ぎ込んでいる。ちなみに買うのは絶対俺が一緒の時だ。無論理由は一択、重いから。軽やかな電子音ののち、勢いよく水が流れ込む音がする。もうほっといていいはずなのに、おっさんは振り向かない。

「あのね」

 息を止めたら声も出ないで済むだろうけど、無理でしょ。死んじゃう。だからムリ。息をしたら絶対出ちゃう。

「以上。終わり。時間に遅れるよ? いってらっしゃい」
「……」

 照れているのか怒っているのか判じ難い。でも食い下がってもいいことなさそうだったから、渋々洗面所を出た。家で言うことじゃなかったかもしれない。こいつはどうやら、事務所とかキッチンとか、日常のスペースでそんな話になることを嫌がっている。今ので確信した。
 普段から、俺のことは散々揶揄うくせして、2人の話になった途端あっさり話を打ち切ってしまう。単純に照れ隠しかもしれないが、他のメンツに対する配慮にも見える。それから、ジョンの育児を経験しているからか、変にケッペキなところもある。ジョンはとっくのとうに立派な成体マジロというのに。

 泣き声もなあ。
 本当に、じわじわと、だんだんしんどくなってきたのだ。いえやることはやりますけども。泣くといっても赤ん坊のような健全なのじゃなくって、率直に言ってその、随分とアレを煽り立てるようなソレな感じなんだもの。それでも怒涛の勢いが治まってしまえば、妙に心が痛む。終わった後に泣き疲れてよれよれになった姿にもまた罪悪感が倍でくる。
 どうしたらいいんだろう。
 とはいえ、ずっとかかりきりで悩むわけにもいかない。仕事に付き合いに仕事に仕事。何だかんだとタスクを片付けていく中で、次の機会が巡ってきたのはかなり後のことだった。そうして忘れていた頃にもたらされたものだから、ショックはそれはもう、筆舌に尽くし難いものがあった。





「……何コレ」
「何って。君が気にしてたから用意してみたんだけど」
「これは、それに使うには、難しいと思います」
「何でエキサイト翻訳みたくなってるの?」

 最初の時、動悸息切れ目眩が酷く、しばらく本当の意味でご休憩しないと会話さえままならなかったウブなさくらんぼは俺ですが、その時に次いで挙動不審になってる自覚がある。震えが膝に来ているぞ。生きていて、コレを生で見る羽目になるとは思わなかった。え、俺の発言が原因? 俺のせいなの? そんで本気で装着する気か? これひとつベッドにあるだけですんげえ特殊性癖の世界に様変わりすんだけど。猿轡の、轡がボールでさ、それにベルトがくっついてる奴。俺の事務所のどこかにこんなのが保管されていたのかと考えると意識が虚無に包まれそうだ。

「あの、考えてくださったのは分かるんですけど」
「うん」
「余計ムリです」
「ええ〜」

 試しもしないで諦めるなよ君! とかどっかで聞いたようなセリフを言われた。うわあマジで着けてる。そして、むせてる。バカじゃん。

「おええぇぁ……これ、化学の味がするぅ……」
「ほらムリじゃん」
「しかも牙が邪魔……」
「ダメじゃん」

 どうせ通販だろ。後先考えずポチるなよ。ハイハイ却下だ却下、こんなもん! 不健康が服着て歩ってるみたいな血色最悪ガリヒョロおじさんがそんなもん咥えてると絵面が犯罪的なんだよ! R-18G指定だわ!
 咥えようとしていたプラスチック製のボールをとっととゴミ箱に葬り去ると、恨みがましげに見られた。いいから涎拭け。
 まあ、アレだ。アイデアがぶっ飛んでるとは思うものの、聞き流さずにちゃんと考えてくれていたんだなってことは嬉しく感じないでもない。マジでぶっ飛んでるけど。
 ぶすっとむくれた吸血鬼に「いやお前こんなんするくらいならその辺のタオルとかのがまだマシだろ」って出した対案は採用されたが、結果、ろくに使ってないくせちゃんと鋭い牙のせいでタオルは穴だらけになった。しかも涙声が呻き声になっただけで、無理矢理感は路上でレイプ感にグレードアップした。ダメダメじゃねえか。やりましたけど。





「これっきゃねえ」
 名付けて態度で示そうよ作戦だ。

「何だっけそれ……あ、ほ〜ら↓みーんなで↑手を↑たたこ↓」
「何もかも違え。戦慄の旋律やめろ」

 ねえねえみんなどうしてるの? なんてことを気軽にギルドで聞くわけにもいかず、ここは長年俺に夢を見せてくれた偉大なる教科書をさらってみようとコツコツ復習を重ねた。そう、選りすぐりのエッチなアレだ。とはいえ同居人……じゃなかった、同居吸血鬼等が増えまくった自宅で大々的に上映するわけにもいかず、時間外営業の顔してパソコンを開くこと幾星霜。ハードディスク内に厳重に保管していた秘蔵ファイルまで紐解き、コツコツと真剣に向き合ったのだ。

 当然イヤホンを使用した。こんなに真剣に音声だけに集中したのは初めてかもしれない。ちょっと新しい世界が開けそうだった。おかげで閃いたことがある。光明はエッチなお姉さんにあり。

「みんな嬉しそうなんだよな」
「……ふーん」
「愛しさと切なさと、あと何か、嬉しそうなんだ」
「ふーん」

 うわ。
 何か見るからにやる気ない。何で? こないだのボールギャグが全然役に立たなかったから拗ねてんの? お前は出鼻挫かれたらもうそこでやる気全部なくなる無気力系男子かよ。

「試しにちょっと嬉しそうな感じで一声」
「あ〜ん」
「棒にも程があんだろ」

 安心しろ。そんな演技ガバガバおじさんにも分かりやすいようロナルド先生はちゃんと映像教材を準備しているぞ。ちょっとエッチな憧れのお姉さんがウブな主人公に優しく手ほどきしてくれる系のアレだ。腰めっちゃフルフルシリーズ最新作とかかなりの名作なんだぜ。ここテレビでかいし丁度いい……

「ふざけてんの君」
「俺は至って真剣だ!」
「なお悪いわ」

 イチャイチャしたくてここに来てるのに、何で赤の他人のエッチなシーン見なきゃいけないのさ。言っとくけど君がひとりで観るのだって正直腹立たしいんだからな。そこまで干渉するのはやり過ぎだからしないってだけで。

「パソコンの中とか全部消してやりたいくらいなんだ、ほんとは」

 んなっ、おま、お前だって棺桶にうなじコレクション隠してるくせに!

 自分のことを盛大に棚に上げ、モソモソ布団に潜り込み何やら心の狭いことを言い出すおっさん吸血鬼。というのに、大変残念なことに俺はそれがハチャメチャに可愛く見えるある種の呪いにかかっているので、その後は大いに盛り上がった。
 根本的な解決には当然至っていない。





「あ、お母様に聞いてみようか。私とおんなじ葛藤を乗り越えてきたかも」
「………………親にそれを聞くなんて発想よくできるな。さすが人外」

 ていうか遠回しに俺に死ねっつってんの? 知ってる? 俺お前と違って再生できないんですけど。それともマジに俺を殺したいの? お前はお前の両親が人体をミンチにするところが見たいのかよ。

「何でそんな飛躍するのさ。私ちゃんと上手く訊くよ?」
「内容エグ過ぎんだよ。んな質問我が子にされた時点であらゆる危機感が煽られるわ」
「いや……馬鹿正直に自分のことなんて言わないよ。私の恋人の話ってことで」
「は? 俺の話ってこと?」
「いやだから、レディの」
「は?」
「……」

 とにかく。突然息子からそんな質問来たら不安しか催さねえよ。そんで絶対俺んとこ来るだろあの夫婦。そのまま拷問コースだろ。バレてもバレなくても俺が血祭り第1号じゃねえか。

「そこまで過激派じゃ……まあ、私が15歳未満の頃なら可能性はないではないが」
「頭ゆるふわおじさんか? お前は普段親父のお前狂いっぷりをどう受け止めてるわけ? 言っとくけどお前んちお母さんも相当ヤバいからな」

 そうじゃなくても息子をコマされた事実だけで発狂するだろお前の親父は。追い打ちで息子が手前ぇの嫁さんに「夜の運動会で泣いちゃってませんでした?」なんてこと訊いたとか、それ知って正気度保てると思うのか? あ? 控えめに言って首都破壊だわ。あまつさえその回答を俺が聞いて、無事でいられるって何で思えるわけ? 想像力ゴミカスなのか? 反論あるなら言ってみろオラ。砂。塵。ゴミクソ雑魚カス。

「何で想定が全部最悪の事態なの? 危機感からくる切迫感で、いつにもまして言葉が酷いし」
「ったりめーだコラ!」

 お前ってやつは、ばんばか殺されてもどんどこ蘇るからか? 他人の痛みってもんがまるで分かってねえ。俺があのギックリ親父だったらポールが息子のコレってだけでまず10分の9殺しだ。ジョンに置き換えて考えてみろ。独り立ちしたジョンがお前の知らないところで野生のゴリラと体の関係まで進んでるんだぞ。

「あ、殺すわ」
「だろ」
「暴力は無理だから、およそ私の考え得る全ての方法を駆使して社会的に抹殺する」
「おう。暴力は任せとけ……って誰がポールで野生のゴリラだ。殺すぞ」
「失速しないギリギリまでノって、クライマックスでの突っ込み。見事な呼吸だ」

 キッチンとベッドでは殺さない。それが俺たちの不文律だったけど、この時ばかりは我慢できずに拳が出た。ご家族にちゃんとしないといけないよなとは一応考えている。考えてはいるが、こんなところから説明を始める気はさらさらない。して堪るかバカ野郎!





 砂おじさんは今日も泣いてる。
 毎度毎度身も世もないって感じで振り絞るように泣く。おかげでワンラウンド終了後には声がかっすかすになってたりする。次に死ぬまでの間とはいえ、そういう点も心にくる。



「お前、絶対ムリって言うけどさ、その、前から……そうなのかよ」

 あー。
 正直聞きたくない。
 俺はこいつが初めてなのに、こいつは俺が知らない誰かを長い年月で知ってるんだろうとか、考えてもどうしようもないことを、最近どうしても考えてしまう。

 初めはそんなもの微塵もよぎらなかった。肌を許されたってだけで、誰よりも近くに接することを許されたってだけで十分だった。
 極端に肌を見せない普段の格好。鎧じみたそれを全部剥ぎ取ってしまう時、こいつは、虚栄心だかプライドだか、そんな窮屈なものも一緒に落としてしまうらしい。無条件に信頼を寄せてくる態度と、甘えるような仕草と、子どもみたいに無防備な寝顔。それだけで、本当に十分だった。

 何でだろう。どんどん欲張りになっていく。今をもらっているのは俺なのに。こいつの過去まで欲しくなってしまっている。その衝動は自分だけではどうにも抑えられない。想像するだけで物狂おしく、下手すると八つ当たりしてしまいそうになる。どうやら俺の中には、俺が知らない俺が沢山いるらしく、こいつと関わるようになって、そんな俺をしょっちゅう発見する羽目になっている。
 大事にしていた奴がいた、情を交わした相手がいた、そんなことを実際に聞いたら、正直どうなってしまうか分からない。だから聞きたくなかった。

 聞きたくないけど、我ながら面倒くさいことに、知りたい気持ちはあった。

 原因を探り対策を練るためという大義名分を小脇に抱え、ただただ内実が知りたいというそれだけを原動力に、まだ見ぬ俺が目覚めるリスクも承知の覚悟のもと、ある夜ままよと斬り込んだ。というのに。

「前からって……何が」

 知りたいけど知りたくない。恐怖、羞恥、焦燥、好奇心、それからまごうことなき嫉妬心。纏わりつく様々な感情を振り切って聞いてみたのに、疲れきった砂おじさんの反応はいまいち手応えのないもので、肩透かしを食らった気持ちになる。

「だから。ほら……泣くの……」
「ああ……さあ」

 こんなの初めてだもの。私だって、知らなかったよ。

「……はっ? は、初めてって」

 初めてって何が?
 こんな気持ちいいの初めてってエッチな意味なのか、行為そのものが初めてなのか。
 そこ、ものっそい大事なんですけど。

 突っ込んで聞いてみたいけど何て聞いていいか分からない。そんな懊悩溢れる渾身の顔芸を見て人の心を持たない吸血鬼は無情にも吹き出した。

「人とこんなに深く関わるなんて! 100年前の私が知ったら卒倒するだろうね」

 想像もしなかったと、まだクツクツ笑いながら言う。

「君と出会うまで、私が一番会話した人間といえば、城周辺地域担当だった宅配業者さんかな」

 生身で関わろうにも、そもそも吸血鬼って存在自体遠巻きだったし、そういうところがよくて日本に来たのもあるし。ネットの普及は嬉しかったなあ。今でこそ別に隠してないけど、最初の頃は、吸血鬼とかバレないようにしなきゃって気を付けて、沢山の人と繋がってたよ。でも、ネット上で切れてしまうとそれ以上関わりが持てなくてね。みぃんな、私の上を通り過ぎていくだけ。正直な話、色々な意味で、君が初めてだよ。今スマホにある連絡先だってほとんど君がきっかけでできた繋がりだしね。

「君は特別。君は規格外。私にとって、君は、別世界への扉みたいな存在だよ」

 どうだい。君の生涯最大の栄誉だろう。せいぜい光栄に思うがいいよ。

 ムカつくセリフなしに終われないのかこいつは……とも思うが、実際のところその点は全く意識の埒外にあった。それどころじゃなかった。
 掠れて途切れがちな声は、多分思い出しながら喋っているせいだ、ゆったりと時間をかけて過去を語った。いつにもまして眠たそうに、ゆっくりと瞬きをする伏し目がちな目元。力の抜けたあまりに柔らかな表情にぼけっと見入るのに俺は忙しかった。この200歳児が意図的なのか無意識なのかは知らないが、まんま、甘えん坊モードのジョンをあやす時のような、愛しいものを見守る顔でこっちを見る。伸びてきたほっそりした指先は優しく髪に触れてきた。こんなの何も言えねえよ。そうか。初めてだったのか。そうかあ。





「え。何で。そういう流れじゃなかったじゃん」
「いやそういう流れ以外の何物でもないだろ」

 のし掛かり見下ろしたら、ぎょっとした顔で腕をタップしてくる。ムリ! 死んじゃう! と悪足掻きを試みるのを「優しくするから」って必死で説き伏せた。こいつの死ぬ死ぬ詐欺に慣れてきたってのもある。何しても死ぬくせに、意図して自在に死ねるかというと決してそうではない。むしろ、焦るとかえって思い通りにならないところがあるようだ。
 多分大丈夫。俺だってもう落ち着いてるし。額と額を合わせるようにして伺いを立てると、渋々ながら最終的には許可が下りた。





 こういう時と美味しいものを食べる時って、ちょっと傾向が重なる気がする。
 まだまだ塵とベッドインする方が多かった頃は、子どものようにがっついていた。ろくに噛みもせず、とにかく詰め込んで、間違っても人にとられたりしない内に早く飲み込んでしまいたい、自分のものにしてしまいたいって、夢中だった。目で楽しむとか、じっくり味わうとか、とっておくだなんて二の次三の次だった。

 少し変わってきたと自分では思う。こいつがどう受け取っているのかまでは聞いたことがない。そこまでの自信は全然ない。

 逸る気持ちを飼い慣らしながら、骨に沿って隆起した肌を辿っていく。下にいるとゴリラの重みでいつ死ぬか分からないとかほざくから、反転して上に引きずり上げた、胸を合わせるように乗っかるぺらい身体を、触れる肌全部を使って愛撫する。ぴったり重なっている背に腕を回して、浮き出た脊椎の尖った形を確かめるようにひとつずつ指先でなぞった。擽ったいと笑うのをいなして、一度は汗のひいた冷たい身体を温めていく。皮膚が薄い部分は特に敏感だ。そうしてこいつの皮膚はどこもかしこも大体薄い。触れるか触れないか、渾身の力加減に集中していると、次第に、今度は向こうが焦れてくる。

「よいしょ」

 腕だけでもめっちゃ重いな君は。文句を言いながらぺらぺら吸血鬼が身体を起こす。俺の頭越しに腕を伸ばしてもぞもぞ身動ぎ、その辺に転がしていたボトルを探しているらしい。そんな体勢になると目の前にくるスペアリブに、ついつい指を這わせてしまう。全く、肉というのはここまで削げるものなんだなあとしみじみしていると、無言で距離をとられた。伝わっちまったのか、気を悪くしたようだ。

 俺もちゃんと気を遣うようになったけれど、こいつが気まぐれに購入するそれ系の製品はやけにバリエーション豊かで、今日は「見て見て金箔入り〜本物だよ!」とか見せびらかしてきたのを使っている。初めの頃はオーガニックじゃなきゃ嫌だとか散々注文をつけてきたくせして、今や何にでも手を出している。冬は温感のを試して、体質に合わず死んでいた。春先は桜の香りとか苺のフレーバーとか、やたら甘ったるいラインナップだった。夏はスースーするのを持ってきて、これまた刺激で死んでいた。乾きにくい、何だかやけに重い気がする専用のそれ。今日のはゴージャスにきらきらしている。そんで、やっぱり今日も散々ぶちまけたから残りは少ない。乱暴にボトルを振って、残った分を寄せている。

「冷てえっ!」
「我慢してよ」

 おい、雑過ぎんだろ。色々引っ込んじまうぞ。
 俺の腰に跨って、卑猥な音を立てて腹にぶちまけてきたそれを、薄い手のひらを密着させてゆっくり温めている。にちっとか、ぐちっとか、絶対わざだ、下品な音を立てて、興が乗ってきたのか結構楽しそうだった。

「う」
「……あったまってきた?」

 体温に馴染んだそれを筋肉に沿って伸ばされる。下腹部にまで広げられて、緩やかに兆したものに細長い指が絡みつく。かと思ったらすぐに離れて、まだ腹筋の辺りに留まっていたぬめりをせっせと身体に伸ばし始める。明らかに目的を持った指先に何を企んでいるのか危ぶんだが、何がしたいのかはすぐに分かった。

「さて」
「……お前、滑って転ぶなよ」
「そこまで迂闊じゃないわ」

 既にベッドはぐっちゃぐちゃだ。シーツを交換する人ごめんなさいって感じ。今更だから、その辺に放っていた上掛けを羽織って腹の上にダイブされても「まあいいか」が「バカ止めろ」を上回っていた。まあいいか。こいつが楽しそうだし。そんで結構気持ちいいし。

 さっきの比じゃなく密着する薄い身体。滑り過ぎてちょっと心臓に悪い。油断すると腕とか頭とかに勝手にぶつかって死んじまいそう。胸板までぬるぬるにされたから、そこに手をついたガリヒョロおじさんが心配になって見守っていたのに、当のおじさんはそんなのどこ吹く風で「これサラサラ過ぎた。肌に使うなら専用のじゃないと駄目みたい」って無駄な探究心を見せていた。絶対口にはしないが、こうやってとことん真面目にバカをやるところ、結構好きだったりする。

「ふ……」

 小さなため息をついて、ことさらゆったりと体重を預けてくる。
 空調の音と冷蔵庫とかのモーター音と、あとはそれなりに気配が伝わるそういうお宿である。静まり返っているわけでは決してないのだが、こうして密着して行為に及べば、大抵は自分の呼吸だけで十分うるさい。余裕がないって思われそうで、いくら真実でもそれがイヤで、最中何度も意識して息を整える。
 だから、今息を落ち着かせようとしてんだなっていう相手の動きもよく分かった。腹と比べればまだ厚みがある胸が、ゆっくりと繰り返し上下している。下敷きになっていた腕を抜いて、掛かってる上掛けごと抱き寄せたら、腕の重みに押し出されるようにため息が大きくなって、ちょっと笑う。
 目を閉じて、少しだけ顎を上げて、意識して力を抜いた。軽いとはいえちゃんとそこにある重みが、よりしっかり感じられる。伝わってくる息遣いに集中して、自分の呼吸も合わせてみる。

 灯りを落とすか落とさないか、当初は揉めに揉めた。夜目が利くこいつは真っ暗だって不自由しない。どっちかが極端に見えないってそれはズルいだろって、俺の主張は間違ってないと思う。向こうは向こうで皓々と明るい中なんざ白けるわって譲らなかったから、妥協してフットライトとかベッドライトとかに留まった。それだって調整できると見るや限界まで絞りやがる。
 今は、結果オーライだと思ってる。
 こいつは、俺がろくに見えていないだろうと、そこを未だに疑わない。だから割と油断している。実は結構目が慣れて、色々とはっきり見えていたりするのだが、別に申告することでもないだろう。わざと焦点をずらしたりするのがコツである。

「はぁ……」

 熱っぽい吐息が上から降ってくる。ぴったり重なるということは、互いの状態まで筒抜けということで、向こうが興奮してるって現実にこっちも尚更興奮する。ちょっと荒くなってきた息をどうにかしたくて一度深呼吸したら、俺の腹に密着したものがぴくんと跳ねたのが伝わって、思わず薄目で窺ってしまう。
 痛みを堪えるような、そんな表情だった。眉を寄せて、口元を歪めた、何かに傷ついたような顔。最初は何か我慢してるのかって焦ったけれど、もう慣れた。鏡張りの部屋なんて行ったことないし、多分これからも行かないだろうから確かめようがないけど、多分、俺だって似たような顔をしてる。目が合いそうになったから慌てて目を閉じたら、顎に触れるだけの口付けをされた。何で口じゃないんだよ。

「ん、んっ」

 ぬるついた腹から下をぴったり合わせて、脚を絡めて、俺の肩を掴んだ砂おじさんが俺の上でリズミカルに身体を揺すり始める。具合のいいように擦り付けて、思わずって感じで声を漏らす。揺れる背中に腕を絡めて、もっと密着しようと引き寄せた。
 ダイレクトに表面に形を伝える骨のせいで痛みがないわけでもないが、ぶちまけたぬめりのおかげでかなりマシなものである。痛みというにはささやかな、疼くような感覚。何か、アレだ。逆にイイ。肌に挟まれてすっかり温まったおかげで、さっきからずっと、それこそAVみたいないかにもな音がやたらと耳につく中で、浮かされたようにアホなことを思ってる。

 こいつはどこまで行ってもへなちょこだから、速攻で息が上がってる。荒くなる呼吸に、こっちもどんどん引きずられていく。ぴったり重なった下腹部で、俺のも一緒に擦られて、でも微妙な刺激にもやもやする。そういう気分の時はもういいってくらい構い倒してくるくせに、今は自己中おじさんの気分らしい。自分のいいように動いて、俺のはろくすっぽ構わない。別に固定もされてないから、薄っぺらな腹の下逃げるままにごりごりされてる。

「お前ってさ、床でする派なの?」
「……ひみつ」

 私清純派だからって、ここに至ってもなおとぼけたことを捻り出すが、顔には「もう限界」って書いてある。多分体力的にも、あっち的にも。ひとり置いてきぼりを食らっては堪らないので、手を出すことにする。半ばずり落ちた上掛けをさらに落として、腕を伸ばした。

「いっ! いきなり、つかむな」
「いや、掴める程ないだろ」

 初めて触れた時「尻がねえ!」と錯乱したのは今やネタである。いやほんと、マジでない。別に測ってねえけど、こいつの尻、太腿んとこと比べても多分サイズ変わんないと思う。
 合わせた腹のぬめりを掬って、背骨の先っぽを探るようにきわどい部分を撫でると、辛うじて起こされていた上半身はべったりと倒れ込んできた。ため息と一緒に「きつい」と弱音を吐く。分かってたけど、本当に、笑っちまうくらい体力がない。仕方がないからこっちが頑張るしかない。

 完全に力の抜けた身体をあやして、抱え上げるよう腕を回す。ぬめりがあって助かった。ずり上げて今度こそちゃんと尻を掴み、割れ目に沿って指を下ろした。早くも泣きそうな声が上がるのを無視して指を埋める。ぬるぬると行き来させて、少しずつ奥へ。指だけなのに、時折引きつけを起こすみたいに跳ねる身体は、さっきから一言も喋らない。息をするだけで精一杯といった様子だ。大丈夫か不安になる。大丈夫じゃなくてもするけど。

 引き抜いて、適当に拭って、半端に絡んだ上掛けを直して脱力しきった身体を包む。普段棺桶で寝てるせいか、こいつは上に何もないと、どうやら不安になるらしい。おかげで上着とか毛布とか俺とか、寝転んだこいつには何かしら掛けてやるのが癖になってしまった。でも今のこの状態だと、寝ちまいそうで滅茶苦茶不安なんだが……寝るなよって声をかけたら「うん」って素直な返事がきた。これはヤバいと焦って枕元を探る。

 当初「なくてよくない?」ってうっかり漏らしたら大人のマナーだと懇々と説明された。何って夜の帽子の話。ドラルク先生にしてはかなりマジな感じで講義なすった理由は明快だ、己の身体にダイレクトに関わる事項だから。全く、我が身可愛さにかけては他の追随を許さない。
 俺は俺で「絶対兄貴はこうするぜ!」とか勝手に想像して口で開けたり片手で開けたり、使うとなったらスマートにやりたかったから、こっそり買い込み練習に明け暮れた。そうしてうっかり口に入ったり勢いのまま中身まで裂いたりしたアホな結末までセットで思い出す。こいつのせいで、アホな自分に出会う機会も確実に増えた。結局普通が一番早い。気が急くしどっちもぬるぬるしてるしで、やり辛いことこの上ないのを破かないよう集中して、準備万端にフィットさせる。よし。

 行ける! って顔を上げたら横臥の体勢で案の定眠りかぶってる砂おじさん。横っ面を叩いて起こしてやりたいのをぐっと堪えて、細長い脚を片方抱え上げる。下半身を噛み合わせるようにして、濡れそぼった箇所に先っぽを馴染ませた。ぐりぐり当てるとさすがに「んん」って目を開ける。
 さっきまでの残りと、今しがた解した分と。多分大丈夫だ。ぐっと一息に先端を呑み込ませる。

「っ、ぁあああ……ッ」

 内側はまだ閉じきっていない。すんなり咥え込んだ縁はけれどぎゅうと締まって、性急さを責めてきた。喉を反らせて悲鳴を上げて、それだけでまた体力を使ったらしい。ひいひい息を継いでいる。先っぽが入ってしまえばこっちのもので、ぬかるんだ内側は小刻みに腰を入れる度ずぐずぐと沈んでいける。何度もため息をつきながら、少しずつ押し込めた。腿の内側が痙攣するように震えてる。さっきまでそれなりに反応していた性器からは涎みたいに精が伝っていた。構ってやりたいけど今は無理。
 色んなもんがちっちゃな尻に当たるくらい奥まで辿り着く頃にはもう、意識があるかも怪しい始末だ。ただ、突いたら弾けそうにぴんと張りつめていた細い肢体は、黙ってじっと待ってさえいれば、だんだんと解けていく。しばらくの間じっと待って、そうしてぐんにゃりと力の抜けきった身体を支えて息をつく。

 生きてるかって呼びかけに、もう言葉が返ってこない。ぬろりと抜き出すと子どものように甲高い喘ぎが溢れる。押し入ってはことさらにゆるゆる抜き出すのを繰り返す内に、やっぱりすすり泣きが始まった。全身がびくびく跳ねて、きつい、辛い、苦しいって、そういう文句はしっかり言葉にしてくる。力なく、弱々しい、囁くような泣き言。疲れた、もう歩きたくないって、道端で駄々をこねる子どもを思い出した。週末の駅前とかでよく見る光景。

 寒くないようにってのもあって上掛けを与えていたけど、もう多分大丈夫。剥いで、転がしていた上半身を抱えた。不穏なものを感じたのか訝しげに見てくる奴に笑いかけるも、余計不安を煽ったようで「おい」とか「止めろ」とか必死に訴えてくる。聞こえねえな。

「っしょ」
「ぃっ……あっ! あああ!」

 持ち上げて、抱え上げて、膝の上に座らせた。内側に咥え込ませたまま捻るように動かしたのが、思った以上に強烈な刺激になったらしい。全身が強張ってひくひくしてる。不自然な体勢で置いてかれた脚を持ち上げて楽な姿勢にしてやりたいのに、やっぱり固くて動かすのも一苦労だった。マジでどうにかしてほしい。風呂上がりに柔軟でもさせようか、真剣に悩む。

「ほら。膝、曲げろって」
「ッあ、むり、も、」

 ぜいぜい言ってる。
 情けなく眉が下がって、目元も鼻も頬も赤くて、汗に湿った髪も耳もすっかり悄気てしまってる。相手が限界ギリギリだと、不思議とこっちには余裕が戻ってくる。宥めてやろうと鎖骨やら肩口やら、目の前の肌に唇で触れた。よしよし。腕をしっかり回して体重のほとんどを引き受けてやると、多少は息をつけたらしい。走った直後かってくらい荒れてた呼吸が、階段上った後くらいには落ち着いてきた。

「じっとしてたら、大丈夫なんだろ」
「そ、だ、けど……」

 頼りなく頭が揺れる。繋がる部分に少なからず体重がかかっているから、それを分散させたいんだろう、肩に手を置いて縋りついてきた。バランスを崩さないよう腹に力を込めて支える。

「お前の、いいようにしていいから」
「……むり、」

 力入んないって、頭を凭せかけてくる。それでも慣れてきたらしいのは、息が随分マシになっているので分かる。ない尻を支えて手伝ってやると、ほんの少しだけ身体を揺らした。シーツに下ろした膝を使って、肩を掴んだ手に力を込めて、さすがに身体を持ち上げるまでは無理だったらしい、前後に揺らすように動き出す。


「……ふぅ、んッ、ぅあ、あっ、ぁ、」
「な、きもち、いい?」

 乗っけてる分、多少見上げる形になる。肩口に伏せられた横顔が近い。やっぱり耳はぺたんとしてる。歪んだ口元から牙が覗いてる。涙混じりに必死に喘いで、顔を伏せているせいだ、唾液が零れて顎まで垂れてく。拭ってやりたくてもさすがにそこまでの余裕はない。耳元に頭を擦り付けてくるから、声が脳にダイレクトに響いてきて、酔いそうになる。こっちだって息が上がってるし、酸素が足りてないからか、本当に、酩酊してるような気分になってくる。

「うんっ、あッ、いぃ、きもち、イイっ」
「……ん」


 汗だかローションだか、ぬめる手指で懸命に縋りついてくる。肩にも背中にも、滑っては何度もかけられる指に、健気なものを感じてしまう。全身を擦り付けるみたいにして、いいように動いて、俺で気持ちよくなってる。余計なものを全部を取っ払って、だから子どもみたいに素直に、訊かれたことに真っ直ぐ応えるのが堪らなかった。
 すげえ勢いで脈打つ自分の鼓動が自分に響く。もう時間の感覚が分からない。少しでも引き延ばしたいのと、そろそろ我慢キツいんだけどってのと、どっちも混ざり合ってぐちゃぐちゃだ。重ねた身体の揺らぐような律動がどんどん早まっていく。駆け上るみたいに息が乱れる。喘ぐような声が、吐息が、不規則に高く跳ねて、ああヤバいって腕に力を込めた。

「あぅ、あっ、ア、ッ」
「……っ」

 ぎゅうと爪が食い込むくらい肩に力がかけられた。痙攣するみたいに震えて、揺れていた身体が硬直する。含ませたものごときゅうきゅう締め上げられて、かと思ったらふと緩んで、波が来るように何度もやられて、限界が見えた瞬間何も考えられず腰に腰を目一杯押し付けていた。そうやって無意識に穿った最奥で「出る」って呻いたらぴったり合わさっていた身体が反って、細い悲鳴が漏れて、背中で絡んでいた腕に力が籠って、そんでぎゅっと抱きついてきた。内側からも外側からもこいつが絡みついてくる。こっちだって逃すまいと、縋るみたいに肩を掴んで、串刺しなさがら俺に思いきり押し付ける。密着した腰が断続的に跳ねる。あ、あ、って泣き声が上がる度に、駆け上がっていくものが、身体の芯ごと吸い上げられるみたいだった。薄い皮膜に遮られていても、何度も出て行くその間中、搾り上げるようにやわやわと柔い肉で揉まれて、いつまでも終わりが見えなくなりそうなこの感じ。意識が白んで、そのままどこかに飛んで行ってしまいそうな。

 俺がようやっと落ち着いても、向こうは随分長い絶頂を得たらしい、しがみついてきた指から力が抜けても、薄い身体は何度も何度も思い出したかのようにびくんと跳ねて、涙混じりの湿った吐息で首の辺りがずっと熱かった。










「蛙の話思い出した」
「……かえる?」
「いきなり熱湯に入れるとびゃって逃げ出すけど、泳いでた水ごとじわじわあっためると、お湯になってもそこにいる、みたいな」
「……君は、そんな、残酷な遊びを」
「違う! これはそういう例え話だ!」

 もう慣れたけどさ、と前置いて「君は本当にムードがないね」としみじみ呟かれる。悪かったな。何しても砂山になってた砂おじさんは、本当に棚上げが得意だよな。まあ「蛙を扱うようにすればいいんだな」って言い方に、確かにムードは全然ない。

「……でも、浮気の心配がなくていいから、君はもうずっとそれでいてよ」
「は?」

 何でそこで浮気の心配だよ。てめえの方がよっぽどムード撃破してんじゃねえか。ていうか浮気なら俺よりお前の方が可能性大ありだろ……「はぁ?」じゃねえよ。俺のがはぁ? だわ。ちょっとした疑問なんですがね。人と深く関わるようになったのは俺以降ってのは分かったよ。ならよ。

「お前、吸血鬼とだったら何かあんの」

 スナア

 なんっで今死ぬんだよ!
 おい! それは自供ととるからな!
 何か言えよ!
 何か言えって!

 砂風呂みたいになりながら、完全黙秘を決め込んだ砂山を握り潰す夜の虚しさ。どういうことだよ。これは話を振った俺が悪いの? 何も言わないって残酷過ぎんだろ。せめて優しい嘘をついてくれよ!



 干渉し過ぎかもしれない。
 こいつだってそうなるからしないっつってたことがある。相手がその線を越えないなら、同じような線を守るのはマナーなのかもしれない。いや、そもそも同じなのか? これこのライン、同じじゃないよな。
 行き過ぎなのかどうなのか、俺に比較対象がないから分からない。「んなこと知ったこっちゃねえ」と「怒らせんのは嫌だなあ」の間を高速で行き来して、この短時間というのに精神の摩耗が酷い。心の健康回復のため、とりあえず砂のお布団でふて寝した。


 次に目が覚めた時、砂はいつものマントに包まってソシャゲに集中していた。上掛けに埋もれた中で思いきり伸びをする。身体を起こしたら「どのガチャ引くべきだと思う」などと真剣にクソ下らねえことを訊いてきたので、腕を伸ばして適当に画面を連打してやった。情けない悲鳴を上げてスマホを庇う砂を置いて、ひとっ風呂浴びに行く。

 夢うつつの中、触れてきた唇の感触。宥めるように繰り返し頭を撫でられたような、額に残ってた汗を優しく拭われたような、そんな感覚が残ってる。それが本当でも気のせいでも、洗い流してしまいたかった。

 あっさり絆されそうな自分が嫌だったし、それだけで引き返せるような浅い覚悟だなんて思いたくなかったし。無神経と罵られても仕方ない、微妙なとこなのは分かってるけど、でも、俺らはそんな領域に踏み込める間柄じゃねえのって思うから。誰より近い場所にいるって、そういうことじゃねえのかよ。床オナ派なのかどうなのかなんて、そんな下らない話題も共有できるような、そんな関係のはずだろう。いやこだわってるの、そこじゃ全然ないんだけど。

 短時間でも睡眠をとったおかげで、頭の中が整理されたようだった。俺が何を欲しがっているのか、何で次から次に欲しがってしまうのか、それが、ちゃんと分かった気がする。知ってどうするとか、知ってもどうにもならないだろうとか、そういうことじゃねえんだな。

 家族と師弟関係と仲間と仕事上の契約とお客さんと。別にしがらみなんて思ってないけど、でも色んな断ち難いものに雁字搦めの俺と違って、こいつは、やろうとさえ思えば、今夜この瞬間にでも関係を断ち切ることが可能なはずだ。チートなジジイの手を借りれば、いや親父にだってできるだろう、土地にも人にも痕跡ひとつ残さずに、煙のように消え失せることだってきっと容易い。
 今はしようと思わないからしないだけ。今はいたいと思うからここにいるだけ。こいつの気まぐれの上に成り立ってる、そういう関係だった。
 だったら俺は、ネット上で繋がってたっていう奴らと一体何が違うのかって、そんな考えに至ってしまってちょっとばかり肝が冷えた。いや。いやいや。違うよ違う、だいぶ違う。ネット上の繋がりって、こういうことまで許すあれじゃないだろ。え、違うよな?

 要は、不安なのだった。
 俺は俺に自信がない。
 でもそこはもう、一朝一夕で解決する問題じゃなし、毎日毎日ちょっとずつ、地道にコツコツ固めてくしかない。

 だから今は、せいぜい俺ができることで雁字搦めにしてやろうじゃねえかと思うのだ。いつかこいつが逃れようとしても逃れられないくらいには。握りしめて、爪痕立てて、意識のどこかには永遠に、居座ってやろうと思うのだ。

 そこは絶対譲らねえ。ド健全にエッチなお姉さんが大好きだった俺を、いやまあ好きか嫌いかって言われたら今も好きなんですが、とにかく完全にストライクゾーンの範囲外、ボールもボールってか正真正銘デッドボールな砂おじさんで見事に撃ち抜いてくれたんだ。責任しっかりとりやがれって話だろ。今更「わあヤバいよジョン逃げようか」なんて抜かしてももうとっくに手遅れだかんな。思いの丈を思い知れ。

 若干不穏な覚悟をぎゅうぎゅうに固め直し、ひとまずは日常へと戻るべく、精神的に蟠るもやもやと物理的に絡みつくベタベタを全部落とそうと目一杯シャワーを熱くした。



 そもそもの悩みだったはずのすすり泣きおじさんについては、いつの間にやら「イイってことだろ」とすっかり受け入れてしまい、むしろないとなったら物足りないというかぶっちゃけ壮絶にエロいからそのままでいいやというか、そんな感じです、はい。挙げ句の果てには声の調子や泣きっぷりで「あ、今日の俺ヤバいの?」とか「こいつ今日集中してねえな」とかいらんことまで分かっちゃう精度の高いバロメーターと成り果てるのだが、それはまあ、それなりに後年の話である。





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