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「トカゲみてえ。越冬中の……」
「さすがはムード粉砕器。言っとくけど君、かなり深刻なレベルだよ?」

 初めて触れた温度にびっくりし過ぎて、思わず素で呟いていた。吸血鬼は気分を害したというより呆れた様子で身体を起こす。寝台の上で向かい合った。

「やっぱり止めるかい?」
「何でだよ」

 怖気付いたか。
 尋ねてみたら、それは君だろうと言わんばかりに肩を竦める仕草を返され癪に触った。距離をぐっと詰めると衣類をはだけたままほんの少し身構えたのを認め、やっぱり怖いんじゃねえかと優越感が半分、怯えられたショックが半分。
 こいつは吸血鬼、百も承知だ。なのに人の姿に近いからか、気安い態度のせいか、気が付けばついつい人のような感覚で触れている。不意に違いを思い知る瞬間は多々あって、そんな時は突き放されたような壁を立てられているような……とにかく心がモヤッとする。
 削げた両頬にぺったりと手のひらを当てて、熱を移そうと念を込めた。吸血鬼は「熱い」と笑う。その熱を実は大層気に入っていることを俺は知っている。

 頬から露わにされた首筋、胸元へ。ゆっくりと手を下ろしていく。贈り物を開く時のように、ボタンダウンのシャツの前を全部開いて、色の悪い肌に直に触れている。肋の形までくっきり表面に伝わる程のガリ。なぞるように手を動かすと緊張したようで、身体が固くなった。

「ハグしていい?」

 なかなか温まらない。そんなことをぼんやり考えていたら、何かいきなり尋ねられた。返事を返す前に膝でにじり寄った吸血鬼が乗っかってくる。別にいいけど。
 見た目通り、いやそれ以上に軽い。いつものかっちりした礼服やマントを取り去っているから尚更だ。腰とかぺら過ぎて、下手したら俺の両手が回りきるんじゃないかと試したくなる。でもまあ、こいつは実のところ自身の体つきを結構気にしているから、サイズを測るような真似は、少なくともこういう時にはしないでおく。風呂を使っていたくせに「バスローブは貧相に見えるから嫌だ」と主張してわざわざシャツ姿に戻ったくらいだ。お前は貧相だろうがよ。


 手のひらを押し付けるように密着させて背中を支えると、布越しでもやっぱり自分とは違う温度だと思い知る。冷たいのが常態だと理解しているのに温めてやりたくなるのは何なのだろう。向こうは向こうで背後からインナーの中に冷たい指を侵入させてくる。ひやっとしてぞくぞくした。これ、冬場にいきなりされたら反射でグーパン出るぞ。

「あー。あったかい……」
「こっちはマジで冷たいんだからな」

 いつもくっついてるジョンは大丈夫なんだろうか。あれだけ衣類を重ねていれば問題ないのかもしれないが、もっと寒くなってきたらきっと対策が必要だ。気を付けて見ておこう。

 インナーを半端に捲り上げて入り込んだ指先は、筋肉の隆起を探すように背中を撫でてくる。へこんだ部分を擽るように何度も撫ぜて、盛り上がった部分を薄い手のひらの窪みに当てて撫でさする。妙に淫靡な触れ方をしてくるせいでさっきからすごく落ち着かない。
 仕返しにちょっとだけ力を込めてぎゅっとしてみても、別に砂ったりしない。クスクス笑うだけだった。被さってきた時は若干緊張して固かったはずの身体は、今は猫のようにぐんにゃりと溶けかけている。胡座をかいた俺の膝に乗り上げて、揃えた脚を脇に長々と伸ばして、しなだれかかる上体は腕に力を込めていないと溢れ落ちそうだ。多分、これ以上なく安心している。この世界一弱っちい吸血鬼が。退治人の、俺の腕の中で。
 そこまで考えて、カッと頬に血が上るのを自覚した。顔が見えない体勢でよかったと思う反面、胸を合わせているのだから割とバレバレだろうと思うと急に恥ずかしくなってくる。
 焦り、こいつはどうなんだと様子を窺うと、指先を背中に埋めたきり動きを止めていることに気付く。なに。どした。

「……このまま、くっついて眠りたいな」
「えっ」

 色んな思いがわっと湧き出てとっちらかる。「あったまって眠くなっちゃったかあ」っていうのと「何もしねえの?」っていうのと「何で不意打ちでそういうことを言うんだ」っていうのと「こいつどこでスイッチ切り替えてんだいつもと全然違う器用過ぎんだろ」っていうのと、まあ色々。

「もっとぎゅってして」

 首筋に頬が当てられた。体温が近づいてきたんだろうか。もうひんやりとは感じない。俺がかっかとしてるせいかもしれない。温度差が今は心地いい。
 どこまで力を込めていいのか皆目検討がつかなくて、ほんのちょっとずつ腕の囲いを縮めていく。そういう拷問みたいだ。そんな余計なことを考えて意識を飛ばしていないとなにごとかを叫び散らして潰し殺しちまう。こいつを可愛いって言いたくない。絶対言うもんか。だからそういうこと言うな。チキショー……

 当然ながら、力を入れるほど密着する。骨張った身体は触れるときちんと肉に覆われていて、病的な痩躯にもかかわらず滑らかな肌には弾力と張りがあった。人の肉体が色を失っているのとはわけが違う。そういう造形なのだ。
 少しだけ苦しそうな吐息が漏れて、ここまでかと腕を緩める。
 待っていると、リラックスしきった身体はそのまま息を吐く感覚が長くなっていって、ああ本気で眠いんだと分かった。

「よっと」
「……ん、ぉわっ」

 背後を確かめて仰向けに倒れ込み、腹の上に薄っぺらな吸血鬼を引き倒す。
 塵になっても構わないと思ったが、意外にもそこそこ遠慮のない動きにちゃんとついてきた。掛け布団みたいに身体の前面に乗せて、でも残念ながら表面積も体積も違いすぎて全くカバーされない。あったかくもない。どっちかっていうとまだ冷たい。ここのエアコンディションは快適で、俺は自前の熱でどちらかというと暑いくらいだから別にいい。

「……え。なに?」
「こんな時は思いきって寝ちまうのがいいんだよ」
「……それって、原稿の話?」
「言うな」

 怪訝そうに見つめてくる大きな目玉にしたり顔で説くと、胃が痛くなる発想をしやがった。クソ。お前こそムード分かってねえじゃねえか! やっぱり可愛くねえ。
 そう、断じて可愛くない吸血鬼はいよいよ落ちそうな瞼を辛うじて保ち、小さなあくびを漏らしながら布団を引っ張り寄せている。具合のいい場所を探してごそごそと身体を何度も乗せ直す仕草が、巣に入ってポジショニングに時間をかける動物っぽくてちょっと面白い。思わず見守った。寝そべって楽になったのもあり、つられてだんだん眠たくなってくる。ヤバい。何か目覚まし的なものかけないと、あっという間にチェックアウトの時間になりそうだ。


 ほんの少しだけ、安心している。ビビっているのは俺だった。なけなしのプライドが、みっともないところを見せたくないって足掻くから。
 見栄を張りたい相手はといえば、最終的に胸板に頬を押し付け、すっかり寝る体勢に入っている。

「今日は、あー。肩慣らしってことで」
「……じゃあ、また、次の機会ね」
「次、あんの」
「ないの?」
「俺が聞いてんだけど」

 我ながらめんどい問答を仕掛けると、あからさまに面倒くさそうに、でもきっぱりと言いきった。

「あるでしょ」

「そうか」
 そうか。よかった。

「……まあ、私は、こういうので全然いいけどね……」

 2人きりで、嬉しい。
 そう言うだけ言ってそのまますうすう寝息を立て始めるまであっという間だった。こいつドラちゃんかと思ったらのび太くんなの? 俺はどうすればいいの? こういう拷問なの? 眠るどころじゃなくなったんだけどいつまで耐えればいいの?
 身動きとれないし。いっそのこと普段の仕返しを兼ねて、何かイタズラでもしてやろうか。

 そんな悪巧みをしようにも、多分そういうことに天から向いてない俺には上手いアイデアが浮かばない。それはこの狡猾で悪知恵の働くガリガリおじさんの専売特許なのだ。待ち合わせた部屋に俺がたどり着いた時、バスルームで実に楽しそうに泡風呂を堪能していた。乾かす間も惜しんで寝台になだれ込んだせいで、髪はまだしっとりしている。ほぼ無意識に触れて、躊躇って、別に咎められるような間柄ではないとひとり納得してわしわし触れる。

 200年間甘やかされた究極のひとりっ子らしく、こいつの性根は甘ったれだ。ジョンがいなかったら、一族の庇護下を離れて独り立ちができたか怪しい。はるばる海を越えて、ここでこうして会うことなどなかったろう。
 そんなことを考えたら、何だか妙に謙虚な気持ちになってしまう。甘やかな気持ちになってしまう。あの妙に苦労性な親父さんが猫可愛がりする気持ちが、分かるまでは決していかないけれども、理解を示せる気がしてしまう。


 結局、健やかに眠り続ける吸血鬼が自力で目覚めるまで起こすことなんてできなかった。眠気が飛んでしまった俺は、眼下の黒髪をせっせと三つ編みにする遊びで気を紛らわすことにし、小学校低学年の時粘土で作って以来だったから思い出すのに時間がかかって、その間の試行錯誤は上手いこと紛らわしになってくれた。半端に湿っていたせいで、散々編み編みされながら乾いた髪は解いたら酷いことになり、結果としてこいつが起きる頃には邪悪なハーマイオニー? いやシルエット的には陰気なブルック? あ、シザーハンズ! いやいやあんなカッコよくねえな……まあとにかくそんなアレが爆誕した。


 俺が何も言えなかったがために、家に帰ってから自身の所有する鏡で姿を確認したドラルクはその場で即死、ジョンはしめやかに泣き、次の機会とやらはその後かなり長い間巡ってこなかったことを申し添えておく。





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