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 小さくて可愛いものを構いたいという気持ちは誰にだって自然と湧くものらしい。
 幼馴染の少女らなど非常に分かりやすいと、うしおは思い返している。小学生の時分から、道端に猫を見つけようものならしゃがみ込んで「おいでおいで」をやっていた。多分今でもやっている。学校の帰りはともかく、真由子なんぞは行きもその調子なもんだから、せっかちな麻子が困ったように急かすのもお馴染みの光景だった。

 そんな時に自分はどうしていたかと振り返れば、一緒に構いに行くのはどうにも照れ臭くて素直になれなかった気がする。実はものすごく触りたかった癖に、しょうがねえなとか早く帰れよとか、そんな風に言い捨ててその場を後にしてばかりいたような。撫で方をもう少し見ておけばよかったなんて、そんなことが浮かんだのは、珍しく好機がやってきたからだ。白と茶と黒と、三色の入り混じる背中にそうっと手を埋めれば、その柔らかさに「おおお」と勝手に声が出た。

「お前ふかふかだなー」

 ふくふくと指が沈む豊かな毛並みを褒めると、返事をするように短く鳴く。可愛い奴めと顔が勝手に緩んだ。喜ぶところを撫でてやりたいなどと奉仕の心が湧くのも、むべなるかなというものである。



 芙玄院に猫の姿があるのはそう珍しいことではない。境内で寝そべっていたり、焚き火の番をしていると向かいでちゃっかり暖をとっていたり、紫暮が気まぐれに仔猫を構っていたこともあった。山に近く緑が多く、人から身を隠しつつ雀やら椋鳥やら獲物を存分に追いかけることができる。そうした環境故なのか、大抵はサバイバル生活に適応したクールな性格で、人に一線引いた態度を通す。うしおの姿を見てするりと逃げるか、無関心に通り過ぎて行くかが常なのだが、今日はまた、人に随分と馴れていて愛嬌のある猫だった。

「どっかで餌、もらってんのかなー」

 まさかうちじゃあるまいな。

 照道さんなど怪しい。最近では何かあるととらの分まで皿や盆を準備する照道さんである。
「こんな奴にそんな必要はない」といきり立つうしおと、売られた喧嘩は全て買うとらとの間で熾烈な争いが繰り広げられること数えきれず。相手はなかなかに負けず嫌いで、執念深いところがあり、槍でしばかれる度にきっちり仕返しを謀る。仕返しと呼ぶのも物哀しくなるようなレベルではあるが、毎回必ず己の膳から食べ物を掠め取られたうしおは「どっちにしてもヤツの腹に収まるならば、割れた食器や汁が飛んだ庫裏を片付けるより初めから領分をきっちり分けた方がまだマシだ」との結論を得た。以降「とら殿の分ですよ」と分けられる果物やら菓子やらを渋々容認している。

 そういえば、あいつはどこをほっつき歩いてんだ?

 朝から姿を見ていない。
 憑いているというわりに気まぐれにあちこち出歩き、いないなぁと首を傾げる頃にはしれっと帰ってくる。見聞を広めにか鬱憤晴らしか、その時々で理由は様々あるようだが、いずれにせよ悪さをしやしないかとハラハラすることは、最近ではあまりない。そう、あまり。
 なくなったわけではない。あるにはある。「落ちていた」だの「壊れていた」だの言い訳しては、目新しいものを片っ端から持って来る、悪い癖がある。これも真由子に言わせれば「かわいい」振る舞いらしいが、十も二十も積もり積もればいかな真由子でもげんなりくるはずだ、とうしおは常々思っている。
 おかげで今朝もとんだとばっちりをくったのだ。帰ってきたらとっちめてやる……物騒な思いが湧き上がるが、ふかふかの生き物を撫でていると長続きしない。思いはすぐに別のところへ移っていく。

 初めの頃に感じていた切迫感はもはやない。
 心のどこかで、既に身内に数えているようなところがある。
 何なら父親よりも近い距離に置いているかもしれない。

「変なカンジだよなあ」

 小さくて可愛い猫の背を撫でながら、大きくてちっとも可愛くない妖のことを考えている。細くて柔らかな猫の毛が本当に気持ちいい、誰かさんのタテガミとは大違いだ……いつまでも撫でていられそうだと半ば忘我の境地に至って、身の内からふと湧き上がるものに気付いた。気付いてしまった。
 何の因果か世話になることが増えた背中で、落ちるまいとわし掴む毛束は確かに硬く強いのだけれど、その下の毛皮は存外に柔らかく、実は結構触り心地がよい。裸足で踏み締めた時、槍を使うために跨るようにして脚で身体を挟み込んだ時に肌で感じた滑らかで密な体毛。

 あれを、思う存分撫でくりまわしたら、メチャクチャ気持ちいいのではないか?

「お、おおお……」

 撫で方に不満があったか、既に関心が己にないと悟ったか。あるいは手のひらから邪心でも感じたかもしれない。いずれにせよ三毛猫は不意に身体を起こし、何かに打ち震えるうしおをおいて、のそのそと去っていった。





 さて、うしおは嘘がキライだ。従って方便も上手くはない。回りくどいことも苦手だ。だから他人に何かを告げる時、彼は常に直球だった。

「…………………………」

 それが珍しく意志を伝えあぐねているのは、言葉にすると何かの均衡が崩れてしまうことをここにきて悟ったからである。

「ンッだよ。何見てやがる」

 牙を軋らせながら「ああん?」などと凄んでくる姿は一般的にイメージされるところの『ヤンキー』そのもので、今夜はやけに機嫌が悪そうだとうしおは他人事のように思った。原因は、とらのコレクションを彼が勝手に処分したことにあるのだが……朝食の席で唐突に「今日は粗大ゴミの日だ」と口火を切った父親に、何を言いたいのか分からずぽかんとしたうしおである。続いた「蔵の裏手に積んであるモノをどうにかしろ」と、ペットの不始末を飼い主に迫るかのような物言いにうしおは勢いのまま断行した。嵩張る上に目方もある雑多なガラクタを運ぶだけでも手一杯なのに「回収は8時までだぞ」と追い討ちをかけてくる父親の言葉に焦りに焦ったうしおの頭に『持ち主』への最終通告など全くよぎりもしなかった。

 昨夜まで別に普通だったよなと首を傾けて、遅れて心当たりにたどり着いたうしおは「あちゃー」と目を逸らす。普段ならば「お前のせいで」と怒りのままに槍を振り下ろしているところだが、胸に抱く野望が思考をかなり柔軟にしていた。そうこうしているうちに肘を立て寝転んだとらが、脚を伸ばして背を向ける。忌々しげに「ケッ」と機嫌の悪さを押し出すのも忘れない。それは実際のところ「バレたらうるさい」という理由で隠していたモノが見つかったことに気付き、追及を受けて小突かれるのを今か今かと警戒している故の虚勢……実情は逆ギレに近いものである。もっとも、そんなとらの心境などは、秘めたる野望で頭がいっぱいのうしおにとって知ったことではないのだった。

 ひとまず機嫌が直るまでは切り出すまいと決め、期待にうずく胸を何とか収めようと努めたものの、気になるものは如何ともし難い。背中を向けられたのを機に、そういえばじっくり見たことはなかったかもしれないと、うしおは観察してみることにする。

(やっぱ、でけぇな……)

 頭の上に乗っかられても重くて耐えられないということはないが、見えているとなかなかの体格だ。嵩張る見た目は、正直時々鬱陶しい。ちなみに向こうは向こうで、己と比べて暑さ寒さにやたらと弱く、いちいち愚痴をこぼすうしおを鬱陶しいと感じている。そんなわけで暑い日などは遠慮なく互いに「暑苦しい」と文句を言い合う仲だった。
 何にせよ、とらが一般家屋にとって規格外なのに違いはない。ぷかぷかと宙に浮かんでいたり、座り込み丸くなっていたりすると圧迫感を覚えることもないが、今のように脚を伸ばしてふてぶてしく寝そべれば相当の体長であった。本堂みたいにだだっ広い空間では特に気にならないものの、うしおの部屋では身じろぎするだけでものを蹴倒しかねない。実際によく突き崩され、喧嘩になる。

「お。そうだ」

 思い立って、机を漁る。使い込まれてややガタつく学習机の引き出しは、そうっと扱っても軋むような音が鳴る。まして探し物をするうしおの手付きは乱暴で、動き回る挙動とガタゴトと絶えない物音に「うるせえ」と思ったのは間違いない。目当てのものを見つけたうしおが向き直ると、とらは器用に耳を丸めていた。本当に耐え難い場合はさっさといなくなるので、これは当てつけの意味が強い。うしおはそうした機微にはてんで疎く、もとより察する気もないのでお構いなしである。

「頭のてっぺんが大体このくらいだろ」
「そんで先が……」
「うわ。全然足りねえ」
「あ、足せばいいのか」



「………………何してんだ、おめぇは」

 背後でごそごそ動き回る気配に振り返ると、帯状の紐を掴んだ子どもが年相応に目をキラキラさせていた。面白くないものを感じ、自然顔が渋くなる。

「長えなー、と思って」

 でけえ!
 無邪気に笑ううしおは、巻き尺を使って身長を測ろうとしていたのだった。とらにとっては完全に理解の埒外である関心ごとに「アホか」と思い、思うと同時に口から出た。

「アホか」

 うしおは「何でだよ」と口を尖らせたが、そう怒っている様子でもない。いつもなら、一つでも侮蔑語を投げられれば負けじと倍にして返してくるというのに……やけに穏やかな今の態度に何やらひっかかるものを感じ、何事かととらは心持ち身構えた。目線の先でうしおは座り込み、紐をたぐっては「足もでけぇな」などと興じている。
 はて、何故そんなことに興味が向いたかと転がったまま首をひねり、ついでに身体も向き直し、足元でちょこまかと忙しなく動く小さな頭を見下ろした。そうすると「ははあ」と合点がいく。いかなガキとはいえ、周りと比べてコイツは食いでがないからな……と。

「おめぇが、特別チビなだけだろーがよ」

「…………」

 さすがに聞き流せなかったのか、露わになっているこめかみがひくりと動いた。それを認めて「やるか!」と体勢を低く構える。肌がざわりと騒ぐ。髪が逆立つ。全身に電流が走る感覚はきっかけがどんなに些細だろうといつも変わらず、遠慮なく牙を剥き爪を振るえる、血湧き肉躍る高揚の時に繋がっている……はずだった。

 だらしなく転がっていた妖が臨戦態勢に入ると同時に、その眼下では、うしお少年のぎっと吊り上がった眉が一瞬のうちにへにゃんと下がり、ただでさえ大きな瞳がまん丸に見開かれた。その変化があまりに極端で、思わず見守ってしまったとらである。無造作に伸びてきた腕を避けようとも思わなかった。

「ぅ」

「……?」

「おわああぁ」

「……………………ッ」

 すっげえええ、嬉々とした驚嘆の声から数瞬遅れ、声にならない悲鳴は家屋を震わせ山の方まで空気を響かせた。





「びっくりしただろ!」

「こっちのセリフだわ!」


 ちぇーと残念そうにぶうたれるうしおが何を考えているのかさっぱり読めず、未知の恐怖に戦慄し、とらはなお一層毛を逆立てる。ぶわ、とさらに膨らんだその毛皮にきらきらしい視線が突き刺さるのを確かめ、とらは、なおもじりじりと後退った。

「なあ、それ、どうなってんだよ」

「あ〜?」

「ちょっと、触るだけ! ちょっとだけだから!」

「ふざけンな! 気安く触んじゃねえや!」


 強気な発言とは裏腹にあからさまに怯えを滲ませ縮こまる巨躯が、瞬きの刹那で畳に消える。残されたうしおは「あーあ」と気落ちしたため息を吐きつつ、手のひらに残った感触にまだ感激していた。戦いの度に、実はあんな風に膨らんでいたのだろうか、と思い返してみる。
 件の妖が暴れる時には自分だって当事者であることが常だから、落ち着いて観察する余裕などなかったのだと納得はできる。生き死にに関わることなのだから当たり前だが、それにしたって惜しいと感じて眉が寄った。


「すっっげえ……モフモフだった……」

 全身あの毛皮かよ、いいなぁー。
 でもこれからの季節は暑苦しいよな。
 でも冬はすっげえあったかそうで、いいなぁー。
 模様はちょっとあれだけど、でもふっかふかで、いいなぁー。


 鞠のように丸みを増した胸元に手を差し込んだのは反射だった。
 両手指と手のひらを使って存分に『もふもふ』した感触はしばらく多幸感を与えてくれそうだ。欲を言えば全身を埋めてみたかった。あの大きさなら、この世の動物好きが全員熱望する切なる願いが叶うだろう。腹を見せたもふもふの毛玉にダイブするという、アレだ。

 真正面から頼み込んだら、ひょっとしたら、承知してくれる可能性があるかもしれない。いくらばけもんだからって、力にものを言わせてどうこうするなんて自分はイヤだ。何とか、穏便にお願いしているうちに聞いてもらえるといいのだが……





 テンション急上昇で冷静さを欠いたうしおは、既に、最終的には力ずくで言うことを聞かせるつもりでいることに疑念を持っていない。未知の恐怖に慄いたとらだが、気色悪いの一点さえ我慢すれば、槍憑き少年の機嫌が大層良くなることに気付き、諸々の利点を考慮した結果、最終的に行為を受け入れることになる。

 傍から見ればなかなかに微笑ましい図が、芙玄院にて時折目撃されるようになった。内情はかたや至高、かたや荒れ狂うものがあったのだが……それは共に過ごす内、緩やかにお互い近付いて、いつしか同じものへと変化していった。










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