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 女だったら「情けを頂きとうございます」と、ただ一言口にすればいい。言葉にするまでもなく、擦り寄られれば男はそれと悟るだろう。女でもなく、ましてや成熟してもいない青っちいガキだから、胸中に巣食う靄をつかめず黙り込むことしか知らない。
 それでなくとも、多方面に向けて残念なことに、うしおはてんで色恋沙汰には疎いのだ。




「さっ、みーい!」

 階段を一段抜かしで駆け上がってきた勢いのまま、万年床に潜り込む。
 電気毛布とか電気カーペットとかエアーコンディショナーとか、そうした類の暖房器具は蒼月家にはない。時代錯誤な石油ストーブと、茶の間に据えられた炬燵が全てだ。山のてっぺん、木造住宅、西向きの一間。うしおの『アトリエ』であるところの一室は、残念ながら四季を通して生活するのに好条件ではなかった。

 そんなうしおの冬支度は、例年、寝具から始まる。シーツの上に毛布を当て、冬用布団を二枚重ねてやっと、しんしんと指先から凍っていくような冬の夜に対抗できるのだった。

 さて、冬の布団の何が嫌かって寝具が温まるまでのひやっこい感触がうしおはたまらなく嫌だ。だから髪を乾かす間すら惜しんで、風呂上りの火照った体で布団にくるまるのが常である。突き刺すような冷たい布と綿に湯上がりの体温が染みるまで、そう時間はかからない。

 温まり始めた布団一式に幸せを感じながら夢の世界に旅立とうという一番心地のいい時間に、最近やって来る影がある。

「あ〜ぬっくぬく……んむ………………………ふがうぇっ」

 何の前触れもなく布団が剥ぎ取られる。ぎゅうと勢いよく押し出され宙に投げ出された体は、しかし慣れたようにころんと受け身をとって転がった。
 そうして「何だっ!」がばと起き上がるやいなや、「またかよこのクソボケよーかいが!」吼えた。



 せっかく封じられていた怪異を、解き放った責任は自分にある。人を害しないよう見張り、いつかは討つことをうしおが己に課したのと同様、向こうは向こうでこの恨み晴らさでおくべきか、必ずとって喰らってやると息巻いた。あわやどちらかが消えるかと思われた局面を幾度となく迎えたわりに、不思議なこの関係は一年近く存続している。今や互いが消えたなら、残された方は安定を欠くだろう程に、その関係は密だった。

 怪異──気が遠くなる程生きている大妖怪は、槍によって意に染まぬ振る舞いを多々強いられてきた腹いせにかしばしばその槍憑き、うしおに嫌がらせを試みる。これがまた悪戯盛りの子どものようにきりがない。分別もない。己の仕業とバレれば死ぬほど滅多打ちにされると知っているくせに懲りない。たまにその戯れがバレることなく完遂できた際の喜びはたまらない様子ではあるが、天網恢々とはよく言ったもので大抵その後ろくな目に遭わないから、実質相殺されているようなものだ。


「こっの……とらぁ! 返せよ! せっかくあったまってきてたのに!」

「やぁだね。お前は表の枯れ草にでも埋まってな。あったけえぞ〜。ひひ」

 けえっ。と憎ったらしく吐き捨てて、布団にくるまったまま軽口を叩く。とらは、口が悪かった。

 そもそも寒かろうが暑かろうが大して堪えないバケモノが布団を必要とするわけはないから、これは本当に純粋にただ嫌がらせをしたいだけなのだ。眠りの淵に足をかけていたにもかかわらず一気に頭に血が上ったうしおは、神経を逆撫でするとらの言葉であっさり臨界点を突破する。問答無用と布にくるまれたままの槍を引っ掴み、今夜もまた蒼月家はどこかが破壊されることと相成った。



 この大妖怪は五百年という隔たりがあるにもかかわらずなかなかに現代に適応したようで、見るもの聞くもの全てが目新しいためか元来がそうした性質なのか、ひどく好奇心旺盛だった。知識を取り入れることを望み、またそれらを吸収する知性もあった。情報源は専らテレビだが、稀にうしおと共に授業の講釈を(うしおよりも理解しながら)聴いている。

「それなのに」とうしおは思う。

(何でこいつは学習しないんだ……?)

 けら首で思いきりはたかれ、石突で小突き回され、とらがようやく手放した布団にはやはりと言おうか大きな鉤裂きができていてうしおを嘆息させた。もうめんどくせえ。肩を落として独りごち、このまま寝てしまおうかと投げやりな気持ちになる。しばし逡巡したものの、結局は修繕することに決め、薄闇の中電灯の紐を探った。こんな状態で一晩でも寝れば寝相のよくない自分が更に引き裂いて、繕う面積が増えるのが容易く予想できたからだ。探り当てた紐をつんと引くと、一拍置いて広がる白々とした灯りの下、諸悪の根源は腹立ち紛れの最後の一発で伸びていた。再び嘆息する。
 眠気はとうに去り頭は冴えわたってしまった。さっさと済ませ暖かな布団に戻るべく、うしおは裁縫箱を求めて部屋を出た。


 針を持つと思い出す人がいる。
 うしおに、想像するしかなかった母を感じさせてくれた、温かな人の一人だ。お役目様と呼ばれた大層偉い人だと知ってはいるがうしおに言わせれば「優しいおばさん」「母ちゃんってこんな感じ」……だ。紫暮や日輪が聞けば目を剥くだろうが。


 仕上がりは非常に荒っぽいが中身が出なければそれでよし、半端に残った糸もそのままに針を片付け、紐が切れそうな勢いで電気を消して、うしおは念願の布団に潜った。すぐ横で転がっている性悪妖怪に備え、今度は槍を抱え込んだままだ。

(仲ようせんとあかんよ、って)
(こいつもなんだろなあ)


 冴えた頭は遺された言葉を思い出す。仰向いた体勢ではいやでも視界に入ってくる巨躯を、見るともなしに眺めた。月や常夜灯しか光源のない夜でもほの明るいオレンジの毛並み。昼間は眩しい金色にも映る──
 出会いが出会いだ。殺伐とした関係から始まったものだから、ふとした時に自覚した信頼を不思議に思った。
 あいつなら、とらなら、大丈夫。

(こういうのも「情がうつる」っていうのか?)

 本気で滅ぼしてやると思う瞬間もあるが、時にその存在に心底感謝する。家族とも悪友とも似通っていて全く違う。

(仲よう……仲よく……は、ないけど)

 先刻、槍はついぞ鳴らなかった。最近では珍しくない。諍いが命の遣り取りそのものだった初めの頃は、張り詰める殺気で肌が切れそうに感じたこともあるというのに。悪ガキ同士がじゃれているのと同じだと気付けば思わず苦笑が漏れる。手を布団から出して、投げ出すようにぱたりと置けば、畳を這う長い鬣の上に重なった。幾筋かを拾い上げ手の中に収める。
 取り憑くという有り難みのない名分であるし、食う退治するの油断ならない間柄だが、まるで家族のようにずっと傍らに誰かがいるという感覚は面映ゆいようなむず痒いようなえもいわれぬ感情を連れて来て、うしおはいまだにその正体を掴みきれないでいる。

 家族のように一緒に食卓を囲みたいのか。友人のように連れ立って遊びに行きたいのか。「ありがとう」と言いたいのか、罵りたいのか、飛びつきたいのか、殴りつけたいのか。何がしたいのか自分でも上手く伝えられないもどかしさを感じることがある。触れていると、それがふと晴れることがある。靄か霞のように掴めなかった正体が何だか分かる気がするのだ。

 夜目にもうっすら明るい妖獣の一房を手に絡めたまま、嬉しいような気恥ずかしいような不可思議な気持ちを感じつつ、うしおはゆるゆると眠りに就いた。





 異形は傍らの子どもが寝付いたのを確かめて、ごろりと寝返りを打つ。掴まれた毛の先を見、苦々しいものを口の端に上らせた。女ならたった一言口にすればいいものを、男だろうと自覚さえあらば取って喰うものを。
こいつはいつになっても知りやしないんだろうなァと、半ば自嘲の思いで口端を下げる。

(教えてやってもいいんだけどなァ)

 そうなると弱みを一つさらけ出すのと同じだ。どうしたってこんな話じゃ先に折れた方が『負け』なのだ。それは幾分癪に触る。

(ま、いいだろよ)

 基本的にバケモノは快不快で動くものだ。ぬるま湯のような生活に浸かりながら、たまの刺激に火花を散らす。心地よいと思える位置にこのまま留まるのも悪くなかった。
 ……まだ、暫くは。



 情を交わすこと、愛を乞う手段を知りもしない子ども。
 憐憫にも似た何かを覚えた妖がフンと鼻息を漏らし、夜明けまでの数刻を味わおうと子どもの隣で目を閉じた。










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