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 早くお家に帰りたい。
 どこかの童話の主人公のような科白を一心に思って駆け足で帰路に着いている兎が一羽、近道をしようと低い灌木に囲われた公園の入り口を潜った。飢えと寒さでかじかんだ判断力はとにかく最短距離を行き消費エネルギーを最小限に抑えることを体に命じている。要は面倒くさいから近道を行くのだ。後々彼はその安直な判断を心底悔やむ事になるのだが、今は当然知りもしない。

 ところでこの公園、幼い頃から慣れ親しんだ遊び場ではあったが、今となっては日の光が差さない内は頼まれたって通りたくない。浮かび上がるシルエットを努めて意識から排除しつつ足を動かす。
 毒々しい色彩センスが炸裂しているきのこ。おかしな頭身に不気味な表情を貼り付けた小人。やけにリアルに造り込まれた異様な造形の動物たち。目から頬にかけて赤い涙がいたずら描きされ禍々しさを増した人物像。

 公園に居並ぶ異様な遊具の数々はペイントの剥落や落書きのせいだけではないおどろおどろしさに満ちている。昼間子どもたちは本当にこれで遊んで和むのか。楽しめるのか。しかし思い起こしてみれば子どもの頃は自分も楽しく愉快に戯れていた気がする。こういうものだという認識が疑いを持たせなかったのか。ただし自分の色彩センスが少しおかしくなったのはこれらのおかげではないかと今になってふと疑問が過ぎる時がある。

 何はともあれ帰宅を急ぐ身である。左右左右と足をせっせと動かして反対側の出口へと向かった。

 しんと静まり返った夜の公園では耳に入るのは自分の息遣いと体を動かす事で発せられる衣擦れくらいなもので、周囲の家々は既に就寝しているのかと思う程に沈黙を保っていた。聞こえてくるのは水音くらい──水音?

 思わず足を止めて耳を澄ませる。

 半ば駆けていたもので息は乱れ心臓は少しうるさい。
 異質な音はごく近いところから聞こえた。危機を脱すべく本能が事実を見極め状況を把握すべきだと告げている。しかしより原始的な本能は走り出してこの場を去るべきだと叫んでいる。
 足は止まったものの、感じている僅かな恐怖のせいで心臓は依然少し早いリズムでとくとく動いている。暫くその場に固まっていたその間も、気のせいでも何でもなく、水の迸り、雫が何かに当たって弾ける音は途切れずに聞こえてくる。園内は緑豊かだがその分視界はきかない。伸びた木々や植え込み、居並ぶ奇怪な遊具の黒い影に遮られ、見渡せる範囲はごく限られている。

 えい、ままよ。
 このままじっとしていても恐怖と寒さが増すだけである。幽霊の正体見たり枯れ尾花、呪文のような狂句を唱えて音のする方向へ足を向けた。蛇口の閉め忘れか何かだよねとはっきりさせて自分を安心させたい。そしてなぁんだと笑いながら残りの帰り道を辿るのだ。明るい未来予想図を思い描いて向かった先には影があった。のそりと動いたそれを見て息を詰めるプーチン。枯れ尾花などでは断じてなかった。



「………」

「………え。…え?」

 無心に手を洗う小柄なシルエットを認めてプーチンは硬直した。

 眼球を通じて脳に入ってくるなかなかにシュールな情報を処理できず、一時的に思考がストップしたのだ。彼の理解が及ばない光景が街灯の届かない薄暗がりに広がっている。
 水飲み場で、おそらく自分よりかなり年下だろう子どもがひたすらに手を洗っている。
 それはいい。
 それはいいとして、その周囲にごろごろと倒れているのは付近を縄張りとして活動している健康優良不良少年の方々ではないか?

 視線をずらしていけば点々と、見渡す限りどこまでも散らばっている。よく見れば自分が通ってきた遊具の広場にも黒っぽい人形のようなものがうなだれていたり寝そべっていたり地面に埋まっている……ように見える。遊び疲れて寝ているのだろうか。それとも飲酒でもして潰れたか。季節外れの花火大会にはしゃいだそのあるいは彼らはキャンパーなのかも。
 こんなに冷え冷えと乾燥している夜に?
 ──そんなばかな。

 ぶるぶる首を振って現実を認識しようと努めるプーチンの前で依然として水音は響いている。ハッとした。そうだ。とりあえず子どもを一人こんな物騒な場所においておく訳にはいかないだろう。転がる少年らは警察に任せるとしてこの子は……どうしよう?

 夜中の公園、しかも明らかな異常事態の起こった現場で、ひたすらに手を洗っている不審極まりない子どもは少年と呼ぶにはまだまだ幼い様子である。背丈などプーチンの胸の辺りまでしかない。伏せている顔はよく見えないが外傷の類はなさそうである。先程から執拗なまでに手を流水に晒しているが感覚は大丈夫なのだろうか。いきなり触れるのも躊躇われたのでとりあえず声をかけてみようと意を決して拳を握る。





 数分後。
 公園を脱出したプーチンは本来の目的通り自宅へ続く道をてくてく歩いていた。
 ──帰ったらまず熱い湯を沸かさなきゃ、それからキャベツのスープに卵を入れてゆったり飲もうかな。牛乳が余っているからホワイトソースを作ろうか、それでホウレン草ときのこを絡めてパスタかグラタンでもこしらえよう。明日はお休みだから朝寝もできるぞ。晴れていたなら久々に洗濯して気持ちのいいシーツとふかふかのベッドを整えよう。雨なら残念、作りかけのプラモデルを完成させるかな──

 ひたすらに楽しいことだけを考えているのは指の先に繋がっている物騒極まりない物体の存在を忘れて仮にでも心の平穏を取り戻すためだ。さっき公園を通るまでは真夜中の暗闇が怖かったけれど、今は生身のこの生き物が何よりも怖い。


 恐らくは十かそこらだろう少年に対して接触を試みたプーチンの声がシカトされ続けること数回。途方に暮れてとりあえず警察に連絡しようと電話を探した。公園内には確か公衆電話があった筈。かなりの数が行き倒れているこの状況で見なかったことにするわけにはいかないと思った常識的な判断だが電話を求めてその場を離れたプーチンはその直後生き物(おそらく行き倒れていた不良少年の一人だ……)が電話ボックスに突き刺さる瞬間という決定的なものを見てしまった。
 硝子のぶち破られる轟音。
 ひしゃげたフレームから、からからぱりんと追って欠片が土に落ちた。
 ぴくぴくしている不良少年らしき物体。
 その場に満ちる理不尽な暴力の気配。

 ゆっくりゆっくり、プーチンが振り向いた先で、身の丈ばかりはかわいらしい影が、ふるふる、と静かに首を振った。




 お腹が空いてるみたいだったんだもの。
 すごい音量で空腹を主張されたんだもの。
 あそこで申し出なかったらとことん理不尽な目に遭う予感がしたんだもの。
 仕方がない、仕方がなかった、だって痛いのは嫌だもの……

 自分の選択が間違っていないと誰かに同意してもらいたいプーチンは念仏のように言い訳を繰り返しつつ、そうして歩く核弾頭を自ら巣へと招き入れたのだった。










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