Others | ナノ

 紫暮はあらゆる意味で「かなり厳しい」父親だったが、うしおが本当にやりたいと決めたことに関しては寛容だった。



 中学校に入学したら美術部に籍を置こうと決めていた。まだ見学期間も始まらない内から入部届を意気揚々と持ち帰り、けれど許可と印を貰わねばならぬ肝心の父親は留守で、勇んでいただけにがっくりきたのを覚えている。

 その後美術部を見学に行った先で、筆やら絵の具やらカンバスやら、先立つものの額に度肝を抜かれた。そりゃボールペンとかノートに比べればずっと手の込んだ作りだし、需要もかなり限られる。出回る絶対数が少ないのだから、いわゆる生活必需品より値が張るのは納得できる。しかし、それにしたって、高額だった。父は帰らぬまま見学期間は終わったが、自分に与えられてきた小遣いとは桁違いの支度金がいることにどうにも気後れした。
ままよと思う。その気になれば、鉛筆だけでも絵は描けるのだ。『フランダースの犬』でネロ少年が木炭で描いた絵をコンクールに応募したことを思い出し、自分と重ねて勇気付けられた気になった。ちなみにうしおは結末が悲しすぎるこの物語がキライだが、画家を志していた少年には強い共感を抱いていた。


 入部期間中、様々な部活動から熱烈な勧誘を受け続けたが、どこに行っても本当にやりたいこと以上に情熱を注げるとは思わない。
 照道さんから「中学校はどうか」と尋ねられた折り、そんな話をした。
 芙玄院の留守を預かる照道さんは幼い頃から細々と世話を焼いてくれた、うしおにとっては親戚のおじさんのような存在だ。他愛もない学校での話も幼馴染みとの諍いも、微笑みながら聞いてくれる。(時折失笑もされる)

 彼がうしおの話をどう受け止め、紫暮に伝えたかは知らないが、二週間程音沙汰のなかった父はぷいと戻ってきたと思えば「お前絵を描きたいんだって」と問うてきた。紙とクレヨンさえ与えておけば何時間でも部屋で大人しくしていられた自分の姿を知っているはずの父親が何を今更。頷いて返せば、ふーんと気が抜けたように息を漏らす紫暮は「あのな」と続けた。

「お前が何をエンリョしているか知らんがな、我が家はらくがき帳何千冊買ったところで傾くような家計じゃないわ」

 分かったら早いとこ入部届を持っていけ。そして親父殿を敬え。


 父親が決して吝嗇家ではないと知ってはいるが、月々の小遣いはきっちり制限され、お年玉といった風習にも縁がない身にとって、途方もない額を自分の都合でねだることに気後れしたのは当たり前だと思う。それに構わずぽんと背を押してもらえたことにどれほどほっとしたか、認めてもらえたことがどれだけ嬉しかったか。じわりとこみ上げるものを言葉になりかかったところで、紫暮の口は止まっていないことに気付く。

「大体お前が着とる制服一丁にどれだけかかってるか知らんだろ? 体育服も高いのなんのって。通学鞄には目ん玉飛び出るかと思ったわい。今更鉛筆だのおえかき帳だのにケチケチする謂われはないね」

「…………おえかき帳なんざ買わんわ!」



 言えずじまいかと思われた「ありがとう」は(拳付きだったが)ちゃんと言えた。
そういうところは『きっちり』していたいのだ。



 うしおは実によく絵を描いた。
 学校だけでなく家でもその腕を存分に振るった。おかげでうしおの部屋には油絵の具独特の匂いが染み付いている。時間をかけて空気中にゆっくりと拡散していく油の匂い、酸化して画面に強固な膜を張る絵の具の鮮やかさと艶めき。
スケッチブックもクロッキー帳も色鉛筆も絵の具道具も、乱雑に部屋を埋め尽くしているのが常態だが、見る人が見れば筆や油壺といった道具類はとても大切に手入れされているのが伝わるはずだ。
 分かり易い、感謝の現れである。










×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -