誰でもいいから喰らい付きたいと、ふと深淵からせり上がった欲のままに隣にいた男の唇に喰らい付く。肉体が成長するにつれてあるいは成長するために分泌されるホルモンだかフェロモンだかとにかくそれっぽいほにゃららのせいだ、多分。時々こんな気持ちになる。思春期とか青春期? その辺りにはよくある話なんだろう、そんなことを考えながら頼りない肉を食んだ。
乾いていたそれを舌で湿すようにべろりなぞると仰け反って逃げられそうになったので、年中鳥の巣状態の頭をがっちり掴んでうっかりでも噛み切らぬよう固定(まったく俺の優しさに感謝して欲しい)してから潤んで柔さを取り戻したそれを味わった。情けない悲鳴もどきを塞いで飲んで、舐めて噛んで吸って食んだ。
目を閉じて噛めば味が冴える。
それは飢えを退け共に食を囲うことを教えてくれた人に与えられた、喜びだった。飢えないために死なないために、それだけが生きる理由だった頃は食事中に目を閉じるなんて愚行でしかなかった。気の緩むこの瞬間、味わうためだけに集中して、それが幸せだと知っている。
呼吸がだんだん荒くなってくる。ふすふすうるさい。
あれ。
いやこれ俺のじゃない。俺はちゃんとマイペースに落ち着き払って、きちんとマナーを守ってます。じゃあこいつか。日頃馬鹿みたいにでかい声で豪快に笑う癖に肺活量が足りないなんてテメエがお笑いだコノヤロー。吸ってる内に心なしか腫れてきた下唇を通り過ぎて奥へと舌を差し入れてみる。中を舐めたら丈夫そうで固くて味のない歯にぶち当たるだけで、舌は奥に仕舞い込まれているらしい、やっぱり唇の方が気持ちいいなと大人しく引っ込めた。
「へぁ……満足かえ……」
「ん」
柔らかく、温かい。満足だった。
敢えて希望を言うなら飴なんかを含みながら舌を合わせれば効果も満足度も倍だと思う。今は手持ちがない。いつか手に入ったら試してみたいけれど、しかしそれだと相手にも食わせることになるから折角の甘味が早く減りそうだし勿体無い。やっぱりその案は却下だ。
誰でもいいから喰らいつきたい。むらむらせり上がる情欲は隣にこの男が居るから湧くんだと気付くのは、こいつが空の向こうに飛んで行ってからの話だった。