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※捏造近未来





 狭くはない筈の空間に今は押し鮨にでもされんばかりに人が詰め込まれている。幸い暑さからは最も遠い季節であるから出勤前にシャツが汗みどろになるといった惨事は避けられそうだ。時間に正確なことを世界に誇れる日本の電車……それが都市部に向かうにつれ遅延が頻発するという由々しき事態、また利用客が置かれる状況の過酷さを何とかせんと近年はかなり整備が進んでいると聞いたのは、夢か幻か願望だったのだろうか。増発など多少の改善はされようと焼け石に水の感は否めず、いくら毎日体験して慣れたものだろうと辛いものは辛い。乗車する際の気合いと緊張と運動のせいで既に背中には蒸れた感触がある。

 それから、額に冷たいものが。
 此処にはいない筈の誰かさん達にかかされた冷や汗だと悪態を吐く、もちろん心中で。

「すげー。どっから集まってくんだ? アリみてえ」

「ああ、凄いものだ。おい一護、いかなる時でも背は伸ばしておけ。仕事相手に舐められるぞ」

 朝だというのに疲労感に満ち満ちた空間に相応しくない能天気な会話が車内とこちらの頭蓋にわんわん響く。

 ガタイのいい男は興味津々といった体であちこち観察しては路線図やら広告やらにいちいち疑問と感嘆の声を上げ、装束とのミスマッチ甚だしく首から提げたデジタル一眼レフカメラを構えている。対して申し訳程度に設置されたステンレス製の荷棚にちょこんと収まった少女は微動だにせずじっと此方を見据え、かと思えば眉を寄せ忠言をくれた。

 今度来た時には義骸に押し込んでこん中叩き込んでやるから覚悟してろよこの面白眉毛がって叫んでやりたい。よく堪えた、自分グッジョブ。しかもそのカメラ何だよ、完全に観光客気取りだよな、何で無駄に高そうなんだよ、昔映画撮るとかいう提案に付き合わされた時にも思ったけど予算ないとか言う割りに結構無駄遣いしてるよなお前ら。あとルキア、お前今の状況見えてないのか。見えてるよな。俺の曲がった背骨にも丸まった腹にも他人のパーツがびっとりフィットていうか食い込んでるおかげで伸ばしたくてもそれは不可能なんだ、分かるだろ分かってくれ。


「思ってたよりつまんねえな。……記録も取れたしそろそろ行くか」

「うむ。殺気立っておる上見ていて愉快なものでもないしな」

 お前らが見たいっつったんだろーが! 何かやらかすんじゃないかと思って付き添ってきた自分が馬鹿みてえじゃねえか!

 頬の辺りがぴくりと引き攣ったがここは我慢だ、聞こえてくるマイペース極まりない二人の声を意識してシャットアウト。ああ、本当ならこの時間帯俺は優雅に朝食とってる頃合いで、いいやまだ夢の中かもしれない。常々もう少しどうにかならないかと感じていた普段のラッシュが恋しくなった。明日からはヒールで爪先を抉られようが顔にクシャミをかけられようが寛大な気持ちでやり過ごせそうだ。
 フレックス出勤が適用されている己の勤め先はもう何駅か、今は気が遠くなりそうな程先にある。意識など遠のかせている場合ではない。今脱力して波に流されでもすれば目的地まで辿り着ける筈がない。ちなみに今は朝の7時だ。

「じゃーな一護! お勤めご苦労さん」

「しっかり励めよ。健勝にな」

「……」

 動かせるのは視線と眉間の皺だけで、さすがに察したのか単に構いたいだけか二人の死神はわざわざ眼前まで来てブンブン手を振り赤毛の方はついでとばかりに頭をかき混ぜ去って行った。唐突に首を揺らしたサラリーマンを奇異の目で見るのは密接した周囲の幾人かで、まあとことん目立つ髪色のせいで暫く記憶にひっかかるかもしれないが今日限り顔を合わせることは多分ないから気にならない、そこまでは。

 急に静かになった車内には空気を裂いて進む列車の軋り、機械的なアナウンス、イヤホンからの音漏れ、空咳、呼吸。さっきまでベラベラ余計なことをくっちゃべっていた癖に本当に居たのか定かでない程鮮やかに分かたれた世界の住人だ、お互い。あっちとこっち。残り香のような霊圧も直にかき消える。

(……)

 鈍く光る革靴、皺の刻まれたスーツ、短く揃えた襟足。馴染みの霊圧、重たげな墨色の死覇装、腰に佩いた一振りの刀。
 刻々と変わっていく自分の姿とそれを面白がるように見物に来る変わらない顔触れ。天寿を全うするまで、こんな感じに日々が過ぎていくとしたらまあ悪くない。間断なく続く圧迫、緊張を強いられた筋肉にかかる負荷、コーナリングの度きつくなる揺れにやっぱり遠のきそうなふわふわした意識のどこかでそんなことを思った。




















「牢獄の方が幾分マシと思える程に随分と窮屈な現場でした、編集長」

「お前が言うと洒落にならねえよ。まぁそんなとこです、詳細はこれに」

「おーご苦労。有り難く読ませてもらう。次は現世での食い扶持をどう稼いでいるのか、その辺もう少し突っ込んだ所まで見たいな。頼めるか」

「は。喜んで」

「いいっスね!もちろんです」


 瀞霊廷通信に現世コラムなるものが掲載されるようになりはや数年が過ぎる。取材にはその折りに手透きと見なされた(または申告した)ベテラン死神らが当たり、隊長副隊長クラスが任務がてら出向くこともあるという。今を生きる魂がどのような過程を経て育ち学び遊び成人しては社会の一画を担い人生をいかに歩んでいくのか、候補生を筆頭に死神たちが世俗を知るための参考資料としてモデルに抜擢されている現状は、当人ばかりが未だに与り知らぬ事実である。










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