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「あ 痛」

「え?」

 何がいたんだとキョロキョロする少年に浦原の元々緩みがちに保たれた口がはっきりと笑みの形に持ち上がる。

 冬休みに入り家族が常に傍に居る嬉しさからか家長がハイテンションを振り切って躁を患う自宅を離れ、一護のぶらりと訪れた駄菓子屋はいつもと同じように薄暗く鄙びており、その癖備わっている最新式のキッチンから供される茶はいつもと同じように温かく、美味い。
 通された居間では店主が広げた新聞紙の上で爪を切っていた。(いらっしゃい黒崎サン)生活感丸出しに丸められた背からは師として実戦で己を刺した冷厳たる殺気の片鱗も探し出せず、それもいつものことと勧められた座布団に腰を落ち着けて卓袱台の上にあった『空座町バドミントン大会のお知らせ』などを割と熱心に読んでいた矢先であった。



 いえいえ何でも。帽子の影に仕舞い込まれたものが痛みの訴えだったと、遅れて思い至った一護はむっと眉間の皺を増やした。我ながらあっけらかんとした響きだったと店主は思う。痛みだとか辛さだとか、負の感情は希薄に過ぎた。意味を取り違えたとしても相手に非はない。ない筈だがどうやらそれを過失と受け取ったようだった。

「どうしたんだよ」

「いいえぇ何でもないんです」

 のらりくらり、暖簾に腕押し糠に釘。そよぐ風を相手にするような頼りなさ、今にも煙に巻かれそうな雰囲気を楽しむためには短気をどこかに捨てねばなるまい。問答では埒が明かないと判断した一護はもう一回痛みの声を引きずり出そうと無遠慮にあちこち触れる。つい先刻まで爪切りを手にしていただろう手指を掴み確認すると「いやーん」と気の抜けた声が上がった。
 何事だろうと、浦原が自ら隠そうと決めたなら完璧に隠し果すだろう事実を一護は理解しているつもりだった。少し情けない気はするが年の功に敵わない部分は少なからず、必ずあると。つまりこれは知られても構わない程度のもので、寧ろ知って欲しいという故意の取りこぼしだと一護は当たりを付けている。

 だから「おや大胆」「ちょっとちょっと黒崎サン」「キャーくすぐったーい」遠慮はいらない。


 痛いって腹とか頭とか、外傷じゃないならどうしようもないなぁとそんな一護の心配は無用に終わった。そういう造りなのか単純に脚が長いのか、丈の短い作務衣からは素足がにょっきと晒されている。その先の一端が、いやに赤かった。

「おお痛い」

「あんたこれ…霜焼けか?」

 いい年してこの寒い中下駄で過ごしたりするからだ、溜め息を吐く少年にそうですねぇと大人は素直に頷く。子どもみたいな人だと、小学生の頃はよく指先を腫らした覚えのある一護は苦笑して赤く歪に膨らんだ足先をそっと解放した。鼓動に合わせて痺れるような不快感が記憶にあるだけに深い同情心が湧く。患部を庇うように胡座をかいた浦原にふと興が湧いてどうやって治すのかを尋ねてみると民間療法だったから驚いた。

「だってあんた、義骸だろ。これ」

「そうですよん」


 死神の器たる義骸に中身が入れば順調に代謝する事は既知の事実だったが、まさか霜焼けを起こししかもその対処がまるっきり生身の人間と変わらないのに驚いた。自宅に居候をしていたあの少女が纏っていた義骸も実は相当の変り種だったというから、その作り主が収まるこれもまた特別である事はまあ想像に難くない。

 それにしても「生身の人間」が過ぎるというか無駄に完成度が高いというか、かえって不便でないのかと首を傾げる。
 不調があればそこだけを端的に治療(心象的には修繕、の方がしっくりと当て嵌まる)できるとか、あるいは鬼道でちゃっちゃと治せるのではという漠然とした思いがあった一護はそれをそのまま口に上らせた。「やろうと思えばやれますよ」と浦原はうん、と頷く。

「でもですね、あんまり離れるといけないんス」

「人から離れると人の感覚が分かんなくなりますからね。痛みとか、空腹とか?」

「ほらアタシ、一応潜伏中ッスから」

 人の中に隠れるなら人並みでないとと扇子を広げた浦原に、羽織に作務衣に下駄に帽子を合わせるそのセンスはいいのかと一護は胡乱な眼差しを返した。
 人並みに。人に埋もれるため。
 それだけでない何かを、嘯く気配を確かに感じ取ってはいたが想像するだに肌寒くなる数字を思って黙り込む。死神たちの生きる時間は十と半を越えたばかりの一護にとって到底計り知れない感覚だった。実年齢など問うたことはないが覚えていないと流されるのがオチだろう。

 年寄りの気紛れなのかもしれない。
 事情があるのかも分からない。
 いずれにせよ心情的な何かに踏み込んで欲しくないからわざわざ近いけれど逸れた箇所まで誘導して説明した、やや面倒な浦原の意図を汲めない程短慮でも浅い付き合いでもなかった。聞くべきじゃなかったと少し後悔する。

 時折覗く深淵には毎度底冷えのする思いを抱く。得体の知れなさと、自分とは違う生き物ではないかと錯覚しそうな揺らぎ。寂しさ。


 神妙な心持ちに浸りつつ茶を啜る一護の顔を覗き込む浦原はニヤニヤと笑っている。まだまだガキだなと侮りをそこに感じるのは被害妄想だろうか、否。

「あんた、結構腹黒いよな」

「何です唐突に」

 今更な内容を訴えれば当たり前のように流された。




 間を取り持つ音楽もなく街の喧騒も遠いここでは人の声がよく響く。止めてようジン太くんと泣き声が聞こえる。甲高い怒号も重ねて届いた。浦原商店の門番は双方戦闘能力を埒外に置くならば、一護にとって弟妹さながら子どもらしく可愛らしい。

「あらら、やってますねえ」

 溜め息を吐きながらも店主が諫めに出て行くことはない。幾分一方的とはいえあれが二人なりのじゃれ合いで、茶飯事と承知だからだろう。耐えられなくなれば雨は自力で反撃するかシェルターに駆け込むかする。分かっていても一護は腰を上げた。

「だいじょぶッスよ。放っておいて」

 テッサイも居ますから。
 困ったように眉間を寄せて「そういうわけにもいかねえだろ」と客人は部屋を出て行った。一人になった浦原は卓子に肘をついて、閉まった襖の向こうを見るように目を眇める。放っておけない。子どもの喧嘩も、他人の傷も。

「長男気質って奴ですかねぇ」

 でも誰彼構わずあんなことしちゃいけない。あんな顔をしちゃいけない。
 間合いに入られれば嫌でも意識するでしょうし、弁えたつもりで退かれればつい追いかけたくなるってもんです。

「勘違いされても文句は言えませんよぅ」


 忠告は誰に刻まれることもなくひっそり散って、亡き者にされた。表ではジン太と一護の言い争いが始まっている。その内拳骨でも落ちるかもしれない。一旦懐に入れたものにはとことん甘い浦原商店の店長は、子どもらに今日のおやつを用意しようと重い腰を上げ、じくり痛む足先にうっそりと笑った。










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