Others | ナノ




「なあ」
「…………なに」
「じゃあ、あの、すっげぇキツいのに我慢して付き合ってるってわけじゃ、ねぇんだよな?」
「は?」

 私が、君に?
 我慢して?
 付き合う?
 ……この私が?

「するかそんなもん」

 限りなく強い否定の答えが零れ出て、ドラルク自身にさえ相当ぶっきらぼうに響いたというのに、退治人は「そっか」と何でもない風に受け止めている。おい不気味なまでの物分かりの良さだな、どうした。腕の中で身体を捩り、見上げるように目を遣って、そしてドラルクは後悔した。目が合うなり寄せられた顔に仰天して、手のひらでガードを試みる。

「待て。タイム。ちょっと、休憩ほしい」
「うん」
「うんって言いながら何でぐいぐいくるの? もう、ねえ、無理だよ」
「なんで」
「なんでって、君ね、ぅ」

 死んじゃうって。
 訴えは触れてきた唇に吸われて、音を得なかった。そういった方面に全く無頓着な退治人の唇は乾燥気味で、対照的にマメに気を遣うドラルクは時折痛みさえ覚える。そのためだ、触れる時には、まず湿すように舌先でしつこく撫でている。それを範としたのだろう。ロナルドもまた、深く合わせる前に何度となく舌で触れてくる。動作は同じはずが印象は随分と異なる。小鳥が餌を啄むような軽やかさのある手本と比べて、熱い吐息に混じって分厚い舌で荒々しく施すそれは、牙を立てて喰らい付く寸前の、味見かと疑うような不穏さがあった。種火を与えられ、かき立てられる内に、焔は飛び移り燃え広がっていく。引きずり出された熱を散らそうと薄い造りの足先が丸められ、もがくようにシーツをかいた。堪えきれなくなったのはどちらが先だったか、伸ばした舌を合わせ、気が付いたら食らい合うような口付けを交わしている。



 胸の傷は薄らと血を滲ませる程度のもので、既に固まっている。痛みよりも痒みが勝っていて、こうした状況でなければ何も考えず爪を立てていただろう。平素よりも熱く勢いよく血が全身を巡っているせいか、余計に強く感じる。やられた。そんな思いがあったせいかもしれない。ロナルドの内側で、ふと悪戯心が持ち上がった。荒くなる息を極力落ち着けようと努力して唇を合わせ、互いに吸い合うまま、静かに手のひらをベッドに這わせて辺りを探る。のし掛かる身をゆっくりとずらし、開かせた脚の狭間に、探り当て、つかんだものを滑り込ませた。
「んんっ」
 ぴくりと下敷きにした痩躯が跳ねる。なに、なんで。唇は離れ、動転したようにしきりに身を捩らせる。
「あっ、あ、ぁ……」
 ひたりと宛てがわれたものは確かにドラルクが予測していた通りの形状を持っていたけれど、紛い物の方だ。冷たいその感触に背を震わせて、それでも熱い欲望に内側を散々擦り上げられた余韻がまだ残っている。強張り、引き攣れるように震えても、ぬるぬると蕩けた襞は玩具の侵入をあっさりと許してしまった。退治人の手にすっぽりと収まる全長、全て呑み込ませたそれを性交を模して戯れに前後させている。派手に跳ねる痩身からは感じ入った啼き声が零れて、自ら施したくせにロナルドの胸に靄のごとく湧いたのは「面白くない」との思いだ。複雑な感情を持て余す。
 口付けを交わしながらも半端に纏っていた衣類を全て取り去ろうと互いにまさぐり合っていたから、ボタンを全て外されたシャツはその役割を半ば放棄している。上気した肌は明かりの下に晒されて、薄い胸郭が目に見えて上下していた。手のひらで顔を隠して、それでも乱れた息の合間に泣き出しそうな声が漏れるのを防げない。殊更にゆるゆると引き出せば見下ろす秘部はきゅうときつく締まる。呑み込ませたその様を息を詰めて見守ってしまう。もっと、反応を見たい。単純な欲求から短い往復を繰り返す内、啼き声が本当に涙声に変わっていく。

「やめて」
「それじゃない」
「意地悪しないで」

 悦楽を与えられながらも、羞恥と屈辱と不安と苛立ちと、覚える様々な負の感情に細い全身を震わせて、しゃくり上げながら訴える。いかにも弱々しい風情に退廃的な色香が重なり、石でさえ心を動かすと思われるあえかなる様。ただし、今夜ばかりは時が悪い。退治人には耐性ができつつあった。どれほどか弱く見えようが、相手はちゃんと立派な武器を持つ捕食者で、油断すれば取って食われるのはこちらかもしれない、そんな生き物なのだと、もう十分に理解している。加えて、今はひどく、攻撃的な衝動が沸き立っていた。

「ちゃんと、よさそうじゃんか」
「バカっ!」

 殴りつけてやりたいと、組み敷かれ、苛まれるしかない人外はそんなことを思って手を握り締めるも、振り上げることさえできそうになかった。そもそも起き上がれない。叫んで尚更疲れてしまう。ぐったりと全身の力を抜いて、されるがまま、ふたり分の忙しない呼吸の合間に淫らに籠る水音を聞くしかなかった。退治人は随分と興が乗ったようで、玩具を動かす手を止めない。冷たくて、徒に固くて、けれど体温の移りつつある固いものに悦いところを抉られてもたらされるのは確かな快楽で、唇を噛んでも喉が鳴るように漏れる声はどうしようもなかった。予期せぬ動きに不意を衝かれると、身体は勝手に跳ねてしまう。

「このまま、イけそう」
「ぅ……っ、ちがぁ、あァッ」
「違う? なにが」
「ぃ、あ、あ、あっ」

 回して、角度を変えて、探るようにあちこちを突いていたものが、同じ箇所を擦り始める。規則的な動きにいよいよ身動きの取れなくなった痩身が、求めていた快感を逃すまいとしがみつき、最後まで得ようと集中する。無意識に腰を揺すっていた。絶頂までの、ほんの入り口に足を掛けたと思ったところで途端にぴたりと止められて、思わず非難がましい目を向けた。酷い。雄弁な瞳に苦笑が返る。

「ほら、な」
「……サイッテーだ、君」

 あんまりもがくから、シーツはくしゃくしゃに皺が寄ってしまっていた。白い波間から睨み上げてくる表情は、艶っぽく息を弾ませてはいても甘やかさからは程遠い。柳眉を逆立てた相貌は険しく、熱と涙に赤く染まった目元との齟齬が様々な感情を呼び起こす。はだけたシャツと相まって、退治人が思わず想起したのは最初の夜だ。その頃と比べれば随分近付けたものだと、そんなことを思っている。だから、色々なものが押し寄せる胸の中でも一等強かったのは喜びだった。身体だけでなく、確かにその心の一部を預けられている実感を得ていた。外装を剥がして、内側に入り込むことに成功した実感。胸の内に訴えかけ、乱す、確かな影響力を今自分は持っている。あけすけに感情をぶつけられても、それさえ遠慮のない距離間を示しているようで、嬉しかった。
 喜悦の滲む表情でなかなかに非道な振る舞いをするものだから、下から見上げる立場としてはたまったものではない。ドラルクは密かに恐怖した。よほど怒らせたのか。いやいや自分の行いなど可愛いものだ、こんなに酷い辱めを受けるようなことを果たして自分はしたのだろうか……

 ああ。
 した、かもしれない。
 走馬灯よろしく己の所業がぐるぐる脳裏を巡り、悪口雑言が続く予定だった唇は固まってしまう。今、向こうから「俺は好きじゃない」などと突き付けられたら。想像して、心臓を握り潰されるような恐怖に怯えた。本当に、よくも未だに縁が繋がっているものだと感嘆する。タフさは承知していたつもりだが、本当に理解していただろうか。雪の重みも跳ね返す若竹のように、しなやかで、強くて、真っ直ぐな、この生き物の在りようを。やっぱり彼は昼の生き物だ。眩しい。とても眩しくて、まともに見れば目を焼かれそう。
 肉体の昂りとはまた別の要因で涙が湧いて、押し出された粒はぽろりと眦から溢れ落ちた。



 脱力していた最中、不意に再び異物を全て押し込まれて、構えていなかった身体が跳ねた。逃げるように上にずり上がるその身をすっかり覆ってしまおうと温かな身体が重なってきて、涙の零れた軌跡に沿って熱い舌が肌をなぞっていく。咄嗟に顔を逸らして逃げるも、耳元を舐められて「ひっ」と息を呑んだ。舌で犯されていると感じるほどに深く、尖らせた舌先が内側を探る。じわりと歯が食い込んだ。怯えきって垂れてしまう薄い先端を口に含まれ、全身が張り詰める。意図せず食い締めた胎をごりごりとした模造品が圧迫していた。押し込めた手はそのまま添え当てられて、指先が周辺の薄い皮膚を撫でていく。熱い身体の重み、苛まれる内側と、外側の過敏な箇所に与えられる刺激。本当に欲しいものは得られないまま自力では出られない場所に追い込まれて、朦朧とした意識を抱え、ただ息を繰り返していた。天地が覚束ない。視界が揺れる。クラクラする頭と、鉛を流し込まれたように重く、ちっとも言うことをきかない身体。縋るものが欲しくて、震える腕を伸ばした。


 背中に、首に、細い腕が弱々しく絡んだ。持ち上げ続けるのも辛いのだろう、首の裏で組まれ、だらりと力の抜けたその重みを感じ取る。
 内心もう十分だと思う。
 本来自分が収まるはずの場所に、無機物の分際で居座られているのは正直言って業腹で、自分でしでかしておきながら、ロナルドの内側には先刻からムカムカするような苛立ちが広がりつつある。下腹部に重く溜まる、じりじりと炙られるような、焦りとも痛みともつかぬ感覚に耐え、我慢することも快楽のひとつと他でもない唯一の相手に教えられた。ただそれも、過ぎればただの苦痛でしかない。一刻も早く押し入って、熱く、きつく包まれる中を、延々と突き上げてやりたい。胸をかきむしりたくなるような焦燥感を覚えながら耐えるのは、目標があるからだ。
 どうしても、今夜は、もっと求められたかった。直截に言葉で、態度で、欲しいと望んで、なりふり構わず強請ってほしかった。自分じゃなきゃダメだと思わせてほしかった。ひとりよがりの我が儘と分かっていても抑えられずに、結果互いを散々に焦らしている。

 押し込むと、薄っぺらい腹がびくんと跳ねる。手を離せば、すっぽりと呑み込んだはずのものはじわじわと押し出されていき、その感触にまた背を震わせて喘いでいる。ワイングラスのプレートを連想するほど広がった縁が、完全に呑み込まれてしまうのを防いでいた。つかみ、勢いよく抜き差しを施せば、抱え込んだ片脚までがびくびく跳ねて、激しい反応に「ふうん」と思う。

「やめろっつったくせに」
「……アッ、あ、あ、」
「なぁ。それじゃないって、じゃあ、どれ」
「あッ、きみ、ほんと、ひどい……ぃ、っあ、あ!」

 自分でも整理がつかない感情がずっと胸にある。ちっとも治まらない情欲と混ざって、いつもとは少しばかり異なる思いで見下ろしている。我が儘に付き合ってほしくて、実際に付き合わせて、意地が悪いと思いながら、まだ到底足りないと感じている。

「ぅ……、って……」

 不規則に跳ねる息の合間、細い声が意味ある言葉を寄越したように感じて、ロナルドは意識してじっと見下ろした。声が本当に小さかったのと、互いに整わない呼吸のせいで、言葉を正確に聞き取るまでに何度か繰り返させることになった。耳を寄せてやると、合わせた胸が必死に空気を取り込もうと懸命に動くのが伝わる。

 君、怒ってるの。

 途切れ途切れに訊かれて、ああと思う。そうかもしれない。自分でも持て余しているものの正体は、怒りやそれに近いものなんだろう。苛立ちとか不満、そういう刺々しいもの。けれど何に対して覚えているものか、明確に言葉で表そうとしても絞ることができずに、だから肯定も否定もしないまま、心に浮かんだことをただ口にした。

「何か……説明しようとしたら、酷ぇこと、言っちまいそう」
「ひどいこと」
「そう」

 君がしてるのは、十分酷いことだと思うけど……
 眉を顰めて、苦しい息の中で言い募ろうとしたのに、塞ぐように唇を宛てがわれて言葉は外へ出られなかった。息を荒げる様に緊張するも、形のいい唇は幾度となくただ押し当てられ、表面を合わせるだけで、呼吸を奪うような激しいものではどうやらなさそうだった。与えられた案外と優しい触れ合いに、構え、詰めていた息を少しずつ散らす。身体から自然と力が抜けて、そうしたら異物感は随分とマシになった。代わりに、ずっと垂れ下がるだけだった腕に力を入れ直して、慰撫するように、なだらかな筋肉の隆起を辿りながら、ゆっくりと熱い背中を撫でた。訊いてもいい? 唇を擦り付けるように囁く。少しだけ離れた端正な顔貌は沈黙したままで、言葉は返らない。構わずに続けた。何か、どれか、いやだった?
 何がいけなかったの。
 何がいやだったの。
 教えて。


 母親化現象再びと、ドラルクは天を仰ぎたくなる。絶対甘やかし過ぎだ。自覚はあるのに。厳しく突き放すなど、もう二度とできそうにない。優しく問いかけて、そうしたら今にも泣き出しそうにくしゃりと歪んだ表情を見てしまったら、余計にそう思う。無体を働いているのは自身だろうに、まるで酷いことをされたと言わんばかりに唇を震わせた青年は肩口に顔を伏せてしまった。重い。口に出さず、ドラルクはただ息を吐く。

 背中をゆるゆると、上から下へ。憑き物を落とすかのように、繰り返し繰り返し、しなやかな筋肉で覆われた背を撫で下ろす。息がやっと落ち着いていく。答えはまだ返らない。黙って待って、けれどその間も思うことは、薄い胸に浮かんでは消えていく。
 そりゃあ私だって君に色々やらかしてるけどさ。君だって、訳を知りたがったじゃないか。私も一緒だよ。なんにも理由が分からないまま、無茶を受け入れる気はないからね。
 浮き上がるものもやがて尽きて、そうなるとだんだんと眠気が差し込んでくる。じっとしたままの温かな身体。深い呼吸。ゆったりと微かに上下している。すごく気持ちがいいけれど、死ぬほど重いのが難点だ……ゆらゆらと、沈もうかどうか水面近くで意識が揺らぐ。腕が背中から滑り落ちそうになる頃、観念したように低い声が互いの身体を震わせた。

「だって、お前が」
「……うん」
「俺じゃなくて、こっちを、頼っただろ」
「こっち」
「そーだ。こっち」
「んっ」

 終わったら捨てるからな。
 もういらねぇだろ。
 持ってんの、ちゃんと全部出せよ。

 口にすることで何を望んでいたか自分でも理解できた、そんな風に次々と、蟠っていたものをロナルドは言葉にしてしまう。形を得た思いは怒涛のように溢れ出て、早口で捲し立てるその言葉が、ドラルクの上にどっと落とされた。それなりの時間振り回されてへとへとになってしまった心身には、にわかに受け止められない。目を丸くして、口を半開きにただ呆然と聞いて、それでも、大の大人が零す拗ねたような声音には何だか可笑しくなってしまって、ふっと笑みの溶けた吐息が漏れた。
 長命ゆえの悪癖か、退屈を厭うあまり楽しいことや面白いことに飛びつきがちなドラルクは、悪戯好きでもあった。こう来られるとどうしても、人を食ったような答えを返したくなる。えー。やだよ。結構したのに。まあ、君がどうしてもって言うなら? ああでもどうしよっかなあ。

 何と返してやろうか。そんな、心浮き立つような悪巧みも、顔を起こした情人が至近距離から目を覗き込むまでの話だった。映る己の像さえ確認できる距離にある、大きな深い青の瞳。意志を押し通さんとする強い語調に対して、不安そうに、縋るように見つめてくる、必死な目。自嘲する思いもあるのだろう、ただでさえ赤かった色は首筋にまで広がって、触れる背は先刻よりさらに熱を上げ汗ばんでいた。顔に大きく「お願い」と書いてある。ドラルクにはそれがはっきりと視認できて、だから「あーあ」と思う。自分が可愛いと自覚していない生き物の、無垢の可愛さは格別なのだ。少なくとも、天邪鬼が不戦敗を悟るほどには。
 分かった分かったと返す小さな声は投げやりなものだったけれど、対する男は、子どものように無防備に表情を緩めている。



「でも、意地悪は、やめてよ。私は優しくしてほしいよ……君と違って」
「俺だって冷たくされたいわけじゃねぇよ!」

 力ない声に責められて、内容はともかく余計な一言にロナルドは過剰に反応してしまう。思わず張り上げた声に、下敷きにした身体はきゅっと眉を顰めて目をつぶった。ハッとして腕をつき、半ば預けていた身体を持ち上げた。距離を空けて見下ろすと、疲労困憊といった姿態が余計にはっきりと目を射る。
 優しくしたい。
 なのに、何でか上手くいかない。
 何故だと考える中で、どうしても「何割かはコイツのせいじゃなかろうか」という思いがどうも離れていかない。ただ、我が儘を押し付けた自覚はある。肉体はもちろんのこと、精神的なダメージも重なった似非吸血鬼は随分と草臥れているように見えた。あまりに自分がガキに思えて、そこは素直に謝る気になる。もごもご「ゴメン」と呟くと、ほぼ閉じていた目がぱっちりと見開かれ、それからゆったりと細められた。力の抜けた表情は柔らかく、ひどく優しげで、ぼんやりと見入ってしまう。気が付いたら呟くように零していた。

「何かさ。変なんだよな」
「ちゃんと、大事にしたいのに」
「時々、すごく、酷くしたくなる……」

 行為の間は、お馴染みの衝動だった。振れ幅がどんどん大きくなっていっている気がするのは気のせいだろうか。自分でも整理できない心の内を正直に吐露してしまったのは、おそらく眼下の細面があんまり優しく笑うからだ。こうした許容の笑みには、なるほど長年生きているだけのことはあると思わせる余裕があった。いつもこうならいいのになと、そこまでは口に出さない分別を、ロナルドはちゃんと持っている。小さな笑みを浮かべたまま、眠そうなゆっくりした瞬きを繰り返す2世紀ものの人外は、告白を聞いて「ああ」と意外にも共感を示した。

「それ、分かる気がするよ」

 私も、君のことは可愛がってるつもりだけどね。
 意地悪とか悪戯とか、そういうのも滅茶苦茶してやりたくなるもの。
 まあ、甘えてるんだよね。

「許してくれるって、分かってる相手にしか、そんなことしないよ」
「それって、ナメてるだけじゃ」
「まあ……確かに、舐めてあげたりもするけど」
「なっ! おっ、お前こそ何かオッサンくさくなってんじゃねーか!」


 指摘すれば、向こうは笑みを引っ込めて怒り出したから、それから軽く言い合いになって、ただ速攻で息切れする蚊トンボみたいな生き物相手では勝負にもならない。ロナルドは鼻で笑って、再度のし掛かる。衝動のまま振る舞っても、どうやら許してくれるらしいので。





 絶対捨てさせると決めてしまえば、ちょっぴり気の毒な思いが湧くから不思議だ。役目を全うさせてやりたくなる。言ってみれば、最後のお務め。

 脱力した痩身を持ち上げて、果物の皮でも剥くようにシャツを脱がせた。胸を合わせて抱え込む。背には再び細い腕が回り、僅かな隙間も失くしたいとばかりにぴたりと擦り寄る身体に、ロナルドは言い知れぬ満足感を覚えた。片手で背を支えたまま、もう片方で滑らかな肌を、表に形を伝える骨を、なぞっていく。もうずっと悄気てしまっている耳を優しく甘噛みして、薄らと上気した首筋に唇を這わせて、思う。提供した精気は、確かに活力を与えたらしい。あるいは気持ちが完全に切り替わっているのか。無断であちこちに触れても微かに身動ぎ、吐息を漏らす程度で、もう死なれる心配はなさそうだと安心した。

 背骨を辿っていた指先が狭間にかかる。放ったらかしにしている内、精巧に作られた模造品は抜け出しそうになっていた。張り出た部分で辛うじて引っ掛かっている。探り当て、無意識に抜き去るも、形状が縁に与えた刺激は強かったようで、息を詰め強張った身体が小さく呻き、背に指先が食い込んだ。ごく小ぶりなのに、よくよく確かめるといでたちは十分に大人だ。反りと膨れた先端と、形だけがあまりに立派で、そのせいだろうか。反応がやけにいい。少しだけ考えて、再びひくつく蕾に玩具を押し当て、呑み込ませた。それなりに努力して、可能な限りそうっと含ませたと思うのに、目前の薄い肩はびくびくと跳ねる。緩やかに前後させれば頭を擦り寄せしきりに身体を捩るから、密着した身体に挟まれたものが半端に擦れてもどかしかった。背に絡まる腕が震え、汗に滑るからだろう、力を失って垂れては、何度も縋り付いてくる。
 いつまでやってるんだ。苛立ちと戸惑いの滲む囁き声がそばで聞こえた。肩に凭せ掛けられた頭が持ち上がって、反撃のつもりか、耳朶を唇で挟まれる。牙を当てられ、瞬間背筋を這い上がるものにロナルドは軽く身を震わせた。細く、けれど熱い吐息に擽られ、鋭い牙の気配と薄い舌の感触に、重く、湿った情動が昂る。手のひらに力が籠った。

「ねえ、ちゃんと、しようよ」

 耳に息と共に吹き込まれる。急き立てる声に余裕は感じられずに、何を求められているのか承知しながらロナルドは玩具を手放さない。

「中だけでイけるか、試してたんだろ」
「……むりだよ」
「や、いけるかも……これ、すげぇリアルだし」

 浅く出し入れを繰り返す。段差の部分が引っ掛かるその度に、合わせた身体は身動ぎ、苦しげに息を乱した。喉を反らし、喘ぐように呼吸して、合間に漏れるのは嗚咽にも似た啼き声だった。堪えようとしても堪えられないのだろう気配が伝わる。しきりにもがく身体は逃れようとでもするかのようで、ロナルドは無意識に押さえ込む力を強めていた。不自由な体勢を強いる熱い腕にぎゅっと抱き込まれて、苦しい息を何とかしようと痩躯は短い呼吸を繰り返す。酷い。酷い。心中では繰り言を零していた。恨まれたって仕方がないことをしたと承知している一方で、何でこんなことをするんだと頬を打って悪し様に罵ってやりたい気持ちが沸騰する。縁を苛む刺激はただ煽り立てるばかりで、達するにはとても足りない。消化不良の半端な快感が内側で溜まり、膨らみ、奥まった場所がひどく疼いた。苛立ちよりも不満よりも、欲求を満たしたい、それだけでいっぱいになってしまう。ぶつけたい思いは様々にあるはずが、熱い塊が胸につかえて上手に取り出せない。こんなに近くにいるのに。分かってほしいのに。本物がちゃんといるのに、ここにいるのに、どうして贋物なんか収めているんだろう。やっとまろび出たのは哀願だった。


「違うよ、全然違う」

 ねえ、君。後生だから。ちゃんとして。君がいいよ。
 身体をくねらせて言い募る。激しい羞恥に苛まれ、それでも身も世もなく啜り泣いて、取り縋る細い体躯は熟れきってどこもかしこもすっかり赤い。
 請い願っていたのは自身というのに、いざ乞われてみればロナルドが得たものは満足感とは全く異質のものだった。まるで弱いものいじめに興じた卑怯者の心地だ。罪悪感で心が軋む。望むままに何だって与えてやりたい、鞭打たれたように焦る思いに急き立てられ、一方でひどく憐れを誘う有り様に肉体はどうしようもなく欲情している。血が一気に頭に上り、直後全て下半身に降りたかのような錯覚を起こして、目眩を覚えた。もつれ合ったまま半ば倒れ込むようにして、抱えていた痩躯をベッドに押し倒す。体重をかけてのし掛かり、深い呼吸を繰り返すその間ずっと、下敷きになり、潰された身体はなおももがいて、全身を擦り付けるようにして先を強請っていた。ねえってば。早く。自分のことでいっぱいいっぱいで、今正に獰猛な生き物に腹を食い破られようとしているのに、気付きもしないで焚きつけるようなことばかり言う。黙って気を落ち着けようと努力している姿に、無視されたと受け取ったのか。訴える泣き声はいよいよひどくなった。

「助けて」
「お願い」
「早く」
「ねえ」
「ロナルドくん」

 実のところ、互いに名前を呼び合う機会は多くない。相棒なのに、こうまで一緒にいる時間を持つのに、名前をきちんと口にするのは肌を合わせる時がほとんどだった。日頃は、おいとかなあとか、ねえとか君とか、そんな言葉で済ませてしまう。ロナルドにとって、この薄い唇に名を呼ばれることは喜びだった。確かに個として認識された証で、多少なりとも何某か興味を持たれたと感じられた、最初の手応えだったから。大事にしたいのに。優しくしたいのに。下敷きにした生き物は、もう言葉も紡げずにいる。息を詰まらせるように、声を押し殺して泣いている。宥めてやりたくて、けれど、自分は今から、多分もっと酷いことをする。腕をついて身体を起こすと、涙に溶けたような目が力なく向けられた。眦に唇を押し当てると、諦めたように瞼が下りる。濡れた感触に思わず舌を出して舐め取って、きゅっと力の籠った目元に苦笑した。身体を離すと不安そうな顔をされたから「大丈夫だ」と声に出す。口にしてから、己のそれは信用がないだろうなと思って、なおさら笑みは苦くなった。

 目一杯に脚を開かせ、身体を折るように持ち上げて、苦しそうに息を吐く姿を見下ろす。薄明かりにすっかりと慣れてしまっているから、未だに乾く様子もなく涙が零れる様子もよく分かって、胸を刺す罪悪感は膨れ上がった。ただそれを押しのけて圧倒するのは全く相反する衝動で、二極化した思いに心が分裂でもしたのかと疑りたくなる。
 秘部は紛い物を抜き去った余韻にまだ閉じられず、鮮やかな色を覗かせていた。引き寄せられるように切っ先を当てて、押し付ける。触れただけで脚が跳ね、泣き声が上がった。今はもう、何をしたって泣かせてしまいそうだと思う。

「アッ、まって」
「……なに?」
「あ……、ゆっくり、」
「……分かった」

 努力しようと、確かにそう思ったし、だからきちんと返事をした。そのつもりだった。先走りに濡れる部位を擦り付ければ、ひくひくと吸い付いてくる。期待と焦りと興奮とが混じり合って、首の裏から背中までが満遍なく炙られるように熱い。息を深く、何度も繰り返して、腰を進めた。ロナルドは誓って努力し続けた。ただそれは先端がすっぽりと熱い襞に包まれてしまうまでの話で、吸い付く感触に引き込まれたと感じた一瞬、もしかしたらもっと長く、ばちんと何か、音のない衝撃が身の内に響いて、真っ白に頭の回路が焼き切れた。抵抗するようにきつく閉じた内部を抉り、一息に腰を打ち付けた自覚はある。まだ泣いているせいだ、息がひどく苦しそうで、それで千切れるような途切れ途切れの悲鳴が上がったのは聞こえたし、組み敷いた全身が痙攣するように跳ねたのもちゃんと分かった。それでも、何も考えられずに、気が付いたらぴったりと腰を合わせて全長を含ませていた。骨の尖りさえ感じるほどに体重を掛けて、円を描くようにさらに奥を探ろうと揺らめかせている。
 ゆっくりって、言ったのに。
 責める言葉はあまりに弱々しく、ともすれば涙と息に紛れて溶け消えそうに小さい。なのにはっきり耳に届いて、胸に棘を撒く。けれども逆らえない圧倒的なうねりに呑まれて、言葉が、思考が、片端から押し流されてしまう。全身が性器と化したようだった。そこで得られる感覚が全て。あ、あ、勝手に声が漏れる。どうしようもなく昂って、まだ早いとどこかで思いながら動き出す。

「……ん、ッ、あぁ、ああぁ! はァ、あっ、あっ」

 薄い腹が跳ね上がる。泣き喘ぐ声は掠れていた。動きを阻むように腕が、脚が身体に巻き付くのに構わず引いて、それから熱くぬめる粘膜をかき分けて押し込む。規則的に繰り返す往復運動に対して貫かれる身体は不規則に震え、官能的な吐息を散らした。初めて纏った皮膜は確かにぬめりを加え滑らかな往復を可能にしたが、得られる感覚は数段鈍いとロナルドはここに至って確信した。裸の身に鮮烈に与えられる襞のぬめり、腰を引けばくびれに引っ掛かる抵抗を、締め付けてくる熱と圧を、いつもよりずっと克明に感じ取れる。抗いようがない、その得も言われぬ心地良さも。

「まって、まってよ、もぉ、ああぁッ」
「わり……でも、すげぇ、こんなん、ムリだ、」

 内壁を散々に引っかいては、最も太い冠を際でとどめさせ、細かな襞を全てぴんと引き伸ばして雄を咥え込む縁を苛む。抜け出てしまいそうなところで再び奥まで入り込む、何度でもその都度確かに杭を打ち込む心地を覚える。何度でも、押し込むその度に涙声が上がるからだ。トドメを刺される獲物のような、ひどく淫らな断末魔の声。一瞬でも長く、ずっと、続けていたい。ずっと、熱くぬめらかな襞に包まれて、抜き差しに悶える肢体をもっと気持ち良くしてやりたい。夢中で腰を振って、一番イイところを擦り上げて、どれくらい続けていたのか自身ではもうよく分からない。おそらく時間の拡張が起きていた。段々と声は高く、それこそ殺されるのかと思わせる悲愴感にまみれて、やがて弾けるように全身を硬直させて絶頂に達する。仕留めた獲物が身を震わせて余韻に浸るのを許さずになおも追い詰めて、跳ね上がる腰を、暴れる脚を押さえ込んで延々と腰を打ちつけた。ひどい、ひどいと、耳殻をなぞって落ちていく恨み言は涙と、それから法悦に濡れている。


 何度か休憩を挟んだはずが、回復に必要な時間が全く違うせいだ。相変わらず振り回すような抱き方をしてしまう。向こうには何か、理性の壁だとか、自意識の鎧だとか、そうした余計なものを取っ払ってしまうまでに、何段階か必要らしいことは知っていた。一足飛びにスイッチが入って初手から乱れることもあれば、最後まで余裕綽々で自分だけが酔わされていると感じる夜もあった。何がどれだけ必要なのやら、まだまだ手探り状態なものだから、できることはまともな意識が飛ぶまで責め苛むくらいで、そんな事態には別に意図しなくとも気が付いたら毎度陥っている。特に最近は……
 既に注ぎ入れたものが内側でいやらしい音を籠らせて、響くそれに尚更煽られる。緩やかに腰を動かしながら、舌を柔らかく合わせる心地良さに存分に浸った。腕で自重を支えながら、頬を挟み唇を求める手に応えている。きゅんと食い締めてくる縁に逆らって含ませた肉茎を前後させる、ただそれだけに脳髄まで痺れるような快楽を覚えて、息はずっと、獣のように荒いままだ。向こうはさらに切迫した短い呼吸を繰り返して、それでも猫のように薄い舌先は引かず、頬に当てられた指先だって震えながらも縋り付いて離れない。時折浮かされたように呟く、平素ならとても口にしないだろうあからさまな淫語にさらに熱を煽られて、その度にどうしても手荒に扱ってしまう。そうしてほしくて、わざと言ってんだろ。酷い振る舞いを恥じる気持ちから、お門違いと思いながら、そう相手を責めてしまいたくなるけれど、でももう言葉にはならない。強く意識していないと、何か言おうとすれば全部が喘ぎ声に溶けてしまいそうで、もしかしたらそうした方が楽なのかもしれないけれど。

「……大丈夫か?」
「……なに、?」
「や、だから……」

 痛くないか。苦しくないか。ちゃんと悦いのか。自分だけが気持ちいいんじゃないかって、どうしても不安で、訊いてしまう。休憩がてら引き上げるように身体を上に乗せてやって、尋ねれば向こうは息を整えながらじっと見つめ返してきて、それから何をどう解釈したのか、単に興が乗ったのか、実地を交えて事細かに解説を始めた。

「苦し、けど。熱くて、すごく、きもちいいよ」

 時々このまま内側から焼かれそうと思うくらい。生きて、ビクビクして、太い血管がはっきり血を通わせるのが分かる。こうやって回してあげたら、もっとよく分かる。


 見つかってしまった性具は、退治人にとって初めて手にするものだったからだろうか、ドラルクとしては呆れてしまうくらい、やけに執心しているように見えた。よくよく観察していたし、引き比べるような真似をして随分しつこく使われたのを恨みに感じていたものの、今はそんな感情は一切合切すっかり散ってしまっている。与えられた生身の熱がいつもの何倍も鮮やかに感じられて、蟠りなど残らず吹き飛んでしまった。打てば響くじゃないけれど、何か刺激を与えれば服の上からでもすぐに元気に跳ね上がる、若々しい身体。比べ物にならない。比べようなんて馬鹿げている。それを教えてやりたくて、ひとつひとつ言葉にしていく。

 当てられただけで、先っぽが吸い付くのが分かる。ぴったり張り付いてくる。もうそれだけで全部の神経がそこに集中してしまって、気が逸らせなくて辛くって、だから、ゆっくり来てほしい。ふにふにしてるのにすごく固くて、だから、ぐって力を込められると抵抗なんてとてもできない。ずるって入って来ちゃう。互いが引き合うみたいに、ちゅってくっついて、それなのに君がぐいぐい来るから。割って、裂かれて、どんどん太くなっていくところはすごくきつい。きついのに、まだどんどん押し入って来られて、本当に、すごく苦しくなる。みちみちに埋まって、それで身体中がいっぱいになる感じ。呼吸の度に声が勝手に出て行く。押し込まれた分、声で逃がさないと身体が耐えられないんだよ。息と同レベルで喘いで、身体中に詰まるものを必死に逃す間、君が奥まで入ってくる。固くて、でも外側は柔らかいから、ぎゅってするとますますぴったりくっつく。ひとつになってる感じがする。いっこの生き物みたいって思うよ。息を合わせてると、ますますそんな気がして、いっぱい気持ち良くなれる。だからいつも息を合わせようと頑張るんだけど。悔しいことに肺活量が違うね。ちょっと、君に最後まで合わせるのは、厳しいなぁ。ねえ、ねえ。苦しいよ、これ以上おっきくしないで……





 片脚を抱え上げて、ぴったり腰を噛み合わせている。前からと、後ろからと、それから横臥の体勢と、どうしてやるのが一番いいのか確かめたくて、心地良い場所を探っていた。奔放に喘ぐ生き物を酔わせたままでいさせたくて、動きを止められない。滲むように全身に広がる麻薬のような悦楽に、止められない。自力ではもうどうしようもなくて、動力源を断たれるまで止まらないだろうと知っている。
 きもちいい。きもちいいよ。
 薄くて、真っ赤な舌がどれほど器用に動くか、全部知っている。十分な長さを持つくせに、もつれたように、舌足らずに何度も告げてくる。頭まで揺れるくらいに激しく揺さぶって、そうすると声はますます子どものように頼りなく、高く掠れてしまう。

「あ、いい、っ、んッ、きもち、いっ、」

 やめないで。そのまま来て。叫ぶように喘いで、ぴんと脚の筋が張り詰める。弓なりに反り返った背を見下ろしながら、長い絶頂に目を見開いて震える身体を押さえ込んで、言われた通り揺さぶり続けた。










 怯えてしまうのは、緊張してしまうのは、目を逸らしたくなるのは、怖いからだ。失うことを、そして疎まれることを、どうやらずっと、自分は怖がっているらしかった。

 都合がいい関係だった、気の迷いだった、もう必要ない。わざわざそんな恐ろしい言葉を想像しては怖気をふるっている。あんなにも望んだことなのに、そうでなくてはいけないと律したはずなのに。今自分が何よりも恐れているのは、この退治人に別れを告げられることだった。一体いつからだと考えて、意味がないと途中で止める。怖いけれど、恐ろしいけれど、離れるなんて、遠くにやってしまうなんて、もうとても出来そうにない……ならば、努力しなくては。
 心を守ろうとするあまり、大切なものをわざと遠ざける癖が自分にはある。直したい、直さなくてはいけないとドラルクは考えている。


 どうやら意識を失っていたと悟ったのは、つい先刻まで目の前で汗を垂らしていた真っ赤な顔が、随分と落ち着いてそこにあるからだ。心配そうに眉を下げて、神妙な顔をしている。大丈夫かと問われ、頷こうとして、頭に、背に、具合良く当てられたクッションに気付いた。ぱりっとしたシーツに全身が覆われている。色々なものでべたついていたはずの表面はさっぱりしていて、乾いた清潔なリネンがまだ少し火照った肌に心地良かった。力を入れようとした身体をもう一度横たえて、息をつく。声を出そうとして、渇ききった喉を自覚して眉が寄る。囁き声で「ありがとう」と告げるも、相手は微妙な顔をしていた。自分のせいだと考えているからだろうと予測がついて、少し笑ってしまう。


 時折胸に突き上げてくる愛おしさにはおかしくなりそうで、可愛がりたい気持ちに任せてあれこれ世話を焼くのは大層楽しい。コインの裏表のように同時に湧くのは、何もかもを支配下において掌握したいという欲求だった。けれどそれは自己の性質からも、また現実的にも、とても実行に移せるものではない。だから心身がばらけてしまいそうに苦しくなる。苦しくて、痛くて、辛い。焦りと気忙しさに鼓動が速まって、物狂おしい気持ちで胸がいっぱいになってしまう。顔中にキスしてやりたいのに、もの凄く意地悪なこともしてやりたい。ハロウィンでもないけれど悪戯を仕掛けて反応を逐一眺めて楽しんで、そうして日々を暮らせたらどんなに愉快だろう。
 最近は行為の前後だけでなく、何ということはない日常の中でも不意を衝いて襲ってくる。行為の間はもっと酷い。あることないこと言ってしまいそうで、空恐ろしくなる。今夜自分は何を口走ったのか。今更遅いと分かっていても振り返って確かめずにはいられない。

 目覚めてもまだ頭は覚醒しきっていない。半ば眠りの淵に足を掛けたまま、ぼうっと物思いに耽っている。ぼんやりと虚空を見る目に思うところがあったのか。大丈夫かと尋ねる声はないけれど、不器用に髪をかき上げる手から、頬を撫でていく指の背から、労りの気持ちが十分に伝わる。今はだめだ。優しい触れ方に、涙が滲む。恨み言が口をついて零れ出そうになる。甘えている、見苦しいと、すんでのところで思ったのに、ままよと唇はそのまま動いた。

「もう。どうしてくれるんだ、君」
「ええっ! なに、なんだよ」



 咄嗟に防御してしまうのは、本能が逃げろと叫ぶのは、我を失いそうになるからだ。無我夢中で行為に溺れる瞬間だけじゃない。些細な日常のやり取りの中でも唐突に胸に込み上げる愛おしさだとかそういうもの。この男のためなら死んでもいい、そう本気で思える瞬間があるからだ。自分が自分じゃなくなりそうな、それは恐ろしい感覚だった。自分自身よりも優先させてしまうものが内側にあって、どうしてこれが自分と言えるだろう。覚えていた恐怖は未知なる感覚への、自己の消失への恐怖だ。ずっと、私は私のためだけに在ったのに。私の知っている私じゃなくなってしまう。もう引き返せるとも思えない。

「何だそりゃ」

 本気で怯えて、だから縋るように零したというのに、零された当の本人があっさりと笑い飛ばすものだから、ドラルクは軽めの殺意を覚えた。刺し殺さんとする目線に気付いた退治人は顔を引き締めて、それでも緩む頬を震わせて覆い被さってくる。

「お前さ、絶対末っ子だろ」
「末っ子? 私には兄も姉もいないよ」
「へえ……どっちにしても、お前、すげーよ。ワガママ放題に生きて来過ぎだろ」
「失敬な!」

 何だって君みたいな青二才に、そんなこと言われなきゃならんのだ。いよいよプリプリしていたらもう笑いを隠しもしない男に頬を挟まれる。小さな子どもに言い聞かせるようにゆったりと告げられて、態度に腹が立ってはいてもこの顔を、目を、真正面に据えられてはもう何も返せない。こやつ。知っててやってるんじゃなかろうな。

「大丈夫。その分俺がお前を優先するから、大丈夫だ」

 な、と笑いかけられて「うそだ」と思う。君が優先するのは市井の人だろ。

「そうだな。だから、俺は俺より市民とお前を守って死ぬだろうな……逆に、アレだ」

 そうじゃないなら、俺じゃない。

 違うかよ。
 訊かれて、こんな時に死ぬとか言うなと壮絶な棚上げの文句をつけながら「そうかもしれない」とも思う。この底無しのお人好しめは、求められれば応えようとどこまでも頑張るし、弱いものの盾になることを迷わない。同行を求められたって、自分は肩を並べて立てるわけじゃない。いつだって守られていることを思い出して、情けないとやや悲しくなる。同時に覚えるのは確かな喜びで、悲喜こもごもの心境を噛み締めて黙り込んだ。
 自分の組成が変わっていく。長らく経験しなかった、いいやおそらく生きてきて初めての変化。あまりに急激で、受け入れられなかったその変化をようやく自覚して、そうしたらやれやれ仕方がないと心は準備を始めている。最近の自分のカラダときたら。我ながら柔軟なこと……でも本当、仕方がないものな。別れる気なんてないし、何がどうなったって、やっぱり私は私だし。

「まあ、むざむざ死ぬ気はねぇけどな?」
「……当たり前だろ」
「泣くなって」
「……泣いてなんかない」

 やけに満足げに笑う身体は汗をかいてるわけでもないくせ、やたらとぽかぽかしている。ぎゅうぎゅうに抱き締められて、ドラルクは「死ぬ」と零しながら、応えるように腕を回して力を込めた。
 もうじき、夜が明ける。





「そういや、城に帰って来てすぐどこ行ったんだよ」

 まだ何かいかがわしいものを隠しているのじゃなかろうか。そんな疑いが露骨に籠った目を向けられて、些かげんなりしながらもドラルクは「ああ」と返事をする。

「着替えに行ったんだよ」
「え、服なんて変わってなかったじゃん」
「中をね」
「なか」
「下着だよ」
「お前、シャツが下着っつってなかった? あ、下か」
「……そうだね」

 歯切れが悪い。あまり言いたくないのだろうと察しながらも知りたかったから、ロナルドは黙ってじっと見つめた。無言の催促に屈したように、ため息をついてドラルクは応える。

 酷いって言っただろう。
 外にいる時だってお構いなしにそんな状態になるのはね、服に擦れただけで反応しちゃうからだよ。だからがっちり固定するタイプの、アスリートが使うようなサポーターで押さえ込んで外出してたってわけ。

「採寸して作った服は本当に身体にぴったり沿うから、余計なものが挟まると窮屈で仕方ない。用が済んだらとっとと脱ぎたかったんだよ」
「なるほど」
「ハイ、この話はおしまい」
「……がっちり固定って、下だけ?」
「おしまいって言ってるだろ」
「え、見たい、それ」
「おしまいって言ってるだろう!?」



 最寄駅に辿り着いたのは、もうそろそろ終電という時間だった。城に到着したのは真夜中である。明け方に帰るつもりでいたロナルドは、しかし鳥の声を聞きながら、薄らと色が変わり始めた空の気配を感じながら、どうしても去り難くて、ぐずぐずしている。

「なあ、昼までいていいか?」
「いいけど、戻るの大変じゃないか? こないだうっかり帰宅ラッシュに重なったって……」
「あー……あのさ。お前、もうちょっと近くに来ねえ?」
「はあ?」

 これ以上ないくらいぴったり重なっている中で言われて、思わず顔を起こした。目を合わせて、どこか緊張したような退治人の表情を認めて、それでようやく言いたいことを理解した城の主人が笑う。ああ、そうか。そういう手もあるか。

「でもそしたら私、きっと君んちに入り浸るよ」
「別にいいぜ」
「よくないよ。君寝る暇なくなるよ。今は特に……ひと月で済む保証もないし」
「いいって」

 少し切迫したような声で、さらに強く抱き込まれる。顔が見えなくなって、声が直接身体に響く。でもね。ドラルクは心中で反論した。多分そんなことになったら、本当に自分を失くしてしまう。距離があるから自分を保てる。やっとコントロールできる。いつでも手の届くところになんかあったら、きっと、この心をいなせない。
 自覚してしまえば、自分でも恐ろしくなるほどの激情だった。
 私は私をもう少し、理性的だと思っていたけど。だからこんな享楽主義でも、身を滅ぼさずに生き長らえた。


「……色々と、快適だから。まだ、しばらくはここにいたいな」
「そうかよ」

 まあ、確かにここはいいよな。広いし、いくら声出しても心配ないし……
 気が緩んでいるのか落胆したような声音を隠しもせず、思うままに心情を吐露する退治人は随分と直接的な事情を口走り、確かにそうなんだけどと城主は苦笑した。
 それより何より、あまりに身近にあり過ぎると、ひとは有り難みを感じなくなっていくからね。少しばかり苦労がある方が、きっと長く続くだろう。
 算段は言葉にしないまま、絡めた非力な腕に努力して力を込める。気付いた相手が身体の上に乗せようと抱き寄せてくるのに任せ、熱を宿す肌に頬を擦り寄せた。

 君を離してあげなきゃいけなかった。

 けれどもそれはどうにも難しそうだから、だからもう全部をかけて、きちんと大事にしようと決めた。機会があれば、離してあげることも、まだ考えるべきだ。囁くような理性の声は力なく、すっかりと諦念を滲ませている。
 でも、そうすべきなんだ、本当は。そんな思いはまだどこかにあって、だから罪悪感だって酷いものだ。しこりのように固く心にへばり付いている。一方、できるだけ長く続かせたいだなんて自分の欲も並び立っている。我ながら厚かましい強かさだと感心して、ドラルクは矛盾を宿した薄い胸を温かな腹にぴたりと沿わせた。

 他者を愛するということについて、ようやく向き合う覚悟を固め、受け入れたことが、少しずつ精神を、身体を造り替えていく。自覚しながら、そうした変化を怖がる気持ちまでを自然なものだと受け入れてしまえば、今度は不思議と胸躍るような思いが奥から滲み出して、ドラルクは満足した。全てのものは変わりゆく。恐怖はやがて落ち着いて、別のものへと姿を変えてしまうだろう。その頃自分は、自分たちは、どんな風に在るだろうか。楽しみだ。跳ねるような思いを最後に、休息を求めて、意識は無意識の闇に沈みゆく。










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