Others | ナノ




「先に行ってて。あ、お腹空いてない? 上におかずマフィンあるよ」

 色々見てたら試したくなっちゃって。トレトゥールってやつだね。
 玄関をくぐるなりあれこれと告げて、城主はその場にとどまっている。ロナルドは首を傾げた。訪ねれば、迎えに出て来る城主と一緒に部屋に向かうのが常だった。何か自分の用事を済ませたいのかと、そこまで考えてピンと閃く。

「お前、まさか、軽く抜いとこうとか考えてねえ?」
「だから言い方……あのね、違うから。ああもう早く行けったら」

 鼻の頭に皺を寄せてドラルクが唸る。君がいるのにわざわざそんなことする意味が分からないよ。その言葉を聞いてやっと納得し、退治人は階段へと踏み出した。振り返れば、黒尽くめの影もまたロナルドを見上げていて、しっしっと犬でも追い払うように手を振られる。何だよとムッとしたが、大人しく階段を上ることにする。わざわざ機嫌を損ねることもないだろう。
 そこまで考えながら、なのにどうしても引っ掛かって、こっそり引き返そうかとまでよぎる。いやいや、そんな。信用してないみたいなこと。ブルブル首を振って、どうにか邪念を振り払い、それでもどこかに蟠りを残したまま、無理矢理足を動かして上りきる。そうしてぼんやりしたまま身体を動かしたせいだ、気が付いたらいつもの部屋にいた。勝手知ったる馴染みの場所と、明かりを灯し、上着を脱いで、もはや職業病だろう、遠出をする時は休みだろうと必ず懐に潜ませるリボルバーを取り出した。いつもの場所に仕舞おうと枕の下に突っ込んで、そうして銃器の先に触れた固い感触に「何だろう」と思う。隠したいものだろうとか、プライバシーだとか、そんなことがよぎる間もなかった。特に何も考えず反射で引っ張り出して確かめる。ロナルドは本当に何も考えていなかった。考えていなかったからこそ、全く予想だにしなかったものが現れた衝撃は筆舌に尽くし難い。ロナルドはフリーズして、そうして再起動したのち、慌てて元通り枕の下に戻した。いつの間にか浮いていた額の汗を無意識に拭う。じっとしていられずに、ベッドから降りて部屋を歩き回った。そうせずにはいられなかった。分類できない感情がいちどきにひしめき合って、胸がざわざわと騒がしい。頭の中が散らばって、考えを言葉にまとめることもできない。身体を動かしでもしていなければ、悪い想像ばかりがむくむく広がり収拾がつかなくなりそうだった。



「何だ。こっちにいたの」

 城主がドアを開けた時、ロナルドはベッドに収まっていた。顔を突き合わせるまで、少しでも時間を稼いで普段通りの態度を取り繕うためであり、無事功を奏して、どうやら不審に思われずに済んでいる。いらぬものを見つけてしまった動揺はちっとも収まっていなかった。鼓動が身の内にうるさく響いている。何かを誤魔化そうとして上手くいった試しのない自身をロナルドは嫌というほど理解していたので、口は開かずあえて黙り込み、相手のペースに任せることにした。
 足音に耳を集中させてみる。真っ直ぐに近寄ってくるから目を開けて、覗き込む影を無言で見返した。小首を傾げるようにして、それからベッドに腕をつき、黙って顔を近付けてくる。目を閉じたら、柔らかなものが頬骨の辺りに押し当てられ、それがいつもより少し長くて、元から速まっていた鼓動がなおさらうるさく跳ねた。食むように動いた唇がリップ音を残して去っていこうとする。引き止めたくて、半ば反射で二の腕をつかみベッドに引きずり上げた。靴を脱がせてよと訴える声は笑っている。











 何でだよ。いい感じだっただろ。何でこうなるんだよ。

「何か言えよ……」

 もはや怒鳴る気力も残っていない。ロナルドは何だかもう、とても疲れてしまっていた。悲愴感たっぷりな彼の呟きに返る言葉はない。購入した避妊具は箱のまま、セロファンの封を切られてさえいなかった。もう知らねぇと布団を被ってふて寝を決め込むも、やっぱり気になって気配を探る。変わらず塵は沈黙していた。

 ヤり過ぎなんじゃねぇの。ひとりで。そんで体力使い果たしてんのか。バカじゃん。クソ。もう知るか。バカ。ほんとバカ。

 口にキスはできないねと残念そうに呟いて、だから代わりにと頬やら首筋やら、あちこちに啄むような口付けを施す唇の感触と、優しく触れてくる手袋越しの薄い手のひら。何だか色々なものが一気に飽和した、それは確かだ。けれど力を入れ過ぎたわけでもない。覆い被さってくる細い体躯に手を伸ばして、腕を回しただけだ。いや、ちょっとだけ、断りなく触れた。腰を探ってシャツを強引に引っ張り出して、腰骨の尖りがはっきりと伝わる肌に指先が触れた、そう思ったらサラサラした塵が全身に降り注いだのだ。何だコイツ。お触り厳禁かよ。

 期待に膨らみきっていた胸とか何とか色々なものをどうにかこうにか収めようと努力する。それでも意識は向いてしまう。考えてしまう。どうして死なれるのか。どうして休みだなんて言い出したのか。どうしてもっと早くに来なかったのか。どうしてあんなものが必要なのか。答えは既に形を得ていた。それでも認めたくないものだから、他に解を導けないか、ロナルドは考え続けてしまう。
 いっそ心が離れてしまえば、楽になれるのか。
 物事が全くもって思い通りにならない苛立ちに、仮定の話をぶち上げて意識を逸らそうと試みるも、到底実現しそうにない内容ではかえって虚しくなるばかりだった。濃さを増す苛立ちと、膨れたままの情欲と。それから胸を刺すような不安ともどかしさ。渦巻くあれこれに意識は覚醒しきったままで、とても眠れるとは思えなかった。それなのに、人体とは不思議なものだ。横たえているだけで休息をとるべきと判断したのか、徐々に心身は落ち着いて、気が付いたらすっかり寝こけていた。


 気を許して久しい。
 初めの頃は、眠ることなど考えられなかった。退治人としての警戒があったのも確かだけれど、目が冴えて眠るどころではなかったと表した方が正確である。散々に振り回した痩身がほとんど気絶に近い深い眠りなのをいいことに、あちこち触れてみたり撫でてみたり、飽きもせずに寝顔を眺めたりして過ごしていた。その内、眠る相手を抱き寄せて抱え込むことは当たり前になって、そうやって体温が移ってしまう頃にはうとうとと微睡みそうになっていたり、どうしても眠気に勝てず、起きている向こうに「ちょっと寝かせてくれ」と頼んだり、そうした事態が少しずつ増えてきて、今に至る。夜中の内に帰らないと翌日の仕事に響くのだけれど、どうしても離れ難くて昼まで居座ったこともあった。ほぼ丸一日をベッドで過ごした計算になる。行儀が悪いと叱られながら、夜の内に焼かれた菓子をベッドに持ち込んで齧り、そうして舌に残る砂糖を分け与え、一日中絡み合って怠惰に過ごした記憶はひどく甘やかな思い出だった。後始末もしないまま寝入って、身体だけじゃなく匂いの染み付いた寝具の手入れまで大変だったものだから、同罪だというのに結構な嫌味を言われた……



 気配にはすぐに気付いた。緩やかに頭を撫でてくる手が心地良くて、止めてほしくなくて、狸寝入りを決め込む。それなのに手はすぐに離れてしまい、何だよと思っていたら、今度は仰臥した身体にぴったりと寄り添われ、これはこれでと満足した。腕を絡めて抱き寄せて、もっと近付きたい。そう考えても身体がなかなか言うことを聞いてくれない。気合いを込めようとした矢先、濡れた吐息を近くに感じた。否応なく籠る熱を感じる、情事の時に零れるそれ。
 取り去ったのは上着とホルスターくらいで、まだしっかりと着込んだまま横になっていた。遠慮がちに腰の辺りに手が当てられて、迷うようにしばらく服に皺を寄せるだけの指先に、さあどこに進むんだと、逸るような心持ちで待った。やがて、シャツの裾からひんやりとした薄い手が入り込んでくる。脇腹に当てられた手のひらがゆったりと動かされ、筋肉の微妙な凹凸をなぞる指先が性感を高めていく。頭を撫でる手とどこが違うなんて上手く説明できないのに、胸元にまで上ってきた手指の動きは明らかに情欲を引き出そうと蠢くそれで、相手の目論見通りロナルドの下腹部は容易く張り詰めていく。跳ねる鼓動も乱れる息もどうしようもなかった。目覚めていることにはとっくに気付かれているだろう。息苦しさに押されるように、大きくため息を吐く。

「……退治人の寝込みを襲うたぁ、いい度胸だ」
「だって、私は何度もされているもの」

 お返しだと控えめに笑う。
 少しは悪いと思っているらしい。起き上がった痩身が屈み込んで、額に、耳元に、頬に、幾度となくキスが落とされるのを、目を閉じて享受する。機嫌を取ろうというよりはまるきり子どもをあやす触れ方だった。優しく軽やかな口付けに擽ったいような思いが湧いて、滾る情欲とせめぎ合う。

「お前さ……何か不満があるなら、言えよ」
「不満があって死んだわけじゃないよ」
「……じゃあ何だよ」
「ちょっと、びっくりしただけだよ。元々こんなんだよ、私は」

 ほんとに、すぐ死ぬんだってば。
 目を開けて、覗き込んでくる生き物と視線を絡ませる。眉を下げて、いつもの眠たげにも見える目で、首を傾げるようにしてロナルドを見ている。困ったような小さな微笑を浮かべていた。
 言葉は真実の一面かもしれない。みっともないところばかり見られたくないと、叫ぶように告げられた胸懐も、きっと嘘ではない。
 けれど、相談と言いながら実質的には宣言をしにやって来たその振る舞いと、とても行為にまで辿り着けそうにない死にっぷり、そうして今しがた枕の下に見つけてしまったものとが嫌な想定で結び付き、ロナルドの中でほぼ確信を持つに至っていた。本当は、他にもあるはずだ。休みが欲しいだなんて訴えたことにも通じる、根本的な原因が。どうしてはっきり言わないんだと詰るのは簡単だった。踏み切れば、二度とこの距離を取り戻せなくなるかもしれないという恐怖が口を縫い付けている。それに、聞かなくとも、理由については心当たりがあった。

 手を伸ばせば、撫でられることを待ちかねた猫のような振る舞いをする。痩せた頬を包むように指を曲げれば、上から薄い手のひらが重なった。目を閉じて嬉しそうに笑う。好意を寄せられていることに、疑いはもうない。大事に想われている実感がある。だからこそ、もしかして自分ばかりが与えられているんじゃないか、そんな可能性に冷や汗が滲むような居た堪れなさと、それから強い羞恥を覚える。
 そう、理由なんて簡単だ。こいつだって、手放したくないと思ってるから言わないだけだ。だから我慢して、無理をして、ひとりでどうにかしようとしている。

 仕方ないとロナルドは肚を決めた。痛みも未練もあるものの、相手のためになると分かってさえいれば、苦しみにさえ満足を覚える。安堵する顔を想像すれば、胸が温まる心地がした。身体を起こし、向かい合う。

「……これからは、あんまり、会わないようにするか?」
「え」

 休みが欲しいって、そういうことだろ?

 腹を括って告げてみれば、予想とは随分異なる反応に、内心ひどく戸惑う羽目になった。
 言葉が浸透するや、相手は顔から表情らしきものをごっそりと削ぎ落としてしまう。抜け落ちた正にその瞬間を目の当たりにしたロナルドはぎょっとして、二の句も継げず、ただ様子を窺うことしかできない。きまりが悪くなるくらいの間を置いてようやく「何でいきなりそんなこと」って呟くように言葉が返る。いや、いきなりじゃねぇよ、お前の方がよっぽどだったろ。

「いきなりって、元はお前が言い出したことだろ」
「私、会わないなんて言ってない」
「同じことだろ。いや、だって、お前さ。無理してるだろ?」

 俺も、気付かないで悪かったけどさ。普段図々しいくせに、変なとこで我慢するなよ。黙っとくのも、甲斐性かもしんねぇけど。お前にしてみたら、そういうこと言い出すのも、みっともないとこ見せてるってことになんのか?
 弾かれたように喋り出す。止まったら、またあの能面みたいな白い顔に見据えられる。恐怖にも近い切迫感に押されるまま、ロナルドは喋り続けた。


「ちょっと。ちょっと待って。君が何を言ってるのか、ほんとに分からない」

 薄い手のひらを眼前に掲げるように突き出し、退治人の言葉を遮る。額に片手を当てて、頭痛を堪える姿勢のまま、ドラルクは何とか対話を試みた。唐突に悟ったようなことを言い出す男に頭がついていかなかった。自分が死んでいる僅かな間に、果たして脳内で一体どんなシミュレーションがなされたのかと、あれこれ考えてみる。忙しなく目線が揺れた。可能性がいくつか浮かび、そのいずれにも背筋の凍るような思いが付き纏う。唐突にぶち上げられた提案の意味が本気で分からなかったから、衝撃がじわじわと遅れて来ていた。おかげで死なずに済んでいる。そうしてせっかく持ち堪えたのに、今度は自分のろくでもない推測で死んでしまいそうだった。
 頑張れ、まだ死んじゃダメだ。確かめないと、確かめる前に去ってしまわれたら。焦る思いで口を開く。

「あの。まさか、ヤれないなら用はないとか、そんな直接的な話を君はしているのか?」
「はっ?」

 目を丸くして、それから一瞬の間を置いて「ばっ! 違ぇよ!」と怒鳴り出す。何か俺クソ野郎に認定されてねぇかと喚くまでをじっと見守って、ドラルクはますます首を捻りたくなる。そっちも、ちょっとはあるんじゃないかと疑る。ただし理由の全部じゃない。そこまで精神性を置き去りにする男ではないはずだった。じゃあなんで?

「だって。頼れ頼れって、うるさかったくせに」
「それは今も思うけど。でも死なせたいわけじゃねぇし。まあ、落ち着くまで、休むのもアリだろ」
「じゃあ、死なない」
「は? いや、だって死んだだろ……」
「君がいきなり動くからびっくりしただけだよ。だから君、もう手を出さないで」

 全部私がする。
 言い募る表情は硬く、仄かな明かりの中でさえそれと分かるほど青褪めていた。おかしい。えっ何で? ロナルドは混乱した。予想では、ホッとした表情を浮かべるはずだった。何なら感激して抱きついてきてくれたっていいレベル。だから断腸の思いで口にしたのに。また一段階、距離が近付くかと思って、頑張ったというのに、どうにも噛み合っていない気がする。逆に遠ざかってねぇかコレ。どうしよう。全部話していいものか。でも見られたって知ったらこいつショックでまた死にそうだし、下手したら叩き出されかねない。オイ詰みじゃねぇか。どうしろってんだよ……

 ロナルドが考えあぐねている間に、マントが落ちた。次々に着衣が解かれ、さすがに繰り返した年季が違う、呆れるほどにずらりと数多く並ぶボタンが、無駄のない手付きであっという間に外されていく。衣類にやたらとこだわりを持つ城主のことをロナルドはよく知っていたから、無造作に投げ出されていくそれにぎょっとした。

「おい、いいのかよ……」
「なにが」

 視線で床に落とされた衣類を気にするも、シャツ一枚で腹に乗り上げてきた痩躯に有無を言わせず口を塞がれ、目を白黒させた。驚いてぴたりと唇を引き結ぶ。できないって言ってたくせに。視線でものを言うロナルドに対して、精気を糧とする生き物がそのやけに薄い舌をべっとひけらかす。ぴったりと閉じた境目を舌先で辿り「君がここをしっかり閉じていれば問題ないよ」と、言外に黙っていろと突き付けてきた。尖る唇が一瞬だけ触れて、すぐに離れていく。熱が奪われて少しだけ冷えた気がするのに、頬ばかりがやたらと火照り、ロナルドは無意識に手の甲で顔の熱さを確かめていた。

 半端に乱されたままだったシャツに細い指が掛けられて、首元まで引き上げてくる。かといって脱がせてしまうわけでもなく、クッションを引き寄せて横たわるよう示され、ロナルドは思わずぎくりとする。枕を兼ねるクッションはやたらと数があり、ものは一番奥まで押し込んだはずだった。大丈夫だろうとは思いながら、どうかコトが終わるまで転がり出ませんようにと祈る。

「どこにやったの」
「へぇっ!?」

 頭の中を覗かれたかのようなタイミングと言葉だった。取り繕うどころかロナルドは一気に挙動不審に陥るも、ドラルクはそれを不慣れな持ち物のせいだと判断し、気にもとめなかった。問いかけながらも器用な指は身体の線に沿って這い回り、緩やかなカーゴパンツのポケットに突っ込まれていたところを探り当てる。ほっそりとした指が透明なフィルムを剥いでパッケージを開け、取り出したひとつの封を切るところまでを呆然と見守り、そこでようやく我に返った。オイと声を上げて起き上がろうと腹筋を使うも、腹の上に居座る細いシルエットがやけに鋭い目付きで制してくる。思わず元通りクッションに頭を投げ出した。

「えっ、や、大丈夫かよ、お前」
「なにが」
「死んじゃうだろ」
「なんで」
「なんで? は、いや、えっ?」
「君ね。もう黙って」

 逆に無理だよ。ここまで来て、何にもしないで帰すわけないだろ。だから言ったのに。酷いって。呆れるって。でも君、助けてくれるんだよね?

 責めるような声音だった。下腹部に置かれた肉の薄い尻を擦り付けるように揺らされ、痛みと刺激で顔が歪む。細面はそんな退治人に目を遣ることさえなく、パッケージから取り出したゴムの先端をくにくにと嬲っている。かと思えば「べたべたする」と剥き出しの腹筋にぽんと置かれて、予期せぬ濡れた感触にロナルドは派手に身体を震わせた。向こうへの配慮として選んだゼリー増量タイプ、確かに惜しみなくぬるぬるしていると身を以て思い知る。
 配慮を向けられている当の本人は淀みない手付きで他人の下衣を緩め、我が物顔で性器を引きずり出している。幾重に包まれていたはずが唐突に空気に晒されて、既に兆していたものが意図せずびくりと跳ね上がった。それなりに元気な幹をゆるゆると指先で撫でながら、影は思案するように首を傾けた。固唾を飲んで見守るしかなくて、ロナルドは期待と不安と困惑で綯い交ぜになった胸を抱えハラハラと見つめる。頭を撫でてきた手は庇護者を思わせる穏やかさだったはずだ。一転してやけにクールな態度になってしまった相手の、何やら不穏な目付きが気になった。
 これは、もしかしなくても、怒っている。
 なんで?
 どこで?
 何がいけなかったのかって、いや会わないっつったのがまずかったんだろうけど、でも、だって、お前が。
 手持ちの情報が上手く頭で繋がらず、ロナルドの内心では疑問符が盛んに飛び交っていた。そんな中でもこうまでお膳立てされれば素直に期待してしまう。こっちだって何もしないで帰るつもりなんてなかった。ちゃんと理由があるのに、ぶちまけるわけにもいかない。胸の内で歯噛みしながらも、早くと口には出さず願った。

 声が聞こえたわけでもあるまいに、不意に屈み込んだ痩身が手で支えていた屹立に顔を寄せた。先端を避けることに決めたらしい、尖らせた舌が浮き出た血管を辿るように幹を濡らしていく。擡げた兜は手のひらで包まれ、柔らかく擦られていた。常日頃手袋に守られているためか、いつ触れてもしっとりした手の感触を一番敏感な部分で感じ取り、喉を反らして大きく息を繰り返した。初めは優しかったその手付きはすぐに強まって、愛撫にしては随分と乱暴にされている。痛みすれすれの快感は、それでも抗い難い引力があり、逃れることなど意識の端にも上らない。固く張り詰めた過敏な部位を荒っぽく擦られる刺激に、うっかりすると喘ぎ出しそうになるのを必死で押さえ込む。情けなく乱れた自身の呼吸音がうるさくて、それなのに側面を這う唇が響かせるみだりがましい音はしっかりと耳に届き、尚更頬が熱くなる。膨れ上がる衝動に腰が跳ねた。間髪入れず、まるでタイミングを計っていたかのように濡れた鈴口にじわりと爪を立てられ、呻く。傷付くほどではないにせよ、込み上げてきた感覚はつかみ損ねたままあっさりと通り過ぎ、戻って来そうにない。

「うおわっ!」
「……うるさいな」

 遠ざかってしまった頂上を惜しむ気持ちでぼうっとしていたら、大事なところにぴとっと張り付く奇妙な感触。半身を起こして見下ろせば、器用な指先がぬるついた薄い皮膜を肉茎に被せ、輪を下ろしていくところだった。急いた調子でもないのに、無駄な動きがないためかやけにスムーズで、何でそんなに上手いのかと思う。よぎった疑念を口に出す前に見上げてきた目と目が合って、そうしたら言葉も思考も吹き飛んだ。
 激情を堪えるようにきつく眉を寄せて、ひどく切迫した瞳が仄暗い情動を湛えて濡れていた。欲情を露わにするその視線に刺し貫かれ、今更に思い出す。退治するつもりで乗り込んだのは自分だというのに、あまりの雑魚っぷりに忘れそうになっていた。奪われるのは血でこそないが、確かに相手は捕食者で、自身は被食者だということ。それでもこちらはハンターで、向こうが狩られる立場なのも変わらない。自分たちはどちらも兼ねるのだ。ロナルドは初めて思い至った。組み敷かれ、覆い被さる体躯の重みを感じる時、相手も同じようなものを感じているのかもしれないと。喰われてしまうだなんて、そんな恐ろしさを。
 微かな、それでも確かな恐怖がほんの一瞬胸を占めて、その事実を認識したら、何も言えなくなった。唇はただ息を繰り返すことしかできない。身体は細い指先に突かれるまま、再び仰向けに倒れ込んだ。





 横たわり、全部を預けて、薄明かりの中でゆるゆると揺らめく細い肢体を見上げていた。常日頃作り物めいて温度を感じさせない肌が、今はしっとりと濡れている。妖しく腰をくねらせる動きに合わせ、額に滲む汗が玉となって頬を転がり、顎から落ちていく。はらはらと額に落ちかかっては何度もかき上げられていた髪は、いつの間にかすっかり下りてしまっていた。おかげで、下敷きにされたロナルドがどれだけ懸命に見上げても、その表情が読み取れない。
 ため息のように声を漏らしながら、そそり立つ肉棒を胎に含ませていく一切を見守るしかなかった。辛そうに張り詰めた身体を撫でてやりたくても、伸ばしかけた手は途中で止まり、落ちてしまう。今はシーツを握り込み、ただひたすらに耐えていた。膨らみきった欲望を呑み込む内側は熱く、呼吸するようにきゅうきゅうと締め付けてくる。すっかり収めてしまって安心したのか、弛緩して体重を掛けてきた脚。膝を掬い、折れそうに細い足首をつかんで、乱暴に引き倒したい衝動を、歯を食いしばり必死で抑えた。今も。腕が、脚が、ぴくぴくと震え、シーツを握り締め過ぎた手には痺れるような痛みが生まれつつある。さっきからずっと、腕を持ち上げそうになっては「ダメだ」と堪える不自然な動きを、幾度となく繰り返していた。

 触れたいのに、恐ろしくて触れられない。死なれることが堪らなく嫌だ。拒絶されているようで、心が離れていくようで、怖かった。逢瀬を重ねるごとに、その思いは酷くなっている気がする。
 同時に、大波のように押し寄せる衝動を抑えることにも苦労する。今は緩やかに上下する、どこもかしこも華奢な造りの身体。足りないと、無性に思ってしまう。不安になる程に小さな尻、手ですっかり覆ってしまえるそれをわしづかんで、根元まで深く押し込んでしまいたい。逃れられないようにしっかり腰を押さえ付けて、無茶苦茶にぶつけたい。抉るように打ち付けて、最奥を突いて、それから内側を引っかいて、際まで抜き出して。絡みつく襞を振り切って激しく抜き差しを繰り返す内、やがて堪えきれない涙声が溢れ出すのだ。まだ記憶は新しい。身も世もなく泣きじゃくって掠れた声。助けを求める、許しを請う、嗚咽にも似た声が蘇る。爆発するようにどうしようもなく情欲が煽られて、尚更酷くしてしまった。そんな非道な振る舞いが平時にどれだけ己を打ちのめそうとも、あの声を聞いたらもう、自分は駄目になる。

 痙攣するように身体中が跳ねたことで不審に思われたのかもしれない。動きが止まって、身体を倒して覗き込んでくるから、涙の滲む目を瞬いて必死に見上げた。もう無理だ。生殺しだ。いっそひと思いに殺してくれ。そんな世迷言が零れそうになって、違う違うと全身に力を込める。たった一言で、自分の思うことは全部言えてしまう。なあ。頼むから。

「……お前に、さわりてえ」

 必死の訴えに向こうは笑う。機嫌の良い猫のように目が細められた。愉快そうに口の端が持ち上がる。距離が近くなったことで息を乱している様子がよく分かった。身体を倒したせいだ、浮きそうになっている細腰をつかんで引き戻したくて、また手がピクッとする。握り締めたシーツは熱が籠ってすっかり湿っていた。

「どこに触りたいの?」
「……どこ、って」
「教えてくれなきゃ、準備ができない」
「……じゅんびって……」

 心の準備ができない。
 情欲の籠る、掠れた声に気圧された。何も言えなくなったロナルドが黙り込むと、雄芯を咥え込んだままゆったりと身体を傾けて、薄い体躯が覆い被さってくる。顔のすぐそばに手が置かれた。点で重みを掛けられたマットレスが不満げに軋む。痛々しいまでに薄く、尖っていても、男の身体だ。それなりの長身をきちんと支えられるだけの幅を、骨格を持っている。だからかえって細さが際立つのだけれど──のし掛かられ、視界は染みひとつない艶々としたシャツでいっぱいになってしまう。真上から悩ましげな瞳に見下ろされていた。容易く解ける拘束ではあるものの、囲われ、閉じ込められ、見下ろされるその感覚は背筋のゾクゾクするような、相手を組み敷いて、貫いて、揺さぶり追い詰めて得られるものとはまるで別種の快楽をロナルドの下に連れてきた。

 新たな世界の入り口で背を震わせている退治人を見守りながら、痩身は腕に分ける体重を増やして眼下の美貌に近付いた。触らないの? 自ら言い出した割に返事が返らないことに、ほんの少し苛立っていた。ん? 催促する言葉に滲む。顎を取って指先で擦るように撫でると、ただでさえ赤かった頬が目に見えて色を濃くして、唇が戦慄いた。ぱくぱくと動きはしても、ああだのううだの、およそ言葉としては意味を成さない呻きしか零れない。己の働きかけにあからさまな反応を返すその面白さに、覆い被さる人外はあっさりと気を良くした。そうして、獲物の、今は隠された首元に目を遣る。寄せられて皺だらけになったプルオーバータイプのシャツ。持ち主が高校時代から愛用している、洗いざらしの、ごわごわした固い綿の生地。自身の纏うそれとはあまりに異なる手触りを意に介した様子もなく、ほっそりとした手は中に潜り込む。指先が喉仏を探り、撫でた。ロナルドは我知らず息を呑む。近い距離から見下ろしてくる瞳は疲れたように翳っていて、伏せがちの瞼がゆっくりと瞬きを繰り返していた。薄い目の縁は興奮に赤く染まり、妙な色香を醸すその顔を見上げていれば頭に血が上るばかりで、どうにも考えがまとまらない。
 どこにさわりたいのか。
 どこって、どこって。
 足首、だけじゃなくて脚、えーと、太腿と尻と腰と、それから背中もいつも触る。胸と肩と腕、二の腕を辿って手首と手にも。首筋と、ああ髪のが先か、頬も耳も唇も。腹から辿ってものを握って、ちゃんとよくしてやりたいし。オイ言い切れねぇよ。どこから言えばいいのかも分かんねえ。

 いっぱいになった頭で「……ぜんぶ」と言えば「いっこずつね」と小馬鹿にするように眉が上がり、わざとらしく優しげな声に嗜められる。ぐっと言葉に詰まった。未だに首筋を伝う指先に肌を擽られながら、ずるいって、何でそんなことを言うんだって、そう口に上らせようとすれば、常日頃さんざっぱら好き勝手に痩躯を引きずり回してきた自分が脳裏に浮かぶ。
(君が言うか)
(どの口で)
 反論の言葉まではっきりと予想できて、結局震える唇をぎゅっと引き結ぶしかなかった。渋々と候補を絞る。あっちを見たりこっちを見たり、考え込む間ひたすら目線は泳ぎまくって、それでも愉快そうにニヤニヤする悪い顔は嫌でも目に入り、思考の邪魔をする。

「じゃあ、ほっぺた」
「ふはっ」

 御所望通りひとつに絞ってやったというのに、聞くなり顔を伏せて笑い出した人非人。小刻みに、シャツ越しの細い肩が揺れている。身体の上から落としてやりてぇなどと考えたって、できるわけもない。笑いを堪えようと腹に力を入れているのだろう、ずっぽりと呑み込まれたものをぎゅっと食い締められて、とてもそれどころじゃなかった。
 くっくっ、まだ小さく肩を揺らしながら「どうぞ」と顔を上げ、再び寄せてくる。腹立ち紛れに頬をぎゅむっと潰してやりたくても、死なれては元も子もないのだった。力を込めていた指をそうっと開き、ゆっくりとシーツを手放した。塞き止められていた血が急に通い出して、腕までがじんじんと痺れる。持ち上げた手は震えていた。覆うように頬に触れ、手のひらの窪みで撫でる。いつだって、とても満足そうにするから。望まれていると確かめたくて選んだのに。それなのに、見上げる顔は苦しそうに歪んで、何でと思う。根本をぎゅっと引き絞られて呻きそうになる。息が詰まる。それでも目は逸らさずに頑張って、そうして、破裂しそうに膨れ上がる欲求が身体の中で暴れ回るのに必死で耐えている。
 触れたら、今度は次が欲しくて堪らなくなる。
 思い出す。
 薄い唇に唇を重ねて、食み合って、舌先を合わせながら腰を揺らすと、向こうはひどく感じ入って身悶えた。あまりに激しく跳ねるから、牙と歯がカチリとぶつかったのだ。殺しちまうとヒヤリとしたのに向こうは持ち堪えて、じっと痛みに耐えていた。今度はもっと上手くやると内心リベンジに燃えていたのに。今夜はもう釘を刺されてしまって、試しようがない。騙し討ちでもするか。あの時だってこいつは弱っちいまんまだったのに。何で死なずに済んだのだっけ? ああ、だって、口付けから始めたから。ちょっとは頑丈にしてやろうって思って、でもあれは向こうから貰っていいかと尋ねてきたんだ。
 蘇る感覚に腰が震える。腹の底が疼くような、むず痒いような、このままじっとしていたらどこかが壊れてしまいそうな予感にゾッと背筋がそそけ立つ。持ち主がどれだけ戦慄しようとも、記憶の蓋が開いてしまえば、そりゃあ色々と飛び出してくるのは止められない。抜けていくものを離すまいと吸い付く内側を反り返った部分で掻きながら引けば、くびれに引っ掛かる縁はきゅうきゅうと収縮し、敏感な先端を押し出さんばかりにきつく食い締めてくる。初めは薄い手のひらで口を覆って、必死に抑えている。それでも、悦楽に蕩ける肉襞をかき分けて固く張り詰めたものを押し込む瞬間、唇はほどけて、思わずといった悲鳴が押し出されてしまう。後はなし崩しに、啼き声は喉が枯れるまで続く。自分が続かせる。そうさせたくて、いつだって歯を食いしばって耐えている。感じる場所にありったけ触れて、舐めて、噛み付いて、腰を振る。そうしてトドメを刺す瞬間、いつも、自身が覚えているのは満たされた支配欲、征服欲、独占欲とかそういう括りの、ひどく身勝手なものだった。手足を絡めて縫い止めて、隠しようがないまでに全部を暴き立てて、そうして肉の杭に刺し貫かれて腕の中で果てる生き物に、ひどく安心している。
 直截に言えば、それなんだろう。
 望むことはそれだけだ。
 ここにいてくれ。
 どこにも行くな。行くなら一緒に行こう。一緒にいてほしい、隣に立っていたいんだ。
 会わないなんて。心と相反する提案を口にするのにどれだけ力を振り絞ったか。それでも、そんな選択肢を与えてやれるくらいの度量はあるところを見せたかった。ずっと共にあるために、痛みを堪えて差し出した。間違っていたなら正してほしかった。どうしてやるのが正解だ。お前は俺にどうしてほしい。

 だから、普段の意趣返しだろうか、意地悪をされても、限界まで耐えようと思ったのに。限界は思ったよりも早かった。苦しげに短い呼吸をする、眉を顰めて見下ろす表情を見つめながら、細い顎に、薄い唇に、噛み付きたくて堪らない。そんなことばかり思ってしまう。唇を噛んで衝動を押しとどめたのに、言葉は止まらなかった。

「なあ、おい。ちゅーしてぇんだけど」
「それはむり」
「何でっ、閉じてりゃいいって、お前、言ったじゃん」
「君、お利口に閉じていられるの?」
「……」
「そんな、泣きそうな顔しないでよ」

 このヤロー。頬をつまんで思いきり左右に引き伸ばしてやろうか。
 思うことを看破され悔しかったのと、余裕なんてどこにもない己が情けないのと、ぶちまけられない本音に食い荒らされる胸の内と、腹の底が熱いのと。何もかもがぐちゃぐちゃに混じり合い、正しくまとまらない。ロナルドは見下ろしてくる表情を読み解こうと努力した。まだ怒っているのか。もう温度はさほど変わらない。熱い頬。熱い手。目が柔らかく撓んでいた。今のやり取りで少しだけ唇は笑んで、でも眉は下げたまま、手のひらに頬を預けてくる。黙って離すと、夢から覚めたかのように、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「……じゃあ、脚」
「うん。あしの、どこ?」
「……ふともも」
「うん。どうぞ」

 腹に跨っている痩躯は未だにシャツで覆われている。着丈がそれなりにあるのと、持ち主が屈み込んでいることで、肝心要の部分は隠されて何も分からない。手を突っ込んだら死ぬんだろうな。容易に思い描けるその未来予想図に、泣きたくなってくる。未だ痺れの取れない手指がスムーズに動くようになったら脱がせてやろう。切なる目標を掲げ、手のひら全部を使って、鹿を思わせるほっそりとした脚に触れた。撫で回す内に密やかな笑い声が降ってきて、機嫌は悪くなさそうだとそんなことを思う。だから、つい気が緩んだのだ。

「あっ」

 きめ細かな肌に擦り付け、滑らせる。いつもそうしているから。つい、当たり前のように両手ですっぽりと臀部を覆ってしまい、そうしたら「そこはお尻」と伸びてきた指先にきゅっと手の甲をつねられた。痛ぇ。漏らした情けない声は無視された。

「ン……」

 腹の上の自由な生き物は大きく息をつき、仰け反るように体勢を変えた。喉を反らして息をしている。苦しい、と細い声が訴える。

「ねえ。抓られて、おっきくしたね」
「……」
「痛くされて、感じるの?」
「…………違ぇよ」
「そっちの気があるのか。今まで優しくして、悪かったね」

 違うっつってんだろ。
 お前こそひとの話聞かねぇじゃんか。
 いくら否定を繰り返しても、興が乗ったらしい。腰を大きく揺らし始めた痩躯が耐え難い悦楽を逃そうとするその度に、ロナルドは胸に爪を立てられる羽目になった。自らが悦くなれる場所を探して身体を捩り、内側に集中するためか目を閉じて、淫らに腰を振る。あっ。あっ。あっ。細い脚が張り詰めて、跳ねる息に合わせて小さな喘ぎ声がひっきりなしに零れていく。ベッドが揺れて、下腹部に繰り返し薄い尻が押し付けられて、快楽にどこまでも正直に振る舞う奔放な姿を見上げて元気に反応するのは当たり前だと大いに反論しても、爪を立てられるその度に血を送って膨れ上がる海綿体を身の内でまざまざと感じ取っている側からすれば「自覚がないのだな」としか思えない。
 首を振って、肩を揺らして、小さな悲鳴を上げながら薄い全身がびくびくと跳ねる。絶頂を噛み締め震える身体がゆったりと倒れ込んでくる頃には、胸元に幾筋もの赤い線ができていた。ひりつく痛みを覚えてロナルドが頭を持ち上げると、整わない息の中で、浅いけれど鋭い傷にゆったりと舌を這わせる生き物がいる。

「……お前、血は飲まねぇって、言ってたくせに」
「あ」

 いけない。舐めちゃった。
 美味には感じられないが、諸々の原材料なのだ、口に含めば精気を取り込める。
 ハッとした顔は淡い明かりの中でもはっきりと分かるほど紅潮して、それは極めた余韻だけではないのだろうと言葉から知れた。丁度いいとロナルドは笑う。ひとたび取り入れたなら、もうあとは一緒だろう。パーツが形作っていたのは確かに笑顔というのに、それが見る者に、ドラルクにもたらした感情はおよそ笑みが与えるものとは真逆の穏やかでないものばかりで、退治人に乗り上げたまま、似非吸血鬼は胸の内で少しだけ己の振る舞いを悔いた。口の端を吊り上げ歯を見せる。それは、野生の生き物にとって威嚇にあたる動作なのだ。





 随分と長く内側に収まったままだった。皮膜のせいだとロナルドはぼんやり思う。感覚が遠くなったのは間違いない。あんなに薄いくせ、隔てられていると強く感じる。思い込みかと集中するも、やはり違う。足りないと、また思ってしまう。熱いのは変わらない。常日頃冷ややかに取りすました体温と打って変わって、火照る肌に呼応するように内側も熱を伝えてくる。感じる狭さも同じだった。細い腰と小さな尻に過ぎた負担を強いているせいだ。いつだってぎゅっときつく包まれて、時折食い千切られそうだとさえ思う。強い刺激を与える度に緩急をつけて絞り上げられて、それをされると息がひどく荒れてしまう。

「あぁぅ、ん、うッ……」

 戯れに唇を軽く引っ張って、歯を立てる。すぐに離してやったというのに、鼻に抜けるような鳴き声には涙が混じった。
 反転して、覆い被さって、上から食らい付いている。角度を変えて何度も唇を合わせて、引きずり出した薄い舌先に甘噛みを施してはしゃぶりついた。己にはない感覚なものだから、どれほど与えれば足りるものなのか、ロナルドにはまるで判断がつかない。特訓の話だって保留中だ。まあとりあえずは渇いていた胸の内が満足するまでと、腰を揺らめかせながら、ひたすらに呼吸を奪っている。下敷きにされた痩躯は息も絶え絶えに喘いでいた。
 熱く、みっしりと中身の詰まった重たい身体が、薄い肢体をすっかり抱え込んでいる。押し潰されて、息も満足にできない中でも、ドラルクが得ているのは確かに快楽だった。上も下もぴたりと貼り合わせたように繋がって、身の内は頭の芯を蕩かすような愉悦に満ちている。恥を忍んで今夜退治人に持ちかけた相談は何のためであったのか、何のために招き入れたのか。思惟は溶け消えて、与えられる蜜をひたすらに貪っていたいと、それだけに全身が集中する。どんなに息が苦しくとも、おそらく意識を失くすまで、きっと自分からは繋がりを解けない。
 何ということだろう。
 芯まで蕩けて行為に溺れる頭のどこか、ほんの片隅に残る理性が冷ややかに呟く。何ということだろう。かつて確かに固めたはずの意志は粉々に砕かれて、今は欠片しか見当たらない。代わりに胸を占めるのは空恐ろしいほどの欲だった。一度は覚悟を決めて断ったはずの欲望は、息を潜めて隠れていただけで、しっかりと胸の内に巣喰い、ずっと息づいていた。久しぶりに肌を晒して身体を重ねた夜、それを思い知らされた。友人として立とうだなんてちゃんちゃらおかしい。できると信じて行動を起こした自分の浅はかさが今は信じられないし、どこか眩しいようにも思えて面映かった。

 ちょっとの間。彼が人間の、本来のパートナーを、彼の生きる世界できちんと見出すまでの、その繋ぎと思えば、許されるかも。触れてみようか。
 あまりに頑是ない退治人のひたむきさに絆されて、再び情を交わす関係を許した。望んだ。もしかしたら、肉欲を超越したのかもしれないと、キスだけで輪郭をなくすほど蕩けた夜にそう思った。触れ合うだけで安らいで、満ち足りて、堪らなく嬉しかったから。許されるなら、高熱に浮かされた身体を抱いてそのまま一緒に眠りたかった。肌を合わせることに身体が抵抗を覚えたのも確かなのに。それなのに、いざ蓋を開けてみれば、タガは音を立てて弾け飛んだ。これ以上はないというほどにあけすけに全てを開いて、見せてしまった。心を、身体を、どこまでも晒すことに快楽を覚えて、思考も溶けるまでに深く交わった。
 以来、身の内で膨れ上がっていた欲求は止めどなく溢れ出て、コントロールなど全く利かない情欲に全身が振り回されている。退治人の去った城で眠るその間も夢に見て、自身こそ淫魔のような生態であるくせに、望んでも得られぬ解放に散々に惑わされて身悶えた。ひとりではどうしようもない、今すぐにでも訪ねて、乗り上げて貪って、からからになるまで精気を吸い上げてやろう。そんな殺意にも似た欲求が胸を圧す夜が続き、さしもの享楽主義者も愕然とした。
 何ということだろう。
 容赦すれば、未練が残れば、完全に関係を断つことはいよいよ困難になる。それが分かっていたから、だから気持ちが戻るなんて及びもつかないような酷いやり方で突き放した。相手のためだと信じていた。断ち切った縁をわざわざ繋いでみせるような真似をしたのは己だ。のこのこと姿を見せて、助けようと手を差し出した。助けを欲していたのは自分自身の方だというのに、それは全く見えていなかった。



「たすけて」

 伝う汗を首を振って払う。少しだけ正常な思考が戻った心地で、囁くような訴えを聞いた。先だっても同じ言葉を零していたなと思い出す。助けを求める呼びかけに自分が何と返したかまで。唇が歪む。快楽で半ば溶けた意識が、蘇る苦い記憶で輪郭を取り戻す。何度も瞬きを繰り返して、霞みそうになる視界がクリアになるまで懸命に見つめた。真っ赤に色付いた頬は取り込んだ精気のためだけでなく、単純に酸素が足りないせいだと分かる。まともな呼吸を許さずに唇を覆い続けたのは自分だ。

「……どうしてほしい?」

 仕返しでもないが、言葉にしてもらわないと本当に分からないのだった。弾んだ息の合間にロナルドは訊く。お前は、俺にどうしてほしい。掠れた声で尋ねてみれば、ぎゅっと閉じられていた瞼が薄らと開いた。眩しいものでも見るように眇めた目。まともに見えているかも怪しい。焦点の合わないそれを覗き込み、重ねて問う。なあ。どうしてほしいんだよ。
 主導権を握っているのはこちらでも、言葉には縋るような響きが籠る。動きも止めて、ただじっと待っていれば、今にも触れ合いそうな距離にある薄い唇が開いて、何かを告げようと動くから、乱れた息を懸命に抑えて、集中した。

 問いかけを聞いて、その意味がゆっくりと頭に入ってきて、薄い胸の中で繰り返される。どうしてほしいか。そんなの決まってると、ドラルクにしてみれば何を今更という思いでいる。何を今更。今、この状況で、こんな状態で、何を望むかなどと、それを訊くのか。君は君の思うようにしていいんだ。それが私の望みなんだから。
 めちゃくちゃにしてよ。
 答えを返して、目の前で不安そうに歪められた唇に食らい付く。内側で今にも達しそうにぐっと膨れたものに、あっと思わず仰け反って、そうして跳ねた身体にさらに重みを掛けられて、離れた顎を乱暴につかんで引き戻す手に、息ごと奪うように被さった唇に、安堵している。





 行為の間中抱えられ、開かれ、押し潰されていた脚は力なくシーツに落ちてしまう。それなりの時間律動に付き合わせたひ弱な身体は胸を激しく上下させたまま、息は全く落ち着かない。せめてゆっくり、そう必死に言い聞かせながら自身を引き抜くも、まだ彼岸にいるらしい、背中までが持ち上がるほどにびくんと全身を跳ねさせ締め付けてくる。ぬろりと抜けたのは中身だけで、食い締めるその強さに皮膜は残ってしまっていた。ひくひく収縮する色付いた秘部から半端に覗く、くしゃくしゃになってしまった極薄のラテックス、その輪から糸を引くように繋がったぬめりがぷつりと途切れる。ひどく背徳的な光景に思えて、早く取り去ってやらなくてはと気が焦った。咄嗟に手が動いて引っ張れば、微かな抵抗を感じるも呆気なく抜けてしまって、ただし熟れきった身体には大層な刺激だったらしい。泣き出しそうな悲鳴が尾を引き、身体中が派手に跳ねた。手の甲を顔に当ててその表情は見えない。歪んだ口元は荒い息を吐いたままで、辛そうに身を捩って感じるものを逃がそうとしている。
 もう一度。
 早く。
 引き絞られ、限界まで撓んだ弓のようだった。溜めた全てのエネルギーを放出するまで止まらない。情欲に引きずられ、抑制などとても利かない。胸に蟠る疑念も自ら提案した被膜越しの交歓も吹き飛んで、再び包まれたくて堪らずに、後始末もそこそこに重なって、それでも無断で押し入るほど我を失ってはいない。許しを得たくて、荒い息のまま隠された表情を確かめたくて、顔を寄せた。手首を取って強引に腕を外す。見上げてきた目は余韻に熱っぽく潤んで、声は掠れていた。言葉の中身ばかりが醒めている。


「どうして、あんなこと言ったの」
「……あんなこと」

 咎めるでもなく、ただ問われる。茫洋と力ない瞳が向けられていた。別に言いたくなきゃいいよ、そう言わんばかりの投げなりな尋ね方。そのためだ。何について問われているのかロナルドには判断がつかず、鸚鵡返しに呟いた。

「会わないように、するって」
「ああ……」

 理解して、そうしたら、どっと言葉が胸には溢れ、けれど口はひとつしかないものだから、ロナルドは結局考えに考えてひとつずつ言葉を選び出すしかないし、理由を説明するには故意ではないとはいえ暴いてしまったものに言及することになる。何だったら、告げることができるだろう。選別にはひどく手間取って、結果として沈黙を返すことになった。もごもごと口ごもる退治人の表情を見るともなく眺めながら、ドラルクはゆったりと言葉を継いだ。

「君が望むなら。なるべく、それをきいてあげたいと思ってるのだけど」

 そうしてドラルクは、いつも、大抵のことは叶えてきた。だってその多くは自分自身の望みでもあったから。会いに行っていいか。これ食べていいか。触れていいか。不思議なことに、退治人は黙って触れても構わない立場を得てから、余計にきっちりと伺いを立てるようになった。

 願ったり叶ったりの提案のはずだった。ほんのちょっと以前の自分からすれば。会えば手を取られ、情欲の籠る目に射抜かれて、熱っぽくひたすらに応えてくれと愛を請うてきた若者。早く返してあげなきゃ、元いた場所に戻してあげなきゃ。焦っていたのは己だというのに。進んで距離をおくような態度を目の当たりにして覚えたのは、血も凍るような恐怖だった。冷え冷えとした全身。次に満ちたのは憎悪に近い激情だ。知覚して、恐ろしくなるほどの。自分が恐ろしかった。初めて知ったことには、あまりに激しい感情の波は体力を根こそぎ奪っていくということ。ひどく疲れてしまっていた。今は、ぼんやりとした痛みだけがある。いつの間にかすっかり砕けていた意志に呆然として、心身ともに弱い自分に失望して、それでも与えられた悦楽にむしゃぶりついて耽溺できる強かさには笑い出したくなる。
 見たことのない、覚えのない、知らない私がいくら現れようと、受け入れるしか仕方がない。そう、仕方がない。否定しようが恐ろしかろうが、私は私なのだから。やりたいようにやるし、言いたいことがあるなら言えばいい。うん、とひとり頷いて、苦しそうな顔をする退治人の目を見返した。どうして言い出したのやら、そんなことは分からないけれど。言いたいので、言ってしまうことにする。

「できる限り、きいてあげたいけれど」
「君のそれは、きけない」
「ききたくない」
「会いたいと思ったら、私は会いたいもの」

 叶おうが叶うまいが、思うことを告げてスッキリしてしまった胸に満足して、次の欲求を満たそうと目を閉じた。肉欲も言葉も吐き出して、そうしたら抗い難い強烈さで眠気が襲ってくる。ぴっちりとマットレスを包むシーツはいつも二重だ。退治人専用のゲストルームと化して以来、諸事情により。すっかり皺の寄ってしまったそれは体温が移って熱く、湿って、それでも頓着せず意識はすんなり沈みそうになる。天蓋のように自分を覆ってくれていた熱い身体が引き、拡散しそうになっている意識でもそれは分かって、残念に感じた。しかし離れて行くわけでもなく、ごく近くで何やら身動ぐ気配と布の擦れる音。何だろう。何をしている? 不審に思う。沈みかけた心地良い眠りの層から現世に戻ろうか、ゆらゆらと迷う。
 迷う間も、否応なく地続きだから、ベッドの上でもぞもぞする退治人に合わせて、横たわる人外の身体も揺れる。落ち着け。何をゴソゴソしてるんだ。あっさりと意識を引き戻されてしまい、文句をつける寸前、開いた目に映った光景を胸に受け入れられるまで、数瞬の間ドラルクはただぼけっと見つめていた。目と目が合う。状況を受け入れたらあまりのシュールさに笑うしかなくて、吹き出した。けらけらと存分に腹を抱えて笑い、そうして、苦しい息の中で言葉を捻り出す。

「アハッ、きみ、なにやって……ンフッ。あっ、あ? えっ……は? ねえちょっと」

 何やってんの?
 君、ほんとに何やってんの?

「なにやってんの、ねえ何やってんの!」

 笑いは引っ込み、途中からがらりと色を変えたその声は今や恐慌をきたしている。常日頃よくよく回る舌だのに、すっかりと語彙が抜け落ちて、糾弾の言葉を繰り返すことしかできない。相対する退治人はドラルクの狼狽を叱責と受け取ったらしい。哀しげに眉を下げて辿々しく言葉を繋ぐ。

「なにって……せつめい……わかりやすいかなって……」
「そんなわけあるか!」

 いいから離せ! バカ!
 取り上げようと跳ね起きるも、クラっときて道半ばでへろへろ倒れ込む。急上昇した血圧に、貧弱極まりない身体は動悸、息切れ、目眩の諸症状を起こしていた。均整のとれた裸身を堂々と晒してベッドに膝立つ退治人は首を傾げて、足元に平伏するかのように倒れ、ぜいぜいと息を切らす人外を助け起こす。力強く支えられた当の本人は、屈辱の極みだと唸っている。

「こんくらいが丁度いいのかって……だから、無理してるんだと思って、だから」
「待て、待て、待って、ステイ! ちょっと止まって?」
「尻ちっちゃいしさ」
「勝手に触るな! あとちっちゃいとか言うな。贅肉がないとか言えんのか」
「えっ、でもこれ……その、ほんと、ちっちゃいぞ」
「……」

 死にたい。
 うっかりと精気を取り込んでしまった自分を殺したいなあと、ドラルクは心の底から悔いている。
 いっそ殺せ……
 抵抗する気力は皆無である。腕に囲われたまま呟くも、座り込んだ退治人の膝にそれはそれは大切そうに抱き込まれては、叶わぬ望みだと諦めた。脳裏に貼り付いて剥がれないのは、退治人の仁王立ち……仁王膝立ちの光景である。思わず、かの有名なダヴィデ像を想起していた。世界中にレプリカがある、5メートル超の、この世で最も有名な彫刻の代表選手。
 ルネサンス期の芸術に、ひいては古代ギリシャ彫刻の完成度の高さに異論はない。いつ目にしても唸るしかない肉体美に、しかし物心ついた頃からドラルクは常に疑問に感じていた。なぜ不自然なまでに男性器を幼く表現するのかと。無邪気に尋ねて父親をそれこそ彫像のように硬直させて以来、自ら得るしかないとその手の文献を漁り、答えをつかもうと突き進んだ。判明したのは己と古代人との感覚の違いである。意識、思想、社会通念、そんな類の、越え難き大いなる溝。曰く、ありのまま、成体としてはごく真っ当な男性器は肉欲の、すなわち悪徳の象徴であり、哲学を生み、知性が最上の美徳という、精神性を重んじた彼の地では決して褒められたものではない、避けるべき表現だったのだとか。古代のモデルたちは、実際よりもはるかに短く幼く象られた隠部に満足したのかもしれない。自分たちは獣ではない、理性的な存在だと安堵して……
 ケッ。
 この吸血鬼もどきは何気に育ちが良いので、品のない言葉遣いを好まないし、基本的に口にしない。ただ、思うことはこの一音節に集約されてしまうのだった。
 まあ、エッチに出来ている我が身に抗わんともがくその意気や良し。大変興味深い。しかしながら形を歪めるのはどうなのだ。局部一点のみバランスを欠いたように思えて仕方なく、他が完璧なだけに勿体ないと感じていた。

 突然ドラルクにそんなあれこれを想起せしめたるは、ロナルドが枕の下に見つけた人工の男性器だった。ささやかな陰茎を象った性具を手にした情人が、自らのそれと比較するように股間に構えていれば我を失うのもむべなるかなというものである。持ち主としては全て完璧に管理していたつもりであったし、望んで晒したいわけもない。まして「兄弟だね」と言わんばかりに並べられては……ちなみにその様相はといえば、正に大人と子ども。


「……最悪だよ。君、家探しなんて最低だ……人間性を疑うね」
「バッカ! ちっげえええぇよ! 銃突っ込んだらいつもの場所にあったんだ!」

 こんなとこに置いてる方が悪い!
 熱く主張する身体は揺れて、腕に収まる痩身は成す術もなく暑苦しくも正しい弁明を聞き、返す言葉を失くして口をつぐむ。城主は棺桶で眠る。だのに、こんなものが何故この部屋にあるのか。用途はひとつで、さらに言うならば、何故男性器なのかと疑念が湧いてしかるべきだ。奇しくも、ほんの数時間前にロナルドが確認を求めた事項について、自ずと解が示されたことになる。追及されて今以上の辱めを受けて堪るかと、ここしばらく退治人専用のゲストルームで昼も夜もなくある種の探求に耽っていた城主は、話の向きをずらそうと試みる。やや痛みの伴う方向ではあったが、肉を切らせて骨を断つ覚悟である。

「……それが、何で、会わない理由の説明になるのさ」
「えっ。だから……ホラ。こんな、違うじゃんか」

 急にもじもじするな。
 もう骨を失くしでもした心地の人外は、脱力しきって溶けた猫のようにぐんにゃりと抱かれている。何やら照れて落ち着かない退治人はしきりに身体を揺らし、伝わる振動と恥じらいの挙動にドラルクはイラッとした。尋ねはしたものの、想定はいくつかあり、反応から候補を絞ることはできた。照れてはいても「フケツ! ふしだらだわ!」などという反発は感じられない。まあ性に自由な生態だってことは重々承知だろうし、驚くとこはそこじゃないよね。サイズをやけに気にしているってことは、おそらくはこちらを気遣ったつもりなのだろう。気遣う方向がてんで明後日を向いてるんだけど……

「忘れてたんだよ……ここにあったんだね」
「ん?」
「よく出来ていても、やっぱり作り物なんだよ。本物とは全然違う」
「あ、そ、なのか」
「ひたすら固いからね。最初は本当に子どもサイズで慣らさないと、無理で」
「え……結構柔っこいけど」
「……にぎにぎするんじゃない」

 大人サイズはきちんと君の目の届かないところに保管しているからって、安心してたらコレだよ。全く。詰めが甘いと自分で自分にため息をついて、今更ながら身の置き場に困っている。延々と身体を苛む熱を散らす、目的はそれだけじゃない。どうせなら行けるところまで行っちゃおうと、半ば研究に近いことまでやっていた。収まらない欲求に時にげんなりしながらも、研究そのものには割とノリノリだった。だってあまりに早かったんだもの。こないだ。

 射精は凄まじく体力を消耗する。ドラルクにとっては、下手をしたら運動そのものよりも負担がかかる。その点をクリアできれば、今後閨においてむざむざと醜態を晒すこともあるまい。それは、一抹の希望だった。久方ぶりの行為において徹底的に抱き潰され、日を追うごとに地味にダメージを積もらせる心身にとっての。体質ゆえにほぼ全てのステータスにおいてクソ雑魚の異名をとる切ない身であるが、こと専門分野においては遅れをとるわけにはいかないという気概が日に日にじりじりと燃え立っていた。単に「ベッドでは優位に立っていたい」という、声を大にして主張するには色々と弁えねばならぬ内容である。毎度毎度退治人にいいようにされて堪るかというささやかな反骨精神、それこそ引きこもってひとり励まんとした最たる理由だった。情けなくて、そこまでは本当に言えない。ドラルクは慎重に迂回し、告げる必要のない部分を巧みに避けつつ説明を続けた。

 ちゃっかりと「もっと悦くなれるかも」という打算もあった。出しちゃうのを抑えて中だけで達するコツをつかめたら、もっと楽しめるんじゃない? え、私天才。発想は、無間地獄のごとき性浴の嵐に襲われる中でも割とウキウキできる要素で、だからドラルクはやや浮かれていた。毎日研究を楽しみにいそいそ起きて、できるとなればベッドにダイブしちゃうくらいには意欲的に取り組んだ。最終的には収まらない衝動にうんざりする羽目になっても、始まりはいつだって、明らかに気持ちが上向いていた。ただし、疲れるのがあまりに早い虚弱っぷりのおかげでいまいち成果は上がっていない。外に出ずに済むならもっといける。期間を設けて、お休みを貰って、せっせと時間を充てるつもりだった。その提案が相手にどんな思いをもたらすか、ドラルクだってその点を全く考慮せずに申し出て、おかげで事務所に何度も塵をぶちまける羽目になったわけだが。


 呆れるって、酷いって、そういうことかと、そこそこ詳らかな説明を受けたロナルドは納得している。
 いたくご機嫌である。
 弱みを握って喜ぶだとかそんな非情な理屈からではない。純粋に、シンプルに、執着されている実感を得て、大層ご満悦なのである。

 いつもいつも、約束を取り付けるのは自分からで、そりゃきっかけが自伝の取材なものだから、初めの頃はそれが常態でも仕方なかったかもしれない。それでも、こうして一番近い距離にいることを許し合っても、相手から逢瀬を請う連絡を貰うことはやっぱりなかったのだ。だから、強引に、たたみ掛けるように口説き落として、ようやっと勝ち得たと腕に収めても、向こうからしてみれば悪い気はしない、そんな程度かと思っていた。どこかで「いつか手放してあげないと」って思われているのが分かっていたから、余計にそんな風に思えていた。相談と言いながらひとりで何とかしようとしている姿勢にやたらとショックを受けたのも、これまで重ねてきたそうした下地のためである。頼りにならない、重みをおかれていない、信頼されていない。そう後ろ向きに捉えてしまった。

 会いたいとか、ちゃんと思ってくれているんだな。

 その実感だけで、今までの、それなりに酷い仕打ちだと感じるあれこれを許せると思う。全部が報われる気がした。もっと間隔を空けてやれば、向こうからも連絡が来たかもしれねぇな……じわじわと込み上げる感情に緩む頬を隠しもしないが、不貞腐れた目で世を儚む人外はといえば、丈夫な身体があったならば暴れ出していただろうほどに荒れ狂う自分の胸の内を抑え込むのに手一杯だったもので、真上にある蕩けんばかりの甘い顔は見逃している。










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