Others | ナノ




 休みの日は城で過ごす。半ば暗黙の了解ではあるものの、ロナルドは毎回律儀に伺いを立てる。

 著作のためと無敵詐欺の偽吸血鬼を退治業に引っ張り込んで以来、辞去する際は大抵次の約束を取り付けるのが習いだった。そうでなくとも、前日までにはメッセージを送る。まあ大体において快諾されるものだから、最近では了承を疑いもせず、返事を貰う前からさっさとスケジュールを埋めてしまう。
 おかげで、その夜は少しばかり当惑することになった。城の主人は退治人の申し出を断って、遠路はるばる出向く気でいるらしい。休みなのに、何でわざわざ? 無機質な液晶が表示する「事務所がいい」というその文面から思惑は読み取れない。ロナルドは内心首を捻ったが、特に拒む理由もなかったので要望を受け入れることにした。ただ、城を訪れることはレジャーを兼ねた数少ない楽しみのひとつであるため、胸の内ではほんのちょっと落胆していた。


 休みだろうと、一日のリズムは基本的には変わらない。副業の状況如何で激しく変動もするが、大抵ロナルドは太陽が空の天辺から傾く頃に起床する。この日も同様に、日が昇りきってポカポカした室内で目を覚まし、洗濯だの掃除だの溜まった郵便物の処理だのとこまごました雑事を終わらせ、そうしてソワソワと日暮れを待った。どうにも待ちきれず、結局約束の時刻に対し随分と余裕を持って家を出る。休日というのに出勤ルートを辿って事務所に赴き、来てしまえば何のかんのとやりたいことは見つかるものだ。仕事を始めてしまったその集中がピークに達する頃、吸血鬼もどきはやって来た。

 腕を上げて「お邪魔するよ」とドアをくぐった痩身は、机までするするとやって来て、夜食にでも食べろと紙袋を差し出した。受け取った相手はといえば、礼もそこそこに袋を開けて中を覗く。歓声を上げる子どものような顔を満足げに見遣り、食っていいかと形ばかりの問いかけに首肯して、ドラルクは開かれたままのPCを覗き込む。原稿でないと見るや興味を失くし、ソファに腰を落ち着け、駅から決して近くはない距離を踏破した脚を労っている。つい先刻夕食を摂ったばかりのはずが、ロナルドは許可を得るよりも先に中身を取り出して、焼き菓子の甘い匂いと仄かに残る洋酒の香気を堪能していた。1個だけ。誰にともなく呟くと、カップ状のグラシン紙をこの上なく慎重に剥がして齧り付き、生地に練り込まれたドライフルーツの凝縮された甘さ、胡桃の歯応えに感じ入るあまり妙な呻き声を発している。んんー。んむ、うむうむ。ドラルクは頓着しない。与えられた食べ物をぱくつきながら、うまうまとか何やら鳴き声を発する退治人の習性には慣れていた。

 紙袋の底いっぱいに行儀よく並んでいたマフィンは、見れば生地と具材の組み合わせを変えてあるようで、おかげでもう1個、また1個と伸びる手が止まらず、結局ほとんどが健康極まりない若者の胃に収まることとなる。そうして咀嚼の合間に手ずから淹れたインスタントコーヒーを飲み干す頃、ようやくロナルドはソファでぼんやりする相棒の様子が常と異なることに気が付いた。
 顔色が悪いのは常態であるが、普段よりも明らかに隈が濃い。眉間には皺が寄っていた。思えば口調にはキレがなく、妙に疲れているようだった。もしかして己のせいかと、ヒヤリと背筋に氷を押し付けられた心地がする。何度も制止されながらも振り切って、結局失神するまで行為を強いた、そんな無体を働いた記憶がまだ鮮明だったため。
 いや、でも、もう結構前だよな?
 一度は全身が冷えたものの、落ち着いて日数を数え、既にそこそこの期間が空いていることに「多分違う」との結論を得る。もしかしてまともに食ってないのかと心配になり「精気をやろうか?」と喉元まで出かかるも、さすがにやり過ぎた覚えが生々しい今、食事とはいえエッチな諸々を提案するには躊躇われた。色々なものと一緒に言葉を飲み込み、結局口に出すことはできないまま、悩む間も素知らぬ顔を繕って何ということはないやり取りを交わし、そうして結局、歩く不健康といった体の細い影は押し黙ってただ座っている。
 視界の端でずっと気にしているのだが、場所を指定した割に、ロッカーの片付けだとかソファの張り替えを検討するだとか、事務所でしかできない作業を始めるわけでもなく、ひたすらにぼんやりしている。一緒にいる時間が長くなるにつれて、そうした過ごし方も増えているのは確かだった。わざわざやって来たにしてはやけに沈み込む姿を不審に思う気持ちはあれど、ロナルドは「そんな時もあるだろう」と特に水を向けるでもなく黙っていることにした。静かでいいと感じた一面もないではない。何より、平静を保つことが難しく思えるくらいの、微妙な気恥ずかしさがあった。知り合ってからはともかく、いわゆるお付き合いを始めて間もない。おまけに気を抜くとうっかりよからぬ記憶が噴き出しそうになり、心の調整に苦労していた。


 別にそれが目的じゃないと自分に言い訳をしながらも、会えば必ず肌を合わせて、体の関係から始まったようなものだった。妙な経緯を経てはいたが、今現在がきちんと手順を踏んで得られた立場であるという自覚はいつだってロナルドを安堵させる。ただ、自ら与えた猶予ではあったものの、恋人に昇格するまでの"おともだち"期間は、既に肌の甘さを知る身に殊更に堪えていたのである。どう考えてもそのせいだ。久々の、そういう意味での逢瀬だったというのに。許しを得るや抑制はあっという間に吹き飛んで、体力の限界まで交わった。殺しこそしなかったけれど「死んだ方がマシ」と言わしめるほどに追い詰めた、息も絶え絶えの痴態が脳裏にまざまざと蘇る。ヤバい、やり過ぎた、怒られる。そう思って後始末を色々と頑張ってみたが、相手はどちらかというと内省の方が強いようで、意外にもロナルドの振る舞いを責めるような発言は今日に至るまでついぞない。それにしたって、いや責められないからこそ余計に引け目を感じていた。自然、態度は遠慮がちなものになってしまう。

 ドラルクはソファに腰掛けてからずっと、同じ姿勢を続けている。腕を組み指先を顎に当て、右に左にとたまに頭を傾け直し、そうして時折、ため息未満の微妙な吐息を漏らす。茫洋とした目線は考えに沈んでいるようでもあった。何か悩みがあるのかともよぎったが、話したければ向こうから話すだろうと考えロナルドは結局無言を貫き、仕事道具の手入れなど始めている。実際、それからなかなかの時間をかけたものの、黒尽くめは自ら口火を切った。

「ちょっと相談があるんだけど」

 やけに深刻そうな顔と声を向けられた退治人は、しかし眉を上げるだけにとどまった。よりによって今話しかけるかと、その顔が言っている。察しは悪くない、むしろいいはずが珍しい。よほどの悩みを抱えているのか、それとも単なる注意力散漫か。やはり飢えているのかもしれない。元が元だからよく分からないが、少し痩せたようにも見える……内心目まぐるしく思いが飛び交ったが、抜き身の剣をいつまでもそのままにしておけない。集中しなければケガの元で、喋れば錆の元が飛ぶ。一瞬で優先順位を弾き出したロナルドは、無言で目線を手元に戻し、油を含ませた専用のネルで刀身を慎重に拭っていく。

 バンパイヤハンター・ロナルドの本来の得物は銃で、一番初めに馴染んだものだからと特にリボルバーを愛用している。訓練も掃除も欠かさないため硝煙やオイルの匂いはすっかり鼻に馴染んでしまい、自分ではいまいち嗅ぎ取れない。妙に鼻の利く人外に指摘されて自覚したことだった。オートマチックに比べて装填に手間がかかること、それから弾数が少ないことから、退治に向かう際は他にも武器を携行する。細身のロングソードはそのひとつで、切れ味を重視する日本刀と比べればさほど気を遣わずに済むが、高温多湿の条件下で手入れを怠れば悲惨なことになる。たとえ使わない日が続いても、定期的に抜き、錆を防ぐため油引きを施すのは習慣だった。
 吊るす姿をいつも視認してはいたものの、事務所を訪れるようになるまで抜いた場面を見たことがなかったドラルクは、つい最近までただの飾りだと思っていた。思うまま口にも出し、怒られもした。今はちゃんと実情を把握しているので、黙って剣の手入れを続ける退治人に気付くや口を閉じ、大人しく待つ。刀身を明かりに向けて透かし見るよう傾け、ムラがないか、塗り残しがないか矯めつ眇めつする姿を見守る、その表情は硬い。



「何だよ相談って」

 あえて事務所を指定したのはこのためか。剣を収め、道具を片付けつつ、ロナルドはやや身構えて応えた。場所柄、休みなのに休みという気が全くしない。定期休業日ではあるが、明かりが灯っていることで今にも「やってますか?」と客が来るかもしれない、そんな不安が拭えない。何故城ではいけなかったのか。内心であれこれ予想を立てながら続きを促すも、眉宇を曇らせた顔色の悪い男は口籠もり、今度はいっかな話し出そうとしない。小さく何度もため息を吐いて、随分と言い辛そうにしている。

「そんな言いにくいことなのか」
「うん……まあ、そうだね」
「あー。じゃあ、夜の話か」
「……君、ちょっとオッサンくさくなったな」
「あ?」

 ムッとしたのとショックとで咄嗟の言葉に詰まっていたら、まあそうなんだけどと項垂れた影にロナルドはドキッとする。いい話だとは思えなかった。おともだち期間は例外として、城を訪れれば必ず身体を重ねている。逆に事務所はある種の聖域で、多少の触れ合いを除き、そこまでの行為に及んだことは全くない。ドラルクが初めて事務所を訪れたのは友人としての立場を掲げてのことであったし、そもそもが働く場所なのだから当然と言えば当然だ。
 今夜事務所を指定したということは、そういうことなんだろうな。
 薄々察していたことが確信に変わっていくのに、ロナルドは焦った。やっぱこないだのは不味かったか。時間差でくるとか卑怯だぞ。いや交渉次第かも。落ち着け。まずは話を聞こう。
 机から移動し、対面のソファに深く腰掛けて屈むように膝に肘を置く。意図せず両手を合わせ、祈るように握り込んでいた。向かいに座る人外を見据える退治人の表情は引き締まってひどく真剣なものとなり、それを認めてドラルクはますます憂鬱そうに表情を暗くする。

「……ちょっと困ったことになってて」
「おう」
「身体が慣れるまで、ちょっと時間がかかると思うんだ」
「……ん?」
「それで、その間は退治にも同行できそうにないから。いっそまとまった、長いお休みを貰えないかなって」
「……」

 自分でも見通しが持てないから、期間ははっきりしないんだけど、いいかな。結果としてそれなりの期間引きこもることになるだろうから、とりあえず先に言っておかないとって思ってね。

 ダラダラと続く言葉に、どうも要点が見えないとロナルドはやや苛立った。身体がどうかしたのか? やっぱ具合が悪いのか。こういうのは単刀直入に訊くに限ると、思うままにズバッと斬り込む。

「困ったことって、何だよ」
「あー。あの……アレだ」
「アレ」
「…………は、……発情期みたいな」
「……はっ???」

 はつじょうき。
 発情期ってあの発情期?
 吸血鬼じゃないって主張はしょっちゅう聞いてるけど、コイツは猫か何かだったっけ? それとも俺が知らないだけで、吸血鬼って春先に増えんの? 今の季節は夜な夜な合コンとかお見合いパーティーとかやってたりすんのかよ?

「落ち着け。みたいなって言ってるだろ……」
「あ???」



 黙って聞いてよ?
 そんな前置きをした割に説明をする吸血鬼もどきの口は重く、説明が進み話の全容が見えるまで相当な時間がかかった。どうやら強い羞恥を覚えているらしく、言葉を重ねるごとに頬が朱に染まっていく。感情を抑えようと努力しながら訥々と語る姿にロナルドはうっかりムラッときてしまい、おかげでいまいち集中できずに苦労した。しかし話の中身に理解が及ぶといやでも集中できた。し過ぎたくらいに。

 最近酷いんだ。
 どうにも元気になり過ぎる。
 下手をしたら外でもそんな事態になって、宥めるのに物凄く消耗したりしてさ。あれは死んだ方が早かったな。
 初めは、人間の、しかもやたらと濃い精気を一気に摂取したせいだと思っていたんだけど。うん、君のね。大量に貰った後しばらくカッカしちゃうっていうのは、よくあることだから。けれど、もう身体にほとんど残ってないのに、今夜だって大変で。外に出られるようになるまでに滅茶苦茶体力使ったよ。実を言うと、こんなことは生まれて初めてで、扱い方がよく分からないんだ。籠って研究……じゃないけど、せめてコントロールできるくらいにはならないと、おちおち外も歩けない。

「そんなわけで、まあとりあえずひと月くらい? まとまったお休みを貰おうとね」

 考えている次第です……
 だんだんと声を潜めながら話を締めくくる。何故って、話を聞いていた向かいの男の様子がおかしいからだ。頭を抱えるように両手で額を支え、深く俯いている。微かに震えているようにも見えて、笑っているのかとドラルクは訝った。しかしそれも、喉から無理矢理押し出されたような低く掠れた声音で「お前さ」と言われるまでで、あ、これはどっちかっていうと怒ってるなと悟ったドラルクは逃げる準備を始めた。相手の目が伏せられているのをいいことに、こっそりと電車の時間を確認する。

「お前、何でそんな……しかも何だって、ここでそんな話するんだよ……」
「ここでだったら、ちょっとは落ち着いて話ができると思ったんだよ!」

 だって本当に酷いんだ、君だって目の当たりにすれば引くと思うよ、最悪そのことしか考えてないみたいな夜もあるし、正直他のことがどうでもよくなっちゃうくらいだ。
 ドラルクにはテンパると余計なことまでペラペラ喋り出す癖がある。痛い目に遭ったことだって数限りなくあるというのに、なかなか矯正しようとしない。

「じゃあそーゆーことなんで。よろしくねっ」

 三十六計逃ぐるにしかず。いざ! と駆け出そうとしたドラルクはあっさりマントの端を捕まえられ、勢いよく転んで死んだ。
 やれやれと、うぞうぞ蟠る塵を見つめてロナルドはため息をつく。だから、何でそれで休みって話になるんだよ。独り言は自身の胸に響いて、余計にダメージを深くした。



「なにするんだ……」
「いや、言い逃げしようとしたお前がぜってぇ悪い」

 休みってお前。
 言い方で誤魔化してるけど、要は会わねえってことだろ、ふざけんな。
 そもそも毎日が日曜日みたいな生き方してるくせにお休みとか、ナメてんのかこの野郎。何かあるとすぐ引きこもろうとしやがって……あといちいち勿体ぶった言い方すんな、分かり辛ぇから。ムラムラしてるってことだろ。ヤりてぇってことだろうがよ。

 言いたいことは数あれど、思うことを真っ直ぐ伝えるだけではことは上手く運ばないと、ロナルドは熟知していた。相手は超絶歳上な割に、怒られる事態を全力で回避したがる子どものようなところがある。意見を通すには、それなりに伝え方を練る必要があった。何から告げるか、順番も大切だ。分かっていてもできることとできないことがあるのだが……
 こめかみを引き攣らせるロナルドは、しかし少なくとも胸ぐらをつかみ上げて捲し立てたい衝動をぐっと呑み込むことには成功した。相手が死んでいる間に怒りのピークが過ぎてしまうおかげでもある。付き合い方についてコツをつかみつつある退治人は、深く息を吐き、一番重要な確認事項を可能な限り淡々と述べる。

「……何で、それで休むって話になんだよ」
「呼べばいいだろ、俺のこと」
「俺は、そういう時、頼るべき存在なんじゃねぇのかよ?」

 俺ってお前の何なワケと、さすがにそこまでは言えず、口から転げ出そうになったすんでのところで言葉を呑んだ。いずれにせよごく真っ当な主張のはずだ。告白だか懺悔だか、とにかく打ち明けられた話を理解して一番に覚えたのは多大なるショックだった。

 何で、ひとりで済ませようとしてんだよ。

 要はすんげえムラムラしてるって話だろ? そんで、何で、距離を置くって発想になるんだよ。おかしいだろ。普通恋人に救助要請かけるだろ。呼び出してヤりまくる一択だろうが。前から思ってたけどコイツ色々おかしくね? 人外だから? いや吸血鬼にも色々いるし、多分コイツは元々ちょっとズレてんじゃねぇのかな。どうなんだ。話してるとだんだん俺のが間違ってんのかって思えてくる。もしかして俺実は恋人じゃねぇの? それとも何か。ひとりでやる方がずっと気持ちいいってか。マジかよそれめっっっちゃへこむんですけど。好き勝手してる自覚があるだけにこれはキツい。誰か違うと言ってくれ……ていうか恋人っつーのはこんなビジネスライクなものだっけ? 長期休業のお知らせとか取引先かよ。もう分かんねえ。誰か判定してくれ。アドバイザー欲しい。吸血鬼のダチ作ろうかな。やっぱコイツに親父さん紹介してもらおうか……いやこいつの身内はダメだ。多分俺が悪者にされる。いやいや友人として紹介されるならどうだ……

 ロナルドの思考が大幅に脱線しようとしたところで、叫ぶような反駁の声が考えを散らした。甲高いそれには涙が混じっていて、実際ドラルクは少しだけ泣いていた。

「素直に頼れたらこんなこと言い出すもんかっ」
「だから迷ったんだ、こんな見苦しい事情、話したいわけないだろう」
「それでもね、見られるよりはまだマシだと思ったから言ったんだ」
「私にだって矜持はあるんだから」
「君にみっともないところばかり見せたくないって気持ち、分からないのか!」

 バーカ!
 子どものような捨てゼリフを吐いてまたしても逃れようとする。思わぬ反撃に呆然としながらも、ロナルドはしっかりとマントをつかんだままだったので、ドラルクは駆け出すどころか今度は立ち上がることにさえ失敗し、首がグエッとなって死んだ。塵となってソファに積もり、結構なショックを受けたらしくピクリともしない。ロナルドはといえば、つかむ手は緩めないまま、依然言葉が出てこない。
 やがてじわじわと姿を取り戻した黒い影は、諦めたように背凭れに身体を預けて、しかし感情は治まらなかったらしい。退治人を睨み付ける。恨みがましげにじっとりとした目は、抑えられない涙に潤んでいた。それにまたガツンとやられたような思いで、ロナルドは言葉を反芻し、何か言わねばととりあえず口を動かした。しかしながらまともに頭が働いていないせいだ。概ね、益体もない音の羅列でしかない。

「ああ……そういう、うん……まあ、ある、かもな……」

 そうか。
 そういう気持ち、こいつにもあるのか。

 一番最初の夜。出会い頭にこの上なく情けない姿と事情をぶちまけさせられたせいだろう。もう何を知られたって今更だという思いがロナルドにはあった。ただ、良く見られたいという、助平心に近いものがないわけではない。生まれたままの姿で、一切を取り繕わぬ欲求を全て晒け出して、ぶつけて、そうして何もかもを受け入れられている現状に充足感を覚えながらも、その上でなお、背伸びをしたい気持ちはある。

 ほんの少しだけ納得できたような、自分にも覚えがあるような。そう思えたら今度は何か別の感情が胸を占めていく。湧き上がったそれはあっという間に満ちて、全身に及んだ。言うだけ言って脱兎のごとく逃げ出そうとした相手を見張る、もとい見守るため、最初の死後すぐにロナルドは隣り合うように席を移動していたから、細っこい影は腕を伸ばせばハグだってできる位置にある。思わず手が伸びそうになって、気が付いたら口が動いていた。

「あー……っと。今、すごくお前のこと抱っこしたいんだけど」

 いや抱っこってなんだよ。
 もっと言い方あんだろーが。
 自分で自分に突っ込みたかったが、ぽかんと目を丸くした相手が、次の瞬間顔をくしゃっとさせて笑ったので、もうどうでもいいわと思う。
 眉を下げて、まだ潤んだままの目で、けれど可笑しそうにくつくつ笑いながら「いいよ、おいで」って細い両腕を広げた痩躯に、いや俺がそうしたかったのにって少し口惜しいような気持ちで、片膝をソファに乗り上げ覆い被さるように抱きついた。ロナルドが回した両腕が余るくらい、あっさり収まってしまう薄っぺらい身体。少しひんやりしていて、それが抱いている間にじんわりと温まっていくのを感じているのが堪らなく好きだった。

 このところどうも、笑った顔をあまり見ていなかった。
 眉間に皺が寄っていることの方が多いかもしれない。仕事に同行する機会が増えたせいもあるだろう。ただ、あの城で告白した散々な夜からずっと、どこか構えた、緊張したような振る舞いばかりが目立つ気がしていた。必死にかき口説いた期間だってずっと、首筋まで薄ら赤くして、けれど苦しそうにギュッと目を閉じて、隠すように顔を背けられてばかりいた。怪我の功名だ。体調を崩したおかげで、やっと好転した。受け入れられて、言葉できちんと返事を貰えた。柔らかな笑みを浮かべた唇に口付けされて、物理的に熱を上げた夜のこと。気が付くとそればかり思い返している。高熱で脳細胞はかなりのダメージを受けただろうに、マスク越しに落とされた、もどかしくも柔らかな一瞬の感触を忘れることはない。本当に久々に肌を合わせた前回、楽しそうに笑う姿を、そうして嬉しそうに微笑む顔を正面から見られたと満足したのに。結局自分でそれを台無しにした覚えの方が大きくて、それで、後から結構落ち込んだものだ。辛そうに泣き喘ぐのにどうしようもなく昂って、全部をぶつけた身勝手な記憶。ずっと、罪滅ぼしをしたい、しなければというそんな気持ちが、胸のどこかにいつもあった。

 軽い身体を半ば引きずるように強引に抱き寄せて、ぴったりと密着する。苦しそうに息を吐く相手に腕を慌てて緩めた。あったかい。ゆったり囁く嬉しそうな声に、ホッとした。気持ちが柔らかく解けて、言葉がまろび出る。

「なあ。もっと頼れって。俺のこと」
「うーん。素直に頼るにはちょっと……呆れられたくないってのとね、時間的に無理っていうか……ほんと毎日酷いんだから」
「お前さ。逆の立場だったら思わねえ? 助けになりたいとか」
「…………思う」

 顔を合わせない方が素直になれるらしい。ロナルドは口元だけで笑う。どうにかしてやりたかったし、ショックが薄らいで、代わりに無性に湧き上がった愛おしさだとか安堵だとか、それからもっと単純な欲求で少し辛くなってきている。そこでふと疑問が湧いて、湧いたら訊かずにはいられなかった。さすがに直球でぶつけるには躊躇われ、少し遠回りにジャブを打ち出すことにしたのだが。

「あのさ、お前、宥めるってどうすんだよ」
「……そういうこと聞いちゃう? まあ、多分君が想像してる方法で合ってるよ」
「ひとりですんの?」
「……ひとりじゃなきゃ誰とするっていうんだ」
「誰とって何だよ! 俺以外誰かいんのかよ!」
「あー! うるさい! ひとりって言ってるだろ! 錯乱するな! このデリカシー無し男!」

 鼻先がくっつきそうな至近距離で怒鳴り合う。真正面から顔を突き合わせ、一瞬の沈黙ののちどちらからともなく目を逸らした。適切な距離に戻り、そうして、少しだけそういう空気になりかけていたのが見事に霧散したことを、ふたりして残念に思いながら「ちょっと助かった」とも感じている。

「まあ……悪かった。ついでに全部聞いちまうけどさ」
「断る」
「やる時ってさ」
「断るって言ってるだろ! 何だ君、びっくりするほどひとの話聞かないな!」
「だって気になんだよ! ひとりの時どんなこと思ってやるんですか!」
「気は確かか!? 君ね、今最高に下衆なこと言ってるぞ!?」
「……えっ、もしかして、違ぇの?」
「……何が」
「……俺じゃねぇの?」
「」
「って、コラァアアア! またそれかよ!」

 ずりぃぞテメー!
 地団駄を踏む勢いで悔しがる退治人の隣には塵が儚く積もっている。クリティカルヒットを食らった人外は、またしてもそれからしばらく死んだままだった。





「……いくらそういう仲だとは言ってもね。最低限のマナーみたいなものがあるだろう、さすがに」
「俺はお前のこと考えるけど? 別に、知られたって気にしねぇよ。今更だろ」
「…………」
「ていうか勝手に出演してくんだよ。ちったぁ遠慮しろって感じだよ」
「……知るか。勝手に出しといて。肖像権の侵害で訴えるぞ」
「えっ。嫌なのか」
「…………」

 分かってて訊くな。
 苦虫を噛み潰したような顔でそれだけボソッと呟いて、それきり、あとはロナルドが何を言っても沈黙を返す。両者は共に大層表情が豊かであるため、言葉がなかろうと顔を見れば、何を訴えているかは互いに大体予想ができる。多少は怒ってもいるだろう。けれど明かりの極端に少ない城ならともかく、事務所の蛍光灯は暴力的なまでの明るさなのだ。耳まで染まった鮮やかな色は隠しようもなかったし、それが激怒ではなく羞恥由来のものだというのは顔付きで十分に伝わった。とりあえずはそれで勘弁してやるかと、退治人は矛を収めることにする。
 話を戻せば口を開くかと「そんなに毎日酷ぇのか」と尋ねれば、嫌そうに横目でちらりと目線を流し、そうだよって短い言葉で肯定する。ふうむと吐息で思案して、退治人は何とか進路を己に向けられないものかと働きかけてみる。

「お前、その状態、何とかしたいんだろ」
「そりゃそうだよ」

 気持ちいいのは好きだよ。でも四六時中ずっとなんて、うんざりもするさ。痛いし。薄皮が擦りむけそうになって死んだよ。それなのに、ずっと馬鹿みたいに治まらないんだ。情けなくなって泣けてくる。自分が淫獣にでもなったみたいで。

「君もなってみたら分かるよ」

 またしても涙ぐんでいるように聞こえて、捲し立てられる勢いに呑まれかけていたロナルドはぎょっとした。少しだけ距離を空けて座る相手をじっと見つめれば、すぐに目を伏せて俯いてしまう。内側からマントをつかんできゅっと閉じる仕草はこれまでも何度か目にしたことがあった。ロナルドは知っている。この吸血鬼か何なのかよく分からない生き物は、不安な時は身体を丸め、口をしっかり閉じ、小さくなってぴっちりとマントにくるまってしまうのだ。自分を自分でコントロールできない、それが不安で堪らないのだろうと分かって、またしても襲い来る感情の波にロナルドはひとり呑まれかけた。

 もう、とっくに、なってんだけどな。

 心中呟いて、それから胸を席巻する複雑な心情にただ黙って浸かっていた。まるで悪いことでもしているかのように、煩悩を断とうとする修行僧のように、自身を責めるような物言いばかりをする、そんな相手に対して滲むように広がる憐憫とも情愛ともつかない穏やかな気持ち。それから、そう古くもない過去に覚えた「いっそ殺せ」という、ちょっとした絶望。

 時を選ばず蘇ってきた。
 床に組み敷いた姿とか、口元を必死に抑える真っ赤な顔。伏せられた耳。目を固く瞑って、手袋に噛み付いて声を殺していた。肩を閉じるように小さく丸まって、それなのに最終的に何もかもを開かせて、剥き出しの胸を激しく上下させて喘ぐ姿を見下ろしながら、散々に追い詰めた初めの夜。かと思えば、例えばどこかに座った時、トイレで前を寛げた時。目の前に蹲り、ものにしゃぶりついてきた光景がふとよぎる。一緒に、与えられた感覚まで思い出されるから堪らない。細く器用な指先に全部を捕らえられ、嬲られ、得られたのはかつて経験したことのない悦楽だった。滑らかに動く手指に巧みに扱かれる。少しだけ苦しそうに息を荒くして、それでも薄い舌が膨れたものを懸命になぞり上げてくる。濡れた竿を最高に気持ちいい間隔で擦り上げられて、あっという間に血が漲った。薄い唇で先端を咥え鈴口を甚振る意地悪な舌先の動き、時折見上げてきたその上目遣いまで、鮮明に思い出せてしまう。

 自分のあれは、まるきり禁断症状だった。何度飛び起きたことだろう。それこそ寝ても覚めても卑猥な記憶ばかりに追い詰められて、仕事も手につかないなんて事態に陥ったのは自分の方がずっと先だし、おまけにこっちは原因がはっきりしている。
 素直に打ち明けるのは何かプライドのようなものが邪魔をして、けれど楽にしてやりたいという思いに突き動かされるように「大丈夫だ」と口が動く。

「なにが」
「それ。ちょっと経ったら、ちゃんと適度な感じに治まるから」
「何で君にそんなことが言えるんだ」

 不安のあまり攻撃的になっているのか喧嘩腰に言われるも、拗ねたような声音ではじゃれつかれているようなものだった。
 結構あると思うんだけどな。頭の中全部そういうこと、みたいな時期。自慰を覚えたばかりの野郎なんてみんなそうだろ、もう大体ヤることしか考えてない。一日中何してても、脳のCPU70%くらい常時それに割かれちまうみたいな。コイツにはなかったのだろうか? 内心で考えつつ、苦笑して続ける。

「や。マジで。ひと月くらいだろ、多分」
「……じゃあ、やっぱりお休みはそれくらいでいいんだね」
「よくねぇよ」
「えっ」

 笑い混じりだった声音が一転して剣呑な低いものとなり、痩身がビクッとする。
 ああもう。
 怖がらせたくないと、それはロナルドがこれまで己を律してきた目的の筆頭だった。けれども人間、そう簡単に自分の性質を変えられるものでもない。二十余年そんな生き方をしてきたのだ、どうしても反射で感情が先に立つ。落ち着けと言い聞かせる。相手はスライムもかくやのへなちょこなのだから。深呼吸して、言葉を継いだ。

「だから。頼れっつってんだろ。俺はそういう立場だろーがよ」

 付き合うって。毎晩でも。

「……ありがとう。でもね」
「んだよ。まだごちゃごちゃ言うのか」
「あのね……君の精気貰ったら、多分意味ないよ。カッカして、ずっと、その。そういう状態が続いて、無限ループだと思う」
「……」

 訴えを聞くや否や、すっと真顔になった退治人に、またもぎくりとして薄い肩が跳ねた。ロナルドは別に怒りのあまり無表情になったわけではなく、ひどく真剣に考えを巡らせている結果なのだが、気力体力を消耗して弱りきっているドラルクに状況を落ち着いて把握することは困難だった。そうして、更に小さくなって冷や汗をかく似非吸血鬼が「やっぱり逃げた方がいいだろうか」と迷い出す程度には時間が経つ頃、ロナルドは結論を出した。





「引きこもって、しんねりむっつり励む気だったのかよ。ひとりで」
「君、もうちょっと言い方ってものが……あー。まあ、別にそればっかりじゃなくて、他のことして気を紛らわせるとか色々ね。やってみようとね」
「どうせゲームだろ……あ? 籠って研究とか言ってなかったか?」
「……」
「そんだけ生きてきて初めてってマジかよ。昔過ぎて、覚えてないだけじゃねぇの」
「……あ、ホラ。あそこでいいだろ。この辺りじゃ一番大きい。行っておいで」
「えっひとりで?」
「男ふたりで肩並べて仲良く選ぶのか? 別にいいけど。あんまりスマートじゃないなぁ」
「…………行ってくる」

 ぎこちない動きで歩いていく退治人の後ろ姿を見守って「こんなことで緊張するんじゃない」と呆れるやら、ちょっとだけ「かわいい」と思ってしまった己の思考に疲れるやら、ドラルクはため息を吐いた。
 ていうか別に待つ必要もないのでは? はじめてのおつかいじゃあるまいし。
 ふと我に返りちょっとした虚無に襲われる。疲れを覚えてガードレールに腰を預けた。最近明らかに、ため息の数が増えている。美味しいとこだけつまみ食い、みたいな、そんなただ楽しいばかりの時期が終わり、次の段階へと進んでしまってから、ずっとそうだった。続けることを、共にあることを前提として体の関係を持つなんて、本当に生まれて初めてのことだから、ドラルクにはどうも勝手が分からない。気を揉む機会がやたらと増えたのは確かだった。ただし、今この瞬間が一番幸せなのかもしれないと、そんな浮かれた思いできりもみ状態に陥ることも、比例して増えている。心が乱高下を繰り返して、寿命が縮みそうだった。丸めていた身体をほぐすように天を仰いで背を反らせば、夜に冷やされた空気がすんなりと身体に入ってきて、その心地良さにホッと息をつく。

 夜中でも煌々と明るい駅周辺には、ロータリーを中心に桜が植えられている。今が盛りと満開に広がる花々は光を弾いて夜目にも白々と華やいでいた。花序が束となり、零れんばかりに膨らんだ手毬のような姿が愛らしい。重たげに揺れるそれらを眺めて心が上向くのは、純粋に美しいものを愛でる満足感からだけではなく、花見客や酔客の楽しげな騒ぎを連想するからだ。吸血鬼ではないと自称しつつもそういった点は実に吸血鬼らしく、ドラルクは祭りごとを好んでいた。
 自分でもそうと気付かず口元を綻ばせながら花見を楽しんでいたところ、やけに早々と戻ってくる赤いシルエットが視界に入って驚く。休みの日でも赤いんだなとぼんやり思いながら、いや本当に早い、贔屓のメーカーが決まっているのか? そう尋ねようとしたところで、鼻先がぶつかりそうな勢いで近付いて来た男にやけに真剣な顔で問われ、ドラルクはきょとんとして、そうして盛大に笑った。

「君、知らないのか、自分のことなのに」
「うるせー! しょうがねぇだろ、機会がなかったんだから!」
「試しに買ったりとか、しなかったの」
「えっ、使用期限あるから使う時に買った方がいいって……いや、今そんなこと訊かなくていいだろ!」

 初めて売り場と向かい合い、そうしてあまりに豊富なサイズ展開に回れ右をして速攻で相棒に助けを求めた退治人に、可笑しいやらやっぱりかわいいやらでドラルクの笑いは引いていかない。道端で相談するには随分と気が引ける内容だろうに、何が何でも目的を達する気でいるらしい、ロナルドは顔を真っ赤にしながらも答えを待っている。

「今夜はやめておくかい?」
「何でだよ。ここまで来て。いいから教えろって」
「教えろったってなぁ……ウフッ。君の方が、よっぽど長い付き合いだろうに」
「そーだけど!」
「メジャーで測らなくていいのかい……クク」
「うるせぇ!」

 唇を震わせながら、ほっそりとした指が輪を作る。首を傾げるようにして、記憶を呼び起こしながらその輪を調整している姿を直視できずに、ロナルドは目を逸らした。せめて通行人から隠そうと細い影の前に立つ。自分ひとりの判断では自信がなくて助けを求めたはいいものの、湧き上がる羞恥心はどうしようもない。頬はもうずっと熱を持っている。間もなく顔を上げた痩躯が「一緒に行こうか?」と声を掛けるも、決然と首を振る退治人は変わらず赤いままだった。




「適当でよかったのに。多分そこまで合わないことはないよ」
「ちゃんとサイズに合ったヤツじゃないと、よくなんねえらしいぞ」
「……君さ、自分のサイズ知らないで、そういう知識ばっかり豊富なのは何で?」

 中心街は活気があっても、そこから外れれば随分と閑散としている。昼に生きる人々はとうに寝支度を終える頃合いだった。目的地は近い。桜の花びらがついっと舞い落ちてきて、どこから来たのだろうとふたりして上を仰ぎ見る。思わず立ち止まっていた。

「あ。今気付いたけど、退治人ロナルドがゴム買いに来たとか、SNSで拡散されたら不味いんじゃない?」
「んなっ、なんつう邪悪な想像を……」
「いや、ない話じゃないだろう。禁煙の時もネットで話題になってたし」
「……ま、ずくはねぇだろ」
「君、女性ファン多いんじゃなかったっけ」
「…………え、まずいのか? やっぱ」

 相棒としては肩を竦めて返すしかない。契約書に恋愛禁止が盛り込まれるバリバリのアイドルじゃあるまいし、それくらいの自由は認められて然るべきだと思うが、行動ならともかくどう感じるかなど、これまた個人の自由だ。ファンの心に任せておくしかないんじゃないかと思ったままに言葉にすると、退治人は暗い未来を想像したらしい。少し項垂れていた。まあ、店員さんとか、店にいた人々が良識的であることを祈ろうって慰めを口にすれば、レジは酸いも甘いも噛み分けたっぽいオッサンだったからきっと大丈夫だと、退治人は安心するには根拠に乏しい材料を上げて強引に己を励ましている。やれやれと眉を下げた似非吸血鬼の、けれど口元は小さく笑んだままだった。大丈夫だと思うよ。ここは君の縄張りから随分と離れているから。

 明るい家族計画。
 呟く退治人に人外は「なるほど」と頷いた。解決策を得て、そうなれば互いに期待するものは同じだったけれど、事務所で決行など今のドラルクには死刑執行に等しい。ソファは狭く不自由を強いられるし、床は固く冷たい上に面積とレイアウトの都合で満足に脚も伸ばせない。着替えもなければシャワーもない。隣り合う退治人に「私、死んじゃうねぇ」と達観した呟きを漏らせば、相手は神妙な顔で頷いた。何よりも見た目に反して実に真面目なその相手が「今後どのツラ下げてここで仕事すりゃいいんだ」との懸念を見せ、そんなわけで夜も更けたというのに、結局ふたり並んで城に向かっている。

 そっちに行っていいかと伺うロナルドの言葉は、ふたりの間ではつまり「そういうことをしたいです」という申し出とほぼ同義で、それを聞けばドラルクは単純に嬉しくなる。間が空けば寂しくなるし、他の都合で約束がダメになってしまえばがっかりする。それはもう、ずっと前からそうだった。とうに認めて、受け入れている。なのに何故だか、こうした触れ合いに怯えるような気持ちが、今もどこかにあるのだった。身体を繋げれば至上の悦びに胸が震えるくせに、肌に触れられることにはひどい緊張をしてしまう。目を真っ直ぐに見つめられれば、それだけで死んでしまいそうだとさえ思う。手を伸ばされるその瞬間に、逃げろと頭のどこかが叫ぶ。何故なのか。我が事なのに、今でも正体がつかめていない。
 休みを貰って、究めたいと思ったのは確かだ。落ち着くまで待つというのは建前で、実際のところ、ドラルクは研究に充てるつもりであった。キリのない身勝手な情欲にわざわざ付き合わせるなんて気が引ける、それも確かだった。嬉しい申し出を受けたものの、毎晩だなんて不可能だと分かっている。どちらかが寄宿でもしない限り、現実的な話じゃない。それでも、欲求を発散させるためだけならば素直に頼ったかもしれない。
 引きこもろうと考えたのには他にも理由があった。ドラルクとしては譲れない、とても重要な理由であった。

 来てもらえて、一緒にいられて、とても嬉しい。そして、ちょっとだけ怖い。あと、心配だ。私大丈夫かな。ちゃんとできるといいけれど……

 嬉しさと不安と、それから隣にいる温かな生き物が今日も元気に生きていることの幸せと。色々な感情が昂って忙しい胸の内で、そのひとつひとつを確かめながら、歩を進めていた。










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