Others | ナノ




 肩に触れ、妙な感触だと思ったのが切っ掛けだった。マント越しにも妙に厚く、生身の身体があまりに遠い。オイって呼んで、生返事を寄越す相手の注意を引きたくてつかんだはずが、本来の目的を後回しに、むにむに、何度か確かめるように指を動かす。

「……何してるんだい」
「いや……これ、なに?」
「何って」

 そこは肩だよ。
 "shoulder"と、流暢に言われても腹が立つだけだ。そうじゃねぇから。己の感じた違和感を探ろうと、背後に回って薄い肩に両の手のひらを当てている。傍目には、不健康極まる黒尽くめの痩躯を労わる健康優良青年という、心温まる光景に見えなくもない。黒尽くめが握りしめているのがゲーム機でなければ。

「肩揉んでくれるの? 殺さないでよ?」
「ふざけんな。何が悲しくて年がら年中遊んでる奴の肩を揉まなきゃなんねぇんだよ」
「肩凝り酷くなると、頭痛がね……」
「ゲーム捨てろ」
「ひっ、ひどい」

 人にはやれ規則正しい生活をしろだの若さに任せて無茶するなだの口うるさいことを言いながら、自分は滅茶苦茶な逆転生活を送っていたりする。12時間耐久レースなどにいそいそ臨んで、結果相当な昼更かしをしていることを、ロナルドはもう知っていた。今だっていいところだったらしく、構えたゲーム機を放そうとしない。
 押し掛けている立場上、あまり強くは出られない。ロナ戦片手に協力要請を出して、片手じゃ足らないくらいに訪れて、今や玄関を潜れば城主を置いてすたすた中に進んでいくし、相手も特段咎めもしない。慣れは怖いとロナルドは思う。原稿、もしくはその素となる業務記録をカタカタ打ち込む自分の背後で、ゲーム機準備した人外が黙々とパズルやら冒険やら島作りやらに勤しんでいても、最早何とも思わない。しかし同じように液晶に向かっていても、言葉に表せばかたや勤労青年、かたや一生夏休み野郎である。両者の間に横たわる社会的な隔たりはマリアナ海溝よりも深い。不調など訴えられても優しくなりようがないというのが、ロナルドの主張であった。
 きちんと断ってこの城で初めてPCを開いた夜、物珍しげに覗き込んではあれこれ手と口を出す好奇心の塊のような生き物に邪魔をされ、わざわざ持ち込んだというのに結局1行たりとも原稿は進まなかった。そんな夜もあったなあと懐かしく思い出す。いつの間にやらお互いすっかり慣れてしまった。何度目の夜だったか「私ゲームしてていい?」などと訊かれて、そうしてロナルドは言いようのない複雑な気持ちを抱いたものだった。何かさみしい。あえて言えばそれだった。当然口には出していない。完全に置いてけぼりにされることはなく、折を見て休憩を進めてくるタイミングは絶妙であるし、筆が進まず鬱屈に沈む時にも夢のような味わいの甘味でリフレッシュさせてくれる。客人としてもてなされている実感が消えることはなかった。ただ、子どものような駄々をこねたくなる時がある。もうちょいこっち見てろよとか。
 そんな思いをうじうじ抱える退治人は、神憑り的に降りてきたいい感じの文章を夢中で打ち込んでいたとある夜、纏わり付く影を「邪魔すんな」と思いきり邪険に追い払った過去などは都合よく忘れていたりする。

 閑話休題。
 衣類越しに伝わる違和感に、ロナルドは肩から背中の一部までをぺたぺたと手のひらで辿り、そうして確信する。こいつの服には何かが仕込んである。激弱ザコ虫な吸血鬼くずれが衣服の下に忍ばせるもの、その目的といったら、ひとつしか思い当たらなかった。

「防弾チョッキ着てんのか」
「……なわけないだろ」

 君の発想って物騒だよね。馬鹿にしたような半目に見られ、イラッとくるまま「じゃあ何だよ」と追い剥ぎよろしく上着に手を掛け改めようとした。ドラルクは衣類全般手入れに非常に気を遣い、大事にしている。だから手荒に伸びてきた手に襟の膨らみを潰されそうになって、そのあまりの無体に悲鳴を上げた。ゲーム機を腹に取り落として、やけに必死に抵抗してくる人外に、そんなつもりは全くなかったというのにロナルドは若干変な気を起こしそうになる。殺意とは異なる良からぬ気配を察知して、結果ドラルクはその夜最初の死を迎えた。しんしんとソファと床に降り積もる塵。そうして「何するんだ!」と、横たえていた身体を起こすかのように至極軽やかに再生する。
 今日はまだそういうことにはなっていないけれど、先日たっぷりと内側に擦り込まれた精気がまだ身体に力を残していた。回復は早い。
 マントを翻して立ち、礼服のラペルを揃えた指先でふんわりと持ち上げる。柔らかなカーブを作られた襟の形に沿って、艶々と上品な光を返す生地はそれなりの対価を支払ったものだ。ふんと鼻を鳴らして、上着の内側に通常よりも遥かに分厚く仕込まれたものの正体を告げる。

「これは芯地だよ」
「しんじ?」
「君の帽子にも使われてる。服飾品のシルエットを保ち、美しく見せるものだ」
「芯地……って、じゃあお前、これ肩パッドじゃん。バブル感じるな」
「バブルねえ。まあ、その頃にはこの国にもすっかり馴染んでいたけどさ。でも流行に流されてオーダーしたりしないよ」

 私ほどのファッショニスタになれば流行り廃りなどに影響を受けたりしないんだ。自分を引き立たせるスタイルは承知しているからね。

「ほぉーん……ん? お前、オーダーっつった?」
「そうだよ。オーダーだよ。決まってるだろう。オーダーメイド一択だよ私の体型的に」
「いや知らねぇわ。キレんなよ」

 やっぱりさ、憧れがあったんだよね、イギリス仕立て。でもね。ちょっと恰幅がいいくらいじゃないと決まらないんだよなぁ。育ち盛りの頃にはすごく頑張ったんだよ私。なのに食べても食べても全然筋肉つかないわ、ろくな目には遭わないわ。成長して、縦に伸びたら伸びただけ横が減った感半端なくてさ。装いで頑張るしかなかったわけ。肩幅最大限にとって、違和感が出るギリギリまで芯地で膨らませて、シルエット壊さない極限までウエスト絞らず抑えて抑えて、それでコレなんだ。君が薄いとかぺらぺらって馬鹿にするこのシルエットはね、限界のキワのキワまで見切った職人による技術の粋が集まった、正しく結晶なんだ。分かったらもう少し歯に衣着せる努力をしたまえ。

「いやそんな馬鹿にしてねぇだろ……とりあえず、すげーコンプレックスあるってことは分かったよ」
「コンプレックスじゃない。自分の身体的特徴を把握しているだけだ」
「へーへー」
「第一君、何で呼んだんだ。邪魔しないでよ」
「ノリノリでベラベラくっちゃべってんの、お前だけどな」


 ツッコミを入れることに忙しく、だからロナルドが取り零していた言葉の意味に思い至ったのは、少し時間が経ってからだった。その頃にはこの国にもすっかり馴染んでいたけどさ……表現を思い返して、ここで生まれたわけじゃないと、薄々察してはいたことについて今夜確証を得ていたのだと気付く。
 ああ。あいつは海を渡ってやって来たのか。道理で。そんな顔立ちだとは思っていた……てことはその頃には普通に生きてたんだよな。やべぇ滅茶苦茶年上だった。別に、中身はアレだし見た目もあんま変わんねぇし、何がどうってわけじゃないけど何か動揺するな。

 城から帰るその道中、ロナルドはよくその日の会話や出来事を思い返していた。そうしてなぞり返しては中身を浚い、記憶を確かにして、新しい気付きを得たり、小さいけれど確かに幸せな思い出を大事なところに仕舞ったり、それはひとりだけれどふたりでいるような、温もりを覚える時間だった。まだ、出会ってひと月も経たない頃。確かにそうして、会わない間も記憶の輪郭を辿るようにして、相手を想っていた。



 誰より近しい距離を許されながら、未だに誕生日すら知らない。尋ねてもいない。これまで交わした他愛もない会話は好物の話であったり、デザートの感想であったり、退治譚であったり、それなりに盛り上がるもので、けれどそうした会話の多くがベッドの中で始まるものだから、そのまま寝息に途切れてしまうのが常だった。そうでなくともいつの間にやら吐息と睦言に切り替わって、いずれにせよ長く続くことはなかったのだ。

 知りたいと思っているのに。
 どこで生まれたか、まだ聞いたことがなかった。どんなものが好きなのか、持ち物や言葉から察することはあったが、積極的に訊くことはしてこなかった。これまでの長い生の中、何を見たのか、どこで生きたのか。思ったことや感じたことや、残してきたものはあるのか、心を置いてきた場所はあるのか。嬉しかったこと、後悔したこと。もっと知りたいと思っていたはずだった。初めて会ったその日、互いに最奥まで触れた夜、確かにそう思った。
 禁断症状を起こして、欲しくて欲しくておかしくなりそうで、だから再び城を訪れたのは自分だ。あれよあれよとなし崩しに身体を与えられ、美味なる食事を与えられ、小さな心配りを当たり前に与えられ、それを貪るばかりで、何ならまだ欲しいと食らい付いて、放されそうになった指先に懸命に縋り付いた。そうして今もまた、こちらに向けて枝垂れる腕に、無我夢中でふるいついている。

 もっと、一緒に、したいことがあった。
 身体を重ねるだけじゃない、分かち合いたいことがある。喜ばせたい。満足げに、嬉しいと笑う顔をもっと見ていたい。それを、まだ、伝えていなかった。

「いっしょにいてくれ」

 後悔に近い思いで口に出す。衣ずれの音がして、相手が顔を見ようと首を捻ったのが伝わって、けれどロナルドは力を入れ直してそれを無理矢理止めた。まだ顔を見られたくはない。

 許される限り、一緒にいてほしい。
 生きてることを確かめたいし、相手にも確かめてほしかった。今をきちんと身体全部に押し付けて、感じ取りたいし感じてほしい。確かにいること。いたこと。お前の言った通り、いつかはなくなるものだから。だから、一緒に過ごせる時間を胸が、心が存分に満ちるまで、きちんと味わいたい。
 上手く言葉で伝えられる気がしなくて、それでも何か言いたくて、思うままに呟いてみる。
 今ちゃんと生きてるから。
 ちゃんと、ずっと、覚えてろよ、俺のこと。

「じゃあ、感じさせてよ」

 低く、喉を震わせるような声で返されて、その声音に、何となく、肝心要の部分を汲み取ってもらえた心地がした。











 自らシャツのボタンをひとつひとつ外していくのを見守って、そうしたら「見るな」と怒られた。明かりを落としたいとまで訴えられて、それはあんまりだとごねる。そうしたら布団の内側に潜り込んで服を脱ぎ出して、それはそれでエッチだとひとりろくでもない感想を抱いている。見ないようにと努力して待つ、その時間が余計に色々なものを膨らませて辛かった。
 やがてマントの代わりに布団を背負った痩身が胸に胸を合わせるようにのし掛かってきて、それで無意識に笑っていたらしい。ドラルクが、若干嫌そうに眉を寄せて「スケベ親父みたいな顔してるぞ」と辛辣な感想を零す。

「お前……彼氏に言うセリフじゃねぇよ」
「恋人が言ってくれなくて誰が言うんだ。こういうのは、一番近い者が指摘してあげないと」
「……もう一回言って」
「スケベ親父」
「それじゃねぇ」

 文句を言いたいのに、息が漏れるように笑ってしまって、振動が互いに伝わる。
 しょうがねぇな。そう言いたげに下がった眉に、可笑しそうに撓んだ瞳に、ドラルクはホッとした。泣いたカラスがもう笑った、そんな戯れが心に浮かぶくらいには緩んだ思いでいた。罪悪感はそれなりに胸を圧迫していて、だからできる限りのことはしてあげたいと、それこそ奉仕に近い心持ちで触れていたのだった。
 まだ、大丈夫。まだ、行ける。
 心のどこかがまだ緊張にざわめいていた。警戒すべき何かを見極めたいのに、いまいち正体がつかめない。慎重に手のひらを這わせ、熱い素肌を感じながら言い聞かせた。まだ大丈夫。きっと大丈夫。
 腹に跨るように身体を起こすと、布団が背から滑り落ちた。笑みの余韻で緩む顔をもっとよく見たくて、屈み込む。擽ったそうに目を細めて、静かに口を閉じたその面を、手のひら全部を使って撫でた。頬を包み、生え際をなぞって髪をかき上げ、額を露わにする。パーツをひとつずつ、まるで造りを探るように、じっくりと触れていく。

 輪郭に沿って当てられる滑らかな手を、ものの形を確かめようと辿っていく繊細な指先を、ロナルドは黙って追いかけていた。眉をなぞられ、それから目元に指の背を当てられたので目を閉じる。睫毛をこしょこしょと払うように弄られて、それはさすがに擽ったいだけだったから「やめろ」と止めた。含み笑いが降ってきて、楽しそうで良かったとシンプルにそう思う。鼻筋を辿った後に唇の輪郭を触れるか触れないかといった加減でなぞられ、ぞわぞわとした感覚に顔が歪んだ。首を竦めてやり過ごそうとしたら、ひん曲げた唇に宥めるような、優しく触れるだけの口付けが何度もやって来た。膨らんだ下唇に、羽のように触れてはすぐに離れてしまうそれがもっと欲しくて、けど油断して夢中になれば、この時間そのものが瞬時に終わってしまうのだ。オイ究極の選択じゃねーか。ちゅーかえっちかどっちかしかできないって、酷くねぇ? やっぱり特訓をさせようと、ロナルドの内側でやりたいことリストが順調に行を増やしていく。


 唇で首筋から肩にかかる稜線を追う。濡れた音が時折口に籠って響き、艶めいたそれに、ハッとドラルクの意識がこの場に引き戻される。
 集中したいのに、つい考えてしまう。
 今ちゃんと生きてるなんて、嫌でも最期を思わせる言葉をこの若者がいきなり吐くから。そんなことを言われたら、どうしたって別れの時を想像してしまう。不意を衝いて、揉みくちゃにされる強さで、泣きたいような気持ちが突き上げてくる。けれど、自分が散々主張してきたことでもあるのだ。
 触れている肌の温度を、感触を、声を、言葉を、目を。手に、唇に、全身に、写し取りたい。一番奥まで沁み込ませて、大事にとっておきたかった。これまで以上に丁寧に。明日失くしたって、後悔しないように。自らに刻み付けて、そうして、向こうにもちゃんと刻み込む。決意してしまえば、何だってできる気がした。大丈夫。できる。心中で唱えて、気を鎮めようと努力する。いつもよりずっと速く、うるさく、心臓が内側から胸を叩いている。

「触って」

 温かな手を取って、頬に導いて、目を閉じて集中した。誰かを守ろうとする時は躊躇いなく伸ばされる手だ。鍛錬に、それから実戦に、日々の摩擦を繰り返して固くなった手は、自分のそれとはまるで手触りが違う。指の先まで温かく、安堵を覚える大きな手のひら。仄かにガンオイルの匂いがした。空いた頬にはもう片方を当てられて、両の頬を包まれる。満足して、だから「もっと」と先を強請る。この手が触れていないところを、無くしてしまいたかった。


 請われるまま、肩口から胸元に、二の腕を伝って尖る肘、細い手首から指先まで。辿るようにして、どうにも薄い造りの身体を撫でていく。何となく気が向いて、手を繋ぐように触れて、絡めてみる。見下ろしてくる目と目を合わせて、思わず笑った。こういうのも悪くない。悪くはないけれど、今はもっと、深いところに触れたかった。
 手を引いて、倒れそうになる身体が体重を掛けてくるのを手を握り締めて支えた。腹に力を込めて起き上がる。ぎょっとしたように手をほどこうとする動きに逆らわず解放して、空いた手で、離れようとする背を引き寄せた。さっきからもう、限界だった。息を吐いて、そうしたら熱が伝わったのかもしれない。添わせるこちらの頭が揺れるほどに、細い全身がぶるりと震えた。
 汗の滲む手のひらですべらかな背のあちこちを撫で回す。擽ったそうに捩られる身体を押さえ付けて、肩甲骨を撫でて、華奢な積み木が連なるような背骨を何度も辿った。はっきりと形を露わにする肋の輪郭を指先で追い、手のひらから腕まで全部使って、少しずつ温まってくる肌を味わって、そうして降りた先、両の手で臀部を摩る。
 何と請えばいいのか分からずに、けれど許可は必要だと思ったから、馬鹿正直に「中に入りたい」って告げて、そうしたら「私は建物か何かかな」って意地悪を返される。こいつ。ムカついて、薄い尻をぐにぐにと無理矢理揉んだら「変態!」と騒がれた。何とでも言え。揉む権利は俺にある。
 回した腕で腰を、背を引き寄せて、屹立した熱いものを密着させる。腰が揺らめいて、整えようとするのに努力虚しく息は荒くなるばかりだった。なあ、頼むから。ため息に混ぜて懇願する。強引に押し切って死なせたくはなかった。しんどくたって、ちゃんと待つのが正解だと思って、熱に浮かされたように乞い願って、ただ待った。そうして腕に絡む指先に背後まで手を導かれて、吸い付くように収縮する襞に触れてしまったらもう後は何も考えられず、ただ指を沈めた。


「あっ」

 仰け反った背に手が添えられる。指をしっかり広げて支え、離れようとした身体をぐっと引き寄せていた。
 性急に突き入れられた固い指を、ぬめる柔らかな襞は柔軟に呑み込む。内部は脈打つようにひくついて、なおも深く分け入ろうと蠢く不躾な指も難なく受け入れていた。胎から上の方が余程衝撃を受けている。押し入られた刺激に喉を晒すように喘いで、直後に力なく頭を垂れて眼下の肩に凭れ掛かる。
 後ろ手にロナルドを誘導した細い指はすぐに離れ、今は不安定な自分の身体を支えようと、向かい合う熱い身体に縋り付いていた。首裏を通って肩に縋ってくる腕が、いつもなら手袋越しにもひやりと冷たいその手が、確かに温まっているのをちゃんと感じて、興奮しているのは自分だけじゃないとそんな思いがロナルドの胸を温めた。切なくなるような安心感に、緊張していた心がほとびる。

 内側を暴いていく指先に、張り付いた全身から伝わる体温に、荒い呼吸に混じる唸り声に、何故だかかつてないくらいに緊張して強張っているのを感じて、ドラルクはコントロールの利かない自身に戸惑っていた。どこもかしこも熱く脈打つ生身が、予測がつかないその動きのひとつひとつが胸をかき乱し、千々に散らして、息つく暇を与えない。喘ぐように呼吸を繰り返して、だから声だって抑えられず、しきりに身体を捩らせる。
 そうして膝の上で身動ぐ身体に、支えるように添えていたはずのロナルドの片手はいつの間にか力を増して、今は膝から逃すまいというように、薄い肩を鉤の形でがっちりとわしづかんでいた。気遣いに回す余裕はとうに散って、その頃には半ば無心で、ただ中に押し入りたい一心で、熱く濡れる窄まりを指先で犯していた。

 押さえ付けられた不自由な体勢でも、性感を引きずり出され高められた身体は解放を求めて昂るまま腰を揺らした。指が胎の内を行き来する、そんな擬似的な性行に息を弾ませて、固く引き締まった腹部に勃ち上がった自身を擦り付けている。掠めるように性器同士が触れる度、ロナルドの首元に余裕のない吐息が吹きかけられた。ぴったりと腹を重ねて、間で揉むように互いの性器を慰める。あ。あ。あ。息に混じって声が漏れ出る。与えられる快楽では足りないと貪婪に刺激を求め、あえかな声を零しながら淫らに腰をくねらせる。自分の身体が、自慰に使われている。その認識がロナルドの内側から凶暴な何かを引きずり出した。湧き上がったものを自覚して歯を食いしばる。喜びと安堵と、とてもそれだけでは収まらない。
 慈しみたいと、いつだってちゃんと思っているのに。痛くないように。怖がらせないように。そんな穏やかな気持ちは嘘じゃないのに、すぐに、奥から物騒なものが顔を出して、ダメになる。ジレンマでぐちゃぐちゃになりそうだった。いつもいつも。もっと、ずっと、上回るのは、滅茶苦茶にしてやりたいという怒りに近い何かだった。屈服させたい、支配したい。組み敷いて押し入って、それから思う存分突き上げて、ただ泣かせたい。啼かせたい。それを叶えれば、熱が引いた自分は自己嫌悪で死にたくなるのに。

「ずりぃだろ、お前」

 唸り声に近いそれに、悦楽に霞んでいたドラルクの正気が僅かに戻ってくる。情交を思わせる間隔で抜き差しされていた指が、乱暴に抜き去られた。痛みよりも遥かに強く喪失感を覚えて、直後に絡んできた両腕に引きずり倒されるようにベッドにもつれ込んで、はあはあと弾んだ息のままで見つめ合う。苦しそうに眉を寄せて、それでも「いいか」と許しを得ようとする何とも律儀な若者に、ドラルクは笑い出しそうになって、泣きそうになって、どちらも堪えて、代わりにただ小さく応えた。いいよ。いいに決まってる。





 映画や広告でしばしば見られる、西洋の大きな寝台に見目よく並べられる大小様々なたくさんの枕。ロナルドはかつて、疑問に思っていた。あんなにいらねぇだろと。この城でもやっぱりベッドの枕元にはいくつもクッションだか枕だかが立ててあって、しかし、それなりに世話になる内に疑問は氷解していった。体勢を支えたり腰を上げさせたり、何かと便利なのである。城主にとっては部屋のインテリアも兼ねていて、リネン類の色合いを揃え、ベッドサイズに相応しい数を配置しようと、それなりに気を配っている。今は最も大きな正方形のクッションが、細い、けれど立派な成体である野郎の腕に、ぬいぐるみよろしくぎゅっと抱きしめられている。ロナルドはさっきからそれを何とか引き剥がそうと尽力していた。

「じゃま」
「お願い、最初だけっ」
「でけぇよ! 俺は枕とヤってんのかってなるだろ!」
「あっじゃあ小さいの」
「どれも一緒だ!」

 そんなんギュッてするなら俺をギュッてすればいいだろ!

「そしたら入んないだろ……」
「うっ」
「だから最初だけ。ねっ」

 本音をぶちかましたのに冷静に返されて、渋々と承諾する。何もかもを隠してしまう綿と羽毛の塊を睨み付けた。腹いせでもないが、間に割り入るように開かせた脚の付け根に触れて、ささやかなイタズラをしてやる。張り詰めた性器に指を絡めてやわやわと揉んだ。クッションは子どもがむずがるような声で唸っている。ぱくぱくと口を開く小さな割れ目は濡れそぼち、涎を垂らしていた。きゅうと持ち上がった嚢をつついては返る反応を確かめて、そうしてその下を探り、狭間の薄い皮膚を擽るように撫でる。張り詰めた内腿の皮膚が引き攣りそうにぶるぶると震えていた。全身に力が籠って、眼下のクッションがぎゅっと縮む。ひどく感じる場所だともう承知していた。滅多に許してはくれないけれど、本体に触れずともこの部分を執拗に舐め上げるだけで、腹を打つほどに反り返る。舌先で何度も優しくなぞって、それから唇で痕が残るほどきつく吸い上げれば、涙ながらに強請り出すのだ。もう入れて。早くきて。奥まで突いて。待てないって切羽詰まった声に急かされるのは正直実に気分が良かった。大抵は自分がそんな思いでいっぱいだから。今みたいに。
 喉が渇いて仕方がなかった。全身が熱を持って、それでもとりわけ頭が茹だる。何度も唾を飲んで、足りない酸素を求めて、意識して深く何度も息をする。つい先刻まで指を出し入れされていた余韻に、蕾はひくひくと収縮を繰り返していた。幹を握り、膨らみきった先端を宛てがうも、滑り、押し返されて上手くいかない。もう目の前なのに。クッション越しに届く籠った吐息に、喘ぎ声に、急き立てられる。柔らかな羽毛の塊にぎゅっと押さえ付けられていても、喉から、鼻から、殺しきれない啼き声が零れ出ていた。

「ふ、ぅん……んっ、ん……アッ、あ、あああぁッあっ」

 押し当てた切先を何度も調整して、そうして、呑み込んでもらえる角度を探す。苦しい息の中、ほとんど唸りながらぴったりと切先を合わせて、待って、身体がほどけたと感じた瞬間腰を入れた。一気に含ませる。腹が跳ねて、一際高く、喘ぎ声が耳を打った。びくびくと全身が震えている。あっ、あっ、喘ぎに混じって小さな悲鳴が断続的に零れて、クッションは派手に形を歪めている。衝撃を受けたのはこちらも同様だった。まだ本当に、先端を含ませただけなのに。早く奥まで、もっと最奥まで受け入れてほしくて腰を進めようと小刻みに揺らすのに、ほんの一瞬緩んだと思えば即座にぎゅうと締め付けてくるその強さが、いつもよりずっと激しい。そんな風に感じて、久しぶりだからかって喘ぐように息を継ぎながら思って、もどかしくて、呻いた。
 敏感な部分が、やけに抵抗する道の中で引っ掛かるものを掠めた、そう感じるか否かの刹那に、悲鳴と同時にぴゅっと視界をよぎったものに驚いて、そうして直後に最も過敏な神経の塊をぎゅうぎゅうとぬめる襞に搾られ、自身もまた下腹部を不規則に痙攣させていた。震えに合わせて、びゅくびゅくと熱が打ち出されていく。
 瞬間何が起こったのか分からなくて、分かっても止められず頂点の快感にただ息を漏らし、けれど把握するほどに血が上るやら引くやら、ロナルドの内面は大変なことになった。整理が追いつかず倒れ込むと、クッションが悲鳴を上げる。正しくはその下にいた、吸血鬼っぽい生き物が。

「あぁ、なか、に」
「も……死にてぇ……」

 縁を限界まで押し広げて含ませられたはずの圧迫感が、今は随分と減っていた。半端に咥えた柔らかな肉茎をなおも背後で食みながら、ドラルクは内側に垂らされた甘露に心の大部分を奪われている。クッションの縁に噛み付いて、垂れる唾液に汚しながら、そんなことは意識の端にも上らない。熱く、甘く、強力な酒精のように意識を押し流し、酩酊させる。エネルギーそのものを注がれている感覚。ふうふうと息を漏らして、一緒に零れ出る熟れきった声にも頓着する余裕はなかった。
 何かを訴えるような、乞うような、動物が鼻を鳴らすようなそれを聞きながら、ロナルドは腕を回して、潰れたクッションごと、火照った身体をかき抱いた。挿れた瞬間にイった。言葉にしてみたそれがなおさら自身を打ちのめして、ロナルドは「消えてなくなりてえなぁ」としんみり思う。向こうは向こうで、何か大変そうだけど……そんなことを考えている内、震える指先が挟まれた間でもがいているのに気付く。腕をつき、完全に預けていた身体を少しだけ持ち上げてやると、細い腕は散々世話になったはずのクッションを放り出し、直接背に絡んできた。ぎゅっと引き寄せられて、大人しく寄る。複雑な心境で受け止めていると、本当に小さな声が何やら訴えてきて、それで、顔を見ようと身動いだ。

「なに?」
「……ムリなら、いい」

 目を逸らして、まだ肩で息をしている。聞こえなかったんだとロナルドが再び尋ねると、何度か躊躇ってから「キスしたい」と囁き声で訴えてきた。ムリなんてことないだろとほぼ反射で唇を重ねて、触れてからやっと「また落とされたら確かに困る」と考えが及んだ。それでも濡れた柔らかなものに軽く音を立てて吸い付かれて、口を吸い合う心地良さに、一瞬だけ浮かんだ危惧はあっという間に「もうどうだっていい」に切り替わった。
 何度も角度を変えて、薄い上唇も、弾力のある下唇も、互いに挟み合って、柔らかく吸い上げては舌で撫で合った。伝うものをドラルクは飲み下し、美味しいと、恍惚とため息を零す。正しく、ドラルクにとって目前の若者は、全身余すことなく甘露そのものだった。
 君はどこもかしこも美味しいね。
 陶然と濡れた声に称えられて、どういう気持ちで噛み砕けばいいのだか、ロナルドはいよいよ複雑な心境に陥った。顔中がさらに熱くなるのはとどめようがなく、唇をもぎ離すようにして首筋に頭を埋めて密着する。容赦なく全体重をかけたが、既にたっぷりと精気を得ていた身体は、苦しそうに息を吐きながらも、潰れることなく受け止めていた。











「美しくない」
「……お前、尖った感性してんのな」

 眉間に皺を寄せて、思いきり眉を下げて、口元が慄くように歪んでいた。その悲愴なまでの顔付きが言及したのは、翌朝の回収日に備えて事務所の主が準備したゴミ袋である。およそ美観を求めるべき対象とは思えない。ロナルドは不条理を感じた。

「だって、君。そりゃ、独身男性に、毎日家で作ってこいだなんて言わないけどさ……」

 これはあんまりじゃない?
 仮にも私の料理を味わっておきながら、よく耐えられるな。もしかしてろくに味分かってないの? やだな。もったいないな。

「喧嘩なら買うぞ」
「今客観的に並べるから待ってろ。えーと。カップ麺。菓子パン。煙草の箱……えっ吸ったの? 意志弱いな君。割り箸とコンビニ弁当、うわ紅ショウガ残してる。お子ちゃま……あと紙パックの」
「タバコはポケットに入れっぱなしにしてた奴だ! 今は吸ってねぇ! 紙屑とかティッシュとか普通のゴミもあるだろ! メシだって、自宅ではちゃんとバランスよく食ってんだよ!」
「ふーん」

 耳、鼻先、顎、牙、髪の先まで。そんなあちこちが尖る鋭利な輪郭や見るからに冷ややかな白磁の肌、気怠げに伏せられた目付きのせいで、無表情にただ黙っていると、ドラルクは見る者にひどく冷たい印象を与える。ひとたび口を開けばあっさり覆るものだが、持ち主が意図的に武器として振るうことも稀にあった。
 常よりも目が冷たく、態度が悪い。そんな吸血鬼もどきに「何だこいつ」とロナルドは憤然と思い、もしかして怒ってるのかと様子を窺う。向こうはといえば、ロナルドの手元にあるゴミ袋を相変わらず嫌そうに見下ろしている。

 執筆のためにと助力を願い、一度は破綻するかと思われたその関係はまだきちんと繋がったままで、そうして今度は向こうからの申し出を受け入れる形で存続していた。勤務中は口説かない。ロナルドはその約束をきちんと守っている。うっかり態度に滲むことはあるが、基本的には他人の目を意識して、気持ちを切り替え、恋情を遮蔽していた。時折自営業の強みを最大限に生かしまくって急遽営業時間を縮めたりはするものの、まあ、約束は遵守していると言っていい。
 かつてロナルドがせっせと通い詰めたことへのお返しのように、この似非吸血鬼はよく事務所を訪れるようになった。そして「臭い」「狭い」「日光が入る」と散々文句を垂れ流しつつ、壁の汚れを拭い、ブラインドの埃を払い、床を磨いて、ほんのりと使用感漂う布張りのソファは掃除機と染み抜きテクを駆使してクリーンに生まれ変わらせた。給湯コーナーは一晩で水垢を落とされて光り輝き、ロナルドは眩しさにちょっぴり目から汗を流したものだ。別に結婚したことなんてないし彼女と暮らしたこともない。なのに、何故だろうか。出奔した嫁が久方ぶりに戻って来て家中ぴかぴかに整えてくれた、そんな状況下にある関白亭主の気持ちであった。俺、家事はてんでダメだな。照れと情けなさに頭をかいて、その一点に限っては、この吸血鬼の形をしたカゲロウに惜しみない賞賛の眼差しを投げ掛ける。
 実際には駄目というほどでもない。これまで問題なく生きてきた通り、ロナルドの生活IQはごく平均的なものである。褒められたものではないが、周りに迷惑をかけるレベルでもないのだ。
 日々見せつけられるハイエンドモデルに慣らされた感覚は「あっこの分野は俺に太刀打ちできるヤツじゃねぇ」と、ロナルドから生来あったはずの意欲や能力を根こそぎ奪い去り、更地にしてしまった。かつては、野菜が足りないなと思えばカット野菜を買ってきてカップ麺に添えたり、ボタンが取れたら裁縫箱を引っ張り出して多少体裁が悪くとも自力で直したり、そんな気概があったのだ。今はからきしである。てめぇは俺を駄目にするなどと、ドラルクが内心ロナルドに「アヘン窟」と罵られる所以だった。


「何が不満だ。言ってみろ」
「何でキレてるんだ」

 キレてんのはてめーだろ。
 さすがにそれはぐっと飲み込んで、もう仕事終わりだと緩んでいた気を引き締める。生活空間を快適に整える力は、逆立ちしたって敵わない。アドバイスがあるなら聞く。そもそもこれからの時を共に過ごさんと説得している相手なのだ、何をそんなに不満げにしているのか、掌握したかった。というのに、向こうは「別に」とマントを翻してソファに戻ってしまう。
 何だよ、マジでわけわかんねぇ。ぶちぶちと独りごちて、他にどうしようもなく、ロナルドはゴミをまとめる作業に戻った。一番大きなゴミ箱から袋を引きずり出したところで中断させられていた。半端にしていた作業を続けようと集めた中身を合わせ、袋の口を閉じ、ゴミ箱はそれぞれの場所に戻す。テナントを借り受けた時に、事業所として回収業者とも契約を交わしている。指定の期日であることを再度確認した。
 いつもなら仕事上がりに集積所へと置きに行くそれを、今日はさっさと手放してしまいたかった。何となく、互いにひとりになった方がいいと感じたのもある。出してくると声をかければ、生返事だが一応声は返ってきた。

 ほんとに分からん。階段を降りながら持ち上げ、中身を透かすゴミ袋をつくづくと眺める。自炊にかける時間があるなら、事務作業を少しでも進めたい。原稿だって追い込み中だ。睡眠時間も十分とは言えなかった。頻繁に出入りして、勤務中の大半を見守っているのだから、向こうも分かっているはずだ。だからきっと、主張は「自炊しろ」ではない。もっといいもん食えってか? いや、美しくないと言っていた……洗って捨てろということだろうか。見えないようにしろとか? くるくると持ち手を捻るように回しながら眺める。もうビル指定の集積場まで来てしまった。既にいくつか重なっているさらに上へ、ぽんと袋を重ねる。開けていた扉を閉じようとして、薄暗がりに置いた袋から透けたその色に、ふと目が吸い寄せられた。そうして血の気が引く。夜更けにはやや迷惑な音を立てながら、金属製の扉を可及的速やかに閉め、全力で階段を駆け戻った。近所迷惑だろうが何だろうが、今だけは、知ったこっちゃない。



 いけないな、と胸の上で指先を合わせながらドラルクは内心で自分を嗜める。それでも燻る不満は薄れなかった。どうしようもないことを言って困らせるのは良くない。分かっていても、贅沢を覚えた心は慣れてしまっている。これまで通りの快楽を得たければ、刺激を強くするしかない。小さなため息を吐いた。これだから私のは執着だと言うのだ。ワガママで、身勝手で、露わにすれば相手を困らせる。

 初めて訪れた時は煙草の煙に霧がかった秘境めいていたが、今はなかなかに快適な空間だった。あの勢いで何年も喫煙してきたのかと慄いたが、どうも一時的な暴走だったらしい。余程の精神的負荷が掛かったのか……一因を担った自覚はあるのでその点はあまり掘り下げず、ただそれならば身体への影響も想定よりは少なかろうと安心したものだ。事務所にとっても幸いなことにタールの侵食は浅い方で、匂いと色素の多くは重曹と拭き掃除で取り去ることができた。少々古いが掃除の行き届いた清潔な場所。安心して深く呼吸する。
 ソファには厚手のファブリックを掛けて華やかに、かつ暖かく整えている。ふんわりと空気を含んだ繊維は心地良く身体を受け止めて、おかげでどうにも気が緩む。まだ営業時間だが、深く腰掛けて背凭れに頭を預け、脱力している。我ながらだらしないと思うが、戻ってくる靴音はもう耳が覚えてしまった事務所の主のもので、来客ではないからいいだろう。しかし何だろう。急いでいるようだ。せっかちな早足。あれはほぼ走っている。オバケでも出たかい。内心揶揄いの言葉を投げ掛けた。乱暴にドアの開く音と、一直線に近寄る靴音。迷わず真っ直ぐソファまでやって来て目の前に立つ2本の脚。反射的に見上げると、退治人は真剣な顔をしていて、ああまた始まるかと少しだけうんざりした。これまた贅沢な話だと自嘲する。早くその情熱を他に向けさせないとっていう義務感の裏で、確かに自分は悦びを覚えているから。この美丈夫にかき口説かれる時間はいつも、理性に責め苛まれる苦痛の時間でもあった。たとえ圧倒的な歓喜の念に心が浮かされていても。

 帰ろう。立ち上がろうと尻を据え直したところで跪くように腰を落とした退治人に目線を捕らえられ、うっと動けなくなる。情欲の滲む目に見られると、本当の本当にダメだった。実は祖先にメドゥーサでもいるんじゃないのか。埒もないことがよぎるくらいには参ってしまう。
 ただ、今夜、ああとかううとか唸りながら見上げてくる表情には、いつもとは別種の熱が籠っていた。これは一体何だろうかと興味が葛藤を押しのけて、だからまじまじと見つめ返して観察する。覚えがある感情が見えた気がした。照合しようと頭の中を探りつつ大きな瞳の奥を覗き込む。それが後ろめたさだと思い当たった時、常ならばきちんと許可をとって触れてくる退治人がガシッと音がしそうな勢いで手を握るものだから、ドラルクはうっかり叫び出しそうになった。

「違うんだ」

 突然言い訳の常套句のようなセリフを突き付けられて、悲鳴の代わりに「はぁ?」って息が漏れるような当惑の声が出る。

「あれ、あれは貰ったティッシュに入ってたヤツで」
「積極的に貰いに行ったわけじゃないっていうかそもそもちゃんと見てなかったくらいで」
「取り出してあったのもメモ代わりに白い紙欲しくて裏使っただけだから」
「登録とかしてない! 興味もない! 何ならスマホ見てもらっても全然いい!」

 誤解なんだ!
 呆気に取られてただ聞いていたら、美貌の青年はだんだんと涙目になった。声が悲哀を増していく。理解が及ばずに「どういうことなの」って呟いたら、虚を衝かれた顔をする。幼なげにさえ見える顔と、それが口にする「出会い系のチラシに怒ってんじゃねぇの?」って俗っぽい言葉がどうにも結び付かず、お互いにぽかんとしたまましばらく見つめ合っていた。

「そんなの、気付きもしなかったよ……」
「……マジかよ……」

 肩どころか頭まで埋まりそうに落として、墓穴を掘ったと項垂れる若者は可哀想なくらい小さく見えた。
 実際に可哀想だとドラルクは思う。
 昔、せっせと食糧を漁りながら自分の身体を探っていた……否、自分を知りたくて他者を犠牲にしていた頃、宿木に例えられたことがあった。秋には愛らしい実を結ぶ、クリスマスイブの誕生花。欧米の民族にとってはなかなかにロマンチックな謂れで知られる植物だが、当然そんな甘い意味で引き合いに出されたわけではない。ひ弱で、自力では生きられないから他の植物に寄生する。決して大地に根を張らず、自立した立派な木に絡みつき、そうして栄養を横取りし、吸い上げ、弱らせた挙げ句についには枯らしてしまうのだ。罵られた当時は腹を立てたものの、今は言い得て妙だと感心する。いかにも自分は寄生木だ。一緒にいれば、駄目にする。項垂れる頭を撫でてあげたい。今だって反射的にそんなことを思ってしまって、これだから彼が期待を捨てられないんだと自戒する。元より手はまだ握られたままだった。

「あのさ、じゃあ何で」

 何で怒ってんの。
 まだどこか機嫌を気にするような素振りで尋ねられ、ぎくりとする。触れてほしくない。我慢できずに不快感を露わにしたつい先刻の自分を呪う。けれど、自分なりに頑張ったのだ。私の作ったものじゃなくてもいいんだねって、子どもっぽい独占欲にまみれた言葉をどうにか喉元でとどめた、それだけでも相当な努力を要した。とてもそんなことが言える立場ではないのに、そうであってはいけないと押しとどめる努力を今もなお続けているのに。どれだけ歳を重ねても、子どもの自分も年若い自分も内側に息づいていて、実に率直に欲望を露わにするから困る。彼が好きだ。彼が欲しい。自分だけを見ていてほしい。ずっと、自分に夢中になっていてほしい。もう、理性だけではとても太刀打ちできない。それなのに、重ねて当の本人には熱っぽく口説かれる。不器用に同じ言葉を繰り返す、そのひたむきさが眩いほどで、目を合わせるのも一苦労で、もはや開けてすらいられない。神経も参ろうというものだ。こうなると、もう、手はひとつしかない。苦境を抜け出すいつものアレ。伝わる体温と精神的な重圧は、限界を迎えるには十分なファクターである。
 やっちまったと打ちひしがれながらも緩めなかったのに、細い手はロナルドの腕からいつもあっさりとすり抜けていく。トサリと軽い音を立て、塵が床に落ちた。










×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -