縋るように抱き締めた


「レベッカ、チェンバース…」

予想していた名前と違った。名前に記憶はある。兄の所属していたS.T.A.R.S.ブラヴォーチームの隊員。
面識はない。しかし、名前も、その功績も、知っている。どのような結末を迎えたのかも…。
クロエは瞳を伏せた。何と説明すればいいのか。

「知ってるんだな?」

焦ったような声にその男がどれだけレベッカ・チェンバースを大事に想っているかが読めた。
だからこそ、言うのが躊躇われた。躊躇していると伝わったのか「そうか」と震えた声が耳朶に響いた。
ナイフの刃が離れる。冷気が肌に染みる。気遣うようにクロエの肩からジャケットがかけられた。
手首は縛られたままだ。解いてくれないと行動ができない。訴えるように首を動かすが部屋は暗く、男の姿も目視できない。
暗さに目が慣れてきたが分かるのは木の板の床、火が灯っていない炭だけが積み上げられた暖炉、無造作に置かれた煉瓦だけだった。
簡素な山小屋であることは何となくわかった。しかし気を失った地点からどれくらい離れているのかさえも知らない。

「あの…」

男はナイフの刃を手首の縄に添え、一気に切った。手馴れている。軍隊にいたクロエは分かった。彼もまた軍にいた者だ。
どのような経緯で追われる身になったのか、なぜこのようなことをするのか、まったく分からなかったが知る必要のないものだとわかった。自分が介入してはいけない問題のように思えた。
炎が突然、燃え上がった。ギョッと身を竦ませたが暖炉だとわかり、体の緊張を解く。
大柄な男だった。腕や足の筋肉は軍人そのものだ。男からは自分と同じ匂いがする。男は背を向けて立っていた。

「安心してください」

クロエは気づけば男の背中に向かってそう言っていた。

「何も、言わないので」

男は驚いたように振り返った。若い男だった。あまり年は変わらないだろう。
男は真意を測りかねるらしく、しばらくこちらをじっと見つめてきた。
真っ直ぐ見つめ返すとやがて男は微かに微笑を浮かべ、浅く頷いてみせた。何となく悪い人に見えなかった。

「お前の名前は?」

ぶっきらぼうにそう聞いてきた男に敬礼をし「クロエです」と言った。
男はつられたように敬礼を返し、「ビリーだ」としっかりとした口調でそう言った。
ハッとしたときにはもう遅い。クロエは悪戯っぽく笑った。

「やっぱり私の見立てた通り、あなたも軍にいたのですね」

男は向かい側の古ぼけた椅子に腰を下ろし、自身の髪をくしゃり、と握って悪態をついた。

「長い間、離れても染みつくものなんだな…」

「ええ」

クロエは同意した。

「職業とは恐ろしいものです」

ビリーと名乗った男は立ち上がり、何かを探りながら

「海兵隊にいたんだ」

と言った。そして振り返ると湯気の立ったマグカップをクロエに渡した。
お礼を言い、一口飲む。紅茶だ。体に染みる温かさと甘さ。

「海兵隊にですか!」

「ああ」

「私は以前、陸軍にいました」

ビリーは怪訝そうに眉を寄せ、こちらへと視線を送って来た。
おそらく彼が聞きたいのはなぜわざわざ除隊してまで生物兵器根絶を目的としたB.S.A.A.へと入隊したか。
それには忌まわしい記憶を思い出す必要があったが今はまだ思い出したくない。ハッキリと向き合えるほど強くない。
クロエはまた紅茶を一口飲み、苦笑を零した。何かを感じ取ったらしくビリーは視線を木造の床へと落とした。

「…任務中に何かあったようだな」

「ええ、まあ」

「だがB.S.A.A.に身を置いているということは少なからず向き合えているという証だ」

心情を読み取ったらしい、ビリーはぶっきらぼうにそう言った。
クロエは微かに笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、そう言われて少しホッと…しまし、た…あれ」

視界がぐにゃり、と歪んだ。どんどんと曇り、思考が回らなくなる。
男に見下ろされているような気がした。声も出せず、何も考えられなくなる。
どんどんと視界が闇に覆われていくかのように真っ暗になっていく。最後には一気に引きずり込まれ、意識が飛んだ。
ビリーはそんな彼女の様子を眺めていた。意識が落ちていく彼女を。紅茶の中に睡眠薬を盛った。いざというときに利用しようと勝手に持ち出したものだった。
それがこんな時に役立つなんて。ビリーは手の中の瓶を一瞥し、自嘲的な笑いを漏らした。
足音が聞こえる。もうすぐそこまで。人数はたったの1人。敵か、味方か。歩き方でわかる。この子の仲間だろう。
ビリーはクロエに毛布をかけ、立ち上がった。扉がやや乱暴に開けられ、「動くな」と銃口を向けられる気配。やれやれ、とビリーは両手を上げた。

「その子から離れろ」

語気が強められ、ビリーはただの仲間ではない何かを感じ取った。やや振り返り、ああ、そうかと納得する。
短髪の美青年だった。その顔は軍人だがチラチラと何かがチラついている。そう、男の顔だ。
女を奪われそうになるときの男の殺気に満ちた表情だ。

「心配しなくても眠ってるだけだ」

「うるさい、大人しく離れて壁に手を」

「生憎、俺は幽霊なんでね。これでサヨナラだ」

「何を訳のわからないことをっ」

ビリーは青年の近くに閃光手榴弾を投げた。
瞬く間に暗い室内の中、眩い光とキーンとした耳鳴りのような音が包む。
その隙を逃すビリーではなかった。今まで幾度となく逃げてきたのだ。ビリーは体を転がし、外へと出るとすぐに姿を森の中へと紛れ込ませた。
小屋の中に残った青年は悪態をつき、クロエの元へと慌てて駆け寄った。そして彼女の首元へ手をやり、脈拍を確認する。
良かった、生きていた。ホッと息を零し、インカムで発見したことを仲間たちに伝え、毛布に包まれたクロエを抱き締めた。

「クロエ…よかった…」

「ピアーズ…さん?」

微かに彼女の目が開く。しかしどこかトロンとしていて意識がハッキリしていないことがわかる。
それでもピアーズは微笑まずにはいられなかった。

「もう大丈夫です」

「ピアーズさ……好き…」

「え…?」

ぐったりとまた重くなる。慌てて呼吸を確認したがまた意識を失っただけのようだ。

「何て言ったんだ…」






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